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境界線の町



 広大な草原を切り取るように、その壁は存在した。

 長く、高く築き上げられた壁。所々に物見用と思われる塔もあり、まさに要塞と呼ぶに相応しい。

 文字通り、ここは要塞なのだ。

 魔族との長きに渡る戦いを支える、人間たちの要塞。

 ここには数多くの兵士たちが常に詰めている。更には、要塞から少し離れた場所には小さな町も存在する。

 要塞に詰める兵士たちの武具を整える鍛冶屋、兵士相手に食事や酒を振る舞う酒場、そして、兵士が束の間の憩いを求める娼館。他にも日々に必要な日用品を売る店など、要塞に詰める兵士たちを相手に商売する商人たちが集まってできた町であった。

 その名を、「境界線の町ゾイラス」。そのゾイラスに、場違いな一団が数日前から滞在していた。




 ゾイラスで最も値の張る宿屋。場違いな一行はその宿屋を丸ごと借り切っていた。

 宿屋の裏手には数台の馬車。その全てにレシジエル教の聖印が描かれていることから、この一行がレシジエル教の信徒たちと判る。

 それも、相当立場の高い者なのだろう。この宿屋を数日丸ごと借り切るだけで、一体どれだけの金が動くのか。

 宿屋の最もいい部屋の中で、その一団の主と覚しき人物が側近らしき女性から報告を受けていた。

 すらりとした長身を煌びやかな法衣に包み込んだ、三十前後の男性である。

 その容姿は極めて整っており、見る者──特に若い女性──に恍惚とした溜め息を吐かせるほどだ。

「…………まだ勇者様は現れない、か」

「はい。境界線の要塞に詰める兵士たちに聞き込みを行いましたが、魔族領側からやってくる者はここしばらく皆無のようです」

「これまで頻繁にあった小競り合いさえないということは……本当に勇者様が魔族領を平定したからなのか、それとも他に理由があるのか……?」

 腕を組み、思案に耽る主を見て、側近の女性はそのよく整えられた眉を僅かに寄せた。

「アーベル高司祭様は、アルミシア猊下のお言葉が疑問であると?」

「いや、僕もアルミシア猊下の言葉に嘘はないと思っているさ。だが、本当に魔族との戦いが終わったのかどうか……それは判らないだろう?」

「ですが、実際にこれまで頻繁だった小競り合いさえなくなったと、要塞の兵士たちは言っておりましたが……」

「それが偶然だ……という可能性は残されているじゃないか」

 アーベルは涼やかな微笑みを側近の女性に向けた。その非常に整った容貌と爽やかな微笑みに、側近の女性は僅かではあるが見惚れてしまう。

「何はともあれ、今は待つしかない、か……正直、ちょっと退屈だね」

 何気なく手を伸ばして、アーベルは側近の女性の手を掴むとそのまま胸の中へと抱き寄せる。

「悪いけど、退屈凌ぎの相手をしてくれないかな?」

 女性の返答を聞くこともなく、アーベルは自分の唇を女性のそれへと強引に重ねた。




 アーベルが側近の女性との「退屈凌ぎ」を終え、身繕いを整えた女性が退出しようとした時。別の側近が、彼が宿泊している部屋へと駆け込んできた。

「アーベル高司祭様! ただ今、要塞より知らせが入りました!」

「何……? 勇者様か?」

「そ、それは判りませんが、何やら魔族領の方角より何かが近づいてきているとのことです。それも凄い速度で。このままだと、すぐに要塞の前までやってくるのではないかと兵士たちが騒いでいるそうです」

 報告を受け取り、アーベルはすぐに立ち上がる。

「急いで要塞へ向かうぞ。慌てた兵士たちが勇者様に向けて攻撃でもしたら大事だ」

 無論、アーベルは事前に要塞の責任者と顔を合わせており、間もなく勇者様がこの地に現れることを告げてある。

 しかも、勇者降臨のお告げを下したのは、レシジエル教の頂点に立つアルミシア大司教である。要塞の責任者はアルミシアの言葉を信じ、勇者に下手な対応はしないと約束してくれた。

 しかし、末端の者が暴走することは時として発生する。

 今回も混乱した末端の兵士が、勇者に向けて攻撃を加えたり失礼な対応を取る可能性は否定できない。

 側近の女性たち──彼の側近は妙齢の美しい女性ばかり──の尽力で瞬く間に準備を整えたアーベルは、馬車に飛び乗って要塞へ向けて出立した。




 アーベルとその側近たちが要塞に到着した時、要塞は大騒ぎだった。

 アーベルは側近たちを引き連れ、要塞の責任者の元へと向かう。責任者の部屋へと到着したアーベルは、すぐに責任者と面会することができた。

「これはアーベル高司祭様。わざわざお越しくださり、恐悦です」

「いや、勇者様を出迎えるのは私の役目。司令官殿は気にしないでください」

 人当りのいい笑顔を浮かべながら、アーベルと要塞の司令官は握手を交わす。

「して、何か魔族領の方から近づいてくるものがあるとか?」

「はい。物見の報告によりますと、見たこともない四角いものがかなりの速度で近付いているとのこと。間もなく、この要塞の前まで到着するでしょう。それが本当に勇者様なのかは、私には判断がつきませんが」

「見たこともない四角いもの……ねえ? もしかして、魔族領に棲息する魔獣の類かな?」

「さて……どうでしょうな」

 アーベルの呟きに、司令官は厳つい顔を困惑に染める。

 司令官も長年魔族と戦ってきた人物である。これまでに魔族が使役する魔獣を何種類も見てきた。

 しかし、報告にあったような「四角いもの」は、これまで聞いたことがない。

「これは実際に自分の目で見た方が良さそうだ。悪いけど、物見の塔まで案内してくれませんか?」

「承知しました」

 アーベルの要請に男臭い笑顔で応えると、司令官は自らアーベルを案内して部屋を出た。

 その後を、アーベルと彼の側近たちが着いていく。

 ちらりと背後を振り返り、司令官はその太い眉をきゅっと寄せる。

「高司祭様。なぜ、司祭様の側近は女性ばかりなので?」

「もちろん、勇者様をお出迎えするためですよ」

 司令官の疑問に、アーベルはにこやかに微笑む。

「聞けば、勇者様はかなり年若い男性とか。それこそ、まだ少年と呼んでもいい年頃だと聞きました。ならば、出迎えるのはむさ苦しい男よりも、見目麗しい女性の方が嬉しいってものではないですかね? 少なくとも、私ならその方が好印象を抱くというものです」

 どうやらアーベルは、現れるという勇者に好印象を与えるために、こうして女性ばかりを何人も引き連れてきたらしい。

 本気でそう考えているらしいアーベルに、司令官は不思議そうな表情を浮かべた。




 物見の塔からは、前方に広がる草原がよく見渡せた。

 その草原を、真っ直ぐにこちらに向けて疾走するものがあることを、塔に登ったアーベルはすぐに見つけることができた。

「あれがそうか……確かに、凄い速度だな」

 遠目ではあるが、その速度は馬よりも遥かに速そうだ。アーベルが最初に見つけた時は草原の中央付近にいたというのに、既に要塞の近くまで近づいてきている。

「司令官殿。前にも言ったように、兵士たちには絶対に手を出さないように厳命してください」

「心得ております」

 二人は急いで塔を降りると、そのまま要塞の城門へと向かう。

 司令官が指示を出せば、城門はすぐに開かれた。その城門より、アーベルは側近の女性たちを引き連れて草原へと足を踏み入れる。

 その時には、「謎の四角いもの」はもう眼前まで迫っていた。

 「謎の四角いもの」は甲高い悲鳴のような声を上げながら、アーベルとその側近が待ち構える前で停止する。

「これは……何だ?」

 目の前に停まった「謎の四角いもの」を見て、アーベルは目を白黒させた。

 見た目は馬車に似ていなくもない。しかし、牽引する動物や魔獣もいないのにあのような速度で走るということは、これは生物なのだろう。

 しかしこの角ばったものは、とても生物とは思えない。

 当惑するアーベルとその側近たち。そんな彼らの目の前で、謎の生物の横腹が突然ばかんと音を立てて開かれた。

 思わずぎょっとするアーベルたち。そして、彼らの前にその人物は姿を現した。

 長身のアーベルより更に大きな身体。禿頭で厳つい顔つきの、妙な迫力を持った男だった。

──この男が勇者様か?

 決して表に出すことなく、アーベルは内心だけで首を捻る。

 聞いていた外見とまるで一致しないが、この謎の生物から出てきたということは、彼が勇者ランドなのだろう。

 アーベルと側近は恭しくその場に跪く。そして顔を伏せたまま、彼は挨拶を口にする。

「お初にお目にかかります、勇者ランド様。わたくしはレシジエル教の枢機議会の末席に名を連ねまする、アーベルと申します。このように神の御子たるランド様とお会いする機会を得まして、天の神には感謝することしきりであります」

 よく通る気持ちのいい声。もしも場所が礼拝堂ならば、その声に聞きほれる聴衆が続出したことだろう。

 しかし、ここにそんな者はいない。目の前にいるのは、まるで山賊の親分のような風体の大男だけだ。

 その大男が、ぎろりと平服するアーベルを見下ろす。

「おい、若造。おまえ……何を言っていやがる?」

「は?」

 思わず顔を上げたアーベルと、見下ろす山賊の親分の視線がぶつかる。

「おまえの目は節穴か? 俺様が勇者様だと……? 馬鹿を言うんじゃねえぞ、コラ」

 巨躯を曲げ、平服するアーベルの顔にその迫力ある顔を近づける大男。その仕草はまさに山賊のようだ。

「おまえにはこれが見えねえのか? あぁん?」

 大男が自慢気に指し示したのは、彼が首に装着している首輪だ。もちろん、アーベルはその首輪を見たことがある。

「ど、奴隷の首輪……? で、では……」

「おうともよ! 俺様は勇者様所有の奴隷よ! 単なる奴隷と勇者様を間違えるたぁ、本物の勇者様に失礼ってモンじゃねえのか、オイ? この非礼、どうやって詑るつもりだ、若造」

 恫喝する山賊そのものの光景だが、大男の言っていることは正論だ。

 聞いていた容姿とまるで違うにも関わらず、尚且つ、奴隷の首輪に気づくこともなくこの大男を勇者と間違えたのは、アーベルの落ち度以外のなにものでもない。

「も、申し訳ございません!」

 再び深々と平服するアーベル。彼の背後の側近たちもまた、主と同じようにその場に這い蹲る。

「おい、マーオ。それぐらいにしておけって。初対面の人にいきなり難癖つけるな」

 呆れたような若い男性の声が、地面に額を擦り付けんばかりのアーベルの耳に届いた。

 そして、彼の隣に彼と同じように誰かが跪いた気配も。

 ちらりと横目で確かめれば、そこに先程の大男がいた。

「へ、へい、スミマセン、アニ……いえ、ご主人様!」

 どこか恍惚とした声で謝罪する大男。それに興味を引かれて、アーベルは思わず顔を上げた。

 その彼の視線の先に。

 陽光を集めたような輝く金の髪を持つ、一人の少年がそこにいた。


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