ミリアは禁術を使った!
隣から、気分が悪そうなラルフの声が聞こえる。
「ミリア……どうしたんだ。普通に元気そうだけど、大丈夫なのか?」
「ええと、その、ゲフッ、ゲフッ!」
『わざとらし!』
『うるさい! あんたのせいでしょが!』
わたしは咳ごんでから、ラルフに応じた。
「ご、ごめん、その、えと、ちょっとわたしもなんだか調子が――」
うう、嘘をついてごめんね……。
でも、ここで「健康優良児でーす☆ 」なんてアピールしたら、わたしの異常性が目立ってしまうのです。ここはわたしが絶対になんとかするから、許して!
「そ、そうか。無理はするなよ。でも、周りを見ても咳ごんでいる人はいないが……」
あ。
『体調が悪いふりをするのなら、もう少し周りを見ろ。お前は粗忽者なのだよ』
ぐぬぬぬぬ……言い返せない。
ラルフが口を開いた。
「とにかく、みんな辛いのは同じだ。身体の調子がおかしいのは黒い霧のせいだろうが、逃げられない人たちもいる。ここは頑張って援護しよう!」
ラルフは言うなり、敵のひとりに白い矢の魔術で攻撃する。
「そうだね、わたしは別の場所で援護してくる!」
わたしはラルフと別れた。
……これで全力で動き回っても、わたしを気にする人はいないだろう。
『で、どうしたらいいんだろ?』
『何がだ?』
『ほら、この黒い霧よ。これ何? こんな魔術は知らないんだけど?』
『ふぅむ……禁術とは別だが――上級魔術と言ったところか。つまり、人では使えない類のものだ』
『ええ!? じゃあ、誰が使ってるの?』
『使っているのは、あの威張っている茶色いローブの男だな』
『あの人は、人間じゃないってこと?』
『……いや、あいつが持っている赤い宝珠から強いエネルギーを感じる』
『あの宝珠に秘められた力ってこと?』
『違うな、あの宝珠に秘められた何者かが力を貸しているのだ』
――?
微妙な言い回しの変化に、わたしの頭がわずかに混乱する。
アンゴルモアが補足してくれた。
『あの宝珠の中に何者かが封印されているな。あのローブの男はその力を行使している』
そして、こう付け加えた。
『で、その封印、もうすぐ解けるぞ』
『ええ!?』
青天の霹靂なんですけど!?
そう言えば、エルダー・ヘルハウンドの邪印がどうのこうのって話をしていたとき、封印を解くために瘴気を集めるときに使うって話をしたな……。
『封印が解けるとどうなるの?』
『そりゃ蘇るんだろ?』
『……魔王が?』
だって、魔王の復活を狙っている組織なんだよね?
アンゴルモアが声を荒げた。
『お前の足元にいるのは誰だ!? 偉大なる我はここにいるだろ!?』
『そうだよねえ……』
そのとき、茶色のローブの男――確か、さっきルペンと名乗っていた男が赤い宝玉を高々と掲げた。
「あっはっはっはっは! 終わりだ! お前たちの負けだ! もうすぐ蘇る! 魔王様が! おお、魔王様、500年もの間、このような狭い場所に閉じ込めてしまい、申し訳ございません! あと少し、あと少しの辛抱でございます!」
ざわり、と周囲の空気が揺らいだ。
口々に、魔王が!? 魔王だと!? とささやいている。
『ほら、魔王が蘇るって言ってるよ?』
『いや、絶対に違うぞ』
うんざりした口調でアンゴルモアは応じるも――
『だが、何かが蘇ろうとしているのは間違いない。このままだと大変な被害が出るぞ』
『どうしよう!?』
『その前に禁術で再封印しろ』
『それがあったか!』
『おまけに赤い宝珠の力も使えなくなる。まさに一石二鳥だな』
『それ最高!』
『急げ、ミリア、本当に時間がない!』
確かに、掲げられた宝珠が輝きを放っている。
まさに『これから何かが起こりますよ!』という感じだ。演出がわかりやすい!
「万物は広がるようにできている――開いて伸びて――無限に膨張する――だから、命じよう――ただただ閉じろと――外の世界を想うなと――幾億年も変わらぬ小さき世界で ――息をひそめて惰眠を貪れ」
詠唱しながら人が少ない場所へと移動する。
黒い霧のおかげで、きっとわたしだってわからないはず――
ルペンとがご機嫌な声で叫ぶ。
「ひゃーははははははははは! 魔王様、復活ぅーーーーー!」
「だから……その魔王ってのは誰なのよ!」
ルペンに手を向けて、わたしは最後の言葉を口にした。
「『赤き戒めが閉ざす世界の慟哭』!」
わたしの右手からいく筋もの赤い、紐のような閃光が伸びていく。
それは、掲げられた赤い宝玉へと殺到した。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ! ……あん? な、なんだこれは!?」
わたしの禁術に気づいたルペンが動揺の声を発する。
宝珠を持つ手を動かすが、遅い!
それよりも早く赤い紐が宝珠を絡め取り、巻きつく。
「お、おい、これは!?」
ルペンは焦る。焦って巻き付いた赤い紐を引き剥がそうとするが、意味などない。
宝珠の輝きはみるみると消えていく。
新たなる封印が施されたのだ。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ!」
動揺するルペン目掛けて、わたしは新たなる魔術を放った。
「マジック・スピア!」
白く輝く槍がルペン目掛けて飛んでいく。
「ひっ!?」
慌てて身体を動かしたルペンがバランスを崩して尻餅をつく。
まだ晴れない黒い霧のせいで狙いが甘かったか……!
「お前たち! 戦え、戦え! 騎士たちを血祭りにしろ! もう少しだ、もう少し! 魔王様が蘇るまで時間を稼げ!」
そう叫ぶと、ルペンは大事そうに宝珠を抱えると教会の奥へと走り出した。
させない! と追いかけたかったが、そうもいかなかった。
教会とわたしを遮るように、騎士たちとルペンの配下が混戦している。
これでは後を追えない。
禁術を使おうかと思ったが、さすがに連発するのは目立ちすぎてしまう。今はただの宮廷魔術師ミリアとして動くしかできないだろう。
『この黒い霧はまだ晴れないの?』
『赤い宝珠を封印したので魔力の供給は絶たれている。じきに収まるだろう』
アンゴルモアの言葉どおり、やがて黒い霧は完全に消え去った。
霧が薄くなっていくにつれ、身体を蝕んでいた阻害効果が弱まっていく。
そうなると、騎士たちに負ける要素はない。
今までの忍耐の報いとばかりに、あっという間にルペンの部下たちを蹴散らした。半数は死に、半数は捕らえられた。
なかなか危ない展開だったが、王国軍は死者を出すことなく戦いを終えた。
充分な成果だったけど――
ひとつだけ取り返しのつかない失敗があった。
「教会の奥に隠し通路があったか!」
部隊長が大きく舌打ちをする。
教会の奥に逃げたルペンを探したところ、見つかったのは緊急脱出用の隠し通路だった。どうやら、これで外へと逃げたらしい。
たどり着くまでに要した時間を考えれば、追いつくことは不可能だろう。
「ぬかった!」
部隊長は悔しそうに言い捨てると、壁を力の限り殴った。
……まあ、上の人には上の人なりの苦労と責任があるのだろう。
だけど、わたしのような下々にとっては――
よかった〜〜〜終わった〜〜〜。
わたしはほっとため息をついた。
『ふん、偉大なる我の助言のおかげだなあ、前人類よ? んー? んー? 偉大なる我への感謝と尊敬の念が高まっておるか?』
『そうね……まあ、今日は高級ささみ肉を用意してあげる』
『ふぁっふぁっふぁ! くるしゅうない! くるしゅうないぞ!』
実にご機嫌だった。
『……ところで、わたしに助言してよかったの? あの人たち、あなたを信奉する人たちなんでしょ?』
『はっ! 何を言うのかと思えば!』
わたしの言葉をアンゴルモアは一笑に付す。
『むしろ許されんくらいだ! あいつらが崇めていたのは、あの赤い宝珠に入っていた『何か』なのだろう? 結局、偉大なる我を崇めていたわけではないではないか!』
あ、むしろ、すねちゃった。
自分の信奉者だと思ったら、得体の知れないものを崇めていた――まあ、ちょっと悲しいかもしれないなあ……
いまだに続くアンゴルモアのぶつぶつとしたつぶやきを聞き流しながら、わたしはふと思った。
結局、あの宝珠に封印されていたのは、なんだったんだろう?




