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アーベルとの対談


(まこと)に……真に申しわけありませんっ!!」

 額を地面に擦り付けんばかりに頭を下げるアーベルを前にして、レイジは困った顔で後頭部を掻いた。

「いや、そんなに恐縮しなくても……単なる間違いだろ? 気にしなくてもいいさ」

「真でございますか? 勇者様の慈悲の御心、このアーベル、心より感謝致します」

 アーベルは見る者全てが思わず魅入ってしまうような、とても蠱惑的な笑みを浮かべる。

 しかし、この場にその笑顔に魅了される者はいない。

 いるとすれば彼の背後に控えた彼の側近の女性たちぐらいだが、生憎と彼女たちはアーベルの背後にいたため、その魅惑的な笑みを見ることは適わなかった。

「そんなところで這い蹲っていると辛くないか? 立ち上がってもいいんだぞ?」

「では、勇者様のお言葉に甘えさせていただきます」

 アーベルは法衣に着いた土埃を払いながら立ち上がると、改めて深々と頭を下げた。

「改めまして、キンブリー帝国の帝都より勇者様をお迎えにあがりました、アーベルです。お見知りおきを」

「アーベルさんか。確か、帝都ってここからかなり遠いんだろ? そんな遠くからどうしてわざわざ俺を迎えに?」

「我らがレシジエル教の最高指導者であらせられます、アミリシア大司教様より勇者様をお出迎えするよう派遣されましてございます。して、勇者様はこのまま帝都へと向かわれますのでしょうか?」

「そうだなぁ。どうしようか、チャイカ」

「レイジ様のお好きなようにどうぞー」

 何もない虚空に向かってレイジが尋ねれば、そこに半透明の美しい女性の姿が浮かび上がる。

 それを見て、アーベルや彼の側近が驚愕の表情を浮かべ、そして要塞の城壁からレイジたちの様子を窺っていた兵士たちからも、ざわざわとしたどよめきが湧き上がる。

「せ、精霊の乙女様……な、なんと神秘的でお美しい姿か……」

 恍惚とした表情を浮かべて、アーベルが呟く。彼の側近や城塞の兵士の中には、チャイカの姿を見て思わず跪き、祈りの言葉を口にする者もいた。

「あー……とりあえず、ここじゃ落ち着いて話もできないな。中で話さないか?」

 レイジは背後の四輪車(ヴィーグル)を指差しながら、アーベルにそう提案した。




 レイジに促され、四輪車の中に足を踏み言えたアーベル。

 最初こそ「ま、魔獣の体の中に入るのですか……?」とおっかなびっくりだったが、四輪車の内部を一目見た途端、その双眸を好奇心で輝かせた。

「こ、これは……まさか魔獣の体内に、これほど立派な部屋が存在しようとは……」

 人数の関係から、四輪車の中に入ったのはアーベル一人だけだ。

 アーベルの側近の中には四輪車の中に入ることに断固反対する者もいたが、勇者であるレイジの提案に逆らうことなど許されるわけがなく、アーベルはおっかなびっくり四輪車の中に入ったのだが、恐怖はすぐに好奇心に変化したようだった。

「入り口に突っ立っていないで、座ったらどうだい?」

 レイジにソファに腰を下ろすように勧められ、アーベルは素直にそれに従う。

 そして、そのソファの座り心地に再度驚き、アーベルはソファに下ろした尻を思わず浮き上がらせる。

「な、何という柔らかな座り心地……い、一体どのような素材を用いればこのような感触が……?」

 アーベルは目を見開き、何度もレイジとソファを見比べる。

「ん? ごく普通の低反発素材だけど?」

 何でもない風でそう言われ、アーベルは再び固まる。

「て、テイハンパツソザイ……? 聞いたこともありませんが……それはもしや、神々の座にのみ存在するものでしょうか……?」

「だから、そんな特別なものじゃないって」

 ひらひらと手を振りながら、苦笑を浮かべるレイジ。その背後には、護衛よろしくマーオが立つ。

 頭上より眼光鋭くマーオが睨みを利かせるが、アーベルは気にした風もなくレイジへと意識を向けた。

 どうやら、マーオを奴隷だと認識したアーベルは、彼はそこに「存在しない」ものとして扱うつもりなのだろう。

 これは別にアーベルに限られた話ではない。身分のある者にとって、奴隷や使用人などは例え傍に控えていても「いないもの」として扱うからだ。

 尻の下の不可思議な柔らかさに戸惑いつつ、アーベルは真剣な視線をレイジへと向ける。

「して、勇者様。勇者様にはこのまま、帝都へと赴いていただけると助かるのですが……」

「帝都か……まあ、いずれは行くつもりだよ」

 アーベルの顔を見返しつつ、レイジはそう答える。

 しかし、レイジの意識がアーベルに向けられているのは半分だけ。残る半分は、視界の中に浮かぶ、彼だけにしか見えない地図を眺めていた。

 その地図には、今レイジたちがいる地点から帝都までの行程が記されている。

「……ふぅん。ここから帝都まで行く間に、いつもの町や村があるな」

「は、はい、確かに存在したしますが……」

 それが何か? と言いたげな表情を浮かべるアーベル。

「どうせだから、その町や村を見物しながら行こうと思っているんだけど……」

「見物……で、ございますか? 別段、勇者様がご覧になるような物は何もないかと思いますが……」

「いいんだよ。俺が見てみたいんだ」

「はぁ……左様でございますか……」

 勇者であるレイジがそう言う以上、アーベルにはそれを止めさせることはできない。

 彼としては一日でも早く帝都へと勇者を招きたいところだが、肝腎の勇者にその気がないのでは仕方がない。

 まさか、勇者を無理矢理馬車に押し込んで、帝都まで連れていくわけにもいかないし。




「では、道中のご案内はこの私にお任せ願えませんでしょうか?」

「そうだなぁ……まあ、いいんじゃないか? 途中の町や村に詳しい人がいると、助かるのは事実だしな」

 勇者から同行の許可を得られたことで、アーベルは内心で安堵の息を吐く。

 もしも勇者が一人で行くとか言い出したら、その時は大変なことになっていただろう。

 勇者が乗るこの謎の魔獣は馬車よりも遥かに速く、その速度についていくことは不可能だ。となると、「勇者を帝都に案内する」という彼の使命が果たせなくなってしまうのだから。

「ところで勇者様……少々お尋ねしたいことがあるのですが、構いませんか?」

 改めて姿勢を正し、アーベルが切り出した。

「アミリシア大司教様より、勇者様は既に魔族領を平定されたとお聞きましたが、それは真でございますか?」

 勇者による魔族領の平定。それが本当ならば、長きに渡って続いてきた人間と魔族の戦争は、人間の勝利という形で終わることになる。

 もしそれが事実ならば、人間たちは様々な利を受け取ることになるだろう。

 魔族領にのみ棲息する動植物や魔獣、鉱物は重要な資源だし、魔族を人間の管理下に置くことで彼らの優れた技術を吸収することもできる。

 広大な魔族領がそのまま人間の支配下に組み込まれれば、人間は今より飛躍的に繁栄するだろう。

 様々な国や組織が、魔族領を虎視眈々と狙って動き出すに違いない。

 アーベルが所属するキンブリー帝国……いや、レシジエル教団もまた、様々な利益を求めて活動していくことになる。

 その事実確認を、アーベルはしたかった。そして彼の質問には、至ってシンプルな返答がなされる。

「応ともよ。今の魔族領はアニキ……じゃなかった、ご主人様が支配されている。つまり、俺様たちのご主人様こそが、今代の魔王ってわけよ!」

 レイジの背後に立っていたマーオが、これ以上はないというドヤ顔で宣言した。

「…………は?」

 マーオの言葉に、アーベルは思わず間抜けな表情を晒す。

 今、この男は何と言った? 魔族領は勇者様が支配している? 勇者様が今の魔王? 勇者様は我ら人間のために魔族領を攻め落としたんじゃないのか?

 様々な疑問がアーベルの脳内を高速で駆け回る。

 勇者様が魔族領を平定したのは間違いないようだ。しかし、勇者様がそのまま魔族領を支配しているとはどういうことだ?

 誰かが他人の領地を攻め落とし、その地を我が物とする。それは、この世界においては当たり前のことだ。

 それを考えると、レイジが魔族領を平定したならば、魔族領がレイジのものになるのは自然なことである。しかし、「勇者は人間を救うために魔族領を攻め落とした」とばかり思っていたアーベルは、そんな当然のことに思いが至らなかったのだ。




「はぁ……半分ぐらいは成り行きだったけど、今の魔族領を治めているのが俺なのは間違いないんだよなぁ……」

 溜め息を吐きながら、レイジが零す。

「とりあえず、人間と魔族の戦争は終わらせる方向で考えている。これから人間の代表……各国の王様たちと様々な交渉をして、停戦と停戦後の条件を決めていくつもりだよ。しかし……魔族領を一方的に人間が支配することは許さない。これでも今の俺は魔族の代表……『魔王』らしいからな」

 苦笑を浮かべながらも、レイジはきっぱりと言い切る。

 本来ならば、放浪者(エグザイル)を貫くつもりだったレイジ。しかし、望まぬとはいえ「魔王」となってしまった以上、その責務は果たすつもりでいる。

「ゆ、勇者様は……我々人間のために地上にご降臨されたのではないのですか……?」

「そんなつもりはないよ……ってか、そもそも俺は勇者じゃないっての」

「勇者様では……ない? な、ならばあなた様は一体……」

 聖典の預言に記された通りの姿を持つレイジ。金色に輝く髪を持つ人間など、この世界には存在しない。しかも、先程姿を見せた精霊の乙女の神秘的な美しさはどうだ。アーベルがちらりとレイジの腰に目をやれば、そこには筒状のものがある。グルーガ司祭──神官籍は剥奪されたので元司祭だが──の報告によれば、あの筒こそが神が鍛えし「光の剣」に違いない。

「勇者なんてものは、あんたたちが勝手に勘違いしているだけさ。俺は単なる旅行者……っと、今は魔王でもあるっけか」

 再び苦笑を浮かべるレイジ。そのレイジをぽかんとした表情で見つめるアーベル。

 そのアーベルの嗅覚に、ふと嗅ぎなれない匂いが触れた。

「……こ、この匂いは……?」

「ああ、コーヒーの匂いだよ。さっきから準備させていたんだけど、ようやく準備できたみたいだ」

 レイジの言葉が終わると同時に、キャンピングユニットのリビング代わりの空間とキッチンユニットを仕切っていたカーテンが開き、そこからサイファがコーヒーを持って姿を現した。

 もちろん、彼女の首にもダミーの奴隷の首輪が装着されている。

「お待たせしました。どうぞ、お客様」

 サイファはまず、アーベルの前にコーヒーを置く。そして、続いてレイジの前にも。

 アーベルは目の前に置かれたコーヒーを見て、思わずその整った顔を顰める。

「な、何ですかこれは……? このような真っ黒な液体……ま、まさか、これを飲めとおっしゃるのでは……」

「ああ、その通りだよ。旨いぜ?」

 レイジはサイファの淹れてくれたコーヒーに早速口をつける。

 レイジ自身が目の前で飲んで見せた以上、アーベルにこれを拒否する選択はできない。

 おっかなびっくり、アーベルもレイジに倣ってそっとコーヒーを口にする。

「…………こ、これは……驚きました……」

 コーヒー独特の苦みと旨みが口の中に広がり、アーベルは驚愕の表情を浮かべる。

「慣れないうちや苦いと思ったら、砂糖やミルクをいれるといいぞ? 俺は断然、コーヒーはブラック派だけどな」

 レイジはアーベルの前にガラス製のシュガーポッドと、ポーションタイプのミルクを置いた。

「さ、砂糖ですと……? こ、この純白の粉全てが……?」

 アーベルの目が見開かれ、じっとシュガーポッドへと注がれる。

 キンブリー帝国に於て、砂糖は超高級品なのだ。しかも、精製技術がそれほど高くないことと原料の特性から、その見た目の色は濁った茶色になってしまう。

 レイジが今見せたような、真っ白な砂糖は存在しないのだ。

 しかも、その純白の砂糖が入れられた水晶製と覚しき器の美しさは、もはや芸術品と言ってもいい──いや、芸術品そのもの。

 ガラスもまた、キンブリー帝国には存在していない。そのため、アーベルはシュガーポッドを水晶から切り出された品だと勘違いをした。

 当然ながら水晶から切り出した器は、透明感も今一つで厚みも不均一で全体分厚く、どうしてもどこか野暮ったくなる。

 ガラス製の薄く均一な厚みを持ったシュガーポッドは、アーベルの目からすればまさに工芸を司る神がその手で生み出した逸品に他ならない。

「見たこともない飲み物や、純白に清められた大量の砂糖……そして、神が生み出された芸術品……やはりこの方は……」

 例え彼自身が勇者ではないと言っても、アーベルにはレイジが神の御子である勇者としか思えなかった。


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