帝国への挑戦
最初、バーランはレイジが何を言っているのか、その意味が理解できなかった。
だが、時間が経つと共に、彼の言葉の意味がじわじわと脳に浸透していく。
そして。
「お……おい、おい、おいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!? じ、自分が何を言っているのか、判っているんだろうな、勇者様よっ!?」
今にもレイジを締め上げんばかりに彼へと迫るバーラン。
それほど、レイジの言葉は衝撃的だった。
キンブリー帝国は、人間領最大の勢力を誇る国家であり、人間たちを束ねる盟主的存在である。
そんなキンブリー帝国に対して、レイジは喧嘩を売ろうと言うのだ。誰であっても、バーランと同じように混乱して取り乱するだろう。
「お、落ち着けって、バーランさん。何も本気で帝国に戦争をしかけるわけじゃないんだからさ」
レイジはアルミシアたちをバーランに紹介しつつ、これまでのことを説明する。キンブリー帝国の皇帝であるアルモート・キンブリーが、レイジのこれまでの実績と名声を奪って自分と帝国の地位を盤石にしようと画策していることを。
「……勇者様の言うことが本当なら、確かに由々しきことだよな……」
「それどころではありません! 神の御子たる勇者様の名を騙ろうなど、絶対に許してはいけない所業です!」
レイジの言葉を聞いて憤慨するのは、もちろんアルミシアとその部下たちである。
彼女たちレシジエル教団の神官にしてみれば、勇者を僭称することは神に歯向かうことに等しいのだ。当然ながら許せるものではないだろう。
ちなみに、レイジがアルミシアたちをバーランに紹介した際、またもやバーランは目を剥いて驚いていた。まさか、レシジエル教団のトップがこんな所にいるとは思わなかったらしい。
「勘違いしないでくれ。俺としては、アルモート皇帝が俺の話を聞いてくれればいいんだ。そして、俺には人間領を纏めるような存在になるつもりはないことを、皇帝が理解してくれればいいのさ」
「なるほど……要は、一発がつんと食らわしてこっちの言い分を聞かせようってわけか。そいつは確かに有効な手段だ。一発食らわせて怯ませれば、こっちの言い分が通りやすくなるからな。だがよ……」
バーランはぺしっと人差し指を弾き、レイジの鼻の頭に小さな衝撃を与える。
「そいつはあくまでも、向こうが自分たちより格下の場合だ。いくら神の子たる勇者様とはいえ、キンブリー帝国に言い分を聞かせるのは簡単とは思えねえ。なんせ、帝国の軍隊は精強でその人数も人間領の国家最大だからな。それに対して、勇者様はどれだけの兵隊を集めようってんだ?」
傭兵である自分たちを招いたということは、レイジが兵を集めているからだろう、とバーランは推測する。
百や二百程度の軍では、数万を誇る帝国軍に対抗できるわけもない。そして、対抗できなければアルモート皇帝を、対話のテーブルに引きづり出すこともできないのだから。
「そうだなぁ。アルミシアさんは俺に協力してくれるって約束してくれたけど……」
レイジがちらりとアルミシアを見れば、彼女は大きく頷いた。レシジエル教団の最高位に就いている彼女が味方すれば、レイジに味方してくれる者も大勢現れるだろう。
「しかし、あのグルーガが大司教の位を奪っちまったんだろ? だったら……」
「いえ、その心配は及びません。グルーガが正式に大司教位に就くには、就任の儀式が必要です。当然ながら大規模な儀式となるため、その準備にも時間が必要でしょう」
つまり、その儀式が終わるまでは、アルミシアがレシジエル教団の大司教というわけだ。
「大司教様の言い分は理解した。だが、その儀式の準備に時間がかかるととはいえ、精々二十日か三十日ぐらいだろ? それだけの間に、こっちはどれだけの兵が集まるか……」
バーランが知り合いの傭兵たちに声をかけたとしても、それで集まるのは百人にも満たないだろう。とてもではないが、帝国と互角に渡り合える数ではない。
「それなら、こっちに任せてくださいや」
途中で横から口をはさみ込み、自信満々にどんと胸を叩いたのはマーオである。
「アニキは魔王でもあるんですぜ? そのアニキが一声かければ、魔族軍はすぐに動きまさぁ」
「はぁっ!? 勇者様が魔王だとぉっ!? おい、勇者様よ、あんた、一体魔族領で何しでかしたんだ?」
驚いているのか呆れているのかよく判らないバーランの叫び声。そして、レイジの背後ではアルミシアたちもまた、あまりの驚きにその顔から表情が抜け落ちていた。
そんなバーランたちに、レイジは魔族領でのできごとを最初から説明していくのだった。
レイジのこれまでの旅の経緯を聞いていると、バーランやアルミシアたちの顔色がどんどん悪くなっていく。
「……が、ガールガンド要塞を一瞬で落としただと……」
「……りゅ、竜族を倒して従えたと……」
あんぐりと口を大きく開けるバーランと、今にも卒倒しそうなアルミシア。
「……どれだけ信じられねえことばかりやらかしているんだよ、勇者様はよ……」
力なく呟いたバーランの言葉に、アルミシアもしみじみと頷いていた。
一方のレイジはというと、自分がしてきたことがそんなに変かなと首を傾げている。
「まあまあ、皆さん。レイジ様の過去はともかく、これからのことを相談しませんか?」
いつものように、突然現れるチャイカ。
「あ、あれは……」
「あれが勇者様に仕えると言われている、精霊の乙女様か……」
「な、なんと神秘的なお姿か……」
チャイカの姿を初めて目にするレシジエル教団の高司祭たちは、感銘を受けてその場に跪いて祈りを捧げ始める。
「なあ、精霊様。帝国と喧嘩するって意味は理解した。その喧嘩に魔族の力を借りることができるのもよ。確かに魔族の力が借りられれば、帝国とだって互角に喧嘩できるだろうさ」
「それだけどさ、バーランさん。今回の件に魔族の力は借りないつもりなんだ」
確かに魔族の軍を動かせば、キンブリー帝国とも互角に渡り合えるだろう。いや、魔族にレイジが加担する以上、確実に魔族が勝利するに違いない。
「だけど、それじゃあ駄目だと思うんだ。魔族が勝利してしまえば、人間たちの間に魔族に対する不満が残るだろ?」
逆に人間が勝利したとしたら、人間たちは魔族領を新しい領土とし、魔族を奴隷とするだろう。それぐらいのことは、バーランやアルミシアでなくとも誰だって理解できることだった。
「俺の勝手な思いだけど、人間も魔族も共に協力し合って暮らしていけないかなって考えている。確かに簡単なことじゃないだろうけど、それが俺の願いなんだよ」
だから魔族が勝利しても人間が勝利しても駄目だ、とレイジは言う。
「なるほどな。確かに人間が勝っても魔族が勝っても、勝った方が負けた方を下に見るわな」
「そうなんだ。それに、そもそも俺が勝ちたいのはアルモート皇帝であって、キンブリー帝国じゃないしね。だから、今回は魔族の力は借りないつもりだ」
「勇者様の言いたいことは判ったぜ。じゃあ、どうするつもりなんだ?」
その問いかけに、レイジはにやりと笑うと自分が企んでいる計画をバーランやアルミシアに説明していった。
キンブリー帝国の帝都。その中央に聳えるのは、皇帝が座す帝城である。
その帝城のとある一室で、アルモート・キンブリーが不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「それで、アルミシアの婆に逃げられた、と……?」
「は……ま、真に申し訳ありません……っ!!」
椅子に座るアルモートに対し、床に平伏すのはグルーガである。
アルミシアの逃亡を許してからはや数日。ようやく、グルーガはことの次第をアルモート皇帝に報告したのだった。
「どうしてもっと早く報告をしなかったのか……と言いたいところだが、聞くまでもないな」
がたがたと震えながら平伏すばかりのグルーガに、アルモートは侮蔑の視線を投げかけている。
アルミシアを逃がしてしまった汚点を隠蔽するため、グルーガはアルモートに報告することなくこの帝都を探させていた。
だが、この時点で既にアルミシアは遠く離れた場所にいて、当然ながらグルーガにアルミシアを捕えることはできない。そして、遂に隠し続けることができないと判断したグルーガは、恐る恐る皇帝の前へと姿を表わしたのだ。
──この無能が。
アルモートは心の中で吐き捨てる。そして、アルミシアの後釜に据えた人物を間違えたことに、激しく後悔していた。
だが、今からグルーガの代わりを探すことも難しい。既にグルーガを大司教へ就任させるための儀式の準備は、ほぼ終わっているのだ。
「既に、あの婆は帝都にはいないだろうな。どのような方法を使ったのかまでは判らないが……」
ステルス機能を搭載した特殊ヘリなど、存在さえ知らないアルモートである。だが、それでもアルミシアがとっくに帝都から脱出を図ったことは疑うまでもないと彼は考えていた。
「あの婆や配下の司祭たちが、自分たちの力で逃げ出したとは思えない。外部から手引きした奴がいるはずだな」
「は、はい、自分もそう考えます……っ!!」
では、一体誰がアルミシアを逃がしたのか? アルモートがその考えに至った時、部屋の扉がこつこつと控え目に叩かれた。
「誰か?」
「ご報告したいします、陛下。たった今、ガネラが戻りましてございます」
扉の向こうから聞こえてきたのは、宰相の声である。その宰相が告げたガネラという名前に、アルモートの興味は一気にそちらへと向いた。
「ガネラが? あいつ、生きていたのか?」
既に、ガネラと一緒に行動していた別動隊は、その半分が帰還している。その生き残った者たちから勇者暗殺は失敗したと報告を受けていたが、ガネラの生死までは不明だったのだ。
てっきり暗殺に失敗して、死んだとばかり思っていたガネラ。そのガネラが生還したとなれば、もしかすると勇者の暗殺に成功したのかもしれない。
知らず期待が高まるアルモート。だが、宰相が告げた言葉は、アルモートの期待を裏切るものだった。
「勇者暗殺は失敗とのこと。しかし、その勇者より書状を預かってきた、とガネラは申しておりますが……」
いかがいたしましょうか、と続けた宰相の言葉を聞き、アルモートは悩むことなくその書状を読むことにした。
ガネラのような末端の暗殺者の存在など、正直アルモートにはどうでもいい。任務に失敗した以上放置はできないが、地下牢にでも放り込んでおいて、適当な頃合いを見て処刑すればいいだろう。
それよりも、勇者から預かってきたという書状の方が気になる。
一体どのようなことを件の勇者は言ってきたのか。目の前で平伏したままのグルーガのことなどすっかり忘れ去り──彼にとってグルーガなどその程度の存在でしかない──、部屋に入ってきた宰相から書状を受け取ったアルモートは、早速勇者からの書状に目を通した。
「へ、陛下……勇者ランドは一体何と……?」
相変わらず平伏したまま、グルーガはアルモートを見上げる。
そんなグルーガの声などまるで耳に入った様子もなく、アルモートはにやりと口の端を吊り上げた。
「勇者様は、どうやら俺との対話を望んでいるらしい。俺の許可さえあれば、勇者様は直々にこの帝都までやってくるそうだ」
くつくつと楽しそうに笑うアルモート。傍らに控えた宰相は、勇者に対する返事を如何にするかを問う。
「すぐに返事を書こうじゃないか。勇者様自らのこのことここまで来てくれるんだ。一気に勇者ランドを討つ好機だろう」
地下牢にでも放り込むつもりだったガネラだが、勇者からの書状には彼女に返事を持たせるようにと指示がしてあった。
ここはそれに従うべきだと判断したアルモートは、指示に従ってガネラに返事を託し、そのまま勇者の元へと送り出す。
それらの仕事を終えたアルモートは、すぐに帝都に詰めている軍に戦いの準備の命令を出し、周辺の都市からも兵を集めるように指示をする。
「さて、帝国軍帝都守備隊に周辺から集めた兵を加えれば、余裕で一万を越える軍勢となる。そんな中に、果たして勇者様は姿を見せることができるかな? まあ、現れなければ所詮は偽者だという声明を出せばいいだけだ」
勇者が帝都に現れれば、一万を越える軍勢で押し潰せばいい。現れなければ、偽者だと声高に言い触らしてその名声を落とせばいい。
どちらにしても、鬱陶しかった勇者ランドの命運もこれで尽きるだろう。
それまで以上に楽しげな笑みを浮かべるアルモートは、平伏すグルーガや逃げだアルミシアの存在などすっかり忘れ、勇者を迎えるための準備を急がせるのだった。




