番外編 聖女という魔女
厨房には様々な噂話が流れて来る。
侯爵の愛人の話、たまに訪れる異国の商人の話、新月の夜の翌日は庭に落ち葉が多いなど。
アデレードは芋をむきながら聞いている。
ヒュン、ベイゼルが窓の外の木に石を投げると、侯爵邸の近くで隠れて待機していた部下達が飛び出した。
その先には黒ずくめの男が一人、逃げている。
新月の夜、男は侯爵の庭の木を移りながら逃げ、町家の屋根に飛び移って逃げ続ける。
アンに手紙を持って来た男に違いない。
ミュゼイラは、アンが教会に行っていて留守を狙って部屋に投げ込まれた手紙を手に取る。
過去の手紙から、よく似た偽の手紙道具を用意してある。投げ込まれた手紙を写し、本物の手紙は偽の封筒に入れ封蝋を押して部屋に置いた。
封蝋がある限り、誰かが封筒を開けたなど思われはしない。
留守中は部屋に入らないように強く言われているために、部屋に入った痕跡を確認して消していく。
手紙はすぐに王宮のダリルの元に送られた。
そこには王都の地図の数か所に印が付けられていた。
付け火は一か所ではないのか。
「殿下、これは放火ではないかもしれません」
王太子執務室では、対策が練られていた。
「誰か、別の王都の地図を持って来てくれ」
教会ではアンの予知が大きな波紋を起こしていた。
「聖女様が、伝染病が流行ると予知された!」
「聖女様が病気を治す方法を見つけるから、病気になっても家で寝ているように言われた!」
「聖女様!」
「我らには聖女様がついている!」
「聖女様が祈りに入られた!貧しい者が病気になっても聖女様が祈祷で治してくださる!」
「殿下、陛下がお呼びです」
執務室に王の侍従がダリルを呼びに来た。
緊急事態が起こったということは、聖女のことだろう。
王から知らされたのは、街で人々が病気を恐れて暴動が起きているということだ。
まだ、大きくはなっていないが、病気に対する不安で聖女を呼びながら人々が集っているという。
「直ぐに軍を向かわせ鎮静を計ります」
ダリルは王の元を下がると執務室に走った。
地図を照らし合わせていた事務官が、ダリルに説明する。
「殿下、これは水が湧いている水資源の場所です!
ここに毒を混入して、病気が発生したように見せかけようとするつもりだと考えられます」
侯爵が用意した薬とは、これか!
弱い毒を市民の飲み水に混ぜ、数か所の水資源で大量に中毒患者をだせば、伝染病のように見える。
弱い毒は体外に出やすいだろう、自然治癒を聖女の祈祷で回復したと思わせるつもりか。
ダリルは、精鋭隊に水資源の保護と毒を入れに来る実行犯の捕縛を命じ、残りの軍に暴動を押さえるのと市民の保護を命じる。武力制圧は最終手段だ。
「暴動を扇動している人間がいるはずだ。それを取り押さえれば烏合の衆になる」
ダリルは数人の護衛を引き連れ侯爵家を掌握に向かう。
聖女と侯爵の捕縛、証拠物件の押収、なによりアデレードの保護のためだ。
そのアデレードはベイゼル達と教会でアンを追い詰めていた。
侯爵は逃げたらしく、それは後まわしにしてアンを捕縛する。
「放しなさい!私は聖女よ! お前の首など刎ねてやる」
ベイゼル達は大勢の信者の前でアンを拘束したが、アンの暴言とベイゼルの迫力に信者達はどうすることも出来ない。
アデレードがアンの前に立つと、服装を見て平民と思ったらしく暴れだした。
「私は侯爵令嬢よ、聖女なのよ!平民は私にひれ伏しなさい!」
触らないで!」
興奮しているせいで、信者が見ていることも忘れて平民を見下した言動を繰り返す。
ベイゼルが縄で縛ったアンを馬に乗せると、アデレードは暴動が起きている地域に向かった。
「静まりなさい!」
アデレードが叫び、ベイゼルがアンを引き連れて民衆の前に現れる。
一瞬怯んだ民衆が、縄で縛られたアンを見て騒然となる。
「聖女様を放せ!」
怒声が起こり、我先にとアンに駆け寄ろうとする人々を軍隊が抑える。
何も聞こえないような騒動でも、ベイゼルがアンを連れて前面の軍隊の後ろに立つと人々の視線が動く。
軍人は高官であるベイゼルの顔をよく知っている。
そのベイゼルがアンの頭を押さえて平伏せさせ、自らも膝を折ると後ろから、一人の女が出て来た。
質素な服を着て薄汚れた姿の女だといういうのに、侍女らしき2人と数人の騎士が付き従っている。
軍人達が誰だ?と躊躇したので、民衆もアデレードを見る。
恐い、興奮した大勢の民衆、その気持ちがあるのは否定しない。
だけど・・・ダリルが私の為に市民に剣を向けるというなら、私が止める。
戦争になった時に、自分達に剣を向けた王に、平民兵は従わず裏切るかもしれない。
ダリル、貴方は私が守る。
だから、私はここに立つ。
「伝染病は起こらない!」
アデレードが前に出て声をあげる。
「伝染病が起こると、この女は人の恐怖心を煽ったのだ。
この女は、自分達で付け火する場所を予知と言っていたのだ」
わぁっぁあ!
と聖女を非難する声、アデレードを嘘つきと叫ぶ声、喧噪の渦になる。
「静まれ!」
ベイゼルが兵士達に剣を振り上げるように指示すると、民衆が怯む。
「皆の、父が兄が弟が息子が、国を守り、家族を守り、大事な人を守る為に己の命をかけて戦った」
アデレードは戦争の記憶を呼び起こすように、声をあげる。
「その国に火を放ち、大火にならずとも家を失い、命を失った者もいる。
私は許さない!」
それはアデレードの心からの声。自分が聖女と呼ばれたいが為に、仲間に放火させ人心を惑わせた。
そして、ダリルの側にいる事を望む女など許せない。
アデレードは髪を縛った紐を解き、顔に貼った火傷の跡の化粧を取り、さらに前に出る。
興奮した民衆達の前に立つことも恐れない。
「アデレード・キリエ・バーランが誓言する!
聖女と騙る魔女が言う、伝染病は起きない!」
堂々としたアデレードに皆が見惚れた。
「家に帰りなさい。そして大事な人が無事なのを確認して喜ぶのです」
「違う、私は聖女よ」
どんなにアンが叫んでも、民衆の声にかき消される。
そして先にあるのは、王家反逆の罪。
侯爵を捕縛し、毒薬を押収したダリル達がアデレードの元に着いた時には、軍によって民衆の蜂起は収拾に向かっていた。
ダリルは、それを指示しているアデレードの手を取り、口づける。
「勇気ある王太子妃に誠を捧げ、誇りに思う」
「よく逃げて来た」
アレクザドルでは、グレッグがベイゼルの部下達から逃げ切った諜報を誉めていた。
「どうせ捨て駒の侯爵と聖女だった。
アデレードの雄姿、想像できるな」
少しは攪乱出来たろう、とほくそ笑んでいた。
番外編を書けたのも、完結後も読みに来て下さる皆様のおかげです。
ありがとうございます!
アデレード、楽しんでいただけたなら嬉しいです。
9/5 本文追加しました。アデレードの気持ちを入れたくって。
violet




