腕試し
「…………というわけだから、一つ腕試しをさせてね?」
にっこりと。
実に楽しげに微笑みながら、《雷狼》のラカームがそんなことを言い出した。
大猪の焼き肉を十分に堪能した後。
レイジはラカームの「ちょっと付き合ってくれない?」という誘いに応え、彼女と一緒に森の中へと分け入った。
月明りも殆ど届かない森の中は、全くの暗闇と言ってもいい。
だが、生来の暗視能力を持つラカームと、後天的だが暗視能力を得たレイジには、ほんの僅かな光があれば問題ない。
今、この場にいるのはレイジとラカームのみ。
パジャドクとリーンは、二人が森の中へ入っても何も言わなかった。
おそらく、彼らはラカームの目的を察しているのだろう。
サイファは心配そうにレイジの背中を見つめていたが、それでも何も言わなかった。
レイジを信頼しているのか、それとも何も彼女からは言えなかったのか。もしかすると、サイファ自身にもよく判っていないのかもしれない。
そのような経緯の後、レイジとラカームは森の中でこうして対峙しているのだった。
「いやー、実に安直ですねー。レイジ様の正体を探るため、いっちょバトってみようってところですかー?」
レイジの隣に展開されたチャイカの立体映像。こちらはウキウキとした表情を隠すつもりもなようで、実に楽しげに応えていた。
「精霊様のおっしゃる『バトる』ってのが何かよく判らないけど……腕試しと言えば模擬戦が定番でしょ? だからレイジくん、私とちょっと模擬戦やらない?」
「模擬戦ねぇ……」
腕を組みながら、レイジはあれこれと考える。
レイジの主武装は銃器である。銃器とは「手加減」が一切できない武器だ。
銃器でラカームを下手に撃てば、一歩間違うと彼女に深手どころか致命傷を負わせかねない。
かと言って接近戦用の武器の扱いでは、今のレイジではおそらくラカームに歯が立たないだろう。
パジャドクは筋力特化型のため、行動はそれほど速くはなく今のレイジでも何とか対抗できる。
だが、ラカームは見るからに速度重視型だ。
金属鎧を着込んだパジャドクとは真逆の、身体の要所要所だけを守る革鎧。それは彼女が速度重視の回避を得意とする戦闘スタイルのためだろう。
もちろん、ラカームの戦闘を直接見たわけではないので、必ずしもそうとは限らない。だが、間違いなく彼女の速度はパジャドクを上回っているはずだ。
「…………正直、模擬戦じゃあ俺はラカームさんに勝てないと思うけど?」
「あら、そうなの?」
レイジの言葉が意外だったのか、ラカームはきょとんとした表情を浮かべる。
だが、その表情はすぐににんまりとした笑みへと変化した。
「じゃ、実戦で行きましょう。私も本気でレイジくんを殺しにかかるから、レイジくんも遠慮なく私を殺すつもりできてね?」
「ちょ、ちょっと待てって。模擬戦からどうしていきなり実戦になるかなっ!?」
「この人、思ったよりバトルジャンキーなんですかねー?」
慌てるレイジと、他人事のように暢気なチャイカ。
二人が見つめる中、ラカームの両手の爪がぎちぎちと音を立てて伸びていく。
どうやら、鋭い爪を駆使した格闘戦が彼女の戦闘方法のようだ。
「じゃ、行くわよ」
すぅと目を細めたラカームは、気軽にそう宣言した直後にレイジに向かって猛然と襲いかかった。
空気を切り裂いて、ラカームの爪が襲い来る。
今、彼女の爪の長さは十センチ以上もあり、短剣よりも鋭い凶器となっていた。
その爪が、僅かな時間差を伴って左右からレイジ目がけて振り抜かれる。
レイジの強化された各種の知覚は、その爪の軌道と速度を正確に読み取っていた。
左右に逃げ場はない。かといって、背後に飛び退くのもまずい。ラカームの速度はやはりパジャドクよりも数段速く、例え背後に飛び退ったとしても、すぐに間合いを詰められるだろう。
となると、逃げ道は只一つ。
ブーツに仕込んであるガス圧式のブースターを点火し、レイジは辛うじて上空へと逃がれた。
「へえ、それが《天眼》の言っていた不思議な魔術? 確かに魔素の揺らぎが全然感じられないわね」
おもしろそうに告げたラカームが、レイジを追うように跳躍する。
既にレイジの身体は森の木々よりも高く舞い上がっている。ラカームがどれだけ跳躍しようが、普通ならば到達できる高さではない。
しかし、ラカームは木々の幹を何度も蹴り、どんどんその高度を上げていく。
逆にレイジの身体は最頂点に到達し、今は落下に入っていた。
ブースターによる跳躍は飛行ではない。一度のブースターの点火で跳べる高さには限界がある。
空中にいるレイジへと、森の木々を抜けたラカームが下から襲いかかる。
どんどんと大きくなるラカームの姿を見て、レイジはにやりと笑みを浮かべた。
確かにブースターの跳躍には限界がある。だが、それは一度の点火による限界だ。
レイジのブーツに仕込まれたブースターは、カートリッジ式の圧縮ガスを燃料にしている。カートリッジ一つで、三回の跳躍が可能なのである。
落下しつつあるレイジが再度ブースターを点火させ、更に高く舞い上がる。
「うそっ!! あそこからまた飛ぶのっ!?」
木々の幹を蹴った跳躍では到底届かない距離へと逃げていくレイジに、ラカームが驚きに目を見開く。
そして、今度はラカームが落下する番だ。
木々の枝をへし折りながら、体勢を整えたラカームは難なく着地する。
ほんの僅かな後、レイジもまた大地に降り立った。
ブースターに残された最後のガスを利用して、落下に制動をかけながら。
互いに着地し、二十メートルほどの距離を置いて、レイジとラカームは改めて対峙した。
「うふふふ。楽しくなってきたわ!」
ぺろりと舌を伸ばし、ラカームは己の唇を湿らせる。
明らかに戦いに興奮している様子のラカームを見て、レイジははぁと盛大に溜め息を吐いた。
銃器は使えない。いや、使うつもりがない。
この状況においても、レイジはラカームを傷つけるつもりはなかった。
〈いいのですか? 多少の傷ならばリーンさんが癒してくれるでしょうに〉
〈そうだけどさ。それでも銃は使いたくないんだ〉
〈となると、レーザーブレードも駄目ですね。ってことは……〉
〈ああ。残された武器は放電銃だけだな〉
レイジは声なき声でチャイカと相談する。そして、腰から放電銃を抜きラカームへと向けて構えた。
「あら、それも見たこともないものね。もしかして、魔封具の類かしら?」
自分へと向けられたテイザーに、ラカームが興味を示す。
「これが何か……身体で味わって理解しなよ」
そう言い置き、レイジはラカーム目がけて突っ込む。
放電銃は射程距離が短いので、相手に近づかなければ効果がない。
そして、近づくのはラカームにとっても望むべきものだ。
「レイジくんの方から来てくれるなんて、嬉しいわね」
ラカームが伸びた爪をレイジへと向ける。
そして、レイジが爪の制空権内へと飛び込む────その直前。
不意にレイジの身体が左へ引っ張られるように流れた。
あまりにも唐突なその動きに、思わずラカームの腕が止まる。
その隙を突いて、真横へと引っ張られるように移動したレイジは、ラカームに向けて高圧電流の奔流を浴びせかけた。
レイジの唐突な横への移動。その正体は彼に左腕に装着した防具のようなパーツに仕込まれた、単分子ワイヤーである。
ラカームへと駆け寄りながら手近な樹へと単分子ワイヤーを巻き付けたレイジは、タイミングを見計らってワイヤーのウィンチを巻き上げたのだ。
そのため、急激な横移動を成し遂げたレイジは、ラカームが見せた僅かな隙を突いて放電銃の引き金を引き絞る。
暗い森の中に、正しく雷光のような閃光が走った。
放電銃より迸った電流が、ラカームの露出過多な身体を捕える。
電流を全身に浴び、ラカームの身体がびくりと震える。だが、すぐに彼女はにやりとした笑みを浮かべた。
「まさか、無詠唱で雷撃魔術が発動するなんてびっくりしたわ。でも残念。私、雷撃には耐性が高いの。《電狼》の二つ名は伊達じゃないのよ?」
至近距離から電撃を浴びてけろりとしているラカームを見て、思わずレイジは呆然とする。
「おいおい……放電銃の電気を浴びて平気なんて……本当に生き物か?」
「さすがファンタジーが大手を振ってまかり通る世界ですねー。わたくしたちでは考えられないことです」
余りにも想定外すぎたことに、呆然と立ち尽くすレイジ。そんなレイジを見て、ラカームが再びにやりと笑う。
「どうやら、レイジくんは切り札を見せてくれたみたいね? だったら、今度はこっちが切り札を見せちゃおうっかな」
何とも楽しそうにそう言ったラカームは、伸びた爪を元の長さに戻すと、何故かいそいそと身に纏っている革鎧を脱ぎ始めた。
鎧を脱ぎ、その下の鎧下を脱ぎ、そして下着までをも脱ぎ去ったラカーム。
今、彼女はその美しい裸体を、惜しげもなくレイジの前に晒していた。
「もしかして、ラカームさんの言う切り札って、ご自身のヌードのことですか? 確かにまだ女性を知らないレイジ様には効果絶大かもですねー」
そう言うチャイカの隣では、当のレイジが真っ赤になりながらもラカームのヌードをガン見していた。
レイジも健全な青少年なのだ。
恥ずかしがる素振りも見せず、全裸を晒したラカームが不敵に笑う。
そして、そのまま大地に手を着くと、全身に魔素を行き渡らせていく。
がちがちとラカームの骨格が変化する。
滑らかだった彼女の裸体のあちこちから、急激に獣毛が伸び始める。
鼻面が前へと突き出し、口が大きく裂ける。
全身が獣毛で覆われ、骨格までもが大きく変貌したラカームが、高々と咆哮を上げた。
今。
ラカームは、その姿を銀色の毛並みを持った巨大な狼へと変貌させた。




