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勝利と親子喧嘩


 空を舞う巨大な竜族たち。その姿を見て、バーランは思わず口元をぴくぴくと引き攣らせた。

「い、いや、確かに竜族が援軍に来るとは事前に聞いていたがよ……ま、まさかこれだけの数が来るとは思ってもいなかったぜ……全く、勇者様と一緒にいると常識って奴がどこかに飛んでいっちまいそうだよ」

「だ、団長……この竜族たち、本当に俺たちの味方なんスか……?」

「それは間違いねえだろ? さっき、あの黒くて一番デカい奴が、はっきり勇者様に加勢するって言っていたしな」

 空を舞う一際巨大な(くろがね)色の竜を見上げながら、バーランは呆れたように答える。そして、僅かばかりの同情の宿る視線を、対峙する帝国軍の兵士たちへと向ける。

「味方だと知らされていた俺たちだって、これだけの数の竜族を前にして狼狽えちまうんだ。帝国軍の兵士たちは、今頃生きた心地がしないだろうぜ」

「全くですぜ。本当に団長についてきて良かったです」

「あの時、公国の兵士を辞めて傭兵になったことを、自分で自分を誉めたいところだな」

 もしも兵士を辞めていなければ、あの見るからに混乱する帝国軍の中に自分たちも含まれていたかもしれないのだ。

 彼らは元はキンブリー帝国の属国であるアンバッス公国の兵士だった。そのため、帝国からの援軍要請に公国が応じた場合、帝国への援軍として派遣されていた可能性はゼロではない。

 そんなことを考えながら、改めて空を見上げるバーラン。百体近い竜族が勇壮に空を舞うその光景は、おそらく人間が……いや、人間と魔族共々初めて目にする光景に違いない。

「ま、何はともかくよ、これで勝敗は決まったな」

 いくら帝国が一万以上の兵力を集めようとも、百体近い竜族の前では戦力とも呼べない。それ程までに人間と竜族とでは力が隔絶しているのだ。

「帝国軍一万以上に戦わずして勝つ、か……これもまた、勇者様の武勇伝として後生に残るのかね?」




 帝国軍の混乱は、既に立て直しが効かないレベルに達していた。

 ただでさえ、アルモート皇帝の光の剣から輝きが失われ、敵である偽勇者とその配下の者たちが、皓々と輝く光の剣を掲げているのだ。

 そこへ精霊の乙女が姿を見せ、相手側こそが本物の勇者だと断言した。更に、竜族というこれまで人間にも魔族にも関心を示さなかった勢力が、はっきりと相手に加勢すると表明したのだ。

 これで混乱しないようであれば、その者こそ「勇者」と呼ぶに相応しいだろう。

 皇帝であるアルモートさえ、呆然と空を見上げたまま呆然としている。周囲にいる者たちがいくら声をかけようとも、ただただ空を舞う竜族たちを見上げるばかり。

「皇帝陛下! 直ちに撤退のご命令を! このままでは、我々は竜族に蹂躙されるばかりです!」

 だが、当のアルモートからの返答はない。彼は空を見上げ、ぶつぶつと小声で呟きを繰り返していた。

「ど、どうして……どうして……や、奴は……奴は本当に神々に選ばれた勇者だと言うのか……神々に選ばれた者を亡き者にしようなど……わ、私は…………」

 やがて、アルモートはがっくりと膝から崩れ落ち、その場に踞ってしまう。

 皇帝のその姿を見た帝国軍の将校たちは、はっきりと敗北を悟った。

「て、撤退! 撤退だっ!! 皇帝陛下をお連れして、直ちに帝都へと戻れっ!!」

 さすがに帝国の旗印たる皇帝をこの場に置き去りにするわけにはいかない。皇帝の傍にいた将校たちは、アルモートを抱えて必至に背後の帝都を目指して後退していく。

 だが、人間が地を進む速度など、竜族にしてみれば蟻の行進に等しい。頭上を一気に飛び越えた竜族の一部が、彼らの退路を断つようにして地上へと舞い降りた。

「このまま街に逃げ込むことは許されぬ! 降伏するならば、ただちにその旨の宣言をなせ。さすれば、我が主たる勇者様は無駄に命を奪うような真似はなさられぬ!」

 背後に回り込んだ竜族の先頭に立つのは、全身を銀色の鱗に包まれた竜だった。

「降伏した者はその身柄を勇者様が預かることとし、降伏した者に何らかの強制を行えば、この私がそれを阻むこととなる! 我を恐れるならば、この言葉に逆らうことなかれ!」

 銀色の竜──竜王の三九番目の息子であり、レイジの従者でもあるジルギルゼルベルガルの降伏勧告は、帝国軍将兵の心をへし折るに十分だった。

 特に降伏すれば命は助けるというその言葉が、兵士たちの心を激しく揺り動かした。彼らとて、好き好んで死にたいわけではないのだ。

 帝国軍の兵士たち、特に末端の雑兵たちは、すぐに武器を手放してその場に跪く。武器を手放して跪く行為は、レイジの常識で言えば両手を上げる行為に該当する。つまり、明確なる降伏宣言である。

 一人が武器を投げ出せば、その隣にいた者も同じように投げ出す。

 それがどんどんと連鎖してゆき、帝国軍の半数以上の兵士が跪いた時、帝国と勇者との戦いは実際に刃を交えることなく終息した。

 それはわずか十名ほどの勇者軍が、一万を超える帝国軍を打倒した瞬間であった。




 降伏のための使者としてレイジの前に現れたのは、帝国の宰相だった。

 一時的に正気を失っている皇帝の代理として、彼はレイジたちの前ではっきりと降伏の宣言をする。

「我々は勇者ランド様に破れました。如何なる沙汰も受け入れます。ですが、将兵たちの命は出来うる限りお助けいただけるよう、伏してお願い申し上げます」

「その点は安心してください。無駄に命を奪うつもりはありませんから」

 目の前に跪き、深々と頭を下げる壮年の男性に、レイジははっきりとそう告げた。

「勇者ランド様の慈悲のお心に、最大の感謝を。降伏に関する詳しい条件などは、これから帝城で行いたいと思いますが、構いませんでしょうか?」

「ええ、それで構いません。こんな所で立ち話で解決する問題でもないですし」

「これから帝城へ向かうのはいいが、城に入った途端兵士たちに囲まれるのはカンベンだぜ?」

「全面降伏した以上、そのようなことは致しません」

 腕を組み、ぎろりと鋭い眼光でに睨みを効かせるのは、もちろんバーランである。

 彼は目の前の宰相が、ただ大人しいだけの人物ではないことを伝え聞いている。この宰相が噂通りの人物なら、先程バーランが言ったようなことでも平然と実行するはずだ。

「勇者様よ、一応は警戒しておけよ?」

「うん、大丈夫だよ、バーランさん。警戒センサーの類は作動させてあるから」

「俺にはその『せんさあ』とやらが何かは判らんが……ま、勇者様には精霊様も付いているし、大丈夫だとは思うが念の為にな」

 警戒するように周囲をぐるりと見回しながら、バーランは言葉を続けた。

「では、帝城へ参りましょう。すぐに迎えの馬車が参ります」

「いや、馬車は結構。俺たちには俺たちの乗り物がありますから」

 レイジが四輪車(ヴィーグル)を回すように脳内でチャイカに呼びかけようとした時、傍にいたマーオが待ったをかけた。

「どうせなら、ジールの奴に乗って行きませんか? そうすりゃ、あいつも喜ぶと思いますぜ?」

「そうだな。今回のことでは、わざわざ親父さんを呼びに行ってもらったりとがんばってくれたしな。よし、ジールを呼んでくれ」

「合点でさあ!」

 どん、と胸を叩いて返事をしたマーオは、すぐにその場から立ち去っていく。そして、銀と(くろがね)の二体の巨大な竜がレイジたちの前に現れたのは、それから間もなくのことだった。




 マーオの提案を聞いた時、ジールは歓喜のあまりその巨体をぶるぶると打ち震わせた。

「な、なんと……それでは、レイジ様は私に乗って人間たちの城へと向かうと……? そ、それはつまり、私に乗って勝利を宣言なさるということか……? そ、そのような栄誉を私に与えてくださると……」

 どうやら、その行為は竜族にとっては極めて名誉あることらしい。その証拠に、感動に打ち震える息子を見ていた竜王が、我慢できなくなって口を挟んでくる始末である。

「ゆ、勇者殿! そのような栄誉は、まだまだ未熟な息子よりも竜王である我輩が受けるに相応しいと思われませぬか? どうか、どうか、その栄誉は竜王たる我輩にっ!!」

「な、何をおっしゃるか、父上! レイジ様は我が主! 主の勝利を飾るのは、従者たる私の役目! 例え父上であろうとも、この役目を譲るわけにはいきませぬ!」

「黙れ、若造! 貴様がこのような栄誉を受けるには、一万年早いというものよ!」

「いや、これは私の役目です。年齢のことを言うのであれば、年寄りは引っ込んでいていただきましょうか!」

「うぬっ!? 貴様、息子の分際で父であり竜王でもある我輩を年寄り呼ばわりするかっ!?」

 どんどんとエスカレートしていく銀と鉄の巨大な竜による親子喧嘩。その光景は、見ている者たちにこの世の終わりを想像させるようなものだった。

 もしも本気でこの巨大な二体の竜たちが争えば、すぐ近くにある帝都も無事では済まないだろう。

 竜の親子喧嘩は、天災以上の災害と言えるのだ。

「いい加減にしろよ、二人とも!」

 今まさに互いに牙を突き立てんとしていた二体の巨竜が、ぴたりとその一言で動きを止めた。

「こんなことで喧嘩をするようなら、俺は四輪車で帝都へ向かうからな?」

「も、申し訳ございません、我が主よっ!!」

「ゆ、勇者殿! 我輩が悪かった!」

 大地に横たわり、でろーんと腹を晒して謝る二体の竜たち。

 その光景を見た宰相や帝国軍の将兵は……いや、帝国軍だけではなくバーランやアルミシアたちまでもが、目を丸くしてその光景を眺めていた。



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