炎亜竜退治
風下から慎重に、レイジは炎亜竜へと近づいていく。
そして手頃な岩の陰に身を潜ませると、上半身を岩の上に預けてライフルを構える。
レイジの身長ほどもある長大なライフル。その口径は実に二十ミリ。
本来ならば戦闘機などに用いられる二十ミリの機銃を、強引に個人携行用のライフルに仕立て上げたものだ。
言うまでもなく、こんなデタラメなものを作ったのはチャイカであり、彼女の趣味全開のシロモノである。
だが、五・五六ミリや七・六二ミリ程度では炎亜竜に通用するかどうか大いに疑問であり、その点二十ミリならば炎亜竜の頑強な鱗でさえ貫通するだろう。
「もしもこれでも通用しないようなら……次は三十ミリ口径のライフルとか用意しそうだな」
留まるところを知らないチャイカの趣味に呆れつつ、レイジは二十ミリライフルに備え付けられているスコープを覗き込む。
標的である炎亜竜までの距離は約五十メートル。風下ということもあり、炎亜流はまだレイジに気づいていない。
レイジはスコープの中の炎亜竜に集中しつつ、指先でライフルのセーフティを外す。
そして、油断している炎亜竜に向けて、二十ミリの鉛の雨をプレゼントすべく、ゆっくりと引き金を引き込んだ。
激しい衝撃がレイジの身体を連続して貫く。
さすがは二十ミリ。五・五六ミリや七・六二ミリとは比較にならない強烈な反動が、レイジの身体を襲う。
しかし、生体強化されている彼の身体は、その反動に耐えきってみせた。
ライフルの銃口から巨大な弾丸が連続して吐き出され、吐き出された弾丸は狙い違わず炎亜竜に襲いかかる。
さすがに五・五六ミリや七・六二ミリのライフルほどの速射性はないが、それでも毎秒数発は連射が可能だ。
ほんの数秒引き金を引き続ければ、あっと言う間にマガジンは空になる。二十ミリという巨大な弾丸を用いている以上、装弾数はどうしても犠牲になってしまう。
レイジは空になったマガジンを交換しつつ、炎亜竜の苦悶の咆哮を耳にする。
二十ミリの弾丸はその頑強な鱗を難なく貫き、炎亜竜は突然襲いかかった激痛に身を捩りながら咆哮を上げたのだ。
「よし! 二十ミリなら通用するようだ」
マガジンを交換し終えて初弾を藥室に送り込みつつ、レイジは再びスコープを覗き込む。
と、スコープ内の照準線の向こうで、炎亜竜がその巨大なアギトを開いているのが見えた。
反射的にレイジは隠れていた岩の陰から飛び出す。その直後、その灼熱の赤線が通り抜けた。
灼熱の赤線はレイジが隠れていた岩を飲み込み、周囲に生えていた僅かな雑草などを瞬く間に焼き尽くす。
「……まるっきり、生きた火炎放射器だな……」
地面に伏せながら、レイジが誰に言うでもなく悪態を吐く。
MPP──マルチ・パワード・プロテクター──のお陰でダメージは軽微だが、それでも高熱による陽炎がレイジの視界をゆらゆらと揺らす。
「長時間あれを食らったら、MPPを着ていても無事では済まないだろうな……」
改めて炎亜竜に警戒しつつレイジは二十ミリライフルを構え、碌に狙いを付けることもなく引き金を絞る。
その巨体からは想像もできないほどの速度でレイジに近づいていた炎亜竜は、襲いかかった鉛弾の雨に思わず脚を止めた。
亜竜の体に命中した弾丸はほんの数発だが、それでも牽制の役目は十分に果たしてくれた。
炎亜竜が脚を止めた隙に、レイジは炎亜竜との距離を取る。そして再びマガジンを交換して態勢を整える。
「さて……このままマーオが準備し終えるまで引きつけるか」
ヘルムのバイザー越しに巨大な亜竜を見据えつつ、レイジはぺろりと唇を湿らせた。
予め予定しておいた地点に到着したマーオは、担いでいた荷物を地面に下ろすとぱんと勢いよく両手を打ち合わせた。
「さあ、急いで準備に取りかかりやすかね。いくらアニキとはいえ、炎亜竜相手に一人じゃいつまでも耐えられないだろうし」
打ち合わせた手を前方に突き出し、マーオは呪文を詠唱する。
その詠唱に合わせて、彼の足元から淡い光が走り、地面に模様を描いていく。
地面を走る光は、幾何学的な模様を描く。それは所謂魔法陣という奴だ。
マーオは更に集中力を高め、魔法陣を描いていく。やがて彼を中心にした直径六メートルほどの魔法陣が完成した。
描き上がった魔法陣は徐々にその輝きを薄めていき、やがて見た目には何も見えなくなる。
「これで下準備はよし、と。あとは……」
マーオは地面に下ろした荷物を再び抱え上げる。それは防水加工された布製の袋で、中に数本の筒のようなものが入っていた。
「えー、確か精霊の姐御に教えてもらった通りだと……」
事前にチャイカから聞かされていた通りの作業を進めるマーオ。
やがて全ての準備が整い、マーオはレイジに連絡を入れる。
「アニキ! 聞こえやすか?」
〈ああ、聞こえるぞ。準備ができたのか?〉
「へい、予定通り準備ができやした」
〈判った。合流地点へ炎亜竜を引っ張っていく〉
レイジからの通信が途切れ、マーオは足元に転がる筒を拾い上げる。
「さて、アニキが来るまでに俺様も隠れないとな」
後はレイジが標的をこの地点に連れてくるのを待つだけ。マーオは準備し終えた筒たちを抱えて、手頃な岩の陰にその筒たちと一緒にその身を潜ませた。
逃げるレイジを飲み込まんと、炎亜竜の吐き出した火炎が奔る。
レイジはライフルを放り出し、火炎から逃れるために地面へと身を投げ出した。
もう弾丸が尽きていたライフルが炎に飲み込まれ、あっという間に融けた鉄の塊になる。
これまでに多数の二十ミリ弾の雨を浴びて、炎亜竜の体は所々に孔が開き、夥しい出血を強いられていた。
しかし、それでも炎亜竜の生命力は尽きない。それどころか、体を襲う激痛に怒り心頭といった様子だ。
これだけの二十ミリ弾を受けてなお動き回る炎亜竜の生命力に、レイジは改めて亜竜の恐ろしさを理解した。
頭の片隅でそんなことを考えながら熱風が収まるのを待ち、レイジは立ち上がると再び駆け出す。そのレイジを、炎亜竜は執拗に追いかける。
レイジはつかず離れずの距離を保ちながら、炎亜竜を誘導していく。
このまま、マーオが待っている地点まで炎亜竜を誘導するのがレイジの役割である。
ライフルを失ったレイジは、走りながら予備武器である九ミリオートで炎亜竜を撃つ。しかし、九ミリ程度では炎亜竜の鱗を貫くことはできず、九ミリ弾は虚しく弾かれた。
だが、それでいいのだ。
先程の攻撃は、炎亜竜の注意を自分に引きつける牽制でしかない。
レイジは時折散発的な攻撃を繰り返しながら、合流予定地点へと標的を誘導し続けていった。
岩陰に身を潜めたマーオは、小さな震動を感じた。
「……どうやら、アニキがお客さんの招待に成功したようだ」
岩陰からそっと頭を出して様子を窺うと、遠目に炎亜竜の巨体が見えた。そして、その前方を走る一人の人物も。
「アニキ! アニキから見て左斜め前方の岩陰! 俺様はそこにいますぜ」
〈了解だ〉
通信機越しに聞こえるレイジの声。どうやら大怪我などはしていないようで、マーオは安堵の溜め息を吐く。
マーオは岩に立てかけておいた筒状のものを持ち上げると肩に担ぎ、チャイカに教えられた通りに安全装置を解除した。
準備を終えたマーオは、その時が来るのを息を殺して待つ。そうしている内にも、炎亜竜はどんどん近づいて来る。
そして、その時は来た。
炎亜竜の逞しい脚が、先程マーオが魔法陣を展開した場所に到達したのだ。
「アニキ! 跳んでくだせえっ!!」
無線機から聞こえたマーオの指示に従い、レイジは全力で跳躍する。それを確認したマーオは、魔法陣を起動させるためのキーワードを唱えた。
ばちっという静電気が弾けるような音と共に、炎亜竜の足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
魔法陣はすぐに消え去ったが、その代わりに炎亜竜の足元に巨大な黒い沼を召喚した。
闇属性の魔術《冥府の黒沼》。文字通り冥界に存在するという底なしの沼を召喚する魔術である。
異界の沼に脚を捕らわれた炎亜竜は、移動を封じられた。そして、それはマーオの次の攻撃への伏線だった。
マーオは岩の上から上半身を乗り出し、肩に担いでいた筒状のものの引き金をぐっと引き絞る。
ぽん、というどこか間抜けな音と共に、筒状の先からラグビーボールに似た形の物体が放出された。
ガス圧式多目的支援砲。それがマーオが担いでいる筒の正式名称である。
ガス圧で様々な種類の砲弾を飛ばす携行用の支援火器であり、リボルバーのような弾倉には合計六発の砲弾を装填できる。
砲弾の種類は様々で、制圧用の炸裂弾や暴徒鎮圧用の催涙弾など目的に合わせた砲弾を装填することで、多目的に運用できる支援火器である。
ただし、ガス圧式なので撃ち出された砲弾の速度が遅く、炎亜竜のような動きの素早い標的には命中させることが難しい。
そのため、レイジたちはまず炎亜竜の移動を封じたのだ。
異界の沼に脚を取られた炎亜竜は、支援砲の砲弾を躱すことができない。
マーオが撃ち出した砲弾は、緩やかな放物線を描いて見事に炎亜竜を捉える。そして、命中した砲弾が弾け、中に詰め込まれていた液体を炎亜竜の身体に浴びせかけた。
じゅわっという音と共に、炎亜竜の体表が白く染まる。
砲弾に詰め込まれていた液体の正体。それは液体窒素だ。
マイナス一九六度の極低温が、炎亜竜の体温を瞬く間に奪う。
更に続けて、マーオは液体窒素を詰め込んだ冷却弾を支援砲から放つ。
二発、三発と冷却弾が炎亜竜に命中し、亜竜の身体が霜に覆われていく。
弾倉に詰め込んだ六発の冷却弾を撃ち終えたマーオは、次の支援砲を担ぎ上げる。もちろん、これにも冷却弾が装填されているのは言うまでもない。
マーオが新しい支援砲を構えた時、そこにレイジも滑り込んできた。彼もまた支援砲を担ぎ上げると、マーオと同じように冷却弾を炎亜竜へと撃ち込んでいく。
レイジたちが用意した支援砲の数は実に八門。合計四八発の液体窒素弾が、炎亜竜を襲うことになるのだ。
急激に下がる体温に、炎亜竜は苦しげに唸る。どうやら炎亜竜は見かけ通り、爬虫類などと同じ変温動物のようだ。
変温動物は体温が下げれば、運動能力など体の機能も低下する。炎亜竜は、下がった体温を高めるために本能的に自分の体に向けて炎を吐こうとした。
熱に対する耐性の高い炎亜竜。自分自身に炎を浴びせても、体温を高めるだけで体が焼けることはない。
首を捩って背後に口を向け、炎亜流が炎を吐き出す。
しかし、炎亜竜の口から炎が吐き出される直前、その大きな口腔に何かが飛び込んだ。
口に何かが入り込んだ反射で、炎亜流は思わずその口を閉じる。次の瞬間、炎亜竜の鋭い牙の間から白い煙のようなものが一気に立ち昇る。
炎亜竜の口に飛び込んだもの。それは亜竜の背後に回り込んだレイジが放った液体窒素弾だ。
口の中というほぼ密閉された空間で、液体窒素弾が破裂した。そして、中に詰め込まれていた液体窒素は、口腔内の温度で一気に気化する。
窒素が気化した場合、周囲の温度にもよるがその体積は約七百倍にもなる。炎亜竜の口の中で一気に膨張した窒素は、顎に並んだ牙を一気に吹き飛ばし、鼻腔を破壊しながら突き抜け、口腔内で縦横無尽に暴れ回る。
そして、液体窒素の一部は亜竜の肺や胃へも流れ込んだ。
流れ込んだ液体窒素は肺や胃の中でも気化し、臓器を凍らせると同時に膨張して破壊する。
また、膨張した窒素は肺の中を満たし、酸素欠乏症をも引き起こした。
体の内側から冷気と膨張による攻撃、そして何より呼吸を阻害されては、いくら強靭な生命力を誇る炎亜竜と言えども無事では済まない。
レイジとマーオが全ての冷却弾を撃ち終えた時、岩ばかりが目立つ山岳地帯の大地に半ば氷付けとなった炎亜竜の死体が一つ、力なく横たわっていた。




