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魔王就任


「魔王という位は、魔族の中で最も強い者に与えられるものであり、それを欲するなら、現在その位にいる者に挑戦し、皆の前で倒して奪う。それが古くから続く魔王継承のしきたりでして……」

 相変わらず全裸土下座のまま、魔王──正確には元魔王──は、レイジに魔族のしきたりについて説明した。

「勇者様……いえ、魔王様は、それまで魔王の位にいた俺様……いや私を衆人環視の中で屈服させました。これは十分、魔王の位を引き継ぐことができることでして……」

「いや、俺は魔王の位なんて望んでいないしっ!!」

 両手をばたばたと振り回し、レイジは必死に魔王に就任するつもりはないと元魔王に伝える。

「何を謙遜なさる? ランド殿であれば、十分魔王を勤めることができましょう。そしてこの《灼熱》のパジャドク、魔王となったランド殿……いえ、ランド様に永遠の忠誠を誓いましょうぞ!」

「私も、ランド様なら魔王に相応しいと思います」

 パジャドクとリーンが、並んで跪き、深々と頭を垂れた。その背後では、パジャドクの部隊に所属する兵士たちも、同じように跪いてレイジに忠誠を誓っている。

 そしてレイジの足元では、ラカームが嬉しそうに尻尾をぱたぱたと振っていた。

 今、この場で立っているのはレイジと、その傍らでおろおろとしているサイファのみ。

 チャイカはいつものように立体映像で、にこにこしながらレイジの隣に浮かんでいた。

「よ……よし、じゃあ、誰かこの場で俺に挑戦しないか? これだけいれば、一人ぐらいは魔王になりたい奴がいるだろ?」

 レイジは目の前で、全裸土下座を続ける魔族たちを見ながら言う。

 魔王への就任の条件が公衆の面前で現在の魔王を倒すことならば、この場でレイジが負ければ魔王にならなくてもいいことになる。

 もしもこの場で誰か自分に挑戦してきたら、レイジはわざと負けるつもりでいたのだ。

 しかし。

「無理でしょうな。ガールガンド要塞をあっと言う間に打ち崩すような威力の神話級魔術を目の当たりにして、誰が魔王様に挑戦しようと思いますか?」

 元魔王の言葉を裏付けるように、誰一人としてレイジに挑もうとする者は現れない。

 結局、彼自身の意思を別にして、レイジは新たな魔王として魔族の都であるガルガンチュアの中心にそびえ立つ、魔王城へと向かうことになるのだった。




 新たな魔王が誕生したという噂は、どうやら既にガルガンチュアへもたらされていたらしい。

 魔族軍に囲まれたレイジが都に入った途端、周囲から割れるような歓声が上がる。

 ガルガンチュアに暮らす人々は一目新たな魔王を見ようと、まるでパレードのように目抜き通りを進む魔族軍を見つめる。

「おお、あのお方が新たな魔王様か!」

「噂に聞いていた通り、今度の魔王様は本当に人間なんだな!」

「なぁに、人間だろうが魔族だろうが、一番強いお方が魔王になるのが俺らの伝統だろう」

「いや、それは違うらしいぞ? 今度の魔王様、実は人間じゃなくて星海の彼方にあるっていう神の座より遣わされたお方だって話だ」

「じゃあ、なにか? あのお方は神様の一員ってわけか?」

「そうとも。しかも、神々が使うとんでもない魔術で、ガールガンド要塞を一瞬で消し去ったって話だ」

「あ、あの難攻不落と言われたガールガンド要塞をか? それが本当なら神様の一員ってのも頷ける話だなっ!!」

「魔王様、万歳っ!!」

「新しい魔王様、万歳っ!!」

 ガルガンチュアに住む魔族たちが大歓声と共に見つめる中、新たな魔王となった若者は象のような動物が牽く戦車の上で、なぜかぶすっとした表情を隠すことなく不貞腐れていた。




 魔王城へと入城したレイジは、そのまま謁見の間へと連れていかれ、魔王が座す玉座に座らされていた。

 その彼の隣には、おろおろと落ち着かないサイファ。

 今の彼女は侍女が着るお仕着せの制服を着ており、新たに魔王となったレイジ専属の女官として認識されている。

 玉座に座すレイジの足元には、いつものように狼形態のラカームもいる。

 ラカームはそこが自分の指定席だ、と言わんばかりにレイジの足元に横たわり、気持ち良さそうに目を閉じていた。

 そして、レイジの眼前には魔族を代表する文官・武官が勢揃いし、新たに魔王となったレイジに跪きながら頭を垂れていた。

「……以上が、現在の魔族領を運営する文官、武官たちです。もちろん、文官、武官の任命権は全て魔王様に一任されておりますので、能力の足りないと思われる者、もしくはより能力に優れ適した者がいると思われれば、いつでも入れ替えることが可能でございます」

 頭を垂れる魔族たちの先頭で前魔王が跪き、武官や文官たちをそれぞれ紹介していた。

〈いきなり何十人もの名前や役職を言われても、覚えられるわけがないよな〉

〈ご安心ください、レイジ様。今、紹介を受けた者たちは、顔と役職、名前などを纏めてデータ化し、既にレイジ様の補助脳に転送してあります〉

 誰に言うでもなく頭の中でのぼやきに、チャイカがちゃっかりと返事をする。

 レイジは試しにパジャドクの名前を補助脳で検索してみる。すると、すぐに視界の片隅に半透明のウィンドゥが開いて、パジャドクの現在分かっている全てのプロフィールが顔写真付きで表示された。

〈今後、個人的なプロフィールは詳細が判明する毎に更新しておきますからー〉

〈相変わらず、変なところでマメだよな、チャイカは〉

 レイジが内心で深々と溜め息を吐いていると、元魔王が言葉を続けた。

「では、魔王様。魔王様より、今後の我ら魔族に対する方針などを頂戴いただければ、と」

「方針……ねぇ? ところで質問なんだが、魔王の命令って絶対なのか?」

「当然でございます。もちろん、あまりにも無体な、もしくは非常識なご命令であれば、それをお諫めする忠臣もおりましょう。ですが、基本的に魔王様のお言葉に、我ら魔族はできる限り従う所存であります」

 元魔王の言葉を聞き、レイジは一つ頷く。そして、勢いよく玉座から立ち上がった。

「では、魔王として最初の命令を下す!」

 レイジが発した言葉に、集まった魔族たちが改めて一斉に頭を下げる。

「俺は今日限り、魔王を引退する!」

 次の魔王は皆で相談して決めてくれ、とレイジは続けた。




 最初の命令が引退宣言。

 これには集まった魔族たちも驚いたようで、思わずぽかんとした間抜けな表情を浮かべていた。

「そもそも、何の知識も経験もない俺が突然王様なんておかしいだろ? できるはずないだろ? ちょっと考えれば判るだろっ!?」

 段々自棄になったのか、最後の方は随分と大きな声になっていた。

「俺はここでは単なる放浪者(エグザイル)なんだ。そんな俺に王が務まるわけがない。サイファもそう思うだろ?」

「ふぇっ!?」

 突然話を振られて、サイファは目を白黒させる。

「い、いえ……レイジさんなら、きっと立派な王様になるんじゃないかな、なんて……」

「サイファまでそんなこと言わないでくれよ……」

 レイジは疲れたように再び玉座に腰を下ろし、ふぅと深々と溜め息を吐いた。

「ともかく、魔王の命令は絶対なんだろ? だったら、俺は魔王を引退する。はい、決定!」

 ぱんぱんと手を叩きながら、レイジはもう一度玉座から立ち上がろうとする。

 しかし、元魔王はそれを必死に引き止める。

「お、お待ちくだされ! これまでの長い歴史の中で、魔王の座を自ら降りた者は皆無ですっ!! あなた様は初めて自ら魔王の座を降りたという汚名を歴史に残すおつもりかっ!?」

「どんな慣例だろうが習慣だろうが、最初の一人は必ずいるものだろ? なら、俺は喜んで自分から魔王を辞めた最初に一人になるさ。とにかく、俺は魔王になんてなるつもりはないんだ。何なら、あんたがもう一度魔王に返り咲けば?」

 レイジは目の前でひれ伏す元魔王を指差し、とあることに思い至って首を傾げた。

「…………そういや、あんたの名前をまだ聞いていなかったっけ」

「おお、これは私としたことが! 申し後れましたが、私の名はマーオ・デラ・サンシッター。魔族三大貴家の一つ、サンシッター家の当主でもあります」

「わたくしが調べたところ、魔族三大貴家とはサンシッター家、ザーコイン家、ラレッターヤ家の三つですねー。ちなみに、それぞれの家の名前は古い魔族の言葉で「力宿す者」「大いなる知恵」「全てを癒す薬」という意味で、これまでに何人もの魔王を輩出してきた、魔族の中でも名門中の名門のようですー」

「おお、さすがは精霊様。そのようなことまでご存知とは。これは余談ではありますが、これまで私に継ぐ地位だった二人の元帥、黒極元帥と白極元帥がそれぞれザーコインとラレッターヤの出身でございます」

「…………本当にそれでいいのか、魔族三大名家……」

 何やら、いろいろと気が抜けてずるずると玉座の上で体勢を崩すレイジであった。




 結局、魔王を引退することは認められなかった。

 その代り、当面は宰相のような立場の者を決め、魔王の政務を一時的に預けることにする。

 その地位に任命されたのは、白極元帥。レイジは当初はマーオをその地位に就けようとしたのだが、魔王の座を退いた者は再び魔王やそれに近い地位には就けないのだそうだ。

「しばらく、私は魔王様の教育係ということで、ひとつ」

 とはマーオの言葉であった。

 そして激動の一日が終わり、新たな魔王となったレイジは与えられた自室で夜を迎えていた。

 魔王の自室だけあって、無駄に広い。

 その広い部屋に、主であるレイジとチャイカ、そしてレイジ付きの女官であるサイファが集まっていた。

「え……っ!?」

 そしてレイジが切り出した話を聞いて、思わずサイファが硬直する。

「何をそんなに驚いているんだ?」

「だ、だってレイジさんが……このお城から逃げ出すなんて冗談を言うから……」

「冗談なんかじゃない。本当にここから逃げ出すんだ。このままだと、俺は魔王なんて面倒臭いものをやらされるからな」

「本気……なんですか……?」

「ああ、本気だよ。俺はね、今までずっと一人で……いや、チャイカがいたから本当に一人じゃなかったけど、俺とチャイカは長い間、限られた場所で暮らしていたんだ。俺が物心ついた時、もう俺の傍にはチャイカしかいなかった」

 窓の外に広がる夜空を見上げながら、レイジは言葉を続ける。

「そして、長い長い放浪の末、ようやくここに辿り着いた。本物の空や本物の大地、そして本物の海が存在するここにね。だから、俺はこの世界をもっと見てみたい。この世界の全部をこの目で直接見て、肌で直接触れて、耳で直接聞きたいんだ。だから、永遠にここで暮らすつもりは俺にはないんだよ」

 レイジはその視線を、夜空から傍らのサイファへと移す。

 真っ直ぐなその瞳を向けられて、なぜか自分の頬が熱を持つのをサイファを自覚する。

「最初、俺はチャイカと二人で世界を見て回る予定だった。でも、今は違う」

 にこり、と屈託のない笑顔をレイジは浮かべる。

「サイファが俺の初めての友達になってくれた。俺はそれがとても嬉しくて……今ではチャイカだけではなく、サイファとも一緒に世界を回りたいと思うようになったんだ」

 聞きようによっては求婚とも取れるようなことを言われて、サイファの顔色が見る見る赤くなる。

 でも、その反面ではっきりと「友達」と言われたことに、彼女の心のどこかが落胆していたのも事実で。

 サイファのそんな複雑な心境に気づくことなく、レイジはサイファへと右手を差し出した。

「だから、一緒に行こう。俺とチャイカと一緒に、この世界を見て回ろう」

 一緒に行ってくれるか? というレイジの問いかけに、サイファは笑顔で頷きながら彼の右手を握り締めた。


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