閑話:陸軍航空士官学校 その3
中国戦線に戻る前に、伏線としてもう一話、陸軍航空士官学校の話を入れました。
伏線にしても短すぎたので、12月15日大幅加筆修正いたしました。
陸軍航空士官学校にたまたま実戦経験豊富な人間が居て、様々な意見交換をし、それが今後の戦局に反映されて参ります。
今後も生暖かい目で見て頂ければと存じます。
加藤少佐からもたらされたドイツ空軍で確立されたロッテ戦法。2機1組のロッテを「分隊」、4機1組のシュヴァルムを「小隊」としたロッテ戦法はその後、陸軍航空部隊に採用された。飛行戦隊の編制は1個分隊(計2機のロッテ)が2隊で1個小隊(計4機のシュヴァルム)、その3個小隊で1個中隊(計12機)、3個飛行中隊(計36機)と戦隊本部機からなるものであった。
そのために必要なものとして、通信機材の充実が求められた。*1
99式襲撃機には、新型の通信機器が搭載され基地や僚機との交信が出来た。それ以前、97式戦闘機などは「使えない!」「ただのバラスト!」などと言われ、取り外している場合も多々見受けられた。僚機との意思疎通は、ハンドサインによるものが殆どで、それで以心伝心できたかと言うと疑問符しか付かない状態であった。
ノモンハン当時の篠原の様に単機で敵機の集団に突っ込んでいったのは、編隊僚機との意思疎通が出来ていない証拠である。
それに比して、乾たちの99式襲撃機は無線での連携により、密集しての爆撃(豆まき)により有効な攻撃を繰り返していた。
敵飛行場や物資集積地などは、特に単機での爆撃は余程の爆弾量を投下しない場合、有効とは判断できない。爆弾搭載量の少ない日本軍の爆撃であれば、なおさら無線による連携は必須である判断できた。
加藤少佐と篠原達との意見交換により、1939年8月22日のタムスク爆撃の際の97式司令部偵察機での陣頭指揮は、辻参謀は別として乱戦での上空からの俯瞰により空戦指揮は有効であるとの判断に至った。
また、爆撃も同様であり爆撃精度の問題から、爆撃の降下判定をし二次攻撃の判断をする指揮機が必要であると。
仮に空中指揮機と名付けられたが、それは司令部偵察機*1の様な高速機か、通信機器の充実及び将来的な電探*2の装備まで考えた場合の大型機かで意見は分かれた。
現在の電探は、まだまだ大きく重量も嵩むため、据え置き型の物しかないが、いずれ小型され艦船や大型機への搭載が考慮されていた。
基地防空に関しても、SB撃墜の際の警戒様式を電探と通信機器の充実により一元管理出来るのではと、バトルオブブリテンを見て来た加藤少佐の意見だった。
将来的には、空中指揮機に電探を搭載し、有視界外からの空戦指揮も可能ではと思われた。
爆撃機乗りとしての意見を聞かれた自分は、少し考えて……
「爆撃機は、どんなに頑張っても護衛の戦闘機が居ないと墜とされます」と意見を述べた。
「ハルハ川の重砲陣地を潰した時は、99式襲撃機だけで飛んだんだろ?」
「あの時は、辻参謀の強引な作戦でやらされたものです。本来、襲撃機は制空権の確保された環境下でこそ力を発揮します。爆弾抱えて時速300kmちょいで飛んでる爆撃機なんて、戦闘機乗りにとってはご馳走以外の何物でも無いのではないでしょうか」
「確かに、その状態の爆撃機は我々戦闘機乗りに取っては、カモがネギ背負ってる様なもんだな」
「しかし、99式襲撃機の様に防弾装備を強化したり、例えば速度を上げたり、高空から侵入するとかでもダメか?」
「防弾装備も限りが有ります。現在は、敵が7,7mmなので防げていますが、99式襲撃機の12,7mmでは食らい続けて行けば確実に墜とされますね」
「私なら、12,7mmなら1連射で99式襲撃機を撃墜できる!」と、篠原が言う。
「速度についても、爆弾と言う重量物を搭載する以上、戦闘機より早い爆撃機と言うのは夢物語だと思います。高空を飛ばれると難渋はしますが、撃墜不可能ではありません。事実、篠原少尉はノモンハンで高空から侵入するSBを撃墜しています。どんな策を弄そうと、対策は打たれます。戦闘機を振り切る速度で、防弾装備をし、防御機銃を多数装備した爆撃機を開発すれば、戦闘機なぞ要らぬと言う戦闘機無用論は、戦場を知らない人の妄言です」
「ははは、愉快! 愉快! 乾は、爆撃機乗りなのに戦闘機乗りみたいなことを言うなあ」
「狙われる方になれば分かります! 戦闘機に狙われたら、まず逃げれません」
「黒江とは、逃げるどころか返り討ちにしたじゃないか?」
「あれは、爆弾抱えてない状態ですし、単機同士でした。爆弾抱えて、複数の敵機に狙われたら終わりです」
「乾は、後部機銃なぞ飾りです! と言っているそうじゃないか」
「護衛の戦闘機がいるなら、後部機銃は要りません。そもそも、当たりません。案山子みたいなものと考える人も居ますが、後部機銃のスペースを燃料や爆弾搭載に利用した方が効果的です」
「加藤少佐、後部機銃に対しては、戦闘機も防弾装備の充実した機体であれば怖くありません」と篠原が追加で意見を述べる。
「それで、篠原はノモンハンや中国戦線で99式襲撃機を使っていたのか?」
「爆撃についての意見はどうだ? 何か所見が有れば言ってくれ」
「爆撃については、敵飛行場を爆撃する航空撃滅戦も有効でしょうが、補給や整備を叩く方が効果的では無いでしょうか? 自分たちもそうですが飯と燃料、整備が無ければ戦えません」と、榊整備班長や陣内主計軍曹の顔を思い浮かべながら意見を述べた。
「ははは、乾は参謀の方が向いているのでは無いか? 辻なんかより余程戦略と言うものを理解している」
「いえ、自分は一介の爆撃機乗りです!」
「その爆撃機乗りが、ノモンハンでソ連軍機5機撃墜のエースだものな。黒江も負かしたしな。明日からの私の空戦教習には乾も参加するように。いいな!」
そうして、日本陸軍のエースパイロットに混ざって、空戦教習するはめになった乾少尉候補生であった。
何故か、宙返りやインメルマンターンなどの空戦技術を加藤少佐直々に叩きこまれ、日本陸軍のエースパイロットと模擬空戦をさせられた乾少尉候補生の声が、早春の所沢の空に高らかに響いたと言う。
「どうしてこうなったああああああ! 俺は、爆撃機乗りなんだああああああ!」
久しぶりの模擬空戦でいい汗をかいた加藤少佐は、
「今回の航空士官学校訪問は、非常に有意義であった。貴官達から聞いた話は、まとめて航空本部に意見具申しておく。貴官達には、悪いが私の名前で提出しておく」
「みんな、早く士官学校を卒業して偉くなれよ。いいか、正しいことをしようと思ったら偉くなれ!」
「それでは、次回はどこかの戦場で会おう」
と言い残して帰っていった。
*1 1929年の株式騒乱での儲けを通信機器に投資していた来島社長のおかげと、中島飛行機社長である中島知久平の仲で、陸軍の機体搭載無線機は海軍と違い、会話は出来るレベルには達していた。
*2 既に、この時期には百式司令部偵察機が実戦配備されていた。
*3 1929年の株式騒乱以前から、八木博士への研究費助成。それと1929年の株式騒乱での儲けを通信機器に投資していた来島社長のおかげで、日本の電探技術は実用化の目途が立っていた。
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