刺客
闇に紛れて忍び寄る、数人の人影。
彼らが目指すのは、見たこともない奇妙なもの。事前の情報によれば、それは魔獣の類らしい。しかし、目視できる距離まで近づいた彼らは、その魔獣らしいものを見て密かに首を傾げていた。
「……あれは本当に生き物なのか?」
「事前情報によれば魔獣の類とのことらしいが……身動き一つどころか、呼吸さえしている様子がないな……」
暗殺を生業にする彼らにとって、標的が寝ているかそうでないかは容易に判断がつく。
その彼らの感覚を以ってしても、目の前の巨大な魔獣らしきものは、寝ているどころか生きている気配さえ感じられない。
「……標的の姿が見受けられないが……もしかして、魔獣の中にでもいるのか?」
「まさか、魔獣の腹の中で寝ていると?」
「相手は見たこともない魔獣だ。その可能性は否定できない。このままゆっくりと近づいて調べてみるぞ」
彼らは魔術的な結界や探知魔術を中和する護符を所持している。威力が強力な分、稼働時間が短いのが短所の護符だが、どんな探知系の魔術だろうが行く手を阻む結界だろうがこの護符さえあれば無効化できる。
その効力を疑うことなく、影たちはじわじわと謎の魔獣へと近づいていった。
「振動センサー、及び赤外線センサーに反応。何者かが近づいてきます」
レイジたちの寝ているキャンピングユニットの中に、チャイカの忠告の声が静かに響いた。
その声に鋭敏に反応して飛び起きたレイジは、すぐに皆を起こしつつチャイカに詳細を報告するように命じる。
「接近しているのは人間、その数は十一。キャンピングユニットを包囲する形で、ゆっくりとその輪を縮めていますねー」
「人間ねぇ……この辺りを根城にする盗賊の類ですかね?」
「詳細は分かりませんが、友好的な雰囲気じゃありませんね。映像、出します」
マーオの問いに答えつつ、チャイカはキャンピングユニットの壁に掛けられたモニターに光増幅系の暗視装置による映像を映し出す。
そこに映し出されているのは、全身をぴっちりと包む衣服を来た数人の人間たち。
暗視装置の性能上色までは判断できないが、彼らが着ている服の色は間違いなく黒系統だろう。
「見た所、盗賊っていうより暗殺者って感じだな……」
彼らのいで立ちを見て、レイジが首を傾げながら言う。
「でも、どうして暗殺者が俺たちを包囲しているんだ?」
レイジがそう問うたのは、唯一心当たりがありそうな人物──つまり、アーベルだった。
そのアーベルはといえば、暗殺者に囲まれているという状況に完全に怯えていた。
「か、神の御子たるランド様を殺める必要は、少なくとも我がレシジエル教団にはありません。となると、ランド様のことをよく思っていないどこかの誰かの差し金……としかわ、私には言えません……」
「うーん……そこまで恨みを買うような真似、した覚えがないんだけどな」
「う、恨みなどというものは、時に一方的に抱くものでもあります。こ、この件に関しては、明日中央神殿に報告を出し、た、直ちに事の究明を急がせます」
「それよりも、今はまず連中の撃退からだな」
アーベルの言葉に頷きつつ、レイジはマーオへと向き直る。
「マーオは俺と一緒に連中の撃退だ。ただし、殺すなよ」
「任せてくだせえ」
「サイファとアーベルさんはこのままキャンピングユニットの中に隠れていてくれ。ラカームは二人の護衛を頼む」
暗殺者と聞いて顔色を悪くしているサイファと、同じく怯えきっているアーベルは無言で頷き、彼らの足元で狼形態のラカームが小さく吠えて了解を示す。
レイジは防弾防刃処理の施された迷彩柄の外套を着込み、5.56ミリ口径の多目的ライフルと9ミリ口径の拳銃、そしてテイザーガンとレーザーブレードやその他の兵装を装備する。
一方、マーオは特に装備を整えることもなく、いつものように素手のままだ。
「チャイカ。俺たちが外に出た後は、キャンピングユニットのドアをロックし、表面に電気シールドを展開だ」
「了解ですー」
レイジたちが全ての用意を整え終えた時、暗殺者たちの包囲網はキャンピングユニットのすぐ傍まで到達していた。
「よし……行くぞ、マーオ」
「合点!」
互いに一つ頷き合ったレイジとマーオは、暗殺者たちを迎撃するために勢いよく飛び出して行った。
謎の魔獣を包囲する形で押し寄せた影たちは、そのまま待機する姿勢に入った。
殺すべき標的は、やはり魔獣の中にいるらしい。いくら彼らとはいえ、得体の知れない魔獣の体内に入るのには躊躇いがあったのだ。
だが、標的たちもずっと魔獣の中にいるわけではない。夜中に用を足すために外に出ることもあるだろうし、夜明け近くになれば食事の準備などのために当然魔獣の外に出るだろう。
寝起きのその一時こそが、影たちが狙う瞬間だった。
魔獣──キャンピングユニットの中には簡易式のトイレやキッチンがあるので、外に出る必要はない。だが、そんなことを知らない……というか常識の範囲外である彼らには、そこまで考えが及ばない。
影たちは息を殺し、ひっそりと周囲と同化するようにして、じっと標的が魔獣の外に出てくるのを待ち続ける。
そうして待ち続けていると、突然魔獣の腹の一部が開き、そこから見るからに臨戦態勢の二つの人影が飛び出した。
影たちはそれが標的であると一瞬で悟る。しかし、自分たちは隠行の護符を所持している。どうして自分たちの接近に気づいたのかと一瞬だけ混乱するも、影たちはすぐに落ち着きを取り戻して意識を切り替える。
標的が魔獣の外に出てきてくれたのは、彼らにしてみればありがたい。例え相手が臨戦体勢を整えていたとしても、所詮は二人だ。自分たちが圧倒的に有利なのは間違いない。
待ちに待った瞬間が訪れたと改めて判断した影たちは、一切の音を立てることなく、標的を仕留めるために一斉に動き出した。
キャンピングユニットから飛び出したレイジとマーオは、素早く左右に展開した。
右に飛び出したレイジは、腰のベルトに装備しておいたグレネードを取り出し、適当な位置に放り投げる。
放り投げられたグレネードはゆっくりと宙を舞い、数秒後に鋭い閃光を周囲に撒き散らした。
レイジは投げたのはフラッシュグレネード。いわゆる閃光手榴弾である。
爆発する代わりに閃光を発するこのグレネードは、暗殺者たちの目を焼いた。
彼らはその生業上、夜目の訓練を積んでいる。そんな彼らが暗所で激しい光を正面に受ければ、その効果は絶大だ。
閃光に視界を白く染め上げられた暗殺者たち。いくら腕利きの暗殺者とはいえ、視力を奪われてまともに行動できるわけがない。
目を押さえて動きを止める数人の暗殺者に向かって、レイジは腰から引き抜いたテイザーガンのトリガーを引き絞る。
銃口から放たれた新たな閃光が暗殺者の身体を捉え、その暗殺者は身動きできなくなって地面に倒れ込む。
「まず一人!」
一番手近にいた暗殺者を無力化したレイジは、いまだ視力を回復させていない他の暗殺者も仕留めるべく、素早く次の標的へと接近していった。
レイジとは反対側に飛び出したマーオは、足を止めると素早く呪文を詠唱する。
詠唱が終わると同時に、彼の足元からずぶりと白い腕が出現した。
皮膚や肉を持たない、骨だけの腕。だが、その腕には金属製の手甲が装着されている。そして、その腕が出現しきると、肩、頭、胸とその身体がどんどん地面から出現していく。
地面──正確にはマーオの作り出した影──から完全武装の出で立ちで出現したのは、炎亜竜との戦いの時にも用いたスケルトンソルジャーだ。
暗殺者というものは、急所を突いて標的を仕留めるものだ。時には猛毒などを用いることもあるが、決して正面から切り結ぶような戦い方を暗殺者は好まない。
そんな暗殺者に対し、アンデッドであるスケルトンソルジャーは天敵と呼べるだろう。
人体の急所というものを持たないアンデッド。当然ながら毒も効かない。物理的に破壊するしかないアンデットは、暗殺者にとっては極めて相性が悪い。
そんなアンデッドであるスケルトンソルジャーを、合計五体も呼び出したマーオ。相手の数が多いので、万が一にもキャンピングユニットに近づけさせないためにスケルトンソルジャーを呼び出したのだが、その骸骨兵の姿を見て、暗殺者たちは顔を覆った覆面の奥で冷たい汗を流していた。
「さて、アニキに殺すなと言われた以上は殺しはしないが……それなりに痛い思いはしてもらうからな?」
五体ものアンデッドを従え、にやりと悪役のような笑みを浮かべるマーオ。元魔王であるマーオには、そんな悪い笑顔がとてもよく似合う。
マーオが指示を出すと同時に、五体のスケルトンソルジャーの内の三体が暗殺者たちに向かって突進する。
マーオは残る二体を従えてキャンピングユニットを守る体勢に入りながら、敵陣へと突入した三体の骸骨兵たちを冷静に見つめる。
彼の見たところ、暗殺者たちの技量はスケルトンソルジャーよる上だろう。だが、疲れることも怖れることも知らない骸骨兵たちは、果敢に暗殺者たちに挑みかかる。
対して、暗殺者たちにとって骸骨兵たちは非常に戦い辛い相手だ。彼らが持つ暗殺用の短剣では、骸骨兵に有効な打撃を与えられない。これがまだ屍人の類ならマシなのだが、骨ばかりのスケルトンソルジャーには、短剣など無意味に近い。
自分たちの不利を悟った暗殺者たちは、スケルトンソルジャーの攻撃をいなしながら撤退を選択した。
不利な相手に真っ正面からぶつかることはない。この後も、きっと標的を襲撃する機会はあるだろう。
そう判断した暗殺者たち。だが、そう簡単に撤退することは許されない。
突然、暗殺者たちの足がずぶりと地面に沈み込む。何事かと彼らが足元に目をやれば、そこには夜の闇よりも更に黒い何かが存在した。
「そう簡単に逃げられると思うなよ?」
にやりと笑いながらそう言うのは、もちろんマーオである。彼は暗殺者たちがスケルトンソルジャーに気を取られている隙に、闇属性の魔術《冥府の黒沼》を発動させておいたのだ。
冥界より召喚された底無し沼からは、暗殺者たちの体術を以てしても容易に抜け出すことはできない。更には脱出しようともがけばもがくほど、ずぶずぶと彼らの身体は沼の中へと入り込んでいく。
その事実を目の当たりにし、暗殺者たちは絶望的な思いに捕らわれた。
いくらレイジとマーオが暗殺者たちの相手をしていても、たった二人で十一人全てを相手取ることは不可能である。
実際に一人の暗殺者が、レイジとマーオの隙を突いてキャンピングユニットに素早く接近していた。
事前情報によれば、キャンピングユニット──暗殺者たちの認識では見知らぬ魔獣──の中には、まだ数人の人間がいるはずだ。それを人質に取れば、まだ逆転する可能性はある。
そう考えた暗殺者は、キャンピングユニットに忍び寄る。しかし、彼にはどうやったらキャンピングユニットの中に入ることができるのかが判らない。
先程横腹の辺りに開いた出入り口も、今は完全に閉じている。それでも何とか突破口を開こうと、彼はそっとキャンピングユニットのボディに触れた。
途端、ばちっという音と共に小さな閃光が迸る。
ぎゃっという悲鳴と共に、キャンピングユニットに触れた暗殺者は地面に倒れる。彼はキャンピングユニットのボディの表面を流れる電流に感電したのだ。
レイジがチャイカに命じて展開させた電気シールド。それは車体の表面に電流を流し、車内に侵入しようとする敵を撃退するシステムである。
レイジのテイザーガンと同じく感電死するほどではないが、感電で身体の自由を奪われた者は、しばらくはまともに動くことはできないだろう。
闇夜に紛れて勇者一行を亡き者にしようとした暗殺者たちは、標的である勇者らの手によって瞬く間に無力化されていった。
無力化され捕縛された暗殺者たちだが、レイジたちが彼らから何らかの情報を得ることは、結果としてできなかった。
暗殺者のお約束として自害を警戒したレイジたち。暗殺者らの身体を徹底的に調べ、自殺用の毒などがないことを確かめたものの、翌朝になると暗殺者たちは一人残らず冷たくなっていた。
彼らの亡骸をマーオが調べたところによると、どうやら死因は呪詛の類らしい。
さすがに毒物などは感知できるレイジやチャイカも、呪詛という魔術的な手段までは感知できなかったのだ。
こうして、最後の最後に何とも言えない後味の悪さを残して、勇者の暗殺は失敗に終わったのだった。
※来週はGWにつき、更新をお休みします。




