閑話-彼が仕事を辞めたわけ
「バーラン兵長。また、村長が呼んでますぜ」
部下にそう声をかけられて、この村に駐在している兵士を束ねるバーランは、明白に渋い顔をした。
「またかよ……」
当のバーランは、途中だった剣の手入れを止めて、深々と溜め息を吐き出した。
ここ数日──いや、この村の前村長だったバモンがいつの間にかいなくなり、新たな村長が決まった日より、その新村長は毎日毎日バーランを自宅へと呼び寄せるのだ。
「今日も俺を護衛代わりにするつもりかよ」
「今度の村長、随分とヘタレっぽいッスからねぇ」
バーランの呟きを聞いて、部下が肩を竦めた。
先日、この村を襲った魔族の襲撃。新たな村長は、その一件が相当心に堪えたらしく、毎日再度の襲撃に怯えていた。
そのため、バーランや他の兵士たちを毎日のように自宅近くに呼び寄せ、身辺を警護させているのだ。
「確かに俺たちは、この村を守るために国から派遣された兵士だがよ? だからって村長個人だけを守るためにいるわけじゃないんだぜ?」
「そんなこと、俺に言われても困るッスよ。村長に直接言ってくださいや」
「もう言ったよ」
手入れしていた剣を机の上に放り出し、バーランはがっくりと肩を落とした。
新たに村長となった人物は、確かに字の読み書きもできるし、計算もできる。逆に言えば、読み書きや計算ができるからこそ、新たな村長に選ばれたわけだ。
このような辺境の村では、文字の読み書きや計算ができるということは、それだけで稀有な能力なのである。
しかし、そんな能力を有する一方、もともと臆病な性格で前回の襲撃がその臆病に拍車をかけたらしい。
毎日のようにありもしない魔族の襲撃に怯え、バーランたちを呼び寄せる。
一日二日ならともかく、毎日のように村長個人の警護を言いつけられれば、本来の仕事である村の警備にも差し障りが出てしまう。
「上に陳情したらどうッスか?」
「それも、もうやったんだよ」
再び、大きな溜め息。
あまりにも利己的な村長の要求。だが、派遣された兵士という立場上、村長の指示に従わなければならない。
兵士としての役目から大きく逸脱していればともかく、村人を守ることもまた、バーランたちの仕事なのだ。
そのため、バーランは国に今の現状を知らしめ、配置転換もしくは村長に対する警告をしてもらおうと考えた。
しかし陳情書を送ったきり、返事は返ってこない。
「あーあ。いっそのこと、もうこの仕事辞めちまうかな?」
「兵長が辞める時は言ってくださいよ? 俺も兵長と一緒に兵士を辞めますから」
「いいですね。こうなったら、オレたちだけで傭兵団でも始めますか?」
「あ、俺も俺も。俺も兵長についていきますから!」
「オイラもこんな田舎にで兵士やっているより、傭兵に鞍替えした方がいいと考えていたんですよ」
バーランたちの話に、他の部下たちも加わってくる。
自分を慕ってついてくると言ってくれる部下たちに、バーランはその厳つい顔をにやりと崩した。
「おまえらの気持ちは嬉しいが、今はお勤めを果たさないとな」
バーランは剣を腰に佩きながら立ち上がって、村長の家へと向かった。
「お、遅いじゃないですかっ!! そ、村長である私が呼んだら、早く来てくれないとっ!!」
「そう言うなって。俺たちだって他にも仕事があるんだよ」
二人の部下を背後に従え、バーランは自分に文句を言う村長を見下ろした。
巨漢のバーランに比べると、頭一つは身長の低い新村長。線も細いため、ひょろひょろとした印象ばかりが目立つ。
顔も縦に細長く、色も白いことがその印象を更に強くしていた。
「それで? 今日はどうしたんだよ?」
「ゆ、夕べのことですが、家の裏で何やら物音がしたんですよ。も、もしかすると魔族がまた村の中に入り込んだんじゃ……?」
「そんなわけあるかよ……」
村長に聞こえないように、小声で呟くバーラン。村長には聞こえなかったようだが、背後にいた部下たちにはしっかりと聞こえていたらしい。
部下たちも互いに顔を見合わせると、「やってられない」とばかりに肩を竦めた。
「なあ、村長。これは勇者様や精霊様が言っていたことだが、魔族も人間とそれほど変わらないんだぜ? 実際、俺も魔族と直に言葉を交わして、それを実感したんだ。魔族は乱暴なヤツばかりじゃねえ。気のいいヤツだっていくらでもいるさ」
バーラン自身、そのことは前回の襲撃の後、魔族軍の指揮官と「拳と拳で語り合う」ことで理解していた。
人間に善良な者と邪悪な者がいるように、魔族もまた同様なのだ。
「で、ですが……」
「俺たちはしばらくこの家の周りを見て回る。それでいいよな?」
村長の言葉を途中で遮り、バーランは言いたいことを伝えると、すぐに家の外に出た。
「兵長。本当に見回りをするんですかい?」
「ああ。だが、見回るのは村長の家の周辺だけじゃない。村中を見て回るんだ。それなら、俺たちの本来の仕事だろ?」
にかりと含みのある笑顔を浮かべるバーラン。部下たちも、彼と同じような笑みを浮かべながらぐっと右手の親指を突き立てた。
兵士たちの詰め所。その一室で寝ていたバーランは、飛び込んできた部下に叩き起こされた。
「何事だっ!?」
兵士である以上、夜中に起こされることに文句を言うつもりはない。夜中だろうが何だろうが、何かあれば起き出さなくてはならないのが兵士なのだ。
「まさか、本当に魔族の襲撃が……?」
「い、いえ……そ、それが…………」
武具を身に着けながら部下に尋ねれば、その部下はなぜか言葉を濁す。
「お、おい、まさか……また村長か……?」
バーランに尋ねられた部下は、困った顔で首を縦に振った。
「そ、その……便所に行きたくて目が覚めたそうなんですが、そこまで行くのが怖いそうで……」
「が……ガキか、あいつはっ!!」
バーランは、手にしていた防具の一部を力いっぱい足元に叩きつけた。
「いい加減にしろよ? 俺たちはあんたのお守りをするために国から派遣されているわけじゃないんだぜ?」
今日もまた、村長の家に呼び出されたバーランは、村長の顔を見た途端に不機嫌な表情を隠すことなく告げた。
「そ、そうは言いますが、こ、怖いものは怖いんですよ。こ、このままでは、村長の仕事にも差し障りが……」
凄みを利かせたバーランに、村長はしどろもどろになる。
「あんたの仕事に差し障りがあろうがなかろうが、正直言って俺には何の関係もない。俺たちの仕事は、この村の安全を守ることだからな!」
「で、ですが……」
尚も何か言おうとする村長。だが、そこへバーランの部下の一人が飛び込んできた。
「へ、兵長! ま、魔獣ですっ!! 魔獣が出ましたっ!!」
「何だとっ!?」
「ま、魔獣っ!!」
部下の報告を聞き、バーランは腰の剣に手をかけ、村長は恐怖にひっくり返った。
「それで魔獣の種類は?」
「どうやら、大穴鼠のようです。現在、ガッドとランガが現場……村はずれで交戦中です」
「大穴鼠か……」
現れた魔獣が大穴鼠と聞き、バーランはふぅと息を吐き出した。
大穴鼠は図体こそ大きいものの、それほど凶暴な魔獣ではない。しかし、食べられるものは何でも食べる魔獣なので、農作物が根こそぎ荒らされる危険性がある。
「よし、俺の行こう」
武具をがちゃりと鳴らしながら、バーランは村長に背中を向けた。だが、そんなバーランに村長が必死にしがみつく。
「ま、待ってくださいっ!! も、もしもその魔獣がここまで来たら……い、行かないでくださいバーラン兵長っ!! ここで私を守ってくれっ!!」
バーランの足にしがみつき、みっともなくも喚き散らす村長。そのだらしない姿を見下ろしていたバーランに、遂に限界が訪れた。
「いい加減にしやがれ、この腰抜け野郎っ!!」
バーランは足を振り、しがみついていた村長を振り飛ばす。
「貴様は村長だろうっ!? ならば、自分のことばかり心配していないで、村人の心配をしねえかっ!!」
大声でどやしつけられて腰を抜かした村長をその場に残し、バーランは部下と共に村はずれへと駆け出していった。
幸い、大穴鼠は大きな被害を出す前に退治することができた。
村が受けた被害といえば、村の境界線に築かれた柵が少し破壊されたことと、兵士の中に軽傷を受けた者がいたぐらいだ。
その翌日、村の中央の広場に集まった村人は、バーランの言葉を聞いて大いに驚いた。
それは、ここ最近ずっとバーランが考えていたことであり、彼は遂に決心したのだ。
「あんたらには悪いが、俺と部下たちは兵士を辞めることにした」
真面目な顔で告げるバーランとその部下たちに、村人たちは激しく動揺する。
先日の魔族の襲撃を始め、バーランたちがこの村で果たしていた仕事は言うまでもなく重要である。
数は少ないとはいえ、この村に駐在する兵士たちが一斉にいなくなるのだ。村人たちが不安になるのも当然だろう。
「国にはすぐに代わりの兵士を派遣するように伝えておいた。まあ、俺たちの代わりがいつ来るかは、分かったものじゃないけどな」
「こ、、困りますよっ!! 兵長たちがいなくなったら、誰が私の安全を守ってくれるんだっ!?」
村人を押しのけてバーランの前に進み出たのは、もちろん村長だ。
彼はその白い顔を真っ青にし、更にはがたがたと震えながらバーランに訴えた。
しかし、当のバーランはひょいと片方の眉を吊り上げると、呆れの溜息を吐き出した。
「こんな時まで自分のことを優先か……ここまでくると逆に感心だぜ」
「と、当然でしょうっ!? わ、私は村長ですよっ!? 私を守るのは、何よりも優先すべきでは──」
村長の言葉の途中で、ひゅんと何かが空気を切り裂いた。
はっとした村長がつつっと視線を動かせば、自分の喉元に銀色に輝く剣の刀身が突きつけられている。
もちろん、それは抜き打ちで村長に斬りかかったバーランだ。その刀身は村長の皮膚を切り裂くぎりぎりと所で停止していた。
「ひ、ひぃ…………っ!!」
へなへなとその場に崩れ落ちる村長。地面に座り込んだ村長の周囲に水たまりが広がっていく。どうやら、恐怖のあまりに失禁したようだ。
「貴様がそんなだから、俺たちは兵士を辞めることを決意したんだ。恨むんなら自分を恨むんだな」
ぱちんと剣を鞘に収めたバーランは、そのまま部下を引き連れて村を後にした。
「兵長、これからどうします?」
「おいおい、俺たちはもう兵士じゃねえんだ。兵長と呼ぶなよ」
「っと、スイマセンね、団長」
兵士を辞めたバーランとその部下たちは、そのまま傭兵団を結成した。だが、傭兵団を結成したのはいいが、何か仕事を請けなければ生活していけない。
「そうだなぁ。何か、俺たちの傭兵団に箔付けできるものがあればいいんだが……」
傭兵団にとって、知名度は重要である。名の知れた傭兵団ほど仕事が入るのは説明するまでもないだろう。
「そういや、もうすぐゲンガルって街で炎亜竜の素材が売り出されるって噂を聞きましたぜ?」
「ほう、炎亜竜の素材か。そいつで団の看板になるような武具を作れば、ちょっとは箔付けになりそうだな」
まあ、問題は素材を買うだけの金があるかだが。
そう続けたバーランに、部下たちが笑い声をあげる。
「ようし。とりあえず、ゲンガルを目指すぜ」
バーランの言葉に、部下たちが応と答える。そして、彼らはゲンガルの街を目指して歩き出した。
そこで懐かしい顔と再会するのだが、それをバーランが知るのはもう少し先のことだった。




