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魔族領


 遂に、レイジたち一行は魔族領へと足を踏み入れた。

 ここに至るまで、森の中の道なき道を進んで来たレイジたちは、ようやく森の中から街道へと抜け出す。

「ようやく森から抜け出せたなぁ。いくら夢にまで見た大自然とはいえ、これだけ毎日森の中を歩いていたらさすがに飽きてきたよな」

 森から抜け出したレイジは、目の前に広がる草原を見て大きく身体を伸ばした。

「人間領と魔族領を分ける境界線は、いつ戦端が切られるか判りませんからな。そこを大きく迂回しましたので、余計に森の中を進む行程が増えてしまいました」

 パジャドクがレイジと同じように身体を伸ばす。

 彼の部隊のゴブリンやコボルトたちも、森から出た開放感からか皆嬉しそうだ。

「…………魔族領って言っても、何もないんだな……」

 目の前に広がる草原を見渡しながら、レイジが言う。

 彼の隣にはサイファもいて、同じように広がる草原を眺めている。

「まあ、この辺りは戦場になることもありますからな。もう少し南へ進めば、村などの集落も見えてきますぞ」




 一般的に、今レイジたちがいる大陸のことを、人間も魔族も単に「大陸」と呼んでいる。

 その大きさは、かつてレイジたちの祖先が生まれたとされる地球という惑星に存在した、北アメリカ大陸より一回りほど大きい。

 この惑星には、この「大陸」の他にはもう一つ大陸が存在し、そちらは「小大陸」と呼ばれていた。

 「大陸」よりも小さいからそう呼ばれており、大きさは地球で言えばオーストラリア大陸ほど。

 「大陸」と「小大陸」。この惑星に存在する大陸はこの二つのみであり、後は小規模は群島や孤島ばかり。

 陸と海の比率は、およそ1:9と圧倒的に海の方が広い。

 そして、「大陸」の南側半分──地球の方位に倣うならば──を、魔族はその領域として支配していた。

 とはいえ、魔族も「大陸」の南半分を完全に支配しているわけではない。

 「大陸」にはまだまだ人跡未踏な場所が数多く残されており、人や魔族の手が伸びていない地域は無数にある。

 それでも、世間では「大陸」の南半分が魔族領、そして北半分が人間領とされていた。

 この惑星には魔族と人間の他に、竜族という知的生命体がいる。彼らは広大な海をその支配下としており、「大陸」と「小大陸」の沿岸付近以外の海洋は総じて竜族の領域だと認識されている。

 中には「大陸」や「小大陸」に棲息する竜も存在する。だが、それらの竜は知能の低い獣と同等の生物であり、竜族とは別種の竜──亜竜として、三種族から認識されていた。

 地球に倣うと北半球に「小大陸」が、そして南半球に「大陸」は存在する。

 南半球に存在する「大陸」は、南に行くほど寒くなるため、魔族領の南端は年中雪と氷に閉ざされた極寒の地であった。




 などという知識が、レイジの補助脳にはインプットされていた。

 もちろん、これらのデータはレイジが地表に降下する前にチャイカが準備したもので、レイジが人工冬眠している間に地表に偵察用のドローンなどを飛ばして収集したデータを元にしたものだ。

 それらの各種データを補助脳内で検索しながら、レイジは魔族領内を歩く。

 レイジの当初の目的は、パジャドクたちを無事に魔族領まで送り届けることである。こうして魔族領に到達したことで、彼の目的は達成されているのだが、パジャドクがレイジを魔族領の都ガルガンチュアへ招いたのだ。

「ここまでランド殿には本当にお世話になりました。このままランド殿を帰したのでは、魔族八魔将《灼熱》のパジャドクの名折れです。是非、ガルガンチュアにある我が屋敷へお越しいただきたい。精一杯の歓待をお約束しますぞ!」

 ここまで一緒に旅してきたパジャドクに熱心に勧められ、レイジは彼の申し出を受けることにした。

 レイジとしても、魔族の都であるガルガンチュアには興味がある。是非、魔族の都をその目で見てみたい。

 そんな思いもあって、レイジとチャイカとサイファ、そして、狼形態ですっかりレイジのペットの座に収まったラカームは、パジャドクの部隊と共に魔族領をガルガンチュア目指すことになったのだ。




 最初は見渡す限りの草原だったが、それは徐々に農地へと変化していった。

 広い農地では、レイジが見たこともない動物が家畜として使役されている。

「……あれって何だ?」

「あれはレディックですね。魔族領では食肉にされたり、こうして農地で使役したりと極めて有能な家畜です」

「わたくしたちから見ると、完全に巨大なカブトムシですねー」

 そう。リーンがレディックと呼んだ家畜は、見た目はカブトムシのようだった。

 ごつごつとした硬そうな皮膚と、頭から長く突き出した角。足もしっかりと六本ある。

 しかし、その足は昆虫のように細くはなくがっしりと太く頑強そうで、地球で言えば昆虫ではなく哺乳類に近い生物のようだ。

「レディック……人間の領域で言えば、牛に該当する家畜なんでしょうか?」

「多分、そうじゃないかな?」

 速度は遅いものの、力強く農地で働くレディックを見て、レイジとサイファが言葉を交わす。

「……こうして見ると、魔族領も人間領もほとんど変わりませんね」

 確かに農地を耕しているのは人間ではなく魔族だし、そこで使われている家畜もサイファには見たことのないものばかりだ。

 だが、営みそのものは、確かに人間領も魔族領も同じようにサイファには見える。

「人間も魔族も見た目の差はあれど、こうして同じように暮らしているのに……どうして、長い間争い合っているのでしょうか?」

「うーん……そればっかりはなぁ。所詮、俺はここでは余所者だしな」

「魔族の歴史では、人間と争うことになった理由ってどうなっているんですか?」

「それがですな、精霊様。人間よりも長寿な種族も多い魔族の間でも、人間と争うことになった理由ははっきりしておらんのです。それぐらい長い間、我ら魔族と人間は争い合っているのです」

 レイジとサイファ、そしてチャイカとパジャドクの会話。彼らの会話を聞いていたリーンが、ふと何かを思いついたかのような表情を浮かべた。

「……もしかすると……」

「え? どうかしたのか、リーンさん?」

「いえ、人間も魔族も互いに争う理由が判らなくても……魔族よりももっと長寿な種族であれば、その理由を知っているのではないか、と思いまして」

「それって……」

「はい。ランド様のお考えになられている通りです」

 竜族。

 その名称が、レイジたち全員の頭の中に浮かんだ。




 思わぬ沈黙に支配された場を、チャイカの陽気な声がひっくり返す。

「あははー。ここにいない竜族のことを言っていてもどうしようもありませんよー。それよりも、今後の予定などを確認した方が建設的ってものじゃないですかー?」

「う、うむ、そうだな。精霊様のおっしゃる通りだ。ここからガルガンチュアまで、まだまだ距離があります。今日明日に到着するというものでもありません」

「となると、森から出たとはいっても、これまでとそれほど変わりはないわけだな」

「は、レイジ殿のおっしゃる通りです」

 パジャドクの説明とチャイカから送られてくる監視衛星のデータを元に、この地点から都までの距離を割り出せば、まだまだ一週間以上の時間がかかりそうだ。

 とはいえ、これからは街道を使うことができるし、途中の宿場町などにも泊まることができる。

 今までのように森の中ばかりの行程からしてみれば、かなり楽な道のりとなるだろう。

「丁度この先に大きめの宿場町がありますので、本日はそこまで進みましょう」

 パジャドクのその提案に、レイジたちは頷いた。




 その日の夕刻、レイジたち一行はパジャドクの言っていた宿場町に辿り着いた。

 その宿場町は、レイジとサイファが出会ったあの村よりも余程大きく、たくさんの宿屋や各種の商店、そして一夜の寝床を求める旅人で賑わっていた。

「おお、人……じゃない、魔族が一杯いるな!」

 宿場町の中は、様々な種族の魔族がいた。

 ゴブリン、コボルト、エルフ、ドワーフ、オーガー、ギルマン、ケンタウロスやミノタウロスなどなど。中にはどんな種族か一見しただけでは判らない者もいて、レイジは目を輝かせて町の中を歩く魔族たちを眺めている。

 レイジにしてみれば、これだけ多くの人々──広義で魔族もまたヒトである──を見るのは初めてなのだ。

 そんなレイジの隣で、彼と同じように町の中を眺めていたサイファは、あることに気づいて慌ててレイジが着ているフードの付いた外套を引っ張った。思い至った。

「あ、あの、レイジさん。あまり目立つことは控えた方がいいんじゃありませんか?」

「そうか。魔族の町の中に人間がいることがばれると、ちょっと拙いもんな」

 今、レイジは外套のフードを目深に被っている。そのため、一見しただけでは彼が人間だとばれることはまずないだろう。

 それでもレイジたちを町の人々がちらちらと興味深そうに見ているのは、レイジのその外套や肩にかけたライフルが物珍しいからに違いない。

 だが、そんな心配を彼らの傍らのパジャドクが笑い飛ばした。

「はははは、あまり心配しなくてもよろしいですぞ、ランド殿。魔族領の中には、数は少ないものの人間も暮らしておりますからな。ランド殿が人間だと判っても、それほど騒ぎになることはありません」

「え? 魔族領に人間がいるのか?」

「元は昔の戦争の時に捕えられた捕虜なのですが、その能力を認められて魔族領の中でも一市民として普通に暮らすことを許された者たちがおりまして。そんな元捕虜たちの子孫が、今では魔族領で暮らしているのです」

 実力主義の意識が高い魔族の中では、例え人間であろうとも能力さえあれば重用される。

 現在でも捕えた捕虜の中で能力が認められ、尚且つ魔族に帰順することを望む人間は、魔族の一員として認められるとパジャドクは説明する。

 捕虜とはいえ、養うにはそれなりの費用が必要となる。捕虜でも能力が認められて魔族に協力する意思があれば、費用削減と人材確保の両面でメリットとなるため、喜んで迎え入れられる傾向にある。

「もっとも、捕虜から市民となって間もない者は、ある程度は魔術を用いて行動に縛りをかけます。そうでないと、間諜が入り放題になってしまいますからな」

「なるほどねぇ。魔族って結構自由な連中なんだな」

「ランド殿に関してはこの私、《灼熱》のパジャドクがその身柄を保証致しますので、ご自由にしてくださって結構ですぞ」

「じゃあ、サイファはどうなんだ?」

「サイファ殿は半魔族ですからな。魔族領には半魔族は珍しくありませんから、心配する必要はないでしょう」

 人間領の中では忌み嫌われる半魔族。様々な理由で人間の社会から飛び出し、魔族領へと流れて来る半魔族も少なくないという。

「では、私がよく知っている宿へと向かいましょうか。ここは境界線に近いため、行軍中の軍が立ち寄ることも多いので、私も何度も訪れているのですよ」

 パジャドクは先頭に立ち、レイジたちを案内して宿場町の中を歩いていく。

 巨漢であり、金属の鎧を着込んだパジャドクの姿は人人混みの中でもよく目立つ。

 このような人混みは初体験であるレイジとサイファだったが、特に苦労することもなく人混みの中を歩き、パジャドクの案内する宿へと辿り着いた。

 その途中、はぐれるといけないからと、レイジの左手とサイファの右手はしっかりと握り合わされていた。

 手を引かれてレイジの背中を追う形となったサイファ。彼女のやや伏せられた顔は真っ赤だったが、人混みの中に紛れて誰にも気づかれることはなかった。


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