閑話:河川運航多目的船
中国広いです。補給大事です。
昔の日本同様に、戦前の中国も河川運輸が盛んです。
そりゃあ、あんなデカい河だったらね!
海と変わらんでしょ!
重慶周辺への前進基地として、宜昌と南寧が使用された。
漢口から直線で300km離れた宜昌は、重慶まで約480キロと最も近く、揚子江を遡江する外航船もここまでは自由に出入りでき、交通路の要衝でもあった。海軍も、漢口からの重慶爆撃の中継地として宜昌を利用していた。漢口を重爆や整備の後方基地とし、宜昌を戦闘機や軽爆の前進基地として活用した。
同じく南寧も広東から400kmと離れていたが、援蔣ルートの昆明ー重慶の中継としての要衝である貴陽まで約460kmであり、こちらも広東を重爆や整備の後方基地とし、南寧を戦闘機や軽爆の前進基地として活用した。
漢口は、上海から直線で700km。ここが、日本軍の活動限界と考えられていた。本来であれば、南京で留めておきたい所であった。蔣介石を追って漢口まで来たものの、更に700km奥地の重慶までは追えなかった。宜昌までは占領したものの上海から1,000km、東京ー福岡間よりも長い。長江による河川航路での補給があることでかろうじて維持できていた。
広東から400kmと離れた南寧も、同じく鬱江での河川航路での補給を依存していた。
陸軍としては、外航船での補給で十分と考えられていたが、宜昌と南寧の飛行場への迅速な補給を考えた時に、もう少し小回りの利くものが欲しかった。
そこで、目を付けたのが、別府汽船が姫島~伊美間航路でのフェリー運行していた「姫島丸」であった。
姫島丸は、排水量200トン、乗客数150人そこそこで、その気になれば5~6両ほどのフォードトラックを積み込むことができた。後方から桟橋に接岸し、車両用のランプウェイを下ろしてそこから自走して揚陸することができる形とした。日本初のカーフェリーであった。
更に、別府造船は瀬戸内海の島々の渡し船として、前後から乗り降りできるフェリーも開発していた。浮きドックの両舷に壁を作り、前後に渡し板を付けた簡単な作りであったが、往復共に前進で乗船し、前進で下船できるため非常に好評であった。
九州に覇を唱える別府造船グループ総帥、来島義男社長は、
「まあ、波がほとんど無い瀬戸内海だからね。これが外洋だと一発転覆だね」
と身も蓋も無いことをぬかしていた。
「本業の仕事だから嬉しいと言えば嬉しいんだが、今回の注文もひどいんじゃないの?言っちゃ悪いが素人の発想だぞ?」
日商経由で送り込まれた、「帝国陸軍河川運航多目的船建造ニ関スル基本要件書」と書かれた薄っぺらい書類を応接セットの上に放り出しながら、別府造船社長来島義男は毒づいた。
「そもそも陸軍ですから玄人じゃないですね」
大分県日出。別府湾の北側に位置する別府造船の本拠地。社長室の主の愚痴に付き合っている「ぷっつん宮部」こと、宮部技師長が有力顧客の問題点を淡々と述べた。
陸軍の要望は、排水量500トンほどで、トラック16台ほどを積載できることとなっていた。
もちろん、いつも通りに『戦時標準船ヨリ安価カツ短期ニ製造可能デアルベシ』の一文もついてだったが……
姫島丸での経験があるため、製造自体は簡単だと思われた。その一文が無ければ……
『揚陸施設ナキ場所ニオイテモ速ヤカナル揚陸可能デアルベシ』
「これ、どうすんのさ? これは、もう河川運航を前提にして無いだろ!」
と、愚痴をこぼすものの宮部技師長始め制作陣の尽力により、そいつは完成した。
艦首の構造は、大発などの上陸用舟艇と同じような艦首の門扉が1枚であった。揚陸の際には門扉が前方に倒れて渡し板となり、その上を車両が走行できる構造になっていた。
航行中の前方視界を確保するため、艦首門扉の上端には開口部が設けられ、 また艦首甲板上左舷側にボックスを設置し、接岸時などは乗員が常駐して艦橋と連絡を取れるようにした。
船体は工作を容易にするため、形状に直線と平面が多用された。 船体の抵抗増加が予想されたが、水槽試験によると速長比1以下では抵抗が増加するが、それ以上の高速では問題無いことがわかった。 ブロック工法を採用し、船体は船首部、中央部、艦首部の3個のブロックに分けて建造された。 各ブロックは全て溶接でおこなった。 このような工夫により建造期間1か月半で完成した。
「これ、大波被ったら、大変な事になりませんか?」
と、常識人の何人かは疑問を呈したが
「知らん! うちらは、河川運航多目的船を建造したんだ。河川に、大波なんか無い!」
東シナ海を何とか航海し、中国大陸に渡った河川運航多目的船は、長江や鬱江での河川運航に従事し、宜昌と南寧の前進基地を支えた。漢口や広東から補給物資をトラックに積載し、宜昌と南寧に到着後は、そのままトラックが飛行場まで走り補給物資を降ろすことで、揚陸作業の大幅なる短縮が出来た。戦場での時間短縮は、そのまま危険回避の上昇である。
東シナ海を航海し、無事に中国大陸に渡った河川運航多目的船を見た日本陸軍は、島嶼部への上陸に使えるんじゃね? と気づき、別府造船に対し多数の発注をすることになる。
島嶼部への使用となると船体の強化が必要になり、余計な経費が掛かることになため、九州に覇を唱える別府造船グループ総帥、来島義男社長は、
「どうしてこうなったああああああ!」と叫ぶのであった。
本家より先にLSTもどきを出してみました。
まあ、二等輸送艦ですがW
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