勇者はソラから舞い降りる
レーリアが振るった凶刃は、駆け寄ったサイファの腹をしっかりと捉えた。
「……か……か……は……っ!!」
突然腹部に走った衝撃に、サイファの呼吸が困難になる。
だが、サイファは確かに呼吸の苦しみは感じるものの、それ以上の痛みは感じなかった。
苦しげに咳き込みながら、サイファは自分の腹に手を伸ばす。だが、そこに血に濡れた感触はない。
「……ど、どう……して……?」
見れば、凶刃を振るったレーリアもまた、驚きの表情を浮かべてサイファを見ていた。
レイジたちが着ている衣服は、レイジ以外はデザインこそこの惑星の衣服に似せたものだが、その素材は〔アコンカグア〕でチャイカが作り出した防弾防刃素材である。
とはいえ、所詮は普通の衣服でしかないので、防御力はそれほど高くはない。バーランぐらいの実力者であれば、防護服ごとその内側の身体を斬り裂くこともできるだろう。
だが、特別な訓練を受けたわけでもないごく普通の少女、しかも座った状態から繰り出された短剣であれば、それを完全に防ぐぐらいは可能なのだ。
それでも、腹を殴られたような衝撃は感じてしまう。それに苦しみながらサイファはよろよろと後ずさり、その背中をレイジが優しく抱き留めた。
「大丈夫か、サイファっ!?」
「は、はい……だ、大丈……ぶ……です……けほっ」
ごほごほと何度於咳き込みつつ、サイファは何とか微笑む。その様子に、レイジたちは一斉に安堵の息を吐き出した。
唯一の例外はバーランだ。彼は素早くレーリアに近づくと、その身体を床へと抑えつけ、腕を捻じり上げて短剣を奪った。
「衛兵っ!! 衛兵はいないかっ!?」
バーランの野太い声が、帝城の廊下に響く。その声を聞き付けた数名の衛兵たちが慌てて駆けつけてくる。
「どうかしましたか、勇者様っ!?」
「そ、その女は……っ!?」
駆け寄ってきた衛兵たちは、レイジたちの様子を見て慌てふためく。
「この女を捕らえてくれ。こいつは勇者様の仲間に刃を向けたんだ」
レーリアの腕を固めつつ、バーランは彼女の身体を引き起こして衛兵たちへと付き出した。
「は、放してっ!! どうしても……どうしても、私はあの女が許せないのよっ!! あの女が私の居場所を奪ったのっ!! あの女さえいなければ、勇者様の隣に立っていたのは私だったのに……っ!!」
涙や鼻水、唾さえも撒き散らしながら、レーリアは暴れ狂う。そこには嫉妬や羨望など、さまざまな感情が渦巻いていた。
衛兵に引きずられるようにして、遠ざかっていくレーリア。その彼女の姿を見ていたサイファは、表情を引き締めるとレイジたちが止める間もなくレーリアへと近づいていった。
そして、泣きわめくレーリアの頬に張り手を一つ、力一杯食らわせる。
「馬鹿にしないで……レイジさんを馬鹿にしないでっ!! たとえ私がいなくても、レイジさんはレーリアさんのような女性は選びませんっ!! レイジさんは……レイジさんは勇者様なんですっ!! 神々から遣わされた、本物の勇者様なんですっ!! その勇者様の隣に……あなたは相応しくないっ!!」
鋭い舌鋒を振るったサイファは、きっとレーリアを睨み付けた。
彼女のあまりの迫力に、殴られたレーリアは元より彼女を引き連れていた衛兵までもが驚きの表情でサイファを見つめる。
仲間たちもまた、普段のサイファらしからぬ態度に驚いたものの、すぐににやにやと意味ありげな笑みを浮かべてレイジとサイファを見比べた。
「いやー、随分と愛されているじゃねえか、勇者様よ?」
ばん、とバーランがレイジの背中を叩く。
「あの娘ならば、きっと立派な勇者様の御子を生んでくれることでしょう。それもそう遠くないうちに」
アルミシアはまさに慈母の笑みを浮かべて、レシジエル神に祈りを捧げる。
ジールとガザジザベザガルの竜の親子、そしてレイジの足元で座っていたラカームも、満足そうに何度も頷いていた。
「く、くそう! 俺様だって……俺様だって、女になればアニキの子供を生むことぐらいできるのに!」
唯一、マーオだけがなぜか悔しそうだ。
「……彼女、どうなるんだ……?」
バーランに張られた背中の痛みに耐えながら、レイジがぽつりと零す。
「サイファは表向き、勇者様が所有している奴隷だからな。『勇者様の所有物』を傷つけようとした以上、下手をすれば極刑だろうな」
バーランの声に、レイジは僅かに眉を寄せる。
レイジとしては、「殺人未遂」で極刑はオーバーだと思う。しかし、ここにはここの法がある。レイジの方が部外者である以上、それに口出しはすべきではないだろう。
だが、レイジにレーリアを弁護するつもりはない。彼の今のレーリアの自分勝手な思い込みと行動には、かなり怒りを感じていたのだ。
その後は大人しく衛兵に引き立てられていったレーリア。レイジたちはその場に立ち止まり、彼女の姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。
数日後。
レイジは帝都の目抜き通りを、ゆっくりと四輪車を走らせていた。
周囲には、レイジの姿を一目見ようとする民衆で溢れ返っている。彼らは今日、勇者が帝都から旅立つことを聞き、その姿を見るために集まっているのだ。
馬がいなくても走る馬車──「勇者の神獣」の姿を見た民衆たちは、最初こそ驚くがすぐに歓声を上げ始める。
レイジの存在は、アルミシアがレシジエル神の名の元に彼こそが勇者であると宣言した。そのことで、レイジの存在は帝都中に知られることになったのだ。
先日、一万以上の帝国軍が勇者を討つために出撃する一件があったが、それは勇者の名声を自らのものにしようとした皇帝の奸計であると正式に発表され、勇者を「帝国の敵」だと見なすものはほとんどいない。
これは先の戦いで戦死者が一人もいなかったことも大きいだろう。いくら周囲が勇者だと認めても、身内が殺されていればどうしたって敵意を抱くだろう。
だが、怪我人はいても──兵たちが逃げ出す混乱の際に怪我をした者がいた──戦死者はいなったことで、レイジに敵意を抱く者はほとんどいなかったのである。
目抜き通りの左右を埋め尽くす群衆から、勇者を称える声が途切れることなく上がっている。中には彼に帝都に留まって欲しいという声もあるが、それに従う気はレイジにはない。
それでも、最後のサービスに四輪車の窓からレイジが群衆に手を振れば、その都度大きな歓声が上がる。
その四輪車に並ぶように馬を進めるのは、バーランとその部下の傭兵たちである。
「なあ、勇者様。これからどこへ行くつもりだ?」
馬を四輪車に並べながら、バーランはにこやかに問う。その問いに、レイジも窓越しに笑みを浮かべた。
「まずは魔族領かな。ほら、例の魔女さんを魔族領に送っていかないと」
「ったく、勇者様はまた魔族を送って魔族領に行くんだな」
「そういや、最初にバーランさんと分かれた時もそうだったっけ」
レイジとバーランが大きな声で笑う。今、四輪車が牽くキャンピングユニットの中には、レイジの仲間ほかのほかに帝城より救出したラミアの魔女──名をレラリーンというそうだ──を乗せている。
レイジはまずは彼女を安心して暮らせる場所、つまり魔族領へと送り届け、ついでに魔王の座を正式にマーオへと返すつもりであった。
「……その後は、前にも言ったようにまたこの世界を回ってみようと思うんだ」
「そうか……なら、またどこかで出会えるかもな」
「うん。そうなることを祈っているよ」
レイジは窓から拳を突き出す。その拳に、バーランは己の拳をごつりとぶつける。
「そういやよ、勇者様。この光の剣……本当に貰っちまってもいいのか?」
「ああ、バーランさんが持っていてよ。でも、その内使えなくなると思うけどね」
「確か……光の剣に込められている『えねるぎ』とかいう神々の力がなくなるんだろ?」
光の剣に充填されているエネルギーは、当然ながら有限である。レイジならばエネルギーパックをいくらでも交換できるが、バーランには新たなエネルギーパックを入手する術はない。そのため、遠からず光の剣は使えなくなるだろう。
「ま、使えなくなったら、次に会った時に使えるようにしてくれや」
「そうだね。約束するよ」
やがて、四輪車は帝都の正門へと至る。そこで馬を止めたバーランたちは、門を出たところで一列に並んだ。
「勇者様の旅立ちに際し、神々の加護があらんことを!」
バーランたちは、騎上で一斉に右手の拳を左胸へと当てた。これは彼等の母国、アンバッス公国式の敬礼である。
彼らが見送る中、四輪車はどんどん小さくなっていく。バーランたちは……いや、彼らの背後に集まった帝都の住民たちは、「勇者の神獣」の姿が完全に見えなくなるまで、いつまでもその場から動くことはなかった。
アンバッス公国、ゲンガルの街。
この街に、大規模な傭兵団がやってきたのは数日前だった。
彼らはゲンガル近辺を治める領主である、ジョルジュ・クローリア男爵に招聘されたのだ。
「久しいですな、バーラン団長」
「こっちこそな、クローリア男爵」
傭兵団《光の剣》の団長であるバーランは、旧友でもあるクローリア男爵の差し出した手を嬉しそうに握った。
「いや、《光の剣》がたまたまゲンガルの近くにいてくれて助かりました」
「聞いたところによると、魔獣の群れが見つかったそうだが?」
アンバッス公国に存在する傭兵団の中でも、最も規模の大きな傭兵団の一つである《光の剣》。
所属する傭兵は五百名を超えると言われ、その中には凄腕の傭兵が名を連ねていることでも知られる。
しかも、《光の剣》とその幹部たちは十数年前に起きた「勇者降臨」の際に勇者に助力し、その褒美に勇者より直々に光の剣を授けられたことでも有名であった。
「《光の剣》には、ゲンガル周辺に出没する魔獣の討伐をお願いしたいのです」
「おう、承知したぜ。今回は《光の剣》の中でも選りすぐりの連中を連れてきたからな。安心して吉報を待っていてくれ」
どんと胸を叩きながら、バーランは依頼を快諾する。
依頼契約の締結など煩わしい作業を部下に任せたバーランは、クローリア男爵と少しだけ近況を報告し合った後、傭兵団が借り上げた宿屋へと向かう。
その途中、不意に頭上に影が差し、バーランは空を見上げた。
「竜族……か。最近、よく見かけるようになったな」
彼の頭上を飛んでいたのは、一体の竜だった。かつては海をその領土とし、陸地には滅多に姿を見せることのなかった竜族たち。
だが、「勇者降臨」の一件以降、こうして時折だが陸地の上空を飛ぶ竜族の姿を見かけるようになった。
「以前に勇者様が言っていた、人間、魔族、竜族の三つの種族が手を取り合って暮らす世の中……か。最初に聞いた時は寝物語だとばかり思っていたが、あながちそうでもなくなりそうだな」
バーランは歩きながら苦笑を浮かべる。彼の傭兵団に所属する傭兵たちの中には、それほど多くはないが魔族だっているのだ。
このままいけば、かつて勇者が唱えた三つの種族が共に暮らす世の中は、そう遠いことでもないのかもしれない。
そんなことを考えている内に、バーランは宿屋へと辿り着いた。
宿屋の扉を空けて中に入った途端、彼の部下の一人が駆け寄ってきた。その部下は傭兵団立ち上げの時から部下であり、かつてはとある村の兵士をしていた頃からの部下でもある。
「た、大変ですぜ、団長!」
「どうしたんだよ、ガッド。そんなに慌てて」
「そ、それが大変なんですよ! 早くこっちに来てくださいや!」
「だから何事だよ? 説明しろってんだ」
「そ、それが……ついさっき、突然空から子供が一人、降ってきたんでさ」
「子供が空から……だと?」
ガッドが言うには、突然頭上を一際巨大な竜族が横切ったかと思うと、突然子供が空から降ってきたという。
ガッドからそんな説明を受けつつ、バーランは宿屋の一階に併設されている酒場の中の、とある席へとやってきた。
そこには初老の男性と、まだ成人したてと覚しき年齢の少年がいる。
「ん? あの男は……」
「あの男ですが……頭上を横切った竜族が、突然あの姿になりまして」
「……やっぱりか」
バーランは初老の男性の方に見覚えがあった。会ったのは十数年前に一度きりだが、忘れようとしても忘れられないほど、強烈な存在である。
「おい、あんた……ガザさん……か?」
「おお、バーランではないか。ちょっと見ない間に、随分と老け込んだな」
嬉しそうに破顔する初老の男性。その男性に対し、バーランは苦笑を浮かべるしかない。
「そりゃあよ、竜族の……しかも竜王であるあんたにとっちゃ十数年は僅かな時間かもしれないが、俺たち人間にとっちゃ十数年はかなり長いんだぜ?」
バーランがガザと呼んだ人物はその名をガザジザベザガルといい、竜族を統べる王なのである。
「かかか、そうであったな。だが、我輩は既に竜王ではないぞ? 竜王の座は一番上の息子に譲ったのでな」
「そうかい、竜族でも王様の代替わりってあるんだな……それで? そのガザさんが何の用だい?」
そう問いかけるバーランだったが、彼がここに来た理由はある程度推測していた。今、バーランの目はガザジザベザガルではなく、その隣にいる少年へと向けられている。
「こっちの坊主……もしかして……」
「おっちゃんがバーランさん? 父さんと母さんが、以前に世話になった人なんだろ?」
悪戯小僧丸出しで、にかりと笑うその少年。
浅い褐色の肌と黒い瞳は、バーランにとある半魔族の少女の姿を連想させた。そして、その少年の髪の色。それの色は、美しく輝くは太陽の光を集めたような黄金色。
これらの特徴から、この少年が言う「父さん」と「母さん」が誰なのか、バーランは容易に想像できた。
「坊主は……勇者様とサイファの息子か?」
「うん、俺の名前はソラ! ソラ・ローランドだ」
ソラと名乗った少年が、自慢気に微笑む。その笑みに、バーランは確かにレイジの面影を見た。そして、ソラの傍らに半透明の神秘的な女性の姿が浮かび上がる。
「お久しぶりですー、バーランさん」
「おお、精霊様。本当に久しぶりだな。それで、俺の所に勇者様の息子を寄越した理由は何なんだ?」
「ソラ様も十五歳になりまして、この世界では成人と見做される年齢になりました。そこで、レイジ様とサイファさんは、ソラ様に世界を見て回ってこいとおっしゃいまして」
かつて、ゆっくりと世界を見てまわったレイジ。彼は長い放浪の後、とある場所に家を構えてそこで妻と子供たちと平和に暮らしている。
そして、一番最初の息子であるソラが、成人と見做される歳になった。そこでレイジはかつての自分のように、息子にもこの広い世界を知ってもらいたかったのだ。
「それに、俺は強くなりたいんだ。父さんにそう言ったら、おっちゃんの所で鍛えてもらえばいいって」
「バーランさんは現在、《光の剣》という大きな傭兵団の団長さんですから。ソラ様を鍛えつつ、世界を回るのに丁度いいのではないかと思いまして」
「無論、ソラ様の旅には従者となったこの我輩も従うぞ、ソラ様は幼少の頃、かつての勇者殿のように流星を召喚して、見事に我輩を打ち倒したのだ!」
嬉しそうに言うガザジザベザガル。竜族にとって、主を得ることは何よりの喜びなのである。
「つまり何だ? ソラとガザさんは、ウチの傭兵団に入りたいってことか?」
「そういうことですねー。もちろん、わたくしもお手伝いしますよー」
チャイカの言葉を聞き、バーランはにやりと笑う。
「かはははっ!! 勇者様の息子に元竜王がウチの団員ってか? こりゃあ、またウチの評判が上がっちまうなぁ!」
勇者の息子と精霊、そして元竜王が《光の剣》 に加われば、戦力の増強もさることながら、その名声は更に高まり、より多くの仕事が舞い込むだろう。
バーランは《光の剣》の団長として、この話を見逃す手はないと判断した。
「おう、いいとも。《光の剣》はあんたたちを歓迎しようじゃないか!」
バーランのその一言を切っ掛けに、団員たちが大きな歓声を上げた。特に、レイジのことを知る幹部たちは、諸手を上げて歓迎している。
「じゃあ、バーランのおっちゃん。あれ、貸してくれよ」
「あれ……だと?」
「うん、父さんに言われたんだ。バーランのおっちゃんに会ったら、おっちゃんが持っているあれをまた使えるようにしろってさ」
それは、かつてバーランとレイジが交わした約束だ。
ソラの言うあれが何なのか、それを理解したバーランは、いつも大切に腰に下げている光の剣の柄を、嬉しそうにソラへと差し出した。
以上をもちまして『勇者はソラから舞い降りる』は完結となります。
当初予定していたよりも遥かに長い物語となりましたが、無事に最後まで走り抜くことができました。
ひとえに、今日まで応援してくださった皆様のお陰であると感謝し、同時に最後までお付き合いいただけたことを嬉しく思っております。
最後まで本当にありがとうございました。




