勇者の旅立ち、再び
なんとか魔王城を脱出したレイジたち。
夜の闇に紛れてガルガンチュアの街に逃げ込むことに成功した──かに見えた。
しかし、そのレイジたちの前には今、前魔王であるマーオと白黒二人の元帥が立ちはだかっていた。
「こんな時間にどこに行かれますかな、魔王様?」
「我ら魔族ならともかく、人間である魔王様はこのような時間に活動はされますまい」
「さあ、城に戻りましょうか」
威圧感を隠すことなく、三人の魔族はレイジに詰め寄る。
「……こんなにあっさりと見つかるとは……」
「あははー。魔族の方々を舐めていましたねー」
ひしひしと迫る三人のプレッシャーに気づいているのかいないのか、レイジはぼりぼりと頭を書きながら視線を横に向けてぽつりと呟く。
「失礼ながら、魔王様の身を守る一環として、魔王様の影の中に俺様……いや、私が使役する『蟲』を忍び込ませておきました。この『蟲』がある限り、所定の範囲内ならば魔王様の所在は私には筒抜けですぞ」
「……さすが、魔術ありの世界だな。そんな方法があるとは……」
「機械的なセンサーの類ならわたくしに見つけることもできますが、魔術関係はさすがに無理ですねー」
レイジとその隣に浮かぶチャイカが、感心した表情を見せた。
「そうか……おそらく、《天眼》の『目』も近くにいるのね?」
ふと思い出したように、レイジの背後にいたラカームが呟いた。
「《天眼》?」
「そうよ、レイジ様。魔族八魔将の一人で、偵察や諜報専門の奴よ。ごめんね、レイジ様。私もすっかりあいつのことを失念していたわ」
「忘れていたものは仕方ないさ。それより、問題はここをどう切り抜けるか、だな」
背後に向けていた顔を改めて正面へと向け、レイジは三人の魔族幹部を見据えた。
「ささ、城にお戻りくだされ」
マーオがずい、と一歩前へと踏み出す。それだけで、レイジは彼が発する威圧感が倍増したような気がした。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「悪いけど……俺は魔王なんてやっていられないんだ。俺には俺の目的があるからな」
レイジもまた、その瞳をやや細め、しっかりとマーオを見つめる。
そのまま、両者は互いに互いを見つめ続ける。
レイジとマーオ、そして彼ら二人をそれぞれの背後から黙って見つめるサイファとラカーム、そして白と黒の二人の元帥。
どれぐらいの間、そうしていただろう。不意に、《白極元帥》のウーレが口を開いた。
「魔王様。どうあっても城へは戻ってくださらぬ、と?」
「ああ。ここを押し通っても俺は行くよ」
レイジの返答を聞き、ウーレは深々と息を吐き出した。
「これは無駄だな。ここで無理に魔王様を城へ引き戻したとしても、何度でもこうして逃げ出そうとするのがオチだろう」
「ウーレよ。貴様は何を言い出すのだ?」
不審そうに眉を寄せながら、《黒極元帥》であるジーラが問いただす。
「まさか貴様、魔王様に退位していただくと言い出すのではあるまいな?」
マーオも訝し気な顔でウーレを見る。
「魔王様が現時点ではここにいるつもりがないのは明白。そこを無理に王としての責務を押し付けても、結局はこうして逃げ出されるだけだ。下手をすると、怒りに任せて魔王城とガルガンチュアの都を破壊されるやもしれぬ」
「では……貴様はどうすればいいと言うのか?」
マーオの問いに、ウーレはにやりと笑う。
「魔王様をこのまま好きな所へ行かせてしまえばいい。ただし、条件付きでな」
一同をぐるりと見回し、ウーレは告げた。
「どこに行かれようが、魔王様には《天眼》の『目』を常に貼り付ける。奴を介して、魔王様に裁可していただけねばならないことだけをご裁可いただく。それ以外は、俺たちが引き受ければいい」
「なるほど。それならば、魔王様は城におられずとも王としての責務を果たせるというわけか」
「そういうことだ。無論、魔王様には我らに政務の殆どを任せる旨を他の幹部の前で宣言し、我らに証書の一つもお授けいただかねばなるまいが」
ウーレの言うことを纏めれば、レイジは城にいなくてもいいが、最低限の魔王としての仕事はしなければならない。
そして魔王としての権限の殆どを、マーオたちに預けることを他の魔族たちの前ではっきりと宣言する。
と、言うことらしい。
「……まあ、いいよ。それで俺を自由にしてくれるのなら、その条件を飲もう」
レイジはしばらく熟考した結果、ウーレの条件を飲むことにした。
この場を強行突破することは難しくはない。だが、そんなことをすれば、全面的に魔族を敵に回すことになるかもしれない。
既に魔族の中にもパジャドクやリーンのように親しい者たちがいるレイジにしてみれば、それだけは避けたかった。
「……では、私とも約束していただけませんかな?」
渋い顔をしつつも、レイジが旅立つことを認めたマーオ。しかし、彼にもどうしても譲れないものがある。
「魔王様の目的とやらを果たした時は、必ずこの城にお戻りいただきたい。そして、その時こそ魔王としての責務をお果たしくだされ」
「そうだな。自分勝手に城を抜け出すんだ。それぐらいは約束しないとな」
レイジも、自分が我儘を言っていることは理解している。道理を曲げて自分を押し通す以上、その責任は負わねばならない。
レイジは自分の目的──この広い世界を自分の目で見てみる──を成し遂げた時、ここに戻ってくることを心に誓った。
「承知いたしました。ならば、私から言うことはございません」
にこりと男臭い笑みを浮かべたマーオは、背後へと振り向いた。
「魔王様と俺様がいない間、魔族領のことは貴様ら二人に任せたぞ」
「お、おい、ちょっと待て! まさか、マーオも魔王様と同行するつもりか?」
目を見開いて驚く二人の元帥。そしてそれは、レイジたちも一緒だった。
「当然だ。俺様は魔王様の教育係。旅の道中、魔王たる心得と知識をしっかりと伝授しよう。無論、護衛の意味もあるがな」
「……確かに魔王様に護衛は必要だな。かと言って、兵士をむやみに同行させるのは魔王様とて本意ではなかろう。ならば、魔族のナンバー2であるマーオが同行するのは理に適う……か」
腕を組み、唸りながらもマーオの動向をウーレは納得する。
その隣ではジーラも首を傾げつつ、それでも仕方がないとばかりに肩を竦めた。
「では、決まりだな。さて、魔王様。ここは一度城へお戻りくだされ。正式な手順を踏んでから、旅立つといたしましょうぞ」
マーオの提案に、レイジは頷くしかなかった。
当然ながら、レイジたちの旅立ちは魔族の上層部に波乱を呼んだ。
しかし、マーオたち最高幹部三人がレイジの旅立ちを容認したことで、結局は押し通してしまった。
この辺り、「上からの命令」に逆らい難い魔族の気風が、レイジたちに有効に働いたと言っていいだろう。
また、レイジにはこの世界──いや、この惑星のどこにいても、最短の時間でこの城に戻る手段があることを公にしたことも大きかった。
「レイジ様には『天翔ける船』があります。これを用いれば、レイジ様がどこにいようともすぐにこの城にお戻りになられるでしょう」
レイジの隣でそう発言したのは、もちろんチャイカだ。
元よりレイジのことは「天空におわす神々から遣わされた者」という評判があったこともあり、誰もがチャイカ──いや、レイジに仕える精霊の言葉を信じたのだった。
一応、表向きの理由は「魔族の社会に疎い新たなる魔王であるレイジが、それを学ぶために世間を見て回る」というものだが、この「世間」が魔族領だけでないのは、レイジとその仲間たち、そして白と黒の元帥の二人だけだろう。
そして、レイジたちが改めて旅立つ日が来た。
ガルガンチュアの街の正門に、レイジたちは立っている。
レイジとチャイカ、サイファに狼形態のラカーム、そしてマーオ。
魔王城にいる間は魔王に相応しく仕立てられた衣装を着ていたレイジも、以前のように迷彩柄の外套を来た姿であり、サイファも女官ではなく旅人風の衣装である。
そしてマーオも、サイファと同じように目立たない服に着替えているのだが、禿頭でがっしりとした長身というその姿から、どこからどう見ても「山賊の親分」にしか見えない。
そんなレイジたちを見送るのは、白と黒の元帥の二人と、パジャドクとリーンの四人だけ。
魔王であるレイジが城にいないことは、庶民たちには可能な限り隠すことになっているからだ。
「それでは、魔王様。魔王様が一日も早く目的を達成され、ガルガンチュアへお戻りになられる日をお待ちしています」
「道中、お身体にはお気をつけあそばされますよう。マーオ、魔王様のことは頼んだぞ」
「うむ、任された。貴様らこそ、魔族領のことを頼んだぞ」
レイジとマーオは、それぞれウーレとジーラ、そしてパジャドクとリーンと握手を交わす。
「ご一緒できないのは残念ですが、私は私の役目を果たしましょうぞ」
「うん、パジャドクさんも元気でね」
最後にパジャドクと言葉を交わしたレイジは、背後にいる仲間たちへと声をかける。
「よし、では行こうか」
レイジの言葉に応えて、仲間たちは歩き出す。
時折振り返り、見送っている四人に手を振りながら。
そして半日ほど歩き、ガルガンチュアの街からそれなりに離れた地点で、レイジは休憩を仲間たちに告げた。
思い思いに身体を休める仲間たちをよそに、レイジはチャイカと脳内で交信する。
〈チャイカ。準備はどうだ?〉
〈はい、レイジ様。レイジ様の要望通りのものを、既に降下させています。間もなく、この地点に到着するでしょう〉
レイジとチャイカが無言で交信していると、突然サイファが声を上げた。
「れ、レイジさんっ!! な、何か空で光っていますっ!!」
驚きの表情を浮かべて、サイファは空を指さす。
彼女が指さす空に一点に、確かに光り輝く何かがあった。
「もしや、魔獣の類……いや、竜族ではあるまいな?」
緊張し、態勢を整えるのはマーオ。その巨大な見かけによらず、どうやら彼は術師タイプらしく、闇や影の系統を操る魔術師なのだそうだ。
ちなみに、当初はリーンから魔術を教わっていたサイファだが、今後はマーオから教えを受ける手はずになっていた。
「大丈夫だよ。あれは俺が呼んだんだ」
緊張する仲間たちへ、レイジは呑気な声で告げた。
「魔王様がお呼びになられた……?」
「なあ、マーオ。俺のことを魔王様って呼ぶの、止めないか? 城の中ならいざ知らず、外でそんな呼び方をすると面倒だろ?」
「確かに……魔王様の存在を知って、よくないことを考える輩がいないとは限りませんからな。では、何とお呼びすれば?」
「……好きに呼んでくれ」
「では……『アニキ』と」
「な、何でそうなるっ!?」
脈絡もなく「アニキ」と呼ばれて、レイジは反射的に尋ね返していた。
「いや、俺様の上に立つお方ですからね、アニキは。それに、好きに呼んでいいとおっしゃったのはアニキじゃないですか」
「……確かにそうだけど……まあ、魔王と呼ばれるよりマシか……」
片手で顔を覆い、思わず天を見上げるレイジ。
彼らがそんなやりとりをしている間に、空の光はどんどんと彼らに近づいてきた。
「あ、あれは……船……?」
「もしかして、精霊の姐御が言っていた『天翔ける船』ってアレのことですかい?」
いつの間にか、見た目通り山賊みたいな言葉遣いになっているマーオ。
彼だけでなく、サイファやラカームが声もなく見守る中、それは砂塵と轟音を巻き起こしつつ、彼らから少し離れた大地に着陸した。
「確かにこれも『天翔ける船』の一つですねー。もっとも、これは再離脱可能のシャトルですけど」
着地したシャトルへと近づいたレイジたち。
マーオやサイファがチャイカの言葉に首を傾げていると、『天翔ける船』……いや、シャトルの後部ハッチが開いた。
ハッチが完全に開くのを確認したレイジは、無警戒にハッチからシャトルに乗り込む。
「みんなはちょっと待っていてくれ」
そう言いおいたレイジがシャトルの中に消えると、すぐにシャトルの中からマーオたちが聞いたこともない音が響き始めた。
「こ、これは何の音でしょう……?」
「うーむ……こんな音は二百年以上生きてきた俺様も聞いたことがないな……」
サイファとマーオが共に首を傾げていると、それはシャトルの中から現れた。
見た目は馬が牽く馬車の本体に似ている。しかし、当然ながら馬などは存在しない。
見たこともない素材──金属であるとは判る程度──で作られた、巨大な箱。それがサイファとマーオ、そしてラカームが抱いた印象だ。
その巨大な箱が二つもあり、どうやらその二つは繋がっているらしい。
やがて二つの箱が完全にシャトルから外に出る。
前方の箱の側面に見えた扉のようなものが開き、その中からレイジが姿を見せた。
「あ、アニキっ!? こ、こいつは一体何なんですかいっ!?」
「こいつは今回の旅に使うために用意した四輪車だよ」
「動力は高効率の光蓄電式のモーター。パワーは水素エンジンに劣りますが、光蓄電式だけに燃料の補給がいらないのが最大の利点ですね」
「まあ、移動だけを考えるなら、電気モーターで十分だろ?」
「はい、車両戦闘を考えなければ、ですね。前の四輪車に繋いであるのは、キャンピングユニットです。中には簡易式ながらシャワー、トイレ、そしてベッドが二つあります。これで野営が楽になりますねー。その他には各種のセンサーとレーダー、四輪車には自衛用の12.7mmのHMGを装備しておきましたー。7.62mmのLMGでも良かったんですけど、火力はあるに越したことはありませんからー」
チャイカの言葉通り、四輪車の天井にはHMGが装備されており、天井から身体を出して直接操作してもいいし、運転席からリモートでも操作できる。
「もちろん、車両制御のAIはわたくしともリンクしていますので、誰も乗っていなくても走らせることができます」
「さあ、乗ってくれ! 今度の旅はこいつで行こう!」
「あ、あのー、アニキ? 乗るのはいいんですが、あっちの『天翔ける船』はどうするおつもりで?」
「シャトルなら宇宙に帰すよ。やっぱり、俺は地上を旅したいからね」
レイジが言い終わると同時に、シャトルのエンジンに再び火が入る。
「みなさーん、危険ですからシャトルから離れてくださいー」
よく理解できないまま、一行はチャイカの言葉に従ってシャトルから離れた。
そしてレイジたちが見つめる中、シャトルは再び轟音と砂塵を巻き上げながら、空へと浮かび上がる。
ある程度の高度まで垂直離陸したシャトルは、メインエンジンから豪快は炎を吹き出し、一気に加速して空を翔け上っていく。
ぽかんとした表情を浮かべて、サイファとマーオ、そして狼形態のラカームはどんどん小さくなるシャトルを見送っていた。
「さあ、行こう! 改めて出発だ!」
レイジの声に促されて、サイファたちはおっかなびっくり四輪車へと乗り込む。
全員が乗り込んだのを確認したレイジ。
きょろきょろと落ち着きなく車内を見回すサイファたちに苦笑しながら、レイジはアクセルを踏み込んだ。
こうして、レイジのこの惑星における二度目の旅が幕を開けたのだった。




