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宇宙の霊廟



 老人は、白い部屋の中でベッドに横たわりながら呟いた。

「…………そうか……我らの希望の光は……レイジはもう七歳になったのか……」

 老人が身体を横たえているベッドの周囲には、無数の医療用の機器が備え付けてある。

 見る者が見れば、老人の人生に終焉が近いことを容易く看破するだろう。

「はい、大統領。現在のレイジ様は心身共に健やかに成長中です」

「ははは、私は『元』大統領だよ」

 そんな老人の傍らには、透き通った神秘的な女性の姿がある。

 時折ノイズが混じるようにその姿を揺らめかせる女性は、悲しげな表情を浮かべてベッドの上の老人を眺めた。

「気にするな、チャイカ。命は有限なのだ。間もなく私の命が尽きるのも、それもまた自然の摂理だ」

 かつて、外宇宙移民船団〈アルカディア〉を統括する立場にあった老人は、傍らの女性に向かって穏やかな笑みを浮かべた。

「……いや、命が尽きようとしているのは私だけではない……〈アルカディア〉もまた、遠からず寿命を迎えるだろう」

 地球を含む太陽系から旅立ち、既に数世紀を数える〈アルカディア〉。

 出産率の低下と比例し、〈アルカディア〉民の平均年齢はどんどん上がっていく。

 その具体的な数字は、五十に手が届くところまできているのだ。

「我らに新たな命が芽生えることは……もうないだろうな」

 男性が悲しげに目を伏せる。

 平均年齢が五十近くになると、自然な妊娠出産はほぼ無理と考えられる。

 そして、冷凍保存してあった精子や卵子もまた、既に底を突いてしまった。

 七年前、奇跡的に誕生した一例を除き、〈アルカディア〉にはとうとう新たな命が芽生えることはなかったのだ。

「あの子は……レイジは……神が我々のために見せてくれた最後の夢だったのかもしれん」

 男性は傍らの女性──いや、女性の立体映像を見上げた。

「近々、君の全機能を新造艦へと移す予定だ」

「新造艦……〔アコンカグア〕ですね?」

「君を〔アコンカグア〕の統括人工知能とし、〔アコンカグア〕と共に今後のレイジを任せるつもりだ。元々、君はそのために生み出された存在だからな」

 宇宙船一隻を統括するだけの能力を有する人工知能──Artificial Intelligence、略してAI──である彼女は、「チャイカ」というコードネームを与えられ、現在はレイジの成長を見守る役目を与えられている。

 しかし、近日中に彼女は本来の任務に就くことになるのだ。

「あなたは……いえ、あなたたちはどうするのですか?」

 太陽系を出発する際、一億近い人口を数えた〈アルカディア〉も、既に十分の一にまでその数を減らしている。

 遠からず、〈アルカディア〉で暮らす人間は一人もいなくなり、巨大な移民船団はそのまま宇宙を漂う霊廟と成り果てるだろう。

「我々は……自分たちの死に水を取らせるためにレイジを生み出したのではない。彼には……我らの息子にはまだ未来がある。その未来を……君に託す」

「承知しました、大統領」

「こんな老人ばかりの場所……いや、近い将来に誰もいなくなる巨大な船団は、未来のあるレイジには不似合いだろう。新造する宇宙船を新たな彼の家とするといい。そして……」

 老人はゆっくりと首を捻る。彼が視線を移した先には、透明な窓から無限の宇宙が望めた。

「レイジ一人なら……我々のような大規模な移民でなければ、生命体が既存する天体でも暮らすことはできるだろう。叶うならば、彼にはそこで良き伴侶を得、我らの子孫を残して欲しいものだ……」

 そう言いながら、老人はゆっくりと目を閉じた。

 同時に、彼に取り付けられていた医療機器が一斉にフラットになる。

「安らかに、大統領……いえ、『元』大統領でしたね。レイジ様はわたくしが責任を持ってお育てします」

 その日、数少なくなった〈アルカディア〉から、貴重な命の炎がまた一つ消え去った。




 完成した新造艦〔アコンカグア〕が、外宇宙移民船団〈アルカディア〉からゆっくりと離脱していく。

 既に〈アルカディア〉の全船団は、動力を停止している。そのため、現在の〈アルカディア〉はただ宇宙を漂っているのみだ。

「ねえ、僕たちだけでどこに行くの?」

 美しい金髪をした幼い少年が、傍らの半透明の女性に尋ねた。

「はい、実は少々お使いを頼まれまして。申し訳ありませんが、レイジ様にはお付き合いをお願いしたいのです」

「そっか。チャイカ一人だけだと寂しいもんね。いいよ、僕で良ければチャイカと一緒に行くよ」

「ありがとうございます、レイジ様」

 まだ幼いレイジにとって、いつも傍にいてくれるチャイカは母であり姉である。

 彼女が自分やその他の人々──なぜか皆年寄りだが、レイジには優しい人たち──とは少し違うことを、幼いながらもレイジは何となく理解していた。

 それでも、一人で「お使い」に行くのは寂しいだろう。レイジはチャイカを思って笑顔で彼女と同行することを了承した。

「ですが、お使いの最中もお勉強はしなくてはなりませんよ?」

「えー、仕方ないなぁ」

 口では嫌そうにしながらも、レイジの表情は笑顔のままだ。

 チャイカが優しく教えてくれる様々なことは、レイジは嫌いではない。

 幼い彼にはまだ難しすぎることも多々あるが、それでもいろいろな生き物や文字の読み書きを覚えるのは楽しいことだった。

「もちろん、御飯を一杯食べて、適度に運動して、そしてよく眠る。今のレイジ様は成長期ですから、規則正しい生活を忘れてはなりません」

「判っているよ! でも、チャイカの用意してくれる御飯だけはちょっとなぁ……」

 あなり美味しくない食事を思い出して、レイジは僅かに眉を寄せる。

「あら、好き嫌いはよくありませんよ?」

「好き嫌いじゃないよ! 単に美味しくないだけ!」

 レイジは小さな腕を振り回しながら、チャイカに向かって抗議をする。

「そんなことないはずですけど……わたくしの味覚センサーに異常はありませんよ?」

「だって美味しくないもん!」

 端から見れば、仲の良い姉弟に見えなくもない、二人のやり取り。

 しかし、ここからレイジはたった一人で成長していくことになる。

 幼いレイジの傍らに自らの映像を投射しながら、〔アコンカグア〕の中枢に据えられたチャイカは、レイジを優しくも厳しく育てていくことを決意した。




 〔アコンカグア〕が〈アルカディア〉から離脱して、地球標準時間で十年が経過した。

 その間、レイジたちは居住可能な天体を発見することはできなかった。

 正確に言えば、居住可能な天体は僅かだが存在はしたのだ。しかし、幼いレイジが暮らすには、少々環境などが厳しすぎるとチャイカは判断し、それらの天体への居住を断念してきた。

 その十年でレイジも十七歳となり、体格も大人と遜色ないほどにまで成長している。

 今ならば、環境的に多少厳しい天体でも、なんとか暮らしていけるだろう。

 しかし、今度は居住可能な天体が発見されない。かつて居住可能と判断した天体へ戻ろうかレイジは提言するも、チャイカは彼のその言葉を却下した。

「確かに、過去に発見された天体の中には、レイジ様が暮らせるものがありました。しかし、それらの天体には、レイジ様の伴侶となれるような知的生命体が存在しません。わたくしとしては、〈アルカディア〉の皆様の意志を尊重し、レイジ様が伴侶を得られるような天体に居住していただきたいのです」

「あー、これまで発見した星の知的生命体って言ったら、岩ヤドカリみたいな連中とか、クラゲみたいな連中とか、そんなのばっかりだったからなぁ。伴侶云々はともかく、俺としても普通に友達付き合いのできる知的生命体のいる星の方がいいな」

 一抱えほどの岩の下部から、無数の触手のような器官を生やした生物とか、文字通りクラゲとしか思えない生物たちが暮らす天体。

 レイジの言う岩ヤドカリは自身の身体を震動させて意志の疎通を行うし、クラゲは体内に存在する発光器官を明滅させて意志を疎通させる。

 当然ながら生活形態も地球人類とは大きく離れており、岩ヤドカリは高温高圧力の火山の中で生活するし、クラゲたちは海の底で暮らしている。

 しかし、彼らは決して下等な生物ではない。彼らには独自の文化と文明が存在する。岩ヤドカリは火山の中に美しい幾何学模様を描いた都市を築き上げるし、クラゲは海を漂う巨大な都市を建築する。

 ただ単に、地球人類とは成り立ちが違いすぎるだけなのだ。

 そのような異質な生命体たちとは、さすがに一緒には暮らしづらい。当然ながら、レイジとの間に子孫を残すことなど不可能である。

 以上の理由から、チャイカはレイジの提言を却下したのだ。

「地球人類そっくりとは言いませんが、せめて生物的にレイジ様との間に、子孫を残すことのできる生命体が存在する天体を探しましょう」

「でも、何のあてもないんだろ、今のところ」

「はい。なですから……申し訳ありませんが、成長期も終盤に差しかかったレイジ様には、長期の休眠に入っていただきたいのです」

 次の居住可能な天体が、いつ発見されるのか全く見当もつかない。

 そのような状態で、レイジが歳を重ねていくのはある種の危険を伴う。

 レイジが生物学的に子孫を残すことができる時間は、まだまだ余裕がある。しかし、これから先、希望する天体が発見されるのは、二十年先、三十年先なのかもしれないのだ。

 目的とする天体が発見された時、レイジが歳を取りすぎていたら子孫を残すことができない。

 〈アルカディア〉の民の遺志を尊重するチャイカとしては、そのような事態はどうしても避けたいのだった。

 そのため、まだまだ成長の余裕はあるものの、急激な成長期を終えたレイジに、チャイカは長期の休眠──いわゆる冷凍休眠──を促した。

「レイジ様を起こすのが、十年先か二十年先かは判りません。もしかすると、半年も経過することなく起こすことになるかもしれませんし」

「そうか……いいよ。チャイカの言葉に従うよ」

「ありがとうございます、レイジ様」




 その後、チャイカはレイジの休眠の準備に入る。

 長期の休眠とは言っても、レイジの時間は完全に停止するわけではない。僅かではあるが、レイジの時間は進むのだ。

 休眠中でも最低限の栄養の摂取も必要だし、新陳代謝が進む以上、排泄物の処理も必要となる。

 そのための設備を、チャイカは〔アコンカグア〕の中に作り上げた。

 また同時に、チャイカは休眠中のレイジの身体に、強化処置を施すつもりでもいた。

 宇宙という過酷な環境で生きるため、〈アルカディア〉の民は成長期が終わりに近づくと、殆どの者が身体に強化処置を施す。

 筋肉の出力上昇、骨格の強度強化、人工神経による反射速度の上昇、補助脳による知識のデータ化と常時通信可能な状態の維持。

 肺にフィルターを設けて有害な物質の除去、胃や腸の消化吸収能力を高めて僅かな栄養でも生きていくことだできるなど、身体強化の技術は外宇宙に出てから飛躍的に進んでいる。

 さすがに成長期前の幼い子供に強化処置を施すと、本来の成長を歪めるなどの逆効果が現れるが、それ以外では安全は十分に確立されていた。

 しかし、中にはこの強化処置こそが、〈アルカディア〉の出生率の低下に繋がっていると唱えた学者もいた。

 そこで敢えて強化を望まない志願者を募り、出生率の変化を調べる研究を行ったが、結局はその学者が唱えたような事実は発見されなかった。

 それ以後も、〈アルカディア〉では身体強化はごく普通に行われていたのである。

 全ての準備が完了し、レイジは休眠用のカプセルに入る。

「ではレイジ様……よい夢を」

 カプセルの中に横たわり、チャイカの言葉を機器ながらレイジはゆっくりと目を閉じる。

 身体の中に何かが流れ込む感覚。同時に、レイジの意識が急激に曖昧になっていく。

──次に目覚めた時、目の前に俺が住める天体があるといいな。

 そんなことを考えながら、レイジの意識は暗黒に飲み込まれていった。


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