腕試しの行方
たん、という軽い音と共に、銀色の狼へと変貌したラカームが地を蹴った。
銀狼はそれまでのラカーム以上の速度で、一気にレイジとの間合いを詰める。
ラカームが狙うのはレイジの足。動きを止めてから急所を狙うのは、狼の常套手段だ。
まさに稲妻のような猛チャージを、レイジは横に飛び退けるようにしてぎりぎり回避した。
がちん、という顎が閉じる音が、レイジの耳にはっきりと届く。
「こ、降参! 降参で俺の負けってことで、もう止めない?」
両手を肩の高さに上げ、負けを主張するレイジ。
だが、ラカームは何も言わずにぐるるると唸り声だけを上げ、再び地を蹴ってレイジに迫る。
「人の話を聞く気ゼロかよ……」
レイジは左手に装備した単分子ワイヤーを頭上の樹の枝に向けて放つ。
枝に絡みついたワイヤーを、小型ウィンチが音を立てて巻き上げる。
それに引かれて宙を舞ったレイジは、枝を両手で握ると軽々と身体を持ち上げて枝の上に避難した。
地上でじっとレイジを見上げる狼形態のラカームを眺めつつ、レイジはどうしたものかと思い悩む。
「本当に俺を殺す気でいるのかな、ラカームさんは?」
「強ければ正義……ってのが魔族の流儀なんですかねー?」
「それ、実際にありそうだよな……」
樹上でレイジとチャイカが言い合っていると、地上のラカームに変化が生じた。
ぱちぱちという何かが弾ける音が、狼となった彼女から聞こえてきたのだ。
銀狼の毛皮がぞわりと逆立ち、そこに輝きが生まれる。
輝きはぱちぱちと小さく弾けながらどんどん強くなっていく。
「あ、あれって……」
「ええ、電気ですねー。どうやら、ラカームさんは電気系統の魔術の使い手、もしくは特殊能力の持ち主なのでしょう。それで電気に対する耐性も高いってわけですか。彼女の二つ名から推測すべきでしたね」
レイジの放電銃が放った電撃を浴びても平気だったラカーム。どうやら彼女の能力自体が電気に関するものらしい。
《雷狼》という二つ名は、今の帯電した狼の姿から由来しているのだろう。
暗闇に包まれた森の中、ラカームが放つ輝きが周囲を照らし出す。
おぉぉん、という咆哮と同時に、ラカームの身体に蓄えられた電気が一斉に周囲に放射された。
放射された電気は下生えを焼き、大地を砕き、樹木を蹂躙する。
「や、やばいっ!!」
放射された電撃がレイジにも迫り、彼は慌ててワイヤーを再放出、離れた別の樹へと飛び移った。
ラカームの放つ電撃が、森の木々を破壊していく。
どうやら動きながら電撃を放つことはできないらしく、ラカームの足が止まっているのが幸いだった。
電撃の効果範囲から逃げ出したレイジは、ぶすぶすと燻るラカームの周囲を見て眉を寄せる。
「……山火事とか大丈夫かな?」
「早く決着を着けて、リーンさんとか呼んで来た方が良さそうですねー」
「決着を着けるって言ってもなぁ……」
放電を終えたラカームが、地上からじっとレイジを見ている。
その姿から、レイジはラカームがドヤ顔で自分を見ているような気がした。
「向こうもその気なんですから、こっちも遠慮しないでやっちゃいましょー。多少の怪我ならリーンさんが治してくれますって」
「その目には目をな考えはどうかなぁ」
「じゃあ、レイジ様には他にアイデアがあります?」
そう言われると返答に困るレイジである。
銃器を使わない格闘戦技術で、今のレイジではラカームに勝てないだろう。ましてや、今の狼形態のラカームは人間の姿よりも更に素早い。
回避に専念したとしても、いずれ掴まってしまうに違いない。
はぁ、と重々しい溜め息を吐いたレイジは、ある種の決意をその瞳に浮かべた。
「仕方ない。怪我させることは後で誤ろう」
レイジは腰から九ミリのオート拳銃を引き抜くと、両手で保持してラカームに向けて構えた。
ぱぱぱん、とオート拳銃が数度連続で咆哮し、吐き出された弾丸がラカームを襲う。
狙うは彼女の前脚。精密な射撃を要求されるが、レイジの眼にインストールされた高性能な照準器がそれを可能にする。
だが、解き放たれた弾丸を、ラカームは軽快に回避する。
〈……信じられない機動性だな〉
〈そう言えば、数百年前のレトロゲームにこんな敵がいましたね。帯電すると動きが早くなる狼みたいなヤツ。尻尾とか角とか破壊できるんですよねー〉
〈相変わらずレトロなゲームが好きだな、チャイカは〉
〈昔のゲームには名作が多いですから。レイジ様が眠っている間、暇だったので思考を分割して大昔のTRPGをしていたら、それにハマったのが始まりですけど〉
脳内で場違いな会話を続けている間も、レイジはワイヤーを用いて頻繁に場所を移動し、射撃を続けている。
だが、その尽くを、ラカームは回避する。
おそらく、ラカームは銃器の仕組み──火薬を爆発させて弾丸を飛ばす──を理解しているわけではないだろう。
だが、何か小さなものが自分に向けて飛来するのは、間違いなく感知している。
狼となって知覚が鋭敏になっているのか。もしかすると帯電した電気が、何らかのセンサーの役割も果たしているのかもしれない。
「どちらにしろ、このまま普通に撃っていても効果はないってことだな」
グリップから空になったマガジンを引き抜き、新たなマガジンを叩き込みながら、レイジはぼそりと呟いた。
空気を引き裂いて、ラカームの放つ電撃が奔る。
レイジはワイヤーを巧みに操りながら、空中を立体的に移動して電撃から逃げ回る。
「一瞬で落とし穴を掘る方法ってないかな?」
「ないでしょうねー。例のレトロゲームには、そんなアイテムもありましたけど」
ワイヤーでラカームの身体を絡め取ることは可能だろう。
だが、単分子ワイヤーは鋭すぎて、四肢の切断などの大怪我を負わせてしまいかねない。
そのため、レイジはワイヤーを使ってラカームを絡め取るという選択を当初から捨てていた。
「ラカームさんの動きを止めるのが先決か……」
レイジはオート拳銃を腰のホルスターに収めると、ベルトポーチから球状のものを二、三個ほど取り出し、ピンを引き抜いてラカーム目がけて投擲した。
投擲と言っても勢いはそれほどでもなく、逆にラカームはそのことに当惑し、投擲されたものが何なのかを判断しようとする。
それが裏目に出た。
突然、空中に幾つもの閃光が迸る。
レイジが投擲したもの、それは閃光手榴弾──いわゆるフラッシュグレネードだ。
宵闇を切り裂く閃光は闇に慣れたラカームの目を焼き、視界を真っ白に塗りつぶされたラカームがぎゃんと悲鳴を上げた。
「おお、閃光玉!」
「いい加減、大昔のゲームから離れろって」
レイジは更にポーチから同じような形態のものを取り出し、再びラカームに向けて投げつける。
閃光によって僅かな時間視界を潰されたラカームは、それでも人間よりも遥かに鋭い聴覚と嗅覚で、自分に向けて何かが飛来していることを感じ取る。
聴覚と嗅覚を最大限に活用し、ラカームは飛来するもののコースを確認し、すぐさま回避を試みようとした。
だが、これもまた裏目だった。
レイジが投擲した球体が空中でぱん、という渇いた音と共に弾け、中味を周囲に撒き散らす。
途端、ラカームの鼻を差すような刺激が襲った。
二度目にレイジが投擲したのは、いわゆる催涙手榴弾である。
閃光手榴弾によって視覚を封じられ、次に投擲されたものの正体と投擲コースを読み取るため、その鋭い嗅覚を最大限に活用しようとしたラカーム。
彼女の鼻は、周囲の大気に撒き散らされた刺激物質を大量に吸い込んでしまったのだ。
鼻を襲う刺激に、ラカームは大地を転げ回る。
前脚で必死に鼻面を擦って刺激を払おうとするが、その程度で大量に吸い込んだ刺激物質が取り払われるわけもない。
ラカームはぎゃんぎゃんと辛そうな鳴き声を上げながら、転げ回りながらもがき苦しむことしかできなかった。
レイジは辛そうに転げ回るラカームに近づくと、まだ狼形態の彼女を力一杯抱き締めた。
「ほら、落ち着いてラカームさん。すぐに中和剤を使うから、もう少しだけ我慢してくれ」
片手でベルトポーチから噴霧式の刺激物質の中和剤を取り出し、ラカームの鼻先にぷしゅっと吹きかける。
中和剤は即効性らしく、苦しそうにしていたラカームもすぐに落ち着きを取り戻した。
そして、ようやく視界を取り戻した両眼を開けて、じっとレイジを見つめる。
「ごめんな、ラカームさん。でも、俺の話を聞かなかったラカームさんだって悪いんだぜ?」
レイジは狼の身体を抱き締めながら、そっと彼女の頭も撫でてやる。
「うわ、狼になったラカームさんの毛並み、メチャクチャ手触りいいな。この前触った狼とは段違いだ」
銀に輝くラカームの毛皮は、さらさらとした極上の肌触りをレイジの掌に伝えてくる。
数日前に触った狼の手触りは、どちらかというとごわごわしていたが、それとは全く異なる感触だった。
ラカームが嫌がらないことをいいことに、レイジはその感触を存分に楽しむ。
彼女もレイジの掌が気持ちいいのか、いつの間にか目を閉じて座り込んだレイジの太股に顎を乗せ、尻尾をぱたぱたと振りたくっていた。
森の向こうから、複数の者たちが近づいてくる気配がした。
レイジは立ち上がり、ラカームもまた、狼形態のまま態勢を整える。
夜の森の中、木々や下生えを払いながらやって来たのは、パジャドクとリーン、そしてサイファだった。
「もう済みましたかな、ランド殿」
「……やっぱり、パジャドクさんたちも気づいていたか」
「ええ、あれだけ派手に光ったり音がすれば、誰だって気づくと言うもの」
苦笑しながらそう言ったパジャドクは、次にリーンに指示を出した。
「すぐに火を消せ。大事になる前にな」
「了解しました」
リーンは水の魔術を展開すると、ラカームの放電で燻っている下生えや木々の火を消火していく。
どうやら、山火事に発展することはなさそうだ。
「それでラカーム。ランド殿がただの人間ではないと……勇者であると納得したか?」
パジャドクは狼形態でレイジの傍にいるラカームに尋ねた。
ラカームは何度も頷くと、嬉しそうにレイジの周りを跳ね回る。その様子はまるで飼い主にじゃれつく飼い犬のようだ。
「あ、あの……レイジさん……お怪我はありませんか?」
パジャドクの背後から、おずおずと顔を出したサイファが質問する。
「ありがとう、サイファ。俺もラカームさんも怪我はしていないから、安心してくれ」
笑顔でそう答えたレイジは、同意を求めるようにラカームの頭を撫でてやる。
その様子を、サイファはどこか複雑そうな目で眺めていた。
その夜はそのまま休むことにしたレイジたち。
そして何事もなく夜明けを迎えることになる。
いや、何事もなくというのは正確ではないだろう。
朝になって周囲が明るくなった時、ラカームの姿が消え失せていたのだ。
彼女の衣服や鎧もなくなっており、反対に「無茶なことをしてごめんね」という書き置きが残されて。




