和平会談と奔る凶刃
場所を帝城へと移したレイジたちは、一時の休息を挟んだ後に今回の一件の責任追及と、今後のことを決めるための対談を始めた。
「……では、ランド様は何も望んではおられぬとおっしゃられるのか……?」
信じられないという表情をありありと浮かべるのは、皇帝の右腕であった宰相である。
彼の背後には、帝国の軍と政を司る重鎮たちが並んでおり、彼らもまた、宰相と同じ表情を浮かべていた。
「俺は別に何かを望んでいるわけじゃないんです。領地が欲しいとか、何らかの地位が欲しいとか……そのようなことは望んでいません」
そう答えたレイジの背後には、マーオとサイファと立体映像を展開したチャイカ、狼形態のラカームとバーラン、アルミシア、そして、人間の姿に変化したジール。そのジールの隣には、貫禄のある初老の男性がいる。
彼は人間の姿となった竜王ガザジザベザガルである。ガザジザベザガルもまた、帝国との話し合いの場に同席することを望み、レイジもそれを許可した。
ただし、ガザジザベザガルはレイジの仲間としてではなく、竜族の王として人間と魔族の今後を見守る第三者としての参加である。
「ですが、ランド様は魔族領を平定されたと聞き及んでおりますが……?」
「それもまあ……ぶっちゃけ、成り行きなんですよね」
あはははと乾いた笑いを浮かべたレイジは、次にじろりとマーオを睨み付ける。
彼が魔王の座をレイジに譲るとか言い出さなければ、こんな騒ぎにならなかったのかも知れないと思ったからだ。
今回の騒動の責任ということで、帝国側はアルモート皇帝の退位と宰相の辞職が決まった。
本来ならば極刑となっても不思議ではない両名だが、そこまでレイジが求めなかったのだ。そのため、二人は今後の人生を幽閉という名の監獄で暮らすこととなるだろう。
宰相は対談の場で自らそれを申し出、後に正気を取り戻したアルモートも何も言わずに退位を受け入れたと言う。
また、レシジエル教団の大司教の座を得ようとしたグルーガと彼に組した一派は、正式に大司教に返り咲いたアルミシアの元、レシジエル教団の教則に則って処罰されるらしい。
おそらく、彼らもアルモート皇帝同様、極刑までは及ばないものの再び日の目を見ることはないだろう。
なお、帝国の次の皇帝はまだ決まっていない。
アルモートにはまだ子供がいなかったので、皇族の中から次の皇帝が選ばれることになる。その際、アルミシアがしっかりと目を光らせ、二度とレイジにちょっかいをかけぬように教育すると約束してくれた。
「本当に……本当にランド様は我々に何も望まれないのですか?」
会談の終盤、宰相は改めてレイジに問う。実際、帝国側に何も求めるものもないレイジだったが、ふと思いついたことを口にしてみる。
「そうですね……可能であれば、人間と魔族が共に暮らせる世界ができれば……と思っています」
「ランド様……それは極めて難しいことですぞ?」
「ええ、俺も今すぐそれができるとは思っていません。ですが、人間と魔族が互いに歩み寄る努力はできると思っています。十年後、二十年後……もしくは百年後……人間と魔族、そして竜族の三種族が、共に笑って暮らせる社会ができれば……と思うんですよ」
これまで長い間いがみ合ってきた人間と魔族。そして、人間と魔族にまったくの無関心だった竜族。その三つの種族がいきなり仲良くなれるわけがない。
人間領には奴隷となっている魔族がかなりいる。そんな奴隷たちを解放するのだって、そう簡単にはいかないだろう。奴隷は立派な財債であり、奴隷の持ち主からすれば、一方的に奴隷の解放を迫ることは財産を奪うことでもあるからだ。
だがレイジの言葉通り、長い年月の中でゆっくりと歩み寄ることはできるはずだ。
「全ての種族が力を合わせることができれば、この星はもっと豊かになると思います」
「そうですな……今では単なる理想論かもしれませんが、それが実現できるように努力することは無駄ではありますまい」
そう答えたのは、帝国の重鎮の一人だった。
「魔族としても、人間と力を合わせることは前向きに考えようではないか。魔族の王として、勇者様に約束しよう」
「竜族もまた、人間、魔族と積極的に交流していく努力をしよう。竜王の名において、勇者殿にそのことを約束する」
マーオもガザジザベザガルも、公の場ということで畏まった様子である。
ちなみに、マーオが魔王であるとレイジが紹介した時、人間側に結構な動揺が生じたが、竜王が人の姿で現れた衝撃の前にあっさりと霧散してしまった。
この会談をきっかけに、三つの種族が緩やかに交流していくことになる。だが、彼らが共に友人と認め合うには、まだまだ長い年月が必要となるだろう。
「して、勇者様はこれからいかがなされるおつもりでしょうか?」
帝国の重鎮の一人からそう尋ねられたレイジは、にっこりと微笑みながらはっきりと答える。
「これまで通り、仲間たちと気ままに旅を続けようと思います。この星には、まだまだ見ていないことや知らないことがたくさんありますから、それらをこの目で、この手で……直に確かめたいんです」
レイジは背後に控えている仲間たちへと目を向ける。その視線を受けて、マーオがにやりと不敵に微笑み、ジールは礼儀正しく頭をさげ、ラカームがわおんと一声鳴き、チャイカはいつものようにあははーと笑い、ガザジザベザガルが羨ましそうに息子を見つめている。
そして。
そして、レイジの視線を受けたサイファが、その頬をやや赤く染めながら嬉しそうにゆっくりと頷いた。
「そして世界を回った後は……どこかでゆっくりと腰を落ち着けるのもいいよな」
「はい、レイジさん」
二人の視線が、空中でしっかりと抱擁を交わす。仲間たちは言うに及ばず、アルミシアや帝国の重鎮たちまでもが、初々しくもしっかりと信頼し合っている様子の二人を、微笑ましく見つめる。
「ふむ……? あの半魔族の娘、勇者殿と番の関係であるか……ならば、勇者殿に御子がお生れになるのもそう遠くはあるまい。くかかか、よしよし、勇者殿の御子ならば、きっと我を従えるに相応しい人物となるであろう……見ておれ、息子よ。すぐにこの我輩も主を得てみせようぞ!」
と、一人(一体?)ばかり、そんな野望を抱いている者がいたとか、いないとか。
「それで? 例の呪詛を行っていたという魔女はどうなった?」
会談を終え、控え室へと戻る途中で、レイジはチャイカに尋ねる。
「はい、レイジ様。ガネラさんから先程連絡があり、無事にその身柄を確保したそうです。けど……」
レイジの隣に浮かぶチャイカが、その立体映像の表情を曇らせた。
「どうやら、アルモートさんは魔女さんに呪詛をかけさせていたみたいなんですよ」
魔女の命とアルモートの命を結ぶ呪詛。その呪詛がある限り、魔女はアルモートに逆らうことができなかった。
「で、その呪詛は、魔女本人にも解けないのか?」
「自分で自分にかけた呪詛なので、自分では解けないと魔女さんが言っていたようです。まー、わたくしは呪詛のことは詳しくないので、それが本当かどうかは判りません」
「そりゃそうだ。じゃあ……マーオはその呪詛を解くことができるか?」
チャイカとの会話を切り上げたレイジは、背後にいる禿頭の大男へと尋ねる。
「解呪でやすか……正直、俺様の魔術は呪詛とは別系統ですからねぇ。ちょっと自信がありやせん」
申し訳なさそうにそう告げるマーオ。そんなマーオに労りの言葉をかけたレイジは、次にアルミシアに同じことを尋ねてみた。
「精霊様のお話を伺うに、遠隔地から人を殺めることができるほどの強力な呪術師が施した呪詛ですので、必ず解呪できるという保証はできかねます。しかし、解呪できないことはないでしょう」
彼女はレシジエル教団の大司教であり、優れた回復系の魔術の使い手でもある。彼女ならば、魔女が自分に施した呪詛を解くことができるだろう。
「じゃあ、アルミシアさん。悪いけど、ちょっと手を貸してもらえるかな?」
「はい、勇者様のお望みのままに」
現在、地下室から助け出された魔女は、ガネラとその仲間たちの手によって、城の一室で休ませてあるという。
しかも、その魔女はかなり酷い扱いを受けていたようで、身体中に怪我を負っているらしい。そちらの治療もまた、アルミシアが引き受けてくれることとなった。
「じゃあ、チャイカ。その魔女がいる部屋まで案内してくれ」
「はい、皆さん、わたくしについてきてくださいねー」
チャイカの立体映像が、レイジたちを先導していく。と、その前方にふらりと人影が現れた。
突然現れた人影を警戒して、バーランとマーオが一行の先頭に出る。しかし、そうやって進み出たバーランは、その太い眉を盛大に寄せることになる。その人影に見覚えがあったからだ。
「……おまえは……レーリアか? 村長……あ、いや、元村長のバモンの娘の……?」
バーランも、レーリアが「精霊の乙女」を演じてアルモートに協力していたことまでは知らない。あの混乱しきった戦場の中では、さすがのチャイカでさえ彼女のことは把握していなかった。
いや、あまりにも関心がなさすぎて、チャイカもレーリアのことはノーマークだったのが正しい。
「どうしておまえが帝城にいるんだ……?」
訝しむ視線をレーリアへと向けるバーラン。その手は腰に佩いた剣へと伸びていて、いつでも抜ける態勢である。
「……サイファ……」
だが、当のレーリアは警戒するバーランなど眼中になく、ただただ、レイジの隣にいるサイファだけを凝視していた。
「れ、レーリアさん……」
じっと見つめられたサイファも、不安そうな声で彼女の名を呼ぶ。
「……どうして……どうして……」
突如レーリアの両目から溢れ出す涙。その涙を拭うことも隠すこともせず、レーリアはその場に座り込んだ。
「ど、どうしたんですか、レーリアさんっ!?」
突然のことに、サイファは思わずレーリアへと駆け出す。
サイファにとってレーリアは、いわば幼馴染みだ。それほど親しかったわけではないが、それでも幼馴染みが突然泣き崩れれば、反射的に駆け寄るのも無理はない。
床にぺたんと座り込み、泣きじゃくるレーリアを宥めようと、サイファは彼女の肩へと手を伸ばす。
レイジたちもまた、泣くばかりのレーリアをどう扱っていいのか判らず、仲間たちと顔を見合わせるばかり。
だから、遅れてしまった。
レーリアがその凶行に及んだ瞬間、その対応に遅れが生じてしまったのだ。
「ど……どうして……どうしてあんたが……そこに……勇者様の隣にいるのよぉ……そこは……そこにいるのはあんたじゃなくて私のはずだったんだ……っ!!」
突如レーリアの表情が、怒りのそれへと変化した。
そして、レーリアは隠し持っていた短剣の刃を、すぐ近くにいるサイファへと向ける。
レイジたちが、そして当のサイファがそれに気づいた時。銀色の輝きはサイファの腹部へと吸い込まれていた。




