アレクザドル大使館
バーラン王都の中心部から、ややはずれの広い敷地に木々が生い茂り、外からはうかがい知れないたたずまいの屋敷がアレクザドル大使館である。
街の喧騒を忘れるような緑が、道行く人々の目を楽しませていた。
アレクザドル大使館の一室で、オットー・アレクザドルは帰国準備をしていた。
ずいぶん長居をしてしまった。
「兄上に、土産が用意できず残念です。」
共に帰還した部下に言葉をかける。
「馬車が到着したら、我々が奪う予定でしたが、遅れて到着した馬車にダリル王太子が護衛についているとは思いもしませんでした。」
馬が違うと、すぐに気がついた。
普通の馬でなく、体の大きい軍馬。護衛が騎乗しているのも、馬車をひいているのも軍馬なのだ。
「あれは、危なかったぞ。
すぐに逃げて正解だった。」
オットーが書いている書簡の手を止めて労う。
「まったくです。離れたところから、望遠鏡を覗いておられましたが、確認できましたか?」
部下に頷いて答えながら、オットーは書簡に封蝋をする。
「戻ってきたばかりで悪いが、これを兄上に届けてくれ。」
「かしこまりました。」
書簡を受け取り部下がさがると、オットーはため息をついた。
「簡単にいくとは、思ってなかったさ。
しかし、王太子が出てくるとは思ってなかったな。」
戦争になったら、あの王太子が前線に出て、兵士の士気を鼓舞するであろう。
手ごわい男だ。
しかも弟王子もいたようだ。
姫の略奪は奇襲だった。
それを、あの短時間で取り戻したバーラン王家。
戦争から遠ざかっている国だからと、侮ってはならない、とよくわかった。
サンベール公爵令嬢の結婚式で見たアデレード姫は、美しかった。
側におきたいと男なら思うだろう。
だが、美しい女なら他にもいる。
兄ほどの人間でも固執するのかと思ったが、ナデラート伯爵家で見た姫は美しいだけの姫ではなかった。
望遠鏡で見た姫は、馬車から降りるところだった。
助かったはずの姫が、馬車で乗り込んで来たと分かった時には、目を疑った。
背筋を伸ばし、怯えた様子などない。
自分の手で制裁を下しに来たのだ、とすぐにわかった。
こんな女がいるのか!?
欲しい、単純な思いだ。
兄はわかっていたのだろう。
我が国の王妃に欲しい。
今はバーラン王国に預けておくしかない。
帰国の挨拶の為、オットーは大使と共にバーラン王との謁見に向かう。
国賓ではないが、好き気儘に帰国するわけにもいかない。
王宮の謁見室は国力を顕示するような豪華さである。
中央に座る王の横には、ダリル王太子が立っている。
大国を継ぐ身でありながら、傲りのない態度に好感を持つと共に、怖ろしくも思う。
この王太子は、我が国にとって強敵になるであろう。
「以前、兄のグレッグが訪問した時に、サンベール公爵にお世話になった縁で、令嬢の結婚式に参列させていただきました。
他国を見るのは、とても勉強になり、有意義な時間を過ごさせていただき、ありがとうございます。」
オットーが礼を言うと、答えたのはダリルだ。
「それは良かったです。
特に気になった事などあられたか?」
オットーがショーンの結婚式でアデレードを見ていたのは知っている。
王太子という身分ゆえに参列することは叶わなかったが、マックスから報告を受けている。
「我が国とは違う事が多く、気になった事も多いですね。」
最大の関心事はアデレードであろう、と聞いた方も、答えた方もわかっている。
「気をつけて帰られよ。」
ダリルは、王太子の仮面を被って言葉をかける。
「ありがとうございます。」
オットーは礼を言い、謁見を終えると大使を率いて帰って行った。
「あれは諦めないな。」
黙っていたルドルフがダリルに言う。
「僕も、諦めませんよ。」
ダリルがルドルフを見つめる。
「わかっている。」
ダリルもルドルフもわかっているが、戦争と天秤だ。
トルストに攻め入る事が出来ない要因の一つは、その隙にアレクザドルに侵攻される可能性があるからだ。




