力を持つものの義務
「グオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「うおおおおおおお!」
エルダー・ヘルハウンドと騎士たちの戦いが始まった。
だが、あまり楽観的な状況ではない。
エルダー・ヘルハウンドは熟練した冒険者でも苦労する強力なモンスターだ。
おまけに、騎士たちの大半は寝ていたので、装備が剣と盾しかない。身を守るものがない以上、どうしても安全第一に動くため、勢いよく攻めきれていない。
『さらにおまけで、邪印も厄介だな』
どうやらわたしの思考が聞こえていた口うるさい猫がコメントを追加してくる。
『あのさ、邪印ってなんなの?』
わたしは小刻みに魔術を打ち込みながら事情通に話を振る。
……忙しくて仕方がないのだが、流したら流したで重要な話を聞きそびれそうだしねえ……。
『あの赤い紋様だよ。あれがついていると力が増す。普通のエルダー・ヘルハウンドよりもかなりの強敵だぞ、あれは』
『ほー……てことは、あれを施した黒幕がいるってこと?』
『そうなるな――問題は、邪印の効果で何を狙っているのか、ということだ』
『え? どういう意味?』
『邪印はな、モンスターの正気を失わせて強化するのが目的ではない。そのモンスターに他のモンスターを倒させて瘴気を集めさせることなのだよ』
『正気を失うだけに、瘴気を集めちゃうんだ』
『!? 意図してないのだが!? 偉大なる我が滑ったみたいじゃないか!?』
『で、瘴気を集めてどうするの?』
『さあな……だが、何かしら封印されているものを解くのに使うことが多い技だな』
『ふぅん』
じゃあ、なんの封印を解こうとしているのだろうか。どこの誰が。
めんどくさい状況なのはわかった。
だけど、ひとつひとつだ。まずは目の前にいる脅威をなんとかしないといけないんだけど――
「グオオオオオオオオオオオオオオオ!」
強化型エルダー・ヘルハウンドは半端じゃなく強い。
騎士たちも防戦一方で苦戦している。
『どうする? お前が出るか? お前なら短剣1本で勝てるぞ?』
アンゴルモアが当然の質問をぶつけてくる。
そして、それに返事ができないこともわかっていて。
ぐぬぬぬぬ! 性格が悪いなあ、この猫は!
確かに『開かれし世界の律動』を使って、わたしが前に出れば一気に形勢は変わるだろう。一応、護身用として短剣は腰に差してある(ローブを着ているから誰にも見えないだろうけど)。
だけど――
そもそもラルフが所属するグライディーヌ隊を除けば宮廷魔術師なんてのは基本的にインドア派の運動音痴なのだ。
それがいきなり短剣を握り、騎士たちの前でとんでもない動きをしたらどうなるか。
想像するだけで頭が痛くなる。
『……禁術を使うなって言ったのはあなたじゃない』
『そうだな。偉大なる我だな。あいつが禁術を使ったことに気づくからな』
ラルフのことか。
わたしの隣で魔術を使って騎士たちを応援している幼馴染み。彼の持つ水晶玉は禁術に反応するらしい。
わたしが発動した『得体の知れない何か』――それが『禁術』と結びついてしまう。
さすがにこの状況で「あれ、わたしなんかやっちゃいました?」は通らないだろう。
である以上、この公衆環境で禁術は使えない。
……だけど、それはそれで胸に重くて暗いものが積み重なっていく。
それはつまり、わたしたちの前衛として戦ってくれている騎士たちを見殺しにするということだ。
騎士たちは強くて精悍だ。おそらく、強化型エルダー・ヘルハウンドも倒してしまうだろう。
だけど、犠牲は避けられない。
何人かの騎士たちは傷つき、何人かの騎士は死ぬだろう。
結局のところ、わたしはわたしの身を守るために、わたしを守ってくれている彼らに「死ね」ということになる。
『……別にいいではないか。お前が悪いわけでもない。禁術を使えば死罪。悪いのはその法だ。それに従って合理的に行動しているだけ。お前が罪悪感を覚えることでもない』
アンゴルモアの言葉はとても正しい。
きっと、わたしは考えすぎなのだろう。
だけど、目の前で血を流し、命を賭けている人がいるのに、そんな割り切りができないのも事実だ。
今、選択肢は示された。
彼らを救いますか、救いませんか?
救うのは簡単ですが、生きるのがちょっぴりハードモードになります!
力のなかった頃ならどれだけ楽だっただろう。そんな悩みなんてなかったのだから。
――あることにはある。この事態を少しだけリスクを下げて乗り切る方法が。
わたしは小さな声でささやく。
「天上に住まいし暴君――怒りの咆哮は地上に轟き――金色の輝きとなって万物を灼く――私は欲す、その力を――振り下ろされる力を持って――立ちはだかる愚者を打ち崩す――遠慮も呵責もなく――ただただ力を振るい、落とせ」
『はっ、それか……少しは頭が回るようだな。だけど、さて、バレずにすむかな?』
猫の言葉はもっともだ。
……さて、本当に全てが丸く収まるのかどうか。
あとは最後の言葉を吐き出すだけ。
それがわたしを断頭台に誘わないと断言できるだろうか。
怖い。
その強さが、わたしの声帯を締め付ける。
そのとき――
考え事をしているわたしは、前方への集中が散漫になっていた。
だからだろうか。
背後から忍び寄る小さな足音に気がついた。
反射的にそちらを見ると。
そこには、暗がりに赤い双眸が浮かび上がっていた。
2体目!?
おまけにバックアタック!?
反射的にわたしは右手を前に伸ばした。
「プロテクション!」
わたしの展開した防御壁と吐き出されたブレスが激突した。
爆音が響き渡る。
瞬間、騎士たちがわたしのほうに振り返った。
「何が――!?」
「敵です!」
わたしの声に呼応するかのように、2匹目のエルダー・ヘルハウンドが飛び出してきた。
「マジック・スピア!」
放たれた白い槍をあっさりとかわして2匹目のエルダー・ヘルハウンドが一気に距離を詰めてくる。
まずい!
前衛である騎士たちは背後で戦っている。
「危ない!」
そう言って、誰かが横からわたしを突き飛ばした。バランスを崩して尻餅をついたわたしの視線の先に立っていたのは――
ラルフだ。
腰から引き抜いた剣でエルダー・ヘルハウンドの爪を打ち払う。
「逃げろ、ミリア! 王都に報告だ!」
ラルフが叫んだ。
他の騎士たちも叫ぶ。
「行け、早く!」
今の戦力で2体の強化エルダー・ヘルハウンドを倒すことはできない。そう判断したのだろう。
だから、せめて一人だけでも逃がす――
ああ、ありがとう。
おかげで、わたしは助かることができた。禁術を使って死地を脱出するなんてリスクを冒すことなく、みんなの命を踏み台にして助かることができた。
哀れな生存者ミリア。
きっと王城でも優しくしてもらえるはずだ。
はははは、なんて運がいいんだろ。
みんなが優しくて優しくて。おかげでわたしだけが幸せになってしまう。
『……どうするのだ、ミリア?』
どうするか?
そんなことは決まりきっている。
そう、今ここで言うべき言葉はただひとつ。
ただひとつしかないのだ。
「『世界に轟く雷帝の鉄槌』」
わたしの激情を発露させたかのような、2本の金色の閃光が降り注ぎ――
鼓膜が破れるかのような轟音とともに、絶叫を上げる間もなく2匹の黒い犬は絶命した。




