ファンタジー・アース
ゆっくりとした浮遊感を感じながら、レイジは覚醒する。
そっと両眼を開いた彼の視界に飛び込んできたのは、宇宙船〔アコンカグア〕の窓の外に存在する青い天体だった。
レイジは長期休眠から目覚めた時の格好──つまり全裸──のまま、思わず窓へと走り寄る。
「…………きれいだ……」
目の前に迫る、宝石のようなどこまでも青い天体。それは以前に映像で見た、レイジたちの故郷である天体に酷似していた。
「目の前の天体は、完全な地球型の惑星ですねー」
どこか間延びした女性の声が、突然聞こえてきた。
しかし、その声はレイジにしてみれば親しみのある声。警戒心など一切抱くこともなく、レイジは目の前の青い星を眺め続けた。
「……地球型ってことは、降りることができるんだろ?」
窓の外に目を向けたまま、レイジは姿のない女性──〔アコンカグア〕統括AIのチャイカに尋ねる。
「はい、目の前の天体の各種調査は終了しています」
チャイカの言葉が終わると同時に、レイジの視界内に半透明のウィンドゥがポップアップし、窓の向こうの天体と重なる。
ポップアップしたウィンドゥには、おそらく目の前の青い天体のどこかなのだろう雄大な渓谷や無限に広がる草原、そしてどこまでも深い森林など、これまでレイジが見たこともない「本物の自然」が映し出された。
「おお……す……すっげえ……」
初めて目にする本物の大自然。これまで映像やヴァーチャルムービーなどで体感したことはあれど、リアルタイムで中継される本物を見たレイジは感動に打ち震えた。
レイジの視界内の景色はスライドショーの如く次々に切り替わり、やがて自然から人工物へと変化していく。
町や村などの集落、大地に刻み込まれた街道など。それはこの天体に知的生命体が存在する証だ。
やがて、レイジの視界にこの星の知的生命体の姿が映し出される。
「……ヒューマノイドタイプ……それも地球の人類にそっくりだな」
「はい。驚くほどに、地球の人類にそっくりです。ですが、進化を『環境に合わせて姿を変える』ことと定義した場合、環境が似ていれば進化もまた同じような過程を辿る可能性は高いと言えます」
「だが……ここまでそっくりだと作為的なものさえ感じるな……」
「ですが、この星の知的生命体はいわゆる『人間』だけではないようですねー」
次にレイジの視界に映り込んだのは、人間に酷似するもののどこか違う姿の生命体たちだった。
「彼らは魔族と呼ばれており、一部の例外的種族を除いて人間以外の知的生命体は全てこの魔族というカテゴリーに含まれるようです」
「一部の例外……?」
「この星の知的生命体たちは、その種族を竜族と呼んでいます」
チャイカの言葉が終わると同時に、レイジの視界に異形の姿が映し出される。
巨大な蜥蜴のような身体に、蝙蝠のような皮膜状の翼を持つ種族。それは地球の御伽噺に登場するある生物そっくりだった。
「竜族か……ドラゴンそのものだな……」
「人間族、魔族、竜族族。それがこの星の知的生命体の大きな区分のようですね。もちろん、知的生命体以外の生物も確認されており、こちらも地球の生物との共通点がかなり見受けられますが、さすがに全ての生物が地球と酷似しているわけではなく、独自の進化をした生物も多数存在します」
地球によく似た星とはいえ、全く同じ環境というわけでもない。
独自の自然形態に合わせて進化を繰り返した結果、地球の生物では生活できないような環境にも適応した生物がいても不思議ではないだろう。
レイジは視界内のウィンドゥに次々に映し出される生物たちを見て、湧き上がる興奮を抑えることに苦労したのだった。
ようやく落ち着いたレイジは改めて服を着込み、チャイカが提示する目の前の星のデータを見る。
陸と海の面積比率は1:9と圧倒的に海の方が広く、その海の殆どが先程映像で見た竜族の支配下となっているらしい。
「大気成分も地球と酷似していますね。比率が高い順に窒素が約77.1%、酸素が20.8%、魔素1.15%、アルゴンが0.9%、二酸化炭素が0.04%と、ほぼ地球と同じ構成ですー」
「…………ちょっと待て。今、さらりと変な成分が混じっていなかったか?」
レイジの聞き違いでなければ、今、実にファンタジックな単語が混じっていた気がする。
「魔素のことですか? この星の大気には『魔素』と呼ばれる物質が含まれ、ここの知的生命体は、この魔素を操って魔術と呼ばれる技術を確立させているようですね。そのため、全体的な文化レベルは『3』ですが、一部はこの魔術を用いて『4』に近いレベルに到達していると判断します」
文化レベル『3』は、地球で言えば中世ぐらいのレベルに相当する。つまり、この星の文化レベルは地球の中世とほぼ同じか、一部のジャンルにおいてはそこから少し発達したぐらいと考えていいだろう。
「まさしく、剣と魔法の世界ってわけですねー。よって、わたくしは便宜上、この惑星のことを『ファンタジー・アース』と名付けました」
「ファンタジー・アース、ねぇ……」
今、レイジがいるのは〔アコンカグア〕の艦橋とも言える中央司令室だ。
そこに存在する大型のスクリーンには、チャイカが命名したファンタジー・アースの様子がリアルタイムで映し出されている。
杖を構えた魔法使いのような人物が何やら呪文を唱えると、杖の先から稲妻が迸り、小さな異形の人影を貫いた。
「……これが魔術か」
「はい。人間族と魔族は長らく交戦状態が続いているようです。人間族の魔術で倒されたのは、魔族の中でも下級の存在で、『ゴブリン』と呼ばれているようです」
「ゴブリン……? そういや、かつての地球の民間伝承にも、そんな妖精か何かがいたよな?」
「その通りです。もちろん、現地の言葉で『ゴブリン』と呼ばれているわけではありませんが、我々の言語への自動翻訳の際、該当する単語に反映させてあります」
「現地の言葉……? この星の言語はどうなっている?」
「主要な言語は既に全てデータ化してあり、レイジ様の補助脳にダウンロード済みです。また、風土病に関しても現地の人間から採取した血液を元にワクチンを精製、レイジ様が休眠中に投与しておきました」
「現地の人間から血液を採取……どうやって?」
レイジの脳裏に、強引に誘拐されて〔アコンカグア〕に収用される現地人の姿が浮かぶ。だが、実際はそんなことは行われなかったようだ。
「小型の採取機を用いて、住民が寝ている間に僅かな量を採取しましたー」
「まあ、それぐらいなら大丈夫か……」
人間を攫うような大がかりなことではないと知り、レイジはほっと安堵の息を吐き出す。
レイジは椅子──いわゆる艦長の椅子──から立ち上がると、期待に目を輝かせながらチャイカに問う。
「それで? 今すぐ降りられるのか?」
「現在、大気圏突入、再離脱可能なシャトルを建造していますので、それが完成すれば……」
「シャトルの完成なんて待っていられないって! 俺は今すぐこの星に……ファンタジー・アースに降りたいんだ!」
宇宙船の中で生れ、宇宙船の中で育ったレイジは、当然ながら本物の自然に触れたことはない。そして、レイジは本物の自然というものに長く憧れを抱いていた。
その本物の自然が目の前にあるのだ。ここで待てと言われて待てるほど、レイジも大人ではなかった。
「仕方ありません。小型の降下ポッドを用意します。ただし、最低限の装備しか持って降りられませんが、構いませんか?」
「それでいいよ。そういや、俺の身体の強化は終わっているのか?」
「はい、もちろん。レイジ様が休眠中だった地球標準時間で76年3ヶ月18日11時間の間に、強化処置とインストールした各種サイバーバイオパーツは完全にレイジ様の身体に馴染んでいるはずですー」
「76年か……思ったより短かったな。俺はてっきり数百年ぐらい眠っていたかと思っていたけど……」
「レイジ様は寝ていただけかもしれませんが、わたくしは退屈でしたよー? 自分の思考領域をいくつかにセパレートして仮想人格を与えて、TRPGで暇潰ししてたぐらいです。でも、それはそれで結構楽しかったですけどねー」
「TRPG……また、レトロなものをやっていたんだな……」
「レトロなところがいいんじゃないですか。地球の極東地域で二十世紀後半から二十一世紀に発表されたサイバーパンクなヤツが、わたくしのお気に入りです」
超高性能AIがTRPGに興じる姿を脳裏に思い浮かべ、レイジは再び重々しい溜め息を吐き出した。
レイジの目の前に、ずらりと並べられた装備の数々。
それらは、レイジの目からすると随分と旧式なものばかりだった。
「レーザーブレードはまあいいとして……実弾銃や単分子ナイフなんて古すぎないか?」
「いやー、先程も言ったTRPGの影響で、すっかり実弾銃が好きになっちゃいまして。反動と硝煙の香りのない銃なんてオモチャ以下ですねー。わたくしはそんなもの銃として認めません!」
何やらスイッチが入ったらしいチャイカ。どうもレイジが寝ている間に、実弾銃なんて骨董品をちまちまとと作っていたようだ。
「ファンタジー・アースの衛星に各種の鉱脈を発見し、鉱物資源の殆どは衛星から入手可能です。また、ファンタジー・アースから必要な資材や資源を手に入れることもできますので、現状不足している資源や物資はありません」
「俺は本物の食材を用いた料理が食べてみたいよ」
合成食糧しか食べたことのないレイジは、当然ながら本物の食材に夢を馳せる。
「取り敢えず、地表に降りたら釣りって奴をやってみたいな。確か、手軽に魚って食材を捕まえることができるんだろ?」
「判りました。釣り装備も準備しておきます。旧二十世紀から二十一世紀ぐらいに存在したと言われる伝説のルアーを極限まで再現した逸品を用意しますから、爆釣間違いなしです!」
「それは楽しみだな!」
憧れの本物の食材を想像するだけで、レイジの口腔内には唾液が溢れ出す。
「降下ポイントは釣りができて、なおかつ現地の知的生命体との接触のない場所がいいな。いきなり現地人と鉢合わせすると、何かと怪しまれるだろうし」
「了解しました。地表の地図データと照合し、適合するポイントを割り出しますねー」
「降下準備までどれくらいかかる」
「あと、2時間もあれば準備は整います。降下は地表の夜の部分を狙いましょう。その方が目撃される可能性も少なくなるでしょう」
「照明技術が発達していないから、殆どの人間は暗くなると寝るからな」
「逆に、魔族は夜目が利く種族が多いようなので、降下ポイントは人間の暮らす領域の方がいいでしょうね」
「それらの条件を元に、最適な降下ポイントを割り出してくれ」
レイジはチャイカにそう命じると、暗黒の宇宙に浮かぶ青い宝石のような星に目を向ける。
果たして、この星でどのような出会いが待っているのか。
チャイカは自分の子孫を残すことをあれこれと考えているようだが、レイジ自身はまだそこまで考えていない。
彼としては、伴侶云々よりもまずは友達という存在に憧れていた。
これまでずっと一人だったレイジには、対等の付き合える存在が欲しかったのだ。
そして、レイジはファンタジー・アースへと降り立つ。
人目を避けるため、深夜に人間の集落からは離れた降下ポイントを選定し、正確にその地点へと降下した。
しかし、いかにチャイカが宇宙船の運営を司ることができるほどの超高性能AIでも、「完璧」な存在ではありえないのだ。
集落はないはずだと思ったポイントの近くに、小さな人間の村が存在したこと。そして、その村に夜目の利く半魔族の少女がいたこと。
それらの偶然がいくつも重なり、レイジは地表に降りて早々に目的を果たすことになる。
一人の半魔族の少女と出会い、そして憧れていた友達を得るのだった。




