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バーランへの相談



 帝都を目前にした地点まで、レイジたちは来ていた。

 明日の正午過ぎには、帝都を取り囲むように広がる草原地帯へと到達するだろう。

 そしてそれは、明日こそが決戦であることを意味する。

 決戦を前にして、レイジとその仲間たちは最後の夜を三々五々過ごしていた。

 友と共に酒を酌み交わす者、これまでの武勇伝を披露し、明日への戦意を高める者、一人静かに闘志を燃やす者など、実に様々な過ごし方をしている。

 そんな中、明日の決戦の主役とも言うべきレイジは、バーランにとあることを相談していた。




 燃える焚火の中にレイジは折った枝を放り込み、別の枝で炎をかき混ぜる。

 酸素を供給された焚火は一際鮮やかに燃え上がる。その炎をレイジはじっと見つめる。

「それで、勇者様よ? 相談てぇのは一体何なんだ?」

 酒で満たされた木製のジョッキを傾けながら、バーランは問う。

「しっかし、勇者様が提供してくれたこの酒は本当に美味いな。これが天界の酒って奴か」

 彼が今飲んでいるのはブランデーである。

 どうやらキンブリー帝国やアンバッス公国などには蒸留酒は一般的ではないらしく、レイジとチャイカが提供したアルコール度数の高い蒸留酒を、バーランとその部下たちはいたくお気に召したようだ。

 美味そうに酒杯を傾けつつ、バーランはレイジの言葉を待つ。

「……うん、誰に相談しようかといろいろ考えたけど……マーオはいろいろと面倒臭くなりそうだし、サイファに相談するわけにいかないし、ラカームは狼のままだし、チャイカはそもそも論外だし……」

 焚火を見たままぽつりぽつりと呟くレイジの言葉を聞いて、バーランは彼が相談したいことを大体推測した。

「なるほど、サイファのことか」

 酒臭い溜め息と共に吐き出されたバーランの言葉に、レイジは真っ赤になってバーランへと振り返った。

「ど、どうして判ったんだよ……っ!?」

「そりゃ判るぜ。いや、傍から見ていりゃ丸判りだ」

 にやにやとした笑みを浮かべつつ、ひょいと肩を竦めるバーラン。

「まあ、なんだ。勇者様ぐらいの年頃で悩みって言ったら、大抵は女がらみだからな。俺も昔は経験したことだし」

 酒杯の中の蒸留酒で喉を焼きながら、バーランはレイジの肩をばんと叩く。

 それに押されるかのように、レイジは言葉を綴っていった。

「そ、その……さ、最近……サイファの顔をまともに見ることができないんだ……」

 サイファの顔を見る度に生じる、原因不明の体温上昇と、それに伴う発汗と顔色の変化。

 同じく、理由が判らないが心拍数の上昇や異常な程の緊張など、様々な症状の変化を示すグラフ類がサイファの顔を見る度にレイジの網膜に映し出される。

 それら客観的なデータが示す以前に、レイジも最近は自覚しているのだ。

「な、なあ、バーランさん。ど、どうしてだと思う……?」

「そりゃあ、決まっているだろ」

 バーランはジョッキに残っていた酒を一気に飲み干した。

「勇者様はサイファに惚れているのさ」

「ほ、ほれ……っ!!」

 焚火の炎に照らされたレイジの顔が、炎の赤とは別の赤に染まる。

「勇者様ぐらいの年齢になってどうしてそれが判らないのかは、まあ、置いておこう。しかし、勇者様がサイファを一人の女として感じているのは間違いねえな」

 バーランの大きな掌が、威勢よくレイジの背中に叩きつけられる。だが、それが理由で激しく咳き込んでも、レイジはバーランに文句を言う余裕はない。

 それぐらい、バーランの言葉はレイジに衝撃を与えていた。

「ま、サイファだって勇者様のことは憎からず思っているだろうし? 後は勇者様がサイファを押し倒しちまえばいいだけだ。そして、こういう戦前の夜ってのは女を押し倒す最大の好機だぜ? ここはがんばってサイファを押し倒して、ついでに自分の想いを伝えちまえよ! 明日、絶対に生き残れるって保証はどこにもねえんだしな」

 がはははと豪快に笑うバーラン。対して、レイジは顔を真っ赤にしたまま、口元を手で覆い隠して何やら考え込んでいた。

「悩め、悩め、大いに悩め! それが若さの特権さ。いやぁ、若いってのはいいねぇ。だが、後悔だけはしないようにするんだぜ」

 そう言い残し、バーランはレイジの元を去ろうとする。

 と、バーランはその足を止め、とある方向を指さした。

「ほら、お姫様の登場だ。邪魔者はさっさと退散しねえとな」

 バーランが指さした方へとレイジが目を向ければ、そこにはサイファの姿。

「さ、サイファ……」

 どくん、とレイジの心臓が一際大きく鼓動する。

「こんな所でどうしたんですか?」

 首を傾げながら、サイファが問う。彼女は料理を乗せた盆を持っていて、レイジのことを探していたのだろう。

「あ、ああ……ちょ、ちょっとバーランさんと話をな……」

 サイファから視線を逸らし、焚火をじっと見つめながらそう答えるレイジ。彼の顔白は、先程よりも更に赤くなっていた。

「ああ、明日の戦いに関することですか?」

「あ、い、いや、そ、そうじゃなくて……」

 いつもとはちょっと違うレイジの様子に、サイファは再び首を傾げる。

「料理を持って来ましたから、一緒にどうですか?」

「う、うん……」

 決してサイファの方を見ることもなく、レイジは歯切れの悪い返事をするだけ。

「どうしたんですか?」

 焚火の方ばかり見ているレイジの前に回り込み、彼の顔を覗き込むサイファ。彼女の顔を間近で見て、レイジの目が左右に激しく泳ぐ。

 だが、何かを決心したかのような表情を浮かべると、レイジはがしっとサイファの肩を両手で押さえる。

「…………れ、レイジ……さん?」

 びっくりして、サイファは思わず手にしていた盆を取り落とす。からんからんと乾いた音が響くが、レイジもサイファもその音を気にしている余裕はなかった。

「お、俺……さ、さっき、バーランさんに聞いたんだ……さ、最近、サイファの顔を見ると鼓動が激しくなったりするって……そ、そうしたら…………」

 これまでにないほど、顔を真っ赤にするレイジ。そんなレイジの口から零れ出た言葉を聞き、彼に負けないほど真っ赤になりながら、両手で口元を押さえるサイファ。

 よく見れば、サイファの目元にはいくつもの透明な宝石が生まれ、焚火の炎に照らされてきらきらと輝いていた。

 その輝きは焚火の炎に負けないぐらい温かで、彼女がこれまで流したものとはまるで違うものだった。

 この時、レイジがサイファに何を言ったのか、誰も知らない。

 だがこれ以降、二人の距離がこれまで以上に近くなっていることに、仲間たちの誰もが気づいていた。




「勇者を僭称する偽物に告ぐ!」

 拡声の魔術を使い、キンブリー帝国皇帝アルモートの声が、帝都周囲に広がる草原地帯に響き渡る。

 草原に展開している帝国軍。その数は約一万五千人。この数は帝都に駐留する帝国軍と、周辺の都市や貴族領の軍の総数である。

 もう数日もすれば更に数は増えるだろうが、それよりも早くレイジとその仲間たちが帝都に到着したのだ。

 草原地帯に幅広く展開する帝国軍。その中央に布陣しているのが、皇帝率いる近衛軍である。一際派手なその軍装は、皇帝直属の軍と呼ぶに相応しく、遠目にもその存在はよく判った。

「勇者を僭称する者よ! 我こそが神に選ばれし勇者である! 我が傍らには精霊の乙女あり! そして、これこそが神に選ばれし者の証である!」

 皇帝が頭上に高々と掲げたのは、光を凝縮させた刃を持つ剣──光の剣である。

 彼の傍らには美しき着飾った少女、精霊の乙女の役割を演じるレーリアの姿がある。その艶やかで美しい姿は精霊の乙女と呼ぶに相応しく、周囲からは熱い視線が彼女へと注がれていた。

 レーリアは一言も口を開くこともなく、ただ、アルモートの傍らに侍り、にこやかに微笑んでいるだけ。

 かつて、とある村の村長の娘として、裕福ではないものの不自由もない生活をしていたレーリア。

 だが、彼女の生活は勇者ランドの登場で一変した。

 美しさには自信を持っていた彼女。だが、勇者からは見向きもされず、それどころか勇者は奴隷同然と思っていた半魔族の娘の方を選ぶ始末。

 結局、逃げるようにして村を出た彼女とその両親。父親は村を出た早々に行方をくらまし、残された母と彼女は方々を転々とするものの、最終的には帝都へと流れついた。

 途中、かなり厳しく屈辱的なこともした。そういなければ、母娘二人が旅を続けることなどできなかったから。

 その後、偶然にも帝都でグルーガと再会し、彼の提案を受け入れて「精霊の乙女」となったのだ。

 彼女の胸中にあるのは、自分をこんな生活へと追い込んだ勇者への復讐のみ。そして、その勇者に選ばれたあの半魔族の娘も、自分が味わった以上の屈辱を与えなければ気が済まない。

 そのためならば、どんなことだってやってやる。その決意を秘めた視線を、レーリアは前方へと注ぐ。

 そこに憎むべきあの勇者と半魔族の娘がいるはずだから。




 前方に見えるのは、大きく兵を展開させる大軍。

 対して、レイジの仲間たちは彼を含めても十名程度。本来ならば、到底戦争にさえならないような状態である。

 だが、レイジとその仲間たちの間に、追い詰められた感覚はない。それどころか、余裕さえ感じているほどだ。

「どうやら、こっちが偽物だってのがあっちの言い分みたいだぜ?」

 親指で前方を指さしながら、バーランが苦笑する。

「好きに言わせておけばいい。どちらが偽物なのか……すぐに判るさ」

 レイジたちはそのまま前進する。

 たった十名程度では、隊列も何もない。ただ十名が横に並び、その中央にレイジがいる。それだけだ。

 そして、今度はマーオによって拡散されたレイジの声が、草原地帯へと響いた。

「俺は自分が勇者だと自ら名乗った覚えはない! だが、おまえが勇者であるのはでたらめだ! それを今から証明してみせよう!」

「私が偽物だと言うか! 良かろう、その証明とやら、見せてみるがいい!」

 レイジの声にアルモートが答えた瞬間だった。

 それまで彼が手にしていた光の剣が、突如光を失ったのだ。

「こ……これは一体どうしたことだ……?」

 自らが手にしていた光の剣から光が失われ、アルモートは明らかに狼狽していた。

 彼の動揺は、そのまま配下の軍へと広がっていく。

 アルモートの光の剣──レーザーブレードが光を失ったのは、もちろん偶然ではない。

 チャイカがアルモートのレーザーブレードに干渉し、そのセイフティを作動させたのだ。そのため、アルモートのレーザーブレードは絶妙のタイミングで刃を消失させたのである。

 その光景を前にして、レイジたちは更に堂々と前進する。

「アルモート皇帝の光の剣はその刃を失いました! それこそが、彼が勇者などではないという明らかな証拠! 私はレシジエル教の大司教の名において、彼こそが勇者を僭称する者と断言しましょう!」

 続いて草原に響いたのは、アルミシアの声である。

 彼女の名前とレシジエル教団大司教という肩書は、大いに兵士たちを動揺させる。

 兵たちの間に動揺が波のように広がっていくのが、レイジたちにも見て取れた。

 そこへ、レイジたちは更なる駄目押しを決める。

「この戦場に居合わせた全ての兵たちよ! 括目せよ! これが……ランド様こそが真の勇者であり、その配下は神々に認められた神の軍であるという証です!」

 再び戦場に響き渡るアルミシアの声。その声に合わせて、レイジとバーラン、そしてその部下たちは一斉に手にしていた武器を発動させる。

 彼の手に生まれたのは、神々しい輝きを帯びた光でできた刃。

 レイジとその仲間たちは、起動させた光の剣──レーザーブレードを一斉に空へと掲げた。



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