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キンブリー帝国とレシジエル教団


 キンブリー帝国、帝都キンブリー。

 その中央に聳え立つのは、この帝国の主たる皇帝の座す帝城ギルギルガスである。

 見る者を圧倒するような荘厳かつ堅牢な帝城は、名実共にこの国の中心と言えるだろう。

 その帝城のとある一室において、現在この国の皇帝アルモート・キンブリーと主教であるレシジエル教団のアルミシア大司教が、再び顔を合わせていた。

「何? 勇者殿の帝都到着が遅れる……だと?」

「はい、陛下。勇者様をお迎えするために使いとして出した部下からの報告です。そのため、勇者様を迎える式典も後ろへずれることになるかと」

 帝城に存在する無数の応接室の一つ。その中で向かい合ってソファに腰を下ろした二人は、勇者が帝都に到着するのが遅れることについて話し合っていた。

「日程の変更は、担当する部署に伝えておこう。それで、何故勇者殿は帝都に到着するのが遅れるのだ? 猊下の部下は何か言っていなかったのか?」

 僅かに身を乗り出して尋ねるアルモート。彼の胸中には、勇者の到着が遅れるある心当たりがあるのだが、さすがにそれを表に出したりはしない。

 実は、アルモートもこの時点では勇者の暗殺の成否は分かっていないのだ。何せ彼が派遣した暗殺者たちは、仕事の結果に限らず死ぬように呪詛を施してある。勇者の暗殺が成功してもしなくても、派遣した暗殺者たちは残らず息絶えてしまう。

 そのため、暗殺の成否の結果が分かるのがどうしても遅くなる。もしも勇者の到着が暗殺に成功したためならばいいが、失敗しているのならば次の手段を講じなくてはならない。

 その辺りの情報も、合わせてアルミシアから引き出そうというのがアルモートの狙いなのである。

「それが……これは他言無用に願いますが、どうやら勇者様が暗殺者に襲われたらしく……」

「な、なんだと……それは真か?」

 表面上は驚愕の表情を浮かべつつ、アルモートはその裏側でほくそ笑む。勇者の暗殺に成功するか、もしくは勇者に大きな怪我を負わせたのではないかと思ったのだ。

 しかし、彼の期待はすぐに外れることになる。

「は、どうやら間違いないようです。ですが、幸いにも勇者様は暗殺者を撃退してご無事とのこと。更に恐ろしいことに、その暗殺者たちには呪詛が仕掛けられていたらしく、勇者様の暗殺に失敗した者たちは一人残らず息絶えたとか」

「そ、そうか……我が領土で暗殺者やら呪詛やら実に許し難い行為だ。だが、今は勇者殿の無事を喜ぼうか」

 驚愕から安堵へと表情を変え、アルモートはソファに深々と座り直す。もちろん、その内心では盛大な舌打ちをしていたのだが。

「つきましては、陛下のお力を持ちまして、勇者様暗殺の首謀者を探っていただきたいのです」

「承知した。私としても、この国に多大な利をもたらしてくれた勇者殿を暗殺するような不届き者を、許すわけにはいかないからな。帝国の全ての力を動員してでも、その首謀者を探し出すことを約束しよう」

「ありがとうございます、陛下」

 白々しくもそんなことを言うアルモートに、アルミシアは深々と頭を下げた。

「それで最初の質問に戻るのだが……勇者殿は暗殺者を退けたのだろう? では、なぜ帝都への到着が遅れるのだ?」

「それが……どうやら勇者様は暗殺者を退けた直後に、竜を一体打ち倒されたようで……」

「な、なに…………?」

 思わず何とも間抜けな表情で、ぽかんと口を開けるアルモート。そんなアルモートに向けて、アルミシアは困ったような表情を浮かべて自分の頬に片手を添えた。

「陛下もご存知の通り、竜族は自らを打倒した者を主として仰ぎます。我が部下からの報告によりますと、勇者様は従えた竜に誘われて彼らの王……竜王の元に向かわれたとか」

 あまりにも想定外すぎる事実を前にして、さすがのアルモートもしばらくの間ぽかんとした表情を取り繕うことさえできなかった。




 アルミシアが退室しても、アルモートは身動きが取れなかった。それほどまでに、彼が受けた衝撃は大きかったのだ。

「竜を……従えた……だと?」

 古来、竜を従えた者など数えるほどしかいない。それは人間、魔族限らずである。

 そして竜を従えた者は全て、何らかの形で歴史に名を刻み込んでいる。中にはその名声を武器に、一国を興した者さえいるのだ。

 アルモートが勇者を警戒する理由もそこにある。

 彼が従えるキンブリー帝国は紛れもなく大国であり、人間が統べる国家の盟主的存在ではあるものの、決して人間たちの頂点に君臨しているわけではない。そして、その内側も一枚岩というわけではない。

 現在は魔族という共通の敵が存在するため、キンブリー帝国を筆頭にして各国家は共に手を携えて共通の敵に対抗している。

 しかし、魔族という共通の敵がいなくなったとしたら。

 キンブリー帝国は盟主という立場をなくし、人間は人間同士で争い始めるかもしれない。

 もちろん、魔族という共通の敵がいなくなってすぐ、人間同士が争い始めるわけでもない。それでも今まで結束していた理由がなくなれば、今ほど穏やかではいられないだろう。

 そしてそれは、キンブリー帝国の内側にも言えるのだ。

 数多くの属国や支配地を有するキンブリー帝国は、確かに強大である。しかし、配下に多くの国々を従える故に、問題も多く抱えている。

 その中でも最も大きな問題が、属国の中にはキンブリー帝国の支配を良しとしていない国々も少なくはないということだ。

 キンブリー帝国の支配下にある国々の中には、侵略によって傘下に収めたものも少なくはない。それらの国の中には、いまだに帝国からの独立を虎視眈々と狙っている国もあるのだ。

 そのような国がもしも勇者を擁立し、勇者を先頭に帝国に反乱の切っ先を向けたとしたら。

 勇者の名声が高まれば高まるほど、勇者を抱きかかえようとする国々は増えていくだろう。

 既に勇者は魔族領を平定しているらしい。つまり、魔族を支配下に置いているということだ。それに加えて、勇者が竜までをも従えたことが知れ渡れば。

 その名声は飛躍的に高まり、勇者の存在は帝国の喉元につきつけられた短剣に等しくなる。

「それだけは……それだけは避けねば……」

 ソファに腰を下ろしたまま、アルモートは苛立たし気に自らの掌に自らの拳を打ち付ける。

 幸い、現時点では勇者の存在と偉業を知る者はそれほど多くない。勇者の存在が知られているのは、このキンブリー帝国の一部だけ。だが、これから時間が経てば経つほどその名と名声はどんどん拡散していくに違いない。

 すでに勇者の噂は広まり始めている。一旦広まり始めた噂を消すことは、いかに大国の皇帝であろうとも簡単ではない。

「すぐにでも別の刺客を差し向けたいところだが……勇者が今、竜王の元へと向かっているのであれば、さすがにそれは無理だな……」

 ならば、勇者が帝国内にいないうちに、次なる手段を講じるべきだ。

 アルモートは立ち上がると、苛立たしく思いながら応接室を後にする。

 彼の支配を盤石にするために、勇者は何としても排除せねば。

 その方法を考えつつ、アルモートは足早に廊下を歩いていくのだった。




 一方、皇帝との面談を終えたアルミシアは、別室で待っていたアーベルと合流していた。

「猊下……勇者様暗殺の一件、皇帝陛下は何と?」

 部屋に戻ったアルミシアを慇懃に出迎えながら、アーベルは尋ねる。

「陛下は勇者様暗殺の首謀者を、帝国の全力をあげて探し出すと約束してくださいました」

「おお、それは朗報ですね」

 アーベルはアルミシアの言葉を聞き、その整った顔に喜色を浮かべる。

 だが、アルミシアはアーベルとは違い、憮然とした表情を浮かべている。それが気になったアーベルは、さらにアルミシアへと質問を続けた。

「いかが致しましたか? 皇帝陛下は勇者様暗殺の首謀者を探すと約束してくださったのでしょう?」

「ええ、確かに陛下はそう約束してくださいました。ですが……」

 言葉を途絶えさせ、アルミシアは今しがた自分が入って来た扉へと視線を向ける。その視線がまるで真冬の風のような冷たさを宿していることを察したアーベルは、思わずその身体をぶるりと震わせた。

「すぐに神殿に戻ります。至急、馬車の用意を」

「ぎょ、御意」

 有無を言わせぬ圧力のようなものを放つアルミシアに、アーベルはただただ従うことしかできない。

 アーベルの指示の元すぐに馬車の用意が整うと、二人はその馬車に乗り込んで帝城を後にする。

 その馬車の中、それまでずっと口を開かなかったアルミシアが、唐突にかつとんでもないことを口にした。

「今回の勇者様暗殺の一件……おそらく、陛下が絡んでいますね」

「なっ…………げ、猊下っ!! い、今何と……っ!?」

 あまりにも衝撃的なその一言に、アーベルはその目を大きく見開いた。

「勇者様の存在を知る者は、まだまだ少ない。そのような状態で、早々に暗殺者を放つ者など自然と限定されます。しかも、その暗殺者たちは呪詛によって殺害された……そのようなことを実行できる者など、数えるほどしかいません」

 もっとも、現状では私の個人的の単なる推察に過ぎませんが、とアルミシアは言葉を続けた。

「確たる証拠がないため、これ以上陛下を疑うことはできません。ですが、陛下の言葉をそのまま信じるのは危険でしょう」

 アルミシアは相変わらず厳しいものが混じった視線を、顔色の悪いアーベルへと向けた。

「もちろん、このことは他言無用です。こちらが陛下を疑っていることが漏れれば、陛下は……いえ、帝国がどのように動くか分かりません」

 レシジエル神殿へと向かう馬車の中。そこはまるで戦場のような緊張感が漂う場所へと豹変していた。

「勇者様は現在、竜王に会うために陸を離れておられます。その間は勇者様に危険が及ぶことはないでしょうから、考えようによっては僥倖でしたね」

「ですが、そろそろ勇者様も竜王と面会している頃合いです。そうなると、いつ陸へお戻りになられるか……」

 勇者からの使命を帯びたアーベルは、一行と別れるとすぐに最寄りの町のレシジエル神殿へと駆け込み、そこで馬車を調達して一路帝都へと帰還した。

 その行程にかかった日数を考えれば、勇者たちはとっくに竜王との面会を終えているだろう。

 竜王との面会を終えた勇者たちは、間違いなく陸へと戻ってくる。そしてその場所は、勇者の神獣を隠してある例の場所に間違いない。

「勇者様がお戻りになられる場所を知っているのはあなただけ。あなたは直ちに引き返し、勇者様にこのことをお伝えしてご身辺に注意していただくのです」

「御意」

 レシジエル神殿へ戻ると、アーベルは新たに授けられた使命を果たすべく準備を始める。

 馬車の用意、共に旅に出る護衛や身の回りの世話をする者の選抜、途中で必要となる物資の調達。

 わずか数日でそれらの準備を整えたアーベルは、すぐさま帝都を旅立った。

 彼が向かうは勇者であるレイジの元。だが、結果を言えば彼がレイジと再会することは適わなかった。皇帝が放った次なる刺客が、既に行動を開始していたのだ。



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