もうひとつの黒い影
「……他の死体とは違う感じだよね?」
「そうだな」
ラルフはあごに指を当てて、しげしげと眺める。
「傷の跡が違うな。まるで大型の獣に襲われた感じというか。今までのような――まるで冷酷な殺人鬼が計算づくで攻撃しているような感じがない」
そう言うと、ラルフは調査団長に声を飛ばした。
「あの! この現場も『黒い影』がらみなんですか?」
「ん? ああ、そうだな。赤い鬼火を身にまとった大きな黒い影が走っていったと思ったら、何やら争う音がして……そうなっていたらしい」
近づいてきた調査団長に、わたしは尋ねる。
「今までの報告と違いますよね? 赤い鬼火とか……」
今までの証言で鬼火と呼ばれていたわたしの『照明』は絶対に赤くないのだが。だって、ただの照明なんだから。
「そうだな。実は黒い影には2種類の報告があるんだ。わかりやすく鬼火の色で分けると、白と赤だな」
「赤の方は、こんな感じの死体なんですか?」
「ああ、一方は冷酷な殺人鬼が計算づくで攻撃しているような感じで、こっちは獣同士の殺し合いみたいな感じだな」
そう言うと、調査団長は元の場所に戻っていった。
とりあえず、冷酷な殺人鬼ではないと言っておきたい。違うんだ、違うんだよ……。
だけど、これではっきりした。
どうやら、わたしとは別の『黒い影』がモンスター狩りをしているらしい。
「おまけに、これは爆発でも食らったような感じだな……」
裂傷や咬傷だけではなく、身体の一部が高温で炙られたかのように焼け爛れている。
「やれやれ、ミドルトン隊長への報告が増えるなあ……」
ラルフはため息をつきながらメモを取っていた。
それからしばらく歩き、夜になった頃、わたしたちは設営の準備を始めた。
実は、この調査は3日間の予定で組まれている。今日は2日目の夜。つまり、最後の野宿で明日は王都へと戻ることになる。
歩き回って分かったことは――
魔力で強化していない、わたしの体力はミジンコ並みということだ。
疲れた……。
ていうか、本当に『開かれし世界の律動』ってすごいね。調査しながら、あちこちにふらふらと歩きながらとはいえ、2日かけてここまできたわけだけど、禁術を発動しているわたしの身体能力なら、一晩で王都から往復できるんだから。
設営には多くのかさばる装備が必要だが――
問題はない。
なぜなら、世の中にはアイテムボックスという便利な代物があるからだ。
手のひらサイズの矩形の箱で、この中には多くのものが詰め込める。1人1個しか使えない、とか、容量は所有者の能力に依存するとか、意外と高いとかあるので一般人には扱いづらさもあるのだが、騎士や魔術師であるわたしたちにとっては充分に使える代物だ。
そこからテントやらなんやらを取り出して、わたしたちは作業を進めた。
その夜。
焚き火の前に座り、わたしは見張りをしていた。モンスターが出る場所だから、当然の警戒だ。
わたしとラルフの他に、騎士団のメンバー2人がいる。
騎士団の若い男性が話しかけてきた。
「ミリアさん」
「はい?」
「あのですね、その猫ちゃん、かわいいですよね?」
「ああ……」
もちろん、わたしの横で眠っているアンゴルモアのことだ。
「かわいいですよ」
外見は。中身はアレですが……。
『……中身がアレとはなんだ?』
『あれ、寝てたんじゃないの?』
『悪口には敏感なのだよ』
おかしいな……悪口じゃなくて正しい評価なんだけどな……。
若い騎士が話を続ける。
「ミリアさんの使い魔なんですか?」
「そうですね。名前はモアっていいます」
「使い魔なんて初めてみました。普通の猫と違うんですか?」
「いや、ただの猫ですよ」
そう言って、わたしはアンゴルモアを抱え上げた。
「もふもふしてみます? 起きてるみたいだし」
『お、おい!?』
「え、いいんですか!?」
若い騎士の顔がぱっと明るくなる。
「いやあ、実は自分、猫好きでして! 男なのに変ですかね?」
「いいんじゃないですか? 気持ちいいですからね」
『ま、待て、お前!? 偉大なる我を勝手にモフらせるではない!? 』
心の声で騒ぎ立てる猫を若い騎士に渡す。
若い騎士は嬉しそうな表情でアンゴルモアをもふもふした。
「あー、気持ちいい!」
『くそ、どうして偉大なる我が――しかも男に!?』
『あれれー、偉大なる我様、女の子ならいいとか思っているんですか?』
『思ってはおらん! おらんが! 女も嫌だが、男はもっと嫌なだけだ!』
「あー、かわいいよ、かわいいよ、モアちゃん!」
男の騎士は嬉しそうにもふもふしながら、猫オーラを補充していた。
『ノオオオオオオオオオオオオ!』
アンゴルモアはむっちゃ嫌そうな顔をしていたけど。
そんな牧歌的な時間を過ごしていると――
!?
わたしの感覚に、ざらりとした嫌な感覚が走った。
あらかじめ、野営をする周囲に『結界』を展開しておいたのだ。結界の内部にモンスターが侵入したら教えてくれるものだ。
「みなさん! 敵です!」
わたしは大声を上げた。
騎士たちはアンゴルモアを下ろすと、大急ぎで眠っている仲間を起こし始める。
わたしとラルフは周囲に目を向けた。
ざっ、ざっ、ざっ……。
暗く沈む森の向こう側から足音が聞こえてくる。足音は少しずつこちらへと近づいてくる。
やがて、大きな影が現れた。
真っ赤な双眸がじっと闇に浮かんでいる。
すっと息を吸い込むのが聞こえた。
「ミリア!」
ラルフの声。わたしの脳裏にさっきのジャイアント・スネークの死体――その焼け爛れた様子が浮かび上がる。
わたしとラルフは右手を差し出し、叫んだ。
「「プロテクション!」」
それと、赤い瞳のモンスターがブレスを吐き出すのは同時だった。
ゴォン!
わたしたちとモンスターの中間地点に生じた透明の防御壁とブレスが衝突、爆音が森を揺らす。どうやら着弾と同時に爆発するブレスのようだ。爆風が強いので、森に引火しなくて助かった。
わたしたちは間髪入れずに次の魔術を放つ。
「「マジック・ランス!」」
わたしとラルフが同時に放った、白く輝く槍が赤い瞳へと飛んでいく。命中するよりも早く、赤い瞳が横にスライドした。
からぶったマジックランスが地面を抉る。
影がぐるりとわたしたちの周囲を走った。
動きが速い――!
わたしたちが向き直るよりも早く、その巨体が暗黒の森から飛び出してきた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
それは漆黒の犬だ。身体は虎ほどにも大きいが。
エルダー・ヘルハウンドだろう。
だが、普通とは違うような。瞳が赤い。いや、その黒い肌にもところどころ真紅の紋様が刻み込まれている。あれがもし高速で走ったら――赤い鬼火をまとう影に見えないだろうか?
いや、それはそれでいいんだけど、あの紋様はなんだろう? エルダー・ヘルハウンドにそんなものはなかった気もするが。
なんてことを考えている余裕はない。
ヘルハウンドが間合いを詰めてくる。
魔術師の生命線たる距離がみるみると削られていく。くっ、早く狙いを定めて次の魔術を――!
「すまん、待たせた!」
そこで剣と盾を手にした騎士たちがわたしたちの前に現れてくれた。
少しばかり落ち着いたかな。
ふぅ、と息をつく。
そのとき、足元にいる猫のつぶやきが耳に届いた。
『……邪印か? なぜ、あんなものを?』




