通行手形
「精霊の姐御。アニキは本当にあのアーベルって神官、同行させるつもりなんですかね? どうも俺様にはあの神官は胡散臭く感じられて仕方ないんですが……」
「いいんじゃないですかー? あの人が一緒だと、旅が楽になるのは間違いありませんし」
「旅が楽に……?」
四輪車に牽引されたキャンピングユニットの中で、チャイカとマーオが言葉を交わす。
「そりゃ、どういう意味で?」
「あのアーベルさんが所属するレシジエル教団は、人間領では大きな勢力を持っています。そのレシジエル教団の重鎮であるアーベルさんが同行すれば、大抵の場所は問題なくは入れるってものじゃないですか」
「あ、なーるほど。つまり、あの野郎は『通行手形』ってわけですかい」
四輪車を始め、レイジの風体は客観的に見ると怪しい以外の何者でもない。魔族領では現魔王であるレイジと元魔王であるマーオが、その行く手を阻まれることはまずない。
しかし、人間領ではそうはいかない。風体の怪しいレイジ一行は、行く先々で様々な問題を起こしかねない。時には町や村に入ることを拒否される場合もあるだろう。
そこでチャイカは、アーベルを同行させるようにレイジに進言したのだ。
レシジエル教団の重鎮という肩書は、下手な貴族よりも上だ。そんなアーベルの同行者となれば、これから赴くことになる町や村に問題なく入ることができる。
それがチャイカがアーベルを同行させた本当の狙いであった。
後ろのキャンピングユニットの中でそんな会話がされていることに気づくことなく、当のアーベルは凄く興奮していた。
「お、おお……これが神獣……な、なんて速さだ……」
流れるように後ろへと過ぎ去っていく風景を熱心に見つめながら、アーベルはその双眸を輝かせる。
「乗り心地も馬車とは比べ物になりません……さすがは勇者様の乗り物ですね!」
道案内として助手席に座っているアーベルは、そのシートの座り心地に感心する。
これだけの速度で走っているというのに、殆ど震動が伝わってこないのだ。
これがいつも彼が乗っている馬車ならば、地面の凹凸を忠実に彼の尻へと伝えている。しかし、微弱な震動こそ伝わってくるものの、いつもの馬車のような大きな揺れや跳ねなどは全くない。
興奮冷め遣らぬといった調子のアーベルは、まるで子供のようにはしゃぎながら、窓の外をじっと眺めていた。
対して、レイジは四輪車のハンドルを握りながら、そんなアーベルに苦笑を浮かべる。
「こいつは神獣でもなんでもないけど……どうせ言っても判ってもらえなさそうだなぁ」
どこか遠い目をしながら、レイジは前方を見つめる。
「ところで、アーベルさん。この道の先には何かあるかい?」
「は、はい、ランド様。この道の先にはゲンガルという街があります。二つの街道が交わる交通の要所で、かなり大きな街ですね」
「ゲンガルか……サイファはその街に関して何か知っている?」
「い、いえ……私は生まれ故郷の村から出たことはありませんから……」
四輪車を運転するレイジの後ろ。後部座席にいたサイファが、緊張したまま返事をする。
そのサイファの横には、いつものように狼形態のラカームが丸くなっている。ラカームはレイジの声に耳だけをぴくりと動かすが、自分に関係ないことだと判るとそのまま居眠りを続けた。
「人間たちの大きな街か……俺も初めてだから、どんな所かちょっと楽しみだな」
ゲンガルの街。
アンバッス公国からキンブリー帝国、そしてグリンガム王国へと続く街道が交わる地点に存在する街であり、常に多くの旅人で賑わう街である。
その街の性質上、街の出入りにそれほど厳しい制限はない。旅人が落とす金が主な収入源のため、街の出入りを制限して旅人の数を減らすわけにはいかない。
それでも、街の主要な門には兵士が詰めている。全くの無警戒でいると、山賊や野盗などの無法者まで自由に出入りしてしまうためだ。
しかし、門に詰める兵士たちの間を流れる空気は、やはりどこか緩んでいた。
山賊や野盗など、それほど頻繁に街に近づくものでもない。この街の門で問題が起きたことなど、ここ数年皆無と言ってもいい。
そんなどこか弛緩した空気を孕みながら、数人の兵士たちが門の脇に建てられている詰所でのんびりとしていた。
門の見張り当番の交替時間は、まだまだ先だ。すっかりだらけ切った兵士たちは、詰所の中でちょっとした博打などに興じながら、緩やかに流れる時間の中にいた。
だが。
「お、おい、ちょっと来てくれっ!!」
詰所の外から、同僚の緊張した声が響く。
「な、何だぁ、一体……」
「何か問題でも起きたのか……ったく、面倒くせぇ……」
「どうせ、旅人同士が喧嘩でもしたんだろうぜ」
兵士たちは全身にだらけた雰囲気をまとわりつかせたまま、のっそりと詰所から外へと出る。
しかし、彼らの纏ったゆるやかな雰囲気は、一瞬で消し飛んだ。
なぜなら、ゲンガルの街の南に位置する門の前に、見たこともないモノがいたからだ。
「な、なんだ……こ、こいつは……?」
「ま、魔獣……なのか……?」
詰所から出てきた兵士たちは、目を見開いてソレを見る。
いや、ソレを呆然と眺めているのは兵士たちだけじゃない。ゲンガルの街を訪れた旅人も、これから街を発とうとしていた者たちも、揃ってぽかんとした表情でソレを見つめていた。
「こ、この得体の知れない怪物が……南の方から凄い速度でやって来たんだ……」
見張り当番だった兵士が、その時のことを同僚に説明する。
「う、動くのか……コレ……?」
「よ、よく耳を澄ませてみれば……低い唸り声のようなものが聞こえないか……?」
「じゃ、じゃあ、やっぱりコレは生き物……ま、魔獣なのか……?」
目の前のソレが魔獣かもしれないと思いつつも、兵士たちは腰の剣を抜こうとはしない。
いや、怖くて抜けないのだ。もしも剣を抜いた瞬間にこの得体の知れない怪物が襲いかかってきたら。そう考えると、兵士たちは剣を抜きたくても抜けなかった。
兵士や旅人、そして噂を聞きつけて門へとやって来た街の住民が遠巻きに謎の怪物を見つめる中、ばくんという音と共に怪物の横腹が突然開き、そこから法衣姿の人物が姿を見せた。
「か、怪物の中から人が……?」
「し、しかもあの法衣は……レシジエル教の高位の司祭様のものじゃないか……?」
「い、一体どういうことだ……?」
ざわざわとざわめく群衆を前に、法衣姿の男性──アーベルはよく通る声で告げる。
「皆さん、何も怖れる必要はありません。私はアーベル。レシジエル教団の枢機議会に名を連ねる者です」
「れ、レシジエル教の枢機議会……っ!?」
先程以上に群衆が騒ぎ出す。それほど、レシジエル教団の枢機議会はこの国の人々にとって大きな意味を持っているのだ。
「し、司祭様……司祭様の背後のその怪物は一体……?」
兵士の一人──この場の責任者──が、アーベルの前に進み出て恐る恐る尋ねる。
彼の視線は、背後の怪物とアーベルの間を何度も行き来していた。
「先程も言いましたが、怖れる必要はありません。これは怪物ではなく神獣……神々が我ら人間のために遣わされた勇者様が座す乗り物です」
目の前の兵士だけではなく群衆全てに聞かせるように、アーベルは高らかに宣言した。
「今、この神獣には勇者様……勇者ランド様が乗っておいでです。大至急、この街の責任者に連絡を取ってください。勇者ランド様が、このゲンガルの街にご到着なされた、と」
笑顔でいながら反論を許さない雰囲気を滲ませたアーベルが、目の前の兵士に命じる。
命じられた兵士は、混乱しつつもアーベルの言葉を忠実に実行する。すなわち、この街の責任者──この辺り一帯を支配する領主──へと、アーベルの言葉を伝えるために。
慌てて走り出した兵士の背中を見送ったアーベルは、群衆たちに優雅な一礼を残すと再び怪物──いや、神獣の中へとその姿を消したのだった。
「やりすぎじゃないのか、アーベルさん?」
「何をおっしゃいますか、ランド様。神の御子たる勇者様の存在は、この国の隅々にまで知らしめねばなりません。それがレシジエル神とその従属神に仕える、我らレシジエル教団の信者の使命です」
これはまだまだその第一歩に過ぎません、と続けたアーベルに、レイジは深々と溜め息を吐く。
「……チャイカが言ったように、確かにどんな街や村でもフリーパスで入れるのはありがたいけど……こんな大仰なことをするとは思っていなかったよ。しかも、これから先も同じことをしそうだし……」
四輪車のハンドルに凭れかかりながら、レイジは再び溜め息を吐く。
チャイカがレイジに提言したのは、アーベルが一緒ならば面倒な手続きを省略して街や村に入ることができるだろう、というものだった。
確かに小さな村ならともかく、大きめの街ならばこのゲンガルのように門を守る兵士ぐらいいるだろう。
そしてレイジたちは少なくない確立で、そんな兵士たちとトラブル起こすだろう。それぐらいのことはレイジにも容易に予測できた。
そのため、レイジはチャイカの提言を受け入れて、アーベルを道先案内人として同行させたのだ。
だが考えてみれば、アーベルが先程のような行動に出ることぐらい、これまた容易に想像できるというものだろう。
そこまで考えが至らなかったレイジの落ち度と言えば落ち度だが、何となく納得できないレイジだった。
だらしなくハンドルに顎を乗せ、ぼんやりとフロントガラスの向こうを眺めるレイジ。
レイジたちの四輪車の外側には、いまだに大勢の人々が集まっている。決して一定以上に近づいてはこないが、人々は好奇心と恐怖が入り交じった表情を浮かべて、じっと四輪車を眺めたり、手近な者とひそひそと言葉を交わしている。
そんな人混みを掻き分けるように、数騎の騎馬が姿を見せる。
「へえ……あれが騎士って奴かな? 思ったよりも格好いいな」
当然、レイジは本物の騎士を見るのは初めてだ。魔族領でも騎兵は存在したが、魔族は馬ではなく大きな蜥蜴や駝鳥のような鳥など様々な騎獣に騎乗していたため、「騎士」という印象が薄かったのだ。
「あの騎兵が持っている旗に描かれた紋章は……」
好奇に満ちた視線で騎士を見つめるレイジの横で、アーベルは騎士の一人が持つ旗を注視していた。
その旗には紋章が描かれている。おそらく、この地域を治める領主の紋章だろう。
「……あの紋章は確か、クローリア男爵家のもの。この辺りはクローリア男爵の所領でしたか」
アーベルもレシジエル教団の枢機議会に名を連ねる者の一人だが、さすがに貴族の領地を全て把握しているわけではない。
主だった高位の貴族ならば問題なく記憶しているが、男爵のような下位の貴族ともなると、誰がどこを治めているかまで覚えきれないのだ。
そもそも、そのようなことは側近が覚えていればいい。各貴族でも紋章官を抱えているように、細事は部下に任せるのが上に立つ者の常識なのであった。
「ふぅん。男爵とか子爵とか俺にはよく判らないから、対応はアーベルさんに任せるよ」
「御意にございます、ランド様」
レイジの言葉ににこりと微笑んだアーベルは、迎えにきたと覚しき騎士と対応するために再び四輪車の外へと出る。
フロントガラス越しにアーベルの背中を眺めていると、騎士も下馬してアーベルと何やら対応し始めた。
外の音を拾おうと思えば容易いが、ここはもうアーベルに全て任せることにしたレイジは、その光景をぼんやりと眺める。
やがて話が纏まったのか、アーベルが四輪車へと再び振り返る。
その整った容貌に、実に満足そうな笑みを浮かべながら。




