皇帝
キンブリー帝国の帝都、キンブリーの街。
街の中央に聳えるは帝城ギルギルガス。そのギルギルガスの一室で、この城の主であるキンブリー帝国皇帝アルモート・キンブリーは、この国の主教であるレシジエル教の最高指導者であるアルミシア大司教を迎えていた。
「ほう、勇者……ね」
星々が浮かぶ星海の向こうに存在すると言われる神々の世界。その世界より遣わされる神の遣い。それが勇者であるとレシジエル教の教典に記されていることは、レシジエル教徒であるアルモートも承知している。
「しかしアルミシアが……いや、大司教殿が言うその男が、本当に勇者だという証拠は?」
初老のアルミシアよりも遥かに若いアルモート。その年齢は三十代の半ばほどだろうか。だが、応接用の部屋の椅子に腰を下ろした彼の姿は、三十代という若さを感じさせない迫力のようなものを纏っていた。
鍛え上げられた肉体と鋭い眼光。子供の頃よりアルモートを見てきたアルミシアには、彼に天性の才があることをはっきりと感じ取っていた。
キンブリー帝国という巨大な生き物を、自分の身体同然に動かしていく正に「帝王」の資質が、目の前の皇帝には確かにある。
「ランド様は、教典に記されている通りのお姿で、教典に記されている通りのお力をお持ちです。そのような存在が、神々が遣わす勇者様以外にあり得ましょうか?」
こちらを探るようなアルモートの視線。それを真っ向から受け止め、アルミシアは淡々と事実のみを答える。
「確かに、大司教殿が言うことが本当なら、そいつは本物の勇者なのだろう。だが……生憎と、俺は自分の目で見たものしか信用しない性でな?」
そいつは大司教殿もよく知っているだろう、とアルモートは続けた。
「まあ……その男が本物の勇者かどうかは今は置いておこう。そいつが本物かどうかなんて、この場では判断のしようがないからな。それよりも今日、大司教殿がわざわざ帝城まで足をお運びなさった理由は他にあるんだろう?」
ひょいと片方の眉だけを吊り上げて、アルモートはアルミシアに言葉を促した。
「陛下のおっしゃる通り。現在、勇者ランド様はこの帝都に向けて移動されています。遠からず、このキンブリーに到着なされるでしょう」
「……もうどれだけ争っていたのかも判らない、魔族との戦いに幕を降ろした勇者がこのキンブリーに……まさに凱旋ですな」
そう口を挟んだのは、皇帝と大司教以外の第三者であり、皇帝の横に不動の姿勢で立っている初老の男性だった。
彼の名前はレイザッグ・ガスモトス。アルモートの父の代よりこのキンブリー帝国の宰相を務める、文字通り皇帝の右腕的存在だ。
「宰相殿のおっしゃる通り、これは凱旋です。帝都を上げて、我らに平和をもたらした勇者様をお迎えすべきでしょう」
「なるほど。確かに我らに魔族領という新たな土地と、魔族という労働力を与えてくれた勇者様がこの帝都に来るとなれば、大司教殿の言う通りにしないといけないだろうな」
ほんの僅かに、口角を吊り上げるアルモート。その変化は余りにも小さく、対面に腰を降ろすアルミシアも、隣に立つレイザッグもその変化に気づいていない。
「いいだろう。勇者殿を国賓として迎えよう。その準備はこちらに……帝国に任せてもらっても構わないな、大司教殿?」
「ええ。無論、我らレシジエル教も全面的に協力します。何でも申し出てください」
「大司教殿の気持ち、ありがたく受け取らせて頂こう」
勇者を迎える詳しい段取りは後日部下に任せるとして、大司教は満足そうに応接室から退室していった。
扉の向こうに消える大司教の背中をじっと見送り、それが完全に見えなくなるとアルモートは詰まらなさそうに鼻を鳴らす。
「ふん、聖典に記された通りの人物なんて、本当にいるのかね?」
「さて、私には判断しかねますが……猊下があそこまで断言される以上、単なる妄想の類ではありますまい」
「あの婆さんのことはガキの頃から知っているが、確かに嘘や妄想を口にする人間じゃないな。ってことは、本当に魔族領を平定した者がいるってことか……で、前線からの報告は?」
「はい、確かにここ最近、魔族との交戦は途絶えているとのことでした」
アルモートが物心ついた頃より……いや、彼が生まれるもっと前より続いている魔族との争い。彼が生まれてからは大規模な戦闘こそないものの、小規模な交戦はこれまで無数に繰り広げられてきた。
その交戦が途絶えている以上、魔族領で何らかのできごとがあったのは間違いないだろう。
「長年続いた魔族との抗争を、たった一人で治めた人物か……それが本当なら、そいつは間違いなく神々が遣わした勇者様だろうな」
椅子の肘掛けに頬杖をつき、アルモートはおもしろくなさそうに吐き捨てた。
「いかが致しますか?」
「我らに新たな土地と新たな労働力を与えたたもうた偉大なる勇者様だ。その名前と存在は、この国の歴史にしっかりと刻んでおこう。だが、実際に必要なのは土地と労働力だけで十分だろう?」
にやり、と。
今度こそ、アルモートは誰でも判るほどはっきりと笑みを浮かべた。
「勇者なんて存在は所詮伝承の中だけのものだ。我らに新たな恵みを与えたもうた偉大なる勇者様には、そのまま伝承の中にだけ存在してもらおうじゃないか。その方が神秘性が高まるってものだろ?」
含みを持たせたアルモートの言葉に、レイザッグは無言のままただ静かに頭を下げて見せた。
今、レイジたちの目の前に広がっているのは、陽光を受けてきらきらと輝く紺碧の海だ。
「おおー、これが本物の海かぁ」
目の前に広がる大海原を、レイジは海面と同じくらいにきらきらとした瞳でじっくりと眺める。
もちろん、彼が本物の海を間近で目にするのはこれが初めてだ。
「この惑星では海は竜族の領域ですから、遠洋航海術がまるで発達していないようです。そのため、船と言えば沿岸付近で使用する小舟しかありません」
レイジの傍らに浮かんでそう説明するのは、もちろんチャイカ──の立体映像──である。しかし、今日のチャイカはいつもとはちょっと違った。
「……どうして、チャイカはそんな格好なんだ?」
「何をおっしゃいますか、レイジ様! ここは海ですよ、海! 海と言えば水着! 海と水着の組み合わせは、遥か昔……具体的には旧世紀の二十世紀から続く人類永遠のお約束じゃないですか!」
そう。今日のチャイカの映像は水着姿だったのだ。
いつもの彼女は高貴な雰囲気漂う足全体を覆い隠すロングドレス姿なのだが、今日は海ということで水着姿ヴァージョンなのである。
しかも、ご丁寧にセクシーなビキニタイプだったりする。
ビキニ姿のチャイカを前にして、マーオとサイファはその姿を直視できない。神の使徒とも言われる精霊が肌も露な格好をしているのだから、サイファたちは困惑してとてもまともに目を向けられないのだろう。
反対に、レイジは冷めた目でチャイカを見ている。彼はチャイカの本当の姿──宇宙船〔アコンカグア〕に備え付けられた、巨大な人工知能であることを知っている。つまり、今レイジの隣に浮かんでいるチャイカの姿は、当然ながら彼女自身が作り上げた架空の姿なのだ。
「どうです、レイジ様? わたくしのこの眩いビキニ姿にくらくらしちゃいます?」
宙に浮かんだチャイカが、くねくねとしなを作って最後にちゅぱっと投げキッスを飛ばす。だが、投げキッスを飛ばされたレイジは、そんなチャイカをすっごく冷めた目でじとっと見つめる。
「所詮CGでしかないチャイカに、くらくらする訳がないだろ?」
「あらー、CGを馬鹿にしましたね? さくっとディスっちゃいましたね? いいでしょう、これはわたくしに対する挑戦と受け止めました。さあ、これを見てもまだそんなことが言えますかねー?」
そう言い残して、チャイカの映像がふっと消える。そして、その一瞬後には別の立体映像が空中に映し出される。
「…………っ!!」
「おお、これはこれは……」
「ひぃぃぃあああぁぁぁぁぁっ!!」
現れた映像を見て、レイジは息を飲み込んで映像を見つめ、マーオは関心したように呟き、サイファは真っ赤になって右往左往する。
なぜなら、今空中に映し出されている映像は、水着姿のサイファだったのだ。
「どうですか、レイジ様? こんなこともあろうかと、マーオさんに協力してもらってサイファさんの水着姿の映像を合成しておきましたー」
サイファの姿に化けたマーオからサイファの詳細な身体データをスキャニングしたチャイカは、彼女の水着姿のCGも合成していたのだ。
しかも、立体映像のサイファが着ている水着は、極端に布面積の小さなもの。いわゆる、マイクロビキニというヤツだ。
ほとんど裸に近いサイファの映像。その映像を、レイジは思わず食い入るように見つめる。見つめてしまう。
「み、見ないでください、レイジさんっ!! そ、そんなにじっと見つめたらだめぇぇぇぇぇぇっ!!」
ばたばたと手を振り回し、自分の水着姿の映像を消そうとするサイファ。だが、空中投映された立体映像がそんなことぐらいで消えるはずもなく、チャイカ謹製のサイファの映像は、まるでグラビアモデルのようにちょっと際どいポーズを取っていたりする。
「どうです、レイジ様? CGも馬鹿にできないでしょう?」
「……………………」
チャイカに問われても、レイジはただただ、じっとサイファの立体映像に目を向けるばかり。そしてサイファはそんなレイジの目を、背後から自分の手で覆い隠した。
「み、見たら駄目ですってばっ!! 見ないでくださいぃぃぃぃぃっ!!」
白い砂浜で、馬鹿騒ぎを繰り広げるレイジたち。
そんなレイジたちを、アーベルは少し離れた所からぼんやりと眺めていた。
「…………一体、何とアルミシア猊下に申し開きすればいいのやら……」
大きく肩を落としたアーベルが、誰に言うでもなく呟く。
彼の役目は、神の御子たる勇者ランドを無事に帝都キンブリーまで案内することである。
だがその勇者当人が、真っ直ぐに帝都に向かうこともなくあちこちと寄り道を繰り返すのだ。
今回も帝都に向かう途中で海が近いと聞いたレイジが、どうしても海が見たいと言い出したため、この浜辺に寄り道をしている。
当然ながら、アーベルにはレイジの言葉に逆らうことなどできようもなく、レイジの言い出したことに従うしかない。
「い、いつになったら、我々は帝都に辿り着けるのか……」
最近、きりきりと傷むようになった胃の辺りを自らの手でさすりながら、アーベルが再び呟いた。
そしてそんな彼の姿を、いつものようにレイジの足元で丸くなっている狼形態のラカームが、おもしろくもなさそうに見つめていた。




