ゴールドフィンガー1943 ~シン・宝島~
長くなりそうなので分けました。
本家の555様の活動報告にチベ車でもう一ネタ書いてみますと書き込んでから、早や1っか月……
構想自体は、去年くらいからあったのですが、中々筆が……
「独り、見知らぬ畦道、行けども行けども行けども、針の山♪てかっ!」
「隊長、何をお気楽に歌なんか歌ってるんですか?しかも、ここは田んぼの中の畦道じゃなくて、河ですよ。河っ! 長江ですよ!」
「そうですよ。水の上なんですよ! 自分は泳げないんですよっ!」
どもっ。日本陸軍少佐の乾辰巳です。遂に佐官になりました! 昇進は、嬉しいのですが経緯が……
我々は、2年ぶりに中国戦線に戻って来ました。いつも通りに的確なツッコミを入れるまっつこと松井と、以下同文のことしか言わない大多賀共々でだ。現在、優雅に長江三峡遊覧を楽しんでおります……
1943年9月、宜昌。
長江の三峡の入り口、重慶まで約480キロの宜昌に我々は移動してきていた。日本軍は、漢口を重爆や整備の後方基地とし、宜昌を戦闘機や軽爆の前進基地として活用していた。宜昌は、中国戦線の最前線である。
「これのどこがチベ車なんだよ? お前ら、チベ車に乗り慣れてるだろうからと言われたけど、これは全く別もんじゃねえかっ?」
「チベ車に慣れてるからと招集したが、チベ車に載せるとは言っておらん! また、こいつは車体はチベ車そのままだ。操縦系統は、そのままだから安心しろ」
「安心しろ! ってのは、不安な時にいう枕詞だっ! どう見ても砲戦車じゃねえかあっ!」
「そうそうのとおり、仮称ホベ車だ」
「宇部?」(乾)
「それは、山口県な」
「北海道に、そんな街が……」(まっつ)
「それは、穂別な。北海道胆振支庁、勇払郡穂別町な」
「……。えーと、自分は泳げません!」(大多賀)
「いや、ボケが思いつかないんだったら、それでいい。いや、そうじゃなくてホベ車なっ!」
「あのう……もしかして、べは別製のべですか?」
「正解っ! その通り! 貴様ら、別製のものにしか乗らないと聞いたぞ」
「誰が好き好んで、イカものの頂点、別製にのるかあっ!」
ポートモレスビーの陥落と、陥落後の捕虜引き渡しによる一時的な戦闘中止、更にはポートモレスビー沖に沈む連合軍艦船の遺骨収集引き渡しにより、オーストラリアは中立へと傾き、南方戦線はなし崩しの停戦状態になっていた。多数の艦船が沈んでいるため、全ての艦船の引き上げには2年近く掛かると目されていた。
南方戦線の停戦状態及びオーストラリアの中立への動きにより、南方戦線の戦力削減が行われた。せっかく、中立化へ傾いたオーストラリアとの友好関係を強化するためであった。特にニューギニアで武勇を誇った第4航空軍は、オーストラリアを刺激しない為にもいち早く移動させられていた。
移動先はビルマ戦線とされ、1943年早々にはシンガポールまで移動していた。シンガポールでの休養、再編成後の2月にラングーへの移動の予定であったが……
「あれえ? 坊やじゃないか! 久しぶり!」
「おう! 外野、元気だったか?」
「あれ? 俺たちはお前たちと交代なはずだが……」
ビルマ戦線に居た第3航空軍主力が、シンガポールに移動して来ていた。我々の移動を待たずに……
俗に言われる「菊の粛清」によって、第15軍司令官の牟田口中将は失脚。ビルマ戦線は攻勢から現状維持に転じていた。不思議なことに、対峙する英軍も反撃に出ることは無く、南方戦線同様に静かな時を刻むだけになっていた。本土への定時連絡は、「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」が続いた。
結局我々は、黒江少佐に第64戦隊を引き継いだ加藤健夫大佐共々、内地に戻る事となった。機材受領のために何度か内地には戻っていたが、今度は暫くは内地で勤務することとなりそうだった。
加藤大佐は、陸軍航空審査部へ。篠原少佐、加藤正治大尉、樫出大尉、乾大尉、上坊大尉は、陸軍航空士官学校の教官に。松井准尉、大多賀准尉は、少尉候補生として陸軍士官学校にと、7人共に所沢の陸軍航空士官学校に赴くことになった。そして、半年後には皆昇進するのであった。いつも通り、危険手当の前払いとして……
1942年5月までにビルマ全域を占領し、援蔣ルートを全て潰し終えたと思っていた日本軍であったが、援蔣ルートは実はもうひとつ生き残っていた。アッサム州のチンスキヤ飛行場からヒマラヤ山脈を越えて昆明へ至る「ハンプ越え」と呼ばれる空輸ルートである。危険性が高く、輸送量は月量5,000トンが限度だったが、人と物資の往来は続けられ中国軍は戦力を蓄えていった。日本軍はハンプ越えを遮断すべく、10月に第18師団と第33師団をもってインド北東部へ進攻する「二十一号作戦」を立案した。だが補給確保の困難を理由に作戦は実施には至らなかった。
そして1943年8月、米軍のB29が北九州に来襲した……
重慶への爆撃は、海軍が抜けて陸軍単独になり、編隊を組んでの都市部への爆撃では無く、単機による道路や鉄路の結節点への、嫌がらせ的な攻撃に変わっていた。漢口や広東から、操車場や橋などをこまめに攻撃し、昆明から重慶への輸送を円滑にさせない様にしていた。それは、陸軍航空隊の主力が南方に移動しても続けられていた。チンスキヤから昆明、昆明から重慶のルートは想定の30%程度まで落ち込んでいた。重慶に中華民国政府を置く蒋介石は、このまま、ただそこに居るだけの存在になるかと、思われていた……
米軍は、重慶から更に200km奥地の成都郊外に基地を造設し、そこに機材や資材を集積し日本本土を空襲した。それでは、米軍はどうやって物資を運んだのか?
「はあ、成都だあ? あんな所に、どうやって物資運び入れるんだよ? 重慶でも最短ルートに横断山脈があって、重慶に直接飛んでいけないから、昆明まで飛んできて、そこから陸路だろ? いくら、ダグラスでも世界の屋根、チベットは飛び越えて来れないだろう! ミニヤコンカなんか7,566メートルだぞ! 富士山の倍だぞ! 何いっ!そのミニヤコンカを目印に飛んで来ただあ! しかも、B17でだとうっ!」
横断山脈は、チベット高原の東境にあり、南北方向に延びる褶曲山脈や峡谷が多数縦断して並行しており、その山は高く谷は深い。漢族の住む中原や華南、四川盆地からの東西の交通を阻むように「横断」して立ちはだかるように見えることから「横断山脈」と名づけられた。最高峰は、大雪山脈のミニヤコンカで標高7,566メートルであった。B17の高空性能で世界の屋根チベットを飛び越えて成都に物資を空輸したらしい。現在、南太平洋戦線及びヨーロッパ戦線が実質休戦状態で、B17が失業状態だったため多数の機体が空輸に使われ、物資が揃うことに。
日本軍にとって重慶は活動限界であり、成都は偵察さえもしていなかった。捕虜からの尋問により、成都からの発進の情報を得た陸軍は、急遽、漢口から増槽タンクを積んだ百式を偵察に向かわせた。百式は、2,000メートルのコンクリート舗装の滑走路を備えた航空基地を発見した。
新宿・大久保公園
「少しですが、ゴールデン街の友人から情報を得ました」
「いつも悪いな。少ないが報酬だ」
大久保公園内の背中合わせのベンチに座った男二人は、背中合わせで目を合わせることも無く、誰にも見られないように封筒を交換していた。
やがて、男二人は時間をおいて別々の方向に歩いていった。無精ひげでくたびれた感じの男は新宿方向に、ステンカラーコートにハンティング帽を被った男は大久保駅から中央線に乗り市ヶ谷で降りた。そして、大本営に入って行った……
男は陸軍情報参謀、堀栄三少佐であった。
「情報屋から例の件について情報がありました」
「蒋介石は、政府機能は重慶北部の北碚市に置いておりますが、財宝は長江と嘉陵江の合流地点にあります重慶博物館に財宝を保管しています。別製のコンテナに入れられて、長江を船で運び、重慶の河川港から陸揚げし、鉄道の台車に載せて重慶博物館に搬入したそうです」
「その情報は、正しいのか? 情報元は?」
「詳しいネタ元は聞かないのが、この業界のルールです。ただ、上海の経済界も逃げ出した蒋介石に対して思うことがある人物も居るということです。また、宋家だけが上海の財閥ではありません」
蒋介石は、南京から重慶へ国府を移した際に、国庫にある800トンもの黄金をすべて重慶に移転させていた。アメリカから中華民国に対して行われた5億$にも及ぶ借款は、宋美齢のロビー活動の賜物だけでは無かった。担保が存在したのである。
百式を飛ばし、重慶の長江と嘉陵江の合流地点、半ば半島の様な地域を詳細に偵察した結果、博物館らしき建物から長江へと鉄路が伸びていることが判明した。しかし、重慶博物館の嘉陵江を挟んだ対岸には、重慶飛行場が有り戦闘機隊が常駐していた。また、重慶は四川軍57師団のうち、重慶籍の兵士は半分以上と言われ、中華民国軍の中核をなします。難攻不落とまではいかぬが、攻めるに難渋することは間違いなかった。
「さて、情報が正しいと思われる状況証拠が揃ったが、それでどうする? 確かに、黄金800トンはアメリカの借款に対する担保、すなわち蔣介石軍の財源であり、それを潰すことはやつらの動きを止め、ゆくゆくは戦い続けることが出来なくなるか?」
「戦いを続けることが出来ないのは、こちらも同じです。陛下の勅命により、停戦に向けて動き出しております。英国とは、水面下で話が折り合っています。後は、米国ですが、蒋介石が休戦に合意すれば、参戦理由の一つが無くなります」
「爆撃で吹っ飛ばして使えなくするか?」
「どうやら、爆撃では無理そうです。これをご覧ください」
引き伸ばしたであろう画像の荒い写真には、レールが敷かれた鉄路が塀で囲まれた建物に入り、その中庭の楕円形の小山に続いていた。
重慶博物館に保管されている金塊は、コンテナで運び入れた後に、厚さ1メートルのコンクリートでかまぼこ型の掩体を作り、前後も1メートルのコンクリートで壁を作り、その上に2メートルの土を被せ、盗難と日本軍の空襲に備えているという。
「これは、もう要塞だな。これは、爆撃で潰すのに1トン爆弾を使うしか無いか?」
「1トン爆弾でも、難しいですよ。それに、水平爆撃の精度を考えれば……」
「横20メートルに縦60メートルか、コンテナが5台ずつ4列で20台ギリギリ入る大きさにしたのか。これは、急降下爆撃での精密爆撃が……そうかあ、それだと威力が」
「その通り、水平爆撃には精度が、急降下爆撃には威力が足りない。しかも、対岸の飛行場には戦闘機隊と、我が軍でも使っているクルップの88mm砲が睨みを効かしている」
「これは、難儀だなあ。どうやって吹き飛ばす?」
「吹き飛ばすなんて、勿体ない! どうせなら、この黄金800トン頂いちゃいましょう」
「はあっ! おいおい、漢口から700kmも離れているし、57師団もいるような所にに攻める兵力も無いわ! 貴様も参謀なら攻者三倍の法則は知っておろう。そもそも、そんなこと出来たら、とっくに戦争は終わっておる。だてに、蒋介石は四川盆地に籠ってる訳じゃない。宝島にお宝探しに行くのとは、訳が違うぞ!」
「ええ、ですので策を弄します」
「策だあ、貴様も牟田口や辻の様な大風呂敷を広げるのか?」
「彼らと一緒にしないでください。それと、最前線の宜昌からですと480kmです。兵力も一個旅団も必要ありません」
そうして、堀栄三は作戦について話始めるのであった……
大本営「Z計画」の進捗を報告に来ていた、九州に覇を唱える別府造船所社長、来島義男は参謀本部の堀栄三から声を掛けられた。
「はあ? チベ車に大型砲を載せる? どんくらいのを? 九一式十糎榴弾砲ならチハにでも乗るだろう。まさか、九六式十五糎榴弾砲を載せようってんじゃないだろうなあ?えっ? 違う。良かったよう、少しは陸軍も常識ってものを持っててよう。本気で九六式十五榴弾砲載せようってんなら、「扶桑」「山城」から降ろした四十一式(五〇口径十五糎砲)を載せてやろうかと思っちまったよ。嫌味ですか? って。伝わってるなら良かったよ。海軍には、嫌味も伝わらないからよう。えっ! もっと、デカいヤツを載せたい? 常識持ち合わせて無えじゃねえかあっ! バカか? バカなのか? 戦争し過ぎてバカになってるのか? 何うなずいてんだよう! そこは、否定しろよ!
七年式三十糎砲くらいの破壊力が欲しい? あれは、短榴弾砲でも60トンだぞ! 60トン! 重慶行くより耳鼻科行った方がいいんじゃないか? どこか、いい医者知ってますかだ? やっぱり、嫌味も通用してねえじゃねえかあっ! どうして、こうなったあっ!」
「社長、うちは造船所なんですがねえ。何故にまた、こんなものを……」
「俺もそう思うが、今回は1台きりだし、チベ車を元にサクッと造っちまおう! 砲戦車で別府造船所制作だから、仮称ホベ車かな?」
「車体は、いいんですが、何ですか? この七年式三十糎砲相当の砲を装備すること。って?」
「ああ、それに関しては、いいものがあるので、そいつを搭載する」
義男は、堀から巨砲についてある砲を提案されて、中二心がふつふつと湧きあがり「巨砲は、漢の浪漫だ!」と請け負ってきてしまった。
ホベ車? チベ車に九八式臼砲を装備。元々、チベ車は砲塔が無い関係で運転席の背中合わせで後進用の運転席が有った。それを利用して前後逆にしてエンジンを後ろに、戦闘室を前という標準的な配置に直し、車体前面から戦闘室上面まで45度の傾斜で100mmの装甲とし側面と後面は80mmの装甲を施した。チベ車では前部上面であった後部上面もそのまま50mmの装甲とした。市街地での運用を考えて上部への攻撃をしのぐためである。戦闘室上面も同様の理由で50mmの装甲であった。
こうして、出来上がった車体に載せる主砲が、九八式臼砲であった。義男のスケッチ(という名の落書き)からOTLのメンバーが血の涙を流しながら完成させた車体は、ドイツ陸軍のシュトルムティーガーそのものであった。完成時期が同じであったため、後に義男が「用途が似たようなものを作ろうとすると、大体似たようなもになるさ」と語っているが、一部では来島義男は未来人だからと、後にその筋の人たちの論争の俎上に上がる一因となる。
九八式臼砲、砲と言っているが本当は砲弾である。迫撃砲の一種で差込型迫撃砲に該当する。車載化に当たり、発射座に被せての発射は出来ないので、迫撃砲同様に薄い砲身を載せることにした。元々の九八式臼砲は、弾体下部に四枚の安定板を有する有翼弾であったが、これも弾体下部は、元々被せるだけのものであり空洞であったものを、迫撃砲弾の様に発射薬筒を付けて、それに安定翼を付けた。これで、口径33糎の巨砲を運用できることになった。義男は、このホベ車搭載の九八式臼砲改を波動砲と名付けられた……
チベ車で一ネタであって、チベ車を出すとはいってませんと開き直ろうw
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