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魔女


 薄暗い地下へと続く、陰鬱な通路。その通路を、身形のいい男性が二人、松明を片手にゆっくりと下っていく。

 一人は二十代から三十代。白を基調とした高価な衣服を纏い、とてもではないが、このような陰鬱な場所にいるような身分ではないだろう。

 もう一人もまた、見るからに仕立ての良い服──こちらは黒を基調とした──を着た、壮年の男性だった。

 二人は口を開くこともなく、黙々と螺旋状の階段を降りていく。狭い地下の通路に二人の足音だけが虚しく響く。

 一体、どれだけの距離を下っただろうか。やがて、二人の目の前に階段の終着点が見えた。

 螺旋階段の行き着いた先は、行き止まりだった。四方を石壁が取り囲む、踊り場のように少し広くなっているものの、彼らが下ってきた階段以外は何も存在しない。

 だが、先頭の白を基調にした男は、特に何かを思うこともなく、懐から何かを取り出した。

 それは、小さなカードのような石版だ。その石版を行き止まりの石壁に触れさせると、僅かな軋みの音と共に、行き止まりの石壁がゆっくりと横へとスライドしていく。

 待たされることもなく、人一人が通り抜けられるほどの空間が生まれ、二人は躊躇うことなくその空間へと足を踏み入れた。




「また来たのかい、坊やたち。何度もここに来るなんて、坊やたちも最近はあれこれ忙しいみたいだねぇ?」

 闇が蟠る奥から、艶やかな女性の声がした。

 男ならば誰もが官能を刺激されるような、甘ったるく粘ついたようなその声。

 だが、二人の男性たちは、その声になんら反応を示すことなく手にした松明を闇へと翳した。

 途端、闇は松明で燃える炎の明りに駆逐され、闇の中にいたソレの姿が男たちの目に露となる。

 闇に閉ざされていたのは、小さな部屋だった。

 一辺が七メートル四方ほどの、石造りの小部屋。部屋の半分ほどは湧き出した地下水で水没しており、その深さは人間の大人の膝ぐらいまでだろうか。

 その池の中に半身を浸からせ、闇の中にいたソレは爬虫類のような縦長の瞳孔を持つ紫の双眸を、入ってきた二人へと向けた。

 白い肌と紫の長い髪。腰さえも越えるほどに長く伸ばされた髪は、地下水に濡れた彼女の身体に纏わり付いている。

 その身には何も纏うものはなく、二つの形の良い乳房が剥き出しになっている。その先端で薄い色合いの小さな果実が実っているのが、松明の明りの中ではっきりと見て取れた。

 しかし、目の前のソレを見ても、二人の男性が好色な表情を浮かべることはない。それどころか、二人の顔には侮蔑さえ浮かんでいる。

 ばしゃりと、何か細長いものが水の中でのたうつ。それは蛇のように鱗に覆われたいた。

 豊かな乳房を隠す素振りもなく、ソレはゆっくりと身体を動かした。その動きに合わせて乳房がゆさりと揺れる。

 その乳房から下は細くくびれた腰と、そこからゆったりとしたカーブを描く尻。だが、その尻は半ばほどから虹色の細かい鱗に覆われていた。

 再び、水中で何かが蠢く。水中で動いた鱗を有する細長い蛇のようなもの。その鱗の色は、ソレの尻を覆う鱗と同じ色をしている。

「それで? 今回はどんな要件だい?」

 ソレが言葉と共に身体を動かせば、やはり水中のものもずるりと動く。しかし、それは当然というものだろう。なぜなら、ソレと水中の蛇のようなものは繋がっているのだから。

 美しい女の上半身と、虹色の鱗を有する蛇のような下半身。

「おまえに用など決まっている。これまで通り呪詛を行ってもらおうか、魔族の……ラミアの魔女よ」

 白い男──キンブリー帝国の皇帝アルモートは、はっきりとした侮蔑を含んだ声で、目の前の魔女に向かってそう告げた。




「また呪詛かい?」

「当然だ。そのために貴様のような薄汚い魔族の女を、こうして飼っているのだからな」

 自らを見下して言い放つアルモートに、魔女と呼ばれた魔族──ラミアと呼ばれる種族──は、詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

「ふん、そっちが勝手に私を捕らえてここに閉じ込めているんだろう? 誰も好き好んでこんな所にいるわけじゃないさね」

 魔族領に人間がいるように、人間の領域にも魔族はいる。

 だが、人間の領域に暮らす魔族は、そのほとんどが過去の戦いで捕虜となり、奴隷として扱われている者たちだ。

 アルモートの目の前にいるラミアもまた、過去の戦いの際に人間たちの捕虜となり、その呪詛の技術に興味を持ったアルモートが、個人的に所有することにした奴隷であった。

 ラミアが身体を億劫そうに動かせば、じゃらりと金属の擦れる音が小さな石部屋の中に響く。

 彼女の首には奴隷の立場を示す首輪あり、その首輪に繋がれた鎖は、石壁に打ち込まれた頑丈そうな杭へと続いている。

「奴隷の首輪の効力を使われたくなければ、大人しく俺の言うことに従うんだな」

「ふん……それで? 今度はどんな呪詛をかけろって言うのさ?」

 不承不承なのを隠すつもりもないようで、ラミアには全くやる気がない。しかし、奴隷の首輪の怖さは理解しているらしく、皇帝の言葉には従うことにしたようだ。

「この剣を媒介にして、剣の持ち主に呪詛をかけろ」

 アルモートが言葉と共に差し出したのは、もちろん光の剣……の柄である。

「剣? 何を言っているんだい? こいつは『剣』じゃなくてただの『柄』だろう?」

「御託はいい。早く呪詛に取り掛かれ」

「…………無理だね」

「何だと?」

 光の剣を一瞥しただけで素っ気なく告げた魔女の言葉に、アルモートはぴくりと眉を吊り上げた。

「この柄からは、全く『執着』が感じられないんだよ」

 彼女の行う呪詛とは、思いの力を逆用する。そのため、物や人物に対する思い入れが強いほど、強力な呪詛をかけることが可能となる。

 しかし、勇者──レイジは、光の剣に対して思い入れなど殆どない。身近にある便利な道具。その程度の認識では、とても呪詛は仕掛けられない。

「この剣? 柄? どっちでもいいが、これの持ち主はこれに大きな思い入れは持っていないようだね。これでは、いくら私でも呪詛をかけることは無理さね」

 彼女には、生まれ持った特異な目がある。彼女の目は人々の思いの流れを見極める。魔眼の一種であり、大した力は持たないが、呪詛師には極めて有益な魔眼である。

 そんな魔眼を以てしても、この剣の本来の所有者の「思い」は殆ど見受けられない。

「ば、馬鹿な! この剣は……神々が鍛えた宝剣だろう! そんなものに思い入れがないなんて……っ!!」

 しかし、アルモートには魔女の言葉は信じられない。彼にしてみれば、神々から授けられたとしか思えない宝剣。その宝剣に、思い入れがないなど信じられるわけがないのだ。

 彼自身、この僅かな間にこの光の剣にすっかり魅了されていたのだから。

「ま、無理矢理呪詛をかけることはできるけど……その場合、呪詛は坊やに向かうんじゃないかねぇ? どうやら、坊やはこの剣がいたくお気に入りのようだし」

 くくくく、と笑いを零す蛇身の魔女。そんな彼女を、アルモートは苛立ちから蹴り上げた。

 脇腹に蹴りを入れられ、魔女は水の中に倒れ込む。そして、アルモートは魔女の紫の髪を掴むと、強引に彼女の身体を持ち上げた。

「この役立たずが……っ!!」

 魔女の美しい顔に唾を吐きかけ、アルモートはその身体を水の溜まった床へと叩きつけた。

「……行くぞ。時間を無駄にした」

 苛立たしそうに宰相に告げ、アルモートは魔女の飼育部屋を後にする。

 その背中に、楽しそうな魔女の声が届いたのは、扉が閉じられる直前だった。

「……気をつけな、坊や。奴隷として、ご主人様に一つだけ忠告して上げるよ……」

 歩みを止め、アルモートは苛立たしい表情のまま肩越しに背後へ振り返る。

「星が告げているよ。どうやら、坊やの往く道に大きな光が立ちはだかっているようだ。その光への対処を誤れば……坊やに待っているのは破滅さ」

「星だと……? 陽の光も届かぬ地下にいて、星が判るのか?」

「私は魔女であると同時に星見……占い師でもあるからね。私ほどの星見ともなるとね、たとえ星の見えない地下にいようとも星の方から語りかけてくるのさ。ゆめゆめ、注意を怠らないことさね」

 彼女はアルモートの奴隷にされた際、主であるアルモートの命令により自分自身に一つの呪詛をかけられた。

 その呪詛とは、アルモートの死亡と同時に自らの命もまた失う呪い。これは魔女の呪詛の力を怖れたアルモートが、彼女に反抗されないための措置だった。

 自分自身にかけた呪いは極めて強力で、彼女でも簡単にその呪いを解くことはできない。

 そのため、アルモートの死は魔女の死でもある。魔女としても、アルモートは確かに嫌いだが、それでも死なれては困るのだ。

 アルモートは、魔女の忠告を念の為に心の片隅に記憶しておく。そして、今度こそ扉の外に出ると、地上へと続く階段を登り始めた。




 一方、再び帝都を目指して旅を開始したレイジたち。

 新たな案内人としてガネラを迎え、一路帝都へと続く街道を四輪車(ヴィーグル)で疾走する。

 四輪車のハンドルを握るのは、いつものようにレイジ。その隣には、彼の新たな部下となったジールが、興味深そうに高速で流れ去る窓の外を眺めていた。

 そして、その四輪車に牽引されたキャンピングユニットでは、ちょっとした問題が生じていたのだ。

「ちょっと! 何よ、この不気味で不味い飲み物は? 真っ黒で苦くて、とても人間の飲む物とは思えないわ!」

「で、ですが……これはレイジさんもお好きなコーヒーという飲み物で……」

「奴隷が……しかも、卑しい半魔族の奴隷の分際で、この私に口答えするんじゃないわよ! しかも、勇者様に対して気安すぎだわ! もう少し、自分が奴隷であることを弁えることね!」

 情け容赦ないガネラの舌槍が、建前上はレイジの奴隷であるサイファを貫く。サイファとしてもレイジの奴隷を演じる必要を弁えているので、ただただガネラの理不尽な攻めを甘んじて受けていた。

 そんな女性たちのやり取りを、少し離れたところからマーオがじっとりと、そして殺気さえ孕んだ視線で見つめている。

「精霊の姐御……あの女、殺してもいいですよね?」

 誰もいない場所に向かってマーオが小声で尋ねれば、それに小さな声が応えた。

「もう少しだけ我慢してくださいねー。サイファさんにはちょっと申し訳ないですけど、あのガネラって人の目的がまだ判っていませんから。それさえ判れば、殺そうが犯そうがマーオさんのお好きにどうぞ」

 どうせ、あの女性はレイジ様の味方では絶対になさそうですし、と続けたその声を聞き、マーオはぶるりとその巨体を震わせた。

「さすが姐御。アニキの敵には容赦なしですかい」

「当然です。レイジ様が認めた者ならば最大限の助力をしますが、敵に情けをかける必要はないじゃないですかー」

「ま、俺様が特に何かしなくても、素っ裸にひん剥いてこの辺に放り出しておけば、野盗たちがいい感じに料理してくれそうですしね」

「どうせ、近いうちに尻尾を出すでしょう。それまでの我慢です」

「合点でさぁ。サイファにもそう言っておきやす」

 キャンピングユニットの片隅でそんな黒い会話がなされているとは露知らず、レイジは爽快な気分で四輪車のハンドルを握っていた。



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