炎亜竜──ファイアー・ドレイク──
人の背丈もある岩がごろごろと転がる山岳地帯。
岩以外には低木や雑草がまばらに生えているだけであり、四方のどちらを向いても赤茶けた色彩しか目に入らない。
だが、そんな場所にも生物は棲息している。
岩場を好む山羊にように、この惑星にもここを生活圏と定めた生物は少なくない。
岩の陰を覗き込めば、トカゲのような生き物が顔を覘かせている。低木や雑草の根元には、小さな昆虫のような生き物もいる。地面を掘り起こせば、地虫やモグラのような生物だって棲息している。
そして、この山岳の主ともいうべき、大型の爬虫類らしき生物も。
「……あれが炎亜竜か……」
デジタル補正機能のついた高倍率双眼鏡を覗き込みながら、レイジは今回の標的である炎亜竜をじっくりと観察する。
「竜」という言葉から、伝統的な「ドラゴン」の姿を想像していたレイジだったが、実際に目にする炎亜竜の姿はドラゴンというよりは恐竜に近い。それも、恐竜の中でも最も有名なティラノサウルスによく似ていた。
発達した後肢で身体を支える巨大な爬虫類。大きな後肢とその体に比べ、前肢は異様なまでに小さい。しかし、左右それぞれに四本ある指の爪──実際のティラノサウルスの前肢の指は二本だったと言われている──は、人間程度なら容易に引き裂けそうだ。
ティラノサウルス同様、その頭部は大きい。そして、その頭部に相応しい巨大な口にずらりと並んだ牙の列。それを見ただけで、普通の人間ならさっさと逃げ出すことだろう。
体長は頭の先から尻尾の先まで大体十メートルと言ったところか。体高ならば約三メートル。
ティラノサウルスには羽毛が生えていたという説もあるが、目の前の炎亜竜は全身を頑丈そうな真紅の鱗で覆われている。その鱗に覆われた巨体を地面とほぼ水平にして歩く姿は、ティラノサウルス同様まさに「暴君」というイメージこそ相応しい。
全身を真紅の皮膚と鱗に覆われた、山岳地帯に君臨する王者。それが炎亜竜であった。
「……あれが炎亜竜ですかい……」
レイジ同様、高倍率双眼鏡を覗き込みながら、マーオが唾を飲み込みながら呟いた。
今、レイジの傍らにいるのは彼だけだ。戦闘能力がほとんどないサイファとアーベルは、この山岳地帯の麓に停めたレイジの四輪車にて待機している。
麓に停めた四輪車に何らかの脅威が迫らないとも限らないため、ラカームはいつもの狼形態でサイファとアーベルの護衛に残っている。
しかし、ラカームが最も警戒しているのは実はアーベルだったりする。
既にレイジの熱心な信奉者とも言えるアーベルが、レイジの所有物であり、財産でもある奴隷──と彼は思っている──のサイファに良からぬことをするとは思えないが、それでもアーベルをどこか胡散臭く思っているラカームは、常にサイファの傍に控えてアーベルの行動に目を光らせていた。
そのため、炎亜竜と直接対決するのはレイジとマーオの二人のみ。とはいえ、チャイカの立体映像はいつものようにレイジの隣に浮かんでいるが。
「マーオも炎亜竜を見たことはないのか?」
「ええ。魔族領には亜竜自体が少ないですからね。いるとしてももっと小型の奴ばかりでさぁ。しかし、こいつは凄いですね。あんなに遠くのものがこれだけはっきりと見えるなんて。こいつも神器の一種なんでしょうな」
レイジの持つ装備は、その全てがこの惑星の文化レベルを超越したものばかりである。今マーオが持っている高倍率双眼鏡一つ取っても、軍を率いる立場の者ならばその途方もない価値に容易に気づくだろう。マーオたちからすればこの双眼鏡は、まさに神の技術を以てして作られるという伝説の宝物である神器に他ならない。
しかしレイジにしてみれば、神器どころかありふれた物ばかりだ。マーオがしきりに双眼鏡に感心する横で、彼は苦笑しながら肩を竦めた。
「さて、目標も視認しましたし、威力偵察といきましょうー」
レイジの傍らに浮かぶチャイカが、無駄に元気に拳を振り上げた。
「ささ、マーオさん。お願いしますねー」
「合点ですぜ、姐御」
マーオは威勢よく返事をすると、両手で複雑な印を結びながら呪文を詠唱する。そしてその詠唱が完成すると同時に、彼の足元に存在する影が一気に広くなる。
ぼこり、とマーオの影の表面が波打つ。そして、さざ波立つ漆黒の水面から白い何かが突き出てきた。
それは人間のものと覚しき腕だった。皮膚と肉が全てこそげ落ちた、骨だけの腕。見た目は人間の腕っぽいが、もしかすると魔族の腕かもしれない。
何とも不思議で不気味なその光景を、レイジは眉を寄せながらじっと見つめる。
黒い海から突き出た腕は更に露出する。最初は手首だけだったのが肘までとなり、肩までとなり、そして虚ろな眼窩を持った頭蓋骨までが黒い水面から現れた。
やがて、胴体、腰、足とソレは姿を現し、遂には全身を露にした。
人間一人分の動く骨格標本。しかし、その骨格標本は手に剣呑な大剣をひっさげている。
「おお、アンデッドモンスター! いよいよ、ファンタジー世界っぽくなってきましたねー」
マーオの影から現れた動く骨格標本を見て、チャイカが歓声を上げる。そんなチャイカにレイジが内心で溜め息を吐いている内に更に二体、同じような動く骨格標本がマーオの影の中から現れた。
「こいつは俺様が闇系統の魔術で作り出したスケルトンソルジャーです」
自慢気に胸を張りながら、マーオが骨格標本──スケルトンソルジャーについて解説する。
それによれば、このスケルトンソルジャーは人間の一般的な兵士よりはるかに強く、王国に仕える騎士と互角ぐらいだとか。
そのスケルトンソルジャーを三体、炎亜竜にぶつけることでその強さを推し計ろうというのがチャイカの目論見だ。
「よし、じゃあ行きますぜ!」
創造主であるマーオの命令の元、三体のスケルトンソルジャーがかちゃかちゃと全身の骨を鳴らしながら、炎亜竜に向けて歩き出した。
炎亜竜は今、食事の真っ最中だった。
この岩場に棲息するカモシカのような動物の頭を一撃で噛み砕いて絶命させる。そして、残りの肉と臓物をゆっくりと味わっているところだったのだ。
そこへ、奇妙な来客が現れた。
全身骨だけの奇妙な姿。しかし、その手には大きな鉄の塊が握られている。
その鉄の臭いが、炎亜竜に警戒心を呼び起こさせた。
これまで、小さな生き物たちが同じような鉄の臭いをさせて、炎亜竜に挑んできたことが何度もあった。
そして炎亜竜は、その尽くを自らの腹に収めてきた。
その味を思い出した炎亜竜は、獲物が増えたことに一瞬喜びを感じる。しかし、見るからに食べるところのなさそうな来客の姿に、すぐに興味を失った。
迫る三体の来客から視線を逸らせ、炎亜竜は食事を続けた。がつがつと獲物の肉を味わっていると、がつんと脚に衝撃を感じる。
何事かと思って視線を巡らせてみれば、先程の骨ばかりの来客が手にした鉄の塊を自らの脚にぶつけているではないか。
鬱陶しい。そう思った炎亜竜は、不機嫌そうに硫黄の臭いのする息を吐き出すと、ぶんと長い尻尾を一閃させた。
今まさに振り上げた大剣を炎亜竜の脚に叩きつけようとしていた骸骨兵の一体が、その尻尾を避けきれずに正面にその一撃を受けて吹き飛ばされる。
激しい勢いで地面を転がる骸骨兵。続けて数回地面でバウンドし、最後は大きな岩に叩きつけられてそのままバラバラに砕け散る。
しかし、尻尾の一撃を回避した二体は健在。一体は続けて脚に向かって大剣を水平に振り回し、もう一体は頭部目がけて移動しつつ上段から大剣を振り下ろす。
脚に向けて繰り出される大剣。遠心力を乗せた一撃が、炎亜竜の脚に綺麗にヒットする。
しかし頑強な鱗と強靭な脚の筋肉が、その一撃を受け止める。鱗の表面に僅かに傷が走るものの、炎亜竜の脚から血が滲むことはない。
一方、頭部目がけて振り下ろされた大剣は、今一歩の所で躱されてしまった。
空振りした大剣が大地を削り、周囲に土や石を撒き散らす。
骸骨兵が再び剣を振り上げようとした時、眼球なき骸骨兵の視界が闇に閉ざされた。
同時に、ごりっという何かが砕ける音が鼓膜なき耳の奥に響く。
その音の正体は、骸骨兵の首の骨が砕けた音。大剣の攻撃を頭を振って躱した炎亜竜が、その大きな口で骸骨兵の頭部に噛みつき、そのまま食いちぎったのだ。
食いちぎった頭蓋骨を、鋭い牙があっと言う間に粉々に砕いていく。
しかし、魔術によって仮初めの命を与えられている骸骨兵は、頭部を失ったぐらいでは倒れない。そもそも、周囲の様子を感知するのも魔術による擬似的な感覚なので、頭蓋骨がなくてもそれなりに感知できるのだ。
振り上げた大剣を、頭部を失った骸骨兵が振り下ろす。しかし、炎亜竜の頑丈な鱗が、その一撃を跳ね返す。
振り下ろした剣を跳ね返され、骸骨兵は思わず万歳の形となる。その隙を見逃さず、炎亜竜は再びそのアギトを大きく開き、がぶりと骸骨兵に噛みついた。
今度は一気に腰近くまでを食いちぎられ、骸骨兵はその場で膝を着く。
さすがにここまで身体を失うと、仮初めの命も維持することはできない。膝から崩れた骸骨兵は、その場で単なる骨の集合体となり、その骨もさらさらと風に吹かれてどこへともなく飛び散っていった。
食いちぎった骸骨兵の上半身を嚥下し、炎亜竜は最後の骸骨兵へとその縦長の瞳孔を持つ双眸を向けた。
最後の骸骨兵は大剣を構え、炎亜竜と対峙している。
その骸骨兵に向けて、炎亜竜はその大きな口を最大まで広げた。
喉の奥に小さな光が瞬き、小さな光は一瞬で炎の奔流へと変化した。
炎亜竜の喉奥から迸り出た真紅の炎は、あっと言う間に骸骨兵を飲み込む。時間にして僅か数秒。炎を吐き終えた炎亜竜がそのアギトを再び閉じた時、そこに残るは小さな消し炭の塊だけだった。
「……スケルトンソルジャー三体を瞬殺か……」
双眼鏡で炎亜竜とスケルトンソルジャーの戦いを見ていたマーオは、怖れるやら呆れるやら複雑な表情を浮かべていた。
「巨体の割にかなり動きが早い。こいつは当初の予定通りの作戦でいくべきだな」
「レイジ様のおっしゃる通りですねー。ではマーオさん、準備の方をよろしくお願いします。通信装置の使い方は大丈夫ですよね?」
「ばっちり覚えていますよ、姐御。アニキも気をつけてくださいや」
耳を覆うように装着した通信装置を指先でこんこんと突きながら、マーオはレイジから預かった荷物を背負い、予め打ち合わせしていた作戦を実行すべく足早に立ち去る。
その場に残されたレイジは、足元に置いておいたヘルムを拾い上げると、それを頭部に装着した。
今、彼は全身を濃灰色の特殊な鎧で覆っている。
鎧と言っても騎士や兵士が着るようなものではなく、特殊繊維と強化素材で作り上げられた強化外骨格とでも言うべきものだ。
軽量ながらも防御力は高く、耐熱帯電耐寒耐弾に加えて防塵防ガス、そして放射能も防ぐことができる総合防具である。
加えて、防具内に内臓された高出力人工筋肉と高性能人工神経が、レイジの筋力と反射能力を向上させる。
ヘルムのバイザーには各種の情報が表示され、暗視能力も付加されており、暗闇でも問題なく行動可能。
しかし、高出力高性能な人工筋肉と人工神経だが、これらは特殊な薬液の科学反応を用いて稼働させているため、薬液の反応は使えば使うほど劣化していく。つまり、驚異的な運動能力は時間の経過と共に落ちていくわけだ。
その全力稼働時間はおよそ三時間。高性能な防御能力を持つ反面、どうしても短期決戦を強いられるという欠点も併せ持っていた。
しかし、その耐熱能力は極めて高い。炎亜竜の炎を受けても、即時に燃え上がるようなことはないだろう。
レイジがヘルムを完全に装着させると、ヘルムのバイザーに各種の情報が表示される。強化外骨格マルチ・パワード・プロテクター──通称MPP──が正常に起動したのだ。
レイジはMPPの起動を確認し、各種の付加機能も正常に働いていることを確かめる。
「よし……行くか」
レイジは傍らの岩に立てかけておいた巨大なライフルを手にすると、MPPの僅かな駆動音と共に炎亜竜に向かって移動を開始した。
現在、仕事の方が年度末の繁忙期に突入しており、更新が遅れ気味になっています。
予告なく更新が遅れる場合もあるかと思いますが、これからもよろしくお願いしmす。




