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叛逆


 夜。

 通常、旅人たちは陽が暮れ始めると、野営の準備に入る。明かりのない夜間の旅は、極めて危険だからだ。

 だが、危険な夜間の旅も四輪車(ヴィーグル)ならばそれ程問題ではない。

 各種のセンサーや衛星軌道上に存在するレイジたちの母艦〔アコンカグア〕からのデータリンクにより、例え夜間といえども安全に走行することができる。

 運転自体も四輪車とチャイカがリンクしているので、レイジが直接運転する必要もない。極端な話、レイジたちが全員キャンピングユニットで寛いでいても、四輪車は走行可能なのだ。

 それでも、レイジの指示で一行は野営を行う。その理由は、野営で焚き火を囲んで仲間たちと楽しく語らうことを、レイジ自身が望んでいるからに他ならない。

 レイジがそう望む以上、仲間たちが反対するわけもなく。こうして、陽が落ちた後は米地に適当な野営場所を見つけ、再び陽が登るまで休憩するのがレイジたちの常だった。

 今日もまた、一日の旅を終えたレイジたちは、街道から少し離れた場所で野営を行っている。

 ぱちぱちと爆ぜる焚き火をじっと見つめているのは、地面に腰を下ろした見張り当番のレイジ。見張りなどを置かずに四輪車やキャンピングユニットの中にいても、各種の警戒センサーが搭載されているので警備は万全である。しかし、この見張りもまた、レイジが行いたいと言い出したことであった。

 無言のままじっと炎を見つめるレイジ。そんなレイジに、近づく人影があった。

 ぱきりと小枝を踏む音がして、レイジはそちらへと視線を向ける。

「……どうして、勇者たるランド様ご自身が見張りなどなさるのですか? そのようなこと、奴隷の魔族たちにでもやらせればいいではないですか」

 首を傾げつつそう言うのは、もちろんガネラである。彼女にしてみれば、見張りなどという仕事は奴隷の仕事の範疇なのだろう。

 そんなガネラに対し、レイジは曖昧な笑みを浮かべるのみ。

「本当に……勇者様はお優しいこと。ですが、けじめはきちんとつけるべきですわ」

 焚き火の赤い光に照らされて、ガネラが優しげに微笑む。しかし、赤い影がその微笑みをどこか蠱惑敵に見せている。

 それを計算したうえで、ガネラはしずしずと勇者へ──レイジへと近づく。

「お傍に寄らせていただいて……よろしいでしょうか……?」

 恥じらう素振りを見せつつ、ガネラはレイジを見つめる。対するレイジも、どこか嬉しそうな笑顔でゆっくりと頷いた。

「失礼致しますわ」

 そう言いつつ、ガネラはレイジの隣に腰を下ろす。最初こそ人一人分ほど離れた所に座ったガネラだが、レイジの隙を伺ってすすすっとお尻の位置をずらし、少しずつレイジへと近寄っていく。

 そしてレイジの左腕とガネラの右腕が接触しそうな距離まで近づくと、改めてレイジを見てやや淫らな表情を浮かべてみせる。

 この辺り、ガネラにしてみれば手慣れた仕草だった。これまでこのような「任務」を何度も熟してきた彼女にとって、どうすれば自分が男の目により魅惑的に映るか知り尽くしている。

 決して下品にならず、それでいて男を惹きつけて止まない艶めかしさ。それを十分に理解している彼女は、自分の武器である「女」を最大限にレイジに見せつける。

 ガネラはそっと目を閉じ、そしてこてんとレイジの肩にその頭を乗せようと身体を傾げさせ……素早く右手を翻らせた。

 彼女の右手には、小さな針。だが、その針には猛毒が塗られており、ちょっとした掠り傷が相手の命を容易に奪う。

 外しようがない角度と速度。そして、自分に見惚れていたであろう勇者は、油断していたため躱しようがないはず。

 「任務」の成功を確信したガネラは、ちろりと舌を出してにんまりとした残忍な笑みを浮かべた。




 その日、帝都は騒然とした。

 陽が落ちた帝都の大通りを、百名以上の完全武装の兵士たちが駆け抜けたのだ。

 もちろん帝都でも犯罪は日々発生し、その取り締まりのために兵士が帝都を駆け抜けることは珍しくはない。だが、完全武装の兵士が百名以上ともなると、これはもう単なる犯罪の取り締まりとは思えない。

 しかも、その兵士たちが駆け込んだのが、民たちの心の支えであるレシジエル神殿だったのだ。

 帝都に住む民たちは、互いに顔を見合わせながらひそひそと言葉を交わし合う。

 一体何事かと好奇心に目を輝かせる者もいないではないが、民たちの殆どが不安を感じていた。

 神の家、神の庭たる神殿に、完全武装の兵士が雪崩込むその光景は、民たちの心に不安の影を落とすに十分だったのだ。




 一日の勤めを終え、そろそろ寝静まろうとしていたレシジエル神殿を襲った兵士たち。

 当然、神殿を守護する戦士たちが帝国の兵士を押し留めようと前に出る。

「これは一体何事であるかっ!? ここは神の家たる神殿であるっ!! 無粋な真似は即刻止めていただこうっ!!」

 神殿を守る戦士の隊長格の一人が、帝国兵士たちの前に立ちはだかって声高に叫ぶ。

 しかし、神殿に雪崩れ込んだ兵士たちも引くことはない。レシジエル本神殿の礼拝堂にて、神殿の戦士と帝国の兵士たちが武器を構えて睨み合う。

 殺気だちながら対峙する両陣の戦士兵士たち。しばらく続いた一触即発の雰囲気の中、神殿帝国それぞれに動きが生じた。

 神殿側の動きは、守護戦士たちを掻き分けて枢機議会に名を連ねる高位の神官たちが進み出た。彼らはこの神殿……いや、レシジエル教団の実質上のトップであり、その権威と社会的地位は帝国の高位貴族にも劣らない。

 その枢機議会の面々を従えるのは、もちろんアルミシア大司教である。

「このような時間に、そのような無粋な出で立ちで神の家に押し入るとは……この行為は帝国が……アルモート皇帝陛下もご存知なのですか?」

 老域に差しかかった女性とは思えない迫力と威圧感。一つの教団の最高位に立つということは、その権威は一国の王にも比肩するのだ。大司教という肩書きを背負ったアルミシアは、正に王者と呼ぶに相応しい存在である。

 アルミシアの放つ迫力と威厳に、帝国の兵士たちが知らず数歩後ずさる。そんな兵士たちの背後から、アルミシアと同じように兵士を掻き分けて姿を見せる者がいた。

「そうとも、大司教殿。この兵士たちがここにいるのは、間違いなく我の意思だ」

 周囲を近衛兵に固められ自信満々に姿を見せたのは、キンブリー帝国の皇帝、アルモート・キンブリーその人であった。

「アルモート陛下……これは一体何の真似でしょう?」

 この場にアルモートが現れたことに驚くアルミシア。だが、すぐに気を取り直してアルモートにこの騒動の理由を問い質す。

「アルミシア大司教殿……残念ながら……実に残念ながら、あなたには帝国反逆罪の疑いがかかっているのだよ」

 掌で目を覆い、天を仰ぐアルモート。何とも芝居がかった仕草だが、それを指摘する者はこの場にはいない。

「私が帝国叛逆罪ですと……? 陛下は何を根拠にそのような戯言を仰られるのか?」

 自分の背後で神官や守護戦士たちがざわめくのを聞きながら、それでもアルミシアは胸を張ってアルモートの言葉に意を唱える。

「貴殿が偽者の勇者を擁立し、帝国を転覆させようとしたこと……既に明白であるぞ?」

 びしりとアルミシアを指差し、アルモートははっきりと宣言した。

「心ある一人の神官が、我の元に駆け込んで貴殿の企みを教えてくれたのだよ」

 にやりと笑うアルモートの影から、一人の人物が進み出る。

 絢爛豪華な法衣を纏ったその人物は、皇帝の隣に立つとアルミシアとその背後の神官や守護戦士たちへ深々と頭を下げた。

「お久しぶりでございますな、アルミシア様」

「グルーガ……あなたは神殿から除籍され、帝都より放逐されたはず……」

 かつて自ら破門を言い渡したはずの人物が現れたことで、アルミシアはその目を大きく見開いた。

「確かに……確かに、私はあなたの手によって神殿から追われました。だが、レシジエル様は決して私を見捨てたりはしなかったのです! 神殿を破門された私の前に、神は自ら降臨され、こう言われました──『真なる勇者は既に存在している。真なる勇者は、既にその証を手にしている』と!」

 グルーガの言葉が終わると同時に、アルモートが懐からある物を取り出す。そして、それを片手で天に掲げた。

「そ、それは……勇者様の光の剣……」

 アルミシアの呟きに、アルモートとグルーガが勝ち誇った笑みを浮かべる。

「いかにも! これこそが勇者の証たる光の剣だ! 見よ! これが神々が鍛えし奇蹟の剣である!」

 アルモートはそう宣言しつつ、光でできた刃を生じさせた。

 光輝く刀身を持つその剣。それはレーザーブレードなど全く知らない者たちにとって、まさに奇蹟の剣に他ならない。

「光の剣を所持する我こそが、本物の勇者……神の御子である! 敬虔なるレシジエル神の使徒たちよ! 貴殿たちは騙されているのだ! 偽の勇者を擁立し、我が帝国を覆さんとする者にな!」

 アルモートが再びアルミシアを指差すと同時に、彼女の背後に控えていた枢機議会のメンバーたちが、素早く動いてアルモートとグルーガの前に跪いた。

「我らは、アルモート陛下こそが神の御子、勇者様であることを認めます」

「新たなる我らが指導者、グルーガ大司教様……未熟な我らをどうかお導きください」

 アルモートとグルーガに頭を垂れたのは、枢機議会のメンバーの半分以上。間違いなく、アルモートとグルーガによって事前からこのような工作が仕組まれていたのだろう。

 おそらくは、アルモートの放った影がレシジエル本神殿に忍び込み、光の剣を奪い去ったのも彼らによる手引きに違いない。

 それを悟ったアルミシアと、残された数名の彼女の腹心たちは、怒りを露にしてアルモートたちを睨み付ける。

「神殿を守護する戦士たちよ。貴殿らにもどちらの言い分が正しいかこれで判ってもらえただろう。さあ、反逆者を捕えるのだ!」

 混乱する神殿の守護戦士たちだが、教団のトップたる枢機議会の半数以上、そして新たな大司教を名乗る者が皇帝側についてしまった以上、その言葉に逆らうわけにはいかない。

「アルミシア様……申し訳ありませんが……」

「仕方ありませんね。どうやら、ここは私の負けのようです」

 観念したアルミシアとその側近たちは、大人しく縄目の恥を受け入れる。

「ああ、いくら反逆者とはいえ、神に仕える者たちを粗末に扱うわけにはいかないからな。丁重に扱うように心がけよ」

 勝ち誇ったアルモートの言葉。その言葉にアルミシアは怒りを覚えるも、今はその言葉に従うしかない。

 守護戦士たちに周囲を固められ、アルミシアとその側近たちは神殿の奥へと姿を消した。おそらくは、どこかの部屋に幽閉されるのだろう。

 遠ざかる元大司教の背中を見送り、アルモートとグルーガは言葉を交わす。

「くくく、これでレシジエル教団も俺の手の内……か」

「はい、陛下。今後もよしなに」

「判っているとも、グルーガ大司教殿」

 キンブリー帝国の皇帝と、新たなレシジエル教団の大司教は、どこか嫌らしい笑みをうかべながら互いの手を握り合うのだった。




 レイジの死角より襲いかかる毒針。

 致死性の毒が塗られた針先がレイジの身体に到達し────なぜか針先はレイジのからだを擦り抜けた。

 予想外のことに、ガネラは身体のバランスを崩す。しかし、転倒まではせずに素早く身体を引き起こし、一体何が起きたのかとレイジへと視線を向ける。

「残念ですけど、そのレイジ様は幻覚なんですよー」

 姿は見えないが、声だけがガネラの耳に届く。その声は、精霊の乙女のものに違いない。

「幻覚……?」

「はい、そうです。サイファさんの幻覚魔法です」

 チャイカのその言葉と同人、焚き火の前に腰を下ろしていたレイジの姿が消え失せる。

 同時に、キャンピングユニットの中からサイファとチャイカ──の立体映像──がその姿を見せた。

「半魔族の小娘の魔術……?」

「やはり、あたなの目的はレイジ様の暗殺だったようですねー。これで目的ははっきりしましたけど、どうしてレイジ様を暗殺しようとしたのかまでは判りませんから……教えてくれますか?」

 微笑みながら問うチャイカ。そのチャイカを、ガネラは目を細めて様子を伺う。

 暗殺が失敗した以上、ここにいる必要はない。さっさとここから逃げ出すべきだ。

 幸い、目の前にいるのは精霊と半魔族の小娘だけ。逃げるだけなら難しくはあるまい。そう判断したガネラは、躊躇うことなくチャイカたちに背中を見せる。

 だが、そのまま夜の闇へと紛れようとした彼女は、何かに躓いたかのように突然倒れてしまう。

「な、何が……」

 一体何に躓いたのかと思って自分の足元を確認するガネラ。そして、自分の足元を見て彼女は声にならない悲鳴を上げた。

 なぜならば、彼女のその細い足首を、地面から生えた骨だけの手がしっかりと握り締めていたのだから。


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