《雷狼》のラカーム
その妙に露出度の高い女性を見た時、すぐにレイジは脳内でチャイカに問いかけた。
〈今、各種センサーに反応はあったか?〉
〈殆どのセンサーは今、役に立ちませんからー。感熱センサーは周囲に魔族の方々多すぎて意味を成していないし、震動センサーも魔族の方々が動き回っているので同様です。そもそも、レイジ様が現行で携帯している小型のセンサーでは有効範囲が狭すぎですけどねー〉
感熱センサーや震動センサーを広範囲で利用するなら、やはり車両を降ろしてその車両に搭載すべきですね、とチャイカは続けた。
戦士として鍛え抜かれたパジャドクの知覚や、各種の知覚センサーの影響で常人よりも感覚の鋭いレイジでさえ、その女性の接近には気づくことができなかったのだ。
突然現れたこの女性が、密偵や野伏、もしくは暗殺者として極めて優れた技能を有していると考えた方がいいだろう。
髪の色は鮮やかな銀色で、その長さはあまり長くはなく、肩よりもやや長いほど。
瞳の色は緑柱石のようはグリーン。肌の色は処女雪のそれだ。
身体を覆う面積の小さな革鎧は、ぴったりと彼女の身体に貼り付くように装備されており、彼女のそのメリハリの効いたボディラインを浮彫にしている。
そして何より特徴的なのが、彼女の頭頂部から突き出した獣のような耳と、尻の辺りでゆらゆらと揺れる尻尾だろう。
〈おおおっ!? 獣っ娘、獣っ娘ですよレイジ様っ!? あるベクトルにおける萌えの象徴、獣っ娘が目の前にっ!!〉
〈どんなベクトルだよ、それ……〉
音声ではない会話で、レイジとチャイカがそんなやり取りを交わしているとは知らないパジャドクが、その女性を見て驚愕を露にしている。
「ら、《雷狼》……? ど、どうして貴様がここに……?」
「うふふ。久しぶりね、《灼熱》」
謎の女性とパジャドクが言葉を交わす。
「パジャドクさんの知り合いか?」
「はい、ランド殿。この女は私と同じ八魔将の一人、《雷狼》のラカームと言う者です」
レイジに対し、どこか恭しい態度で接するパジャドクを見て、《雷狼》と呼ばれた女性がおもしろそうに目を細める。
「へえ……《天眼》から聞いていたけど……本当にあの《灼熱》が人間相手にね……」
「《天眼》だと? そうか、《天眼》の『目』がこの付近にいるのか。それで我らの存在を知り得たのだな?」
「そういうこと」
よくできました、とばかりににっこりと微笑む《雷狼》のラカーム。
彼女の尻から伸びたふさふさとした尻尾が、ゆったりと左右に揺れる。
「それで《灼熱》。その人間は何者なの?」
それまで楽しげに細められていたラカームの目。細められたままのその目に、値踏みするような鋭い光が宿る。
もちろん、その目を向けているのはレイジだ。
「こちらは勇者ランド殿だ。人間の領域に迷い込んだ我らを助けてくださり、現在は共に魔族領へと帰還する途中である」
「…………勇者ぁ?」
レイジを検分するように見つめていたラカームが、突然胡散臭いものを見るような目でレイジとパジャドクを交互に見比べた。
「勇者って言ったらアレでしょ? 人間たちが信仰するある宗派に昔から伝わる伝承で、人間たちが窮地に陥った時に神々が遣わすとかいう救世主のことでしょ? 仮にその人間が本物の勇者だとしたら、どうして魔族と一緒に魔族領を目指しているの?」
「うむ、貴様が疑問に感じるのも当然だろう。だが、ランド殿は間違いなく勇者であり、その大きな慈悲の心を人間だけではなく我ら魔族にも向けてくださったのだ」
「…………アンタ、どこかに頭でもぶつけた……?」
ラカームがパジャドクを見る目が、胡散臭いものから気味の悪いものを見るような目にシフトチェンジした。
「ふーん、そんなことがあったんだ」
その日、日が完全に沈んでから。
パジャドクの部隊は、狩った大猪の肉で盛大な宴会を楽しんでいた。
森の中の開けた空間──大猪が駆け回ったせいでできた──の中央では大きな篝火が焚かれて、その炎を利用して大猪の肉が焼かれている。
水系の魔術が使える者が近くにいるので、周囲に炎が燃え移ることはまずない。
思いがけないご馳走にありつけた部隊の者たちは、皆賑やかに焼き肉と会話を楽しんでいる。
楽しそうにはしゃぐゴブリンやコボルトたちから少し離れて、部隊長のパジャドクとその副官であるリーン、そしてレイジとチャイカ──の立体映像──、サイファと言った面々は、突然現れた《雷狼》のラカームにこれまでの経緯を説明していた。
もちろん、彼らも大猪の焼き肉を味わいながらである。
焼き肉の味付けは、レイジが提供した塩のみの実に素朴なもの。
だが、そこには素朴ながらの深い味わいがあった。
レイジもパジャドクもリーンもサイファも、そして本当にご相伴に預かることになったラカームも、大猪の焼き肉を心行くまで味わっていた。
「突然現れた人間……勇者が、人間の村を救いながらも魔族の命まで助けた、ねぇ。普通に考えれば信じられないわね」
「確かに、ラカームの言うことも理解できる。だが、これは紛れもない真実なのだ」
胸を張りながら──片手に焼けた肉を刺した串を持ちつつ──、パジャドクがきっぱりと言い切った。
「まあ私だって、パジャドクが嘘や出鱈目を言っているとは思っていないわ。だってアンタ、そういうの一番苦手でしょ?」
肉を齧りながらのラカームに真っ正面から言われて、パジャドクは少々バツの悪そうな顔をした。
彼は指揮官として作戦を立案する際、その性格上敵と真っ正面からぶつかって粉砕するようなものを好む傾向がある。
それが彼ら八魔将の上司にして、魔王の側近でもある《黒極元帥》がパジャドクを「脳筋」と評価する点であった。
「はぁー、食べた、食べた。すっごく美味しかったわよ。えーっと、勇者……?」
「俺はレイジだよ。皆は俺のことを勇者とか言うけど、決してそんな偉そうなものじゃないからな」
「レイジねぇ……」
獲物を見定める肉食獣のような鋭い視線で、ラカームはじろじろとレイジを見る。
レイジ自体はラカームに見られていてもさして気にした様子もないようだが、なぜかその傍らにいたサイファがすごく気にした様子で、落ち着きなくレイジとラカームの間で何度も視線を行き来させていた。
正直、ラカームも判断に困っていた。
パジャドクの部隊と一緒に行動している、レイジという名前の人間。その人間はパジャドク曰く、勇者なのだそうだ。
そんな話、ラカームでなくともはいそうですかと、そのまま信じたりはしないだろう。
しかし。
パジャドクの部隊を構成する下級魔族たち──ゴブリンやコボルトたち──が、異様にその人間に懐いていることがラカームには気がかりだった。
本来、ゴブリンやコボルトたちは力の強い者には絶対的に服従する。
強き者、実力のある者に従う。それは魔族にとって、ある意味絶対的なルールの一つである。
そのため、上位者に下位者は従う。しかし、そこには当然ながら心理的な不満が発生する場合も少なくはない。
特に魔族の中でも底辺に近いゴブリンやコボルトたちは、常に上位者からの命令と圧力に晒され、常日頃から様々な鬱憤を抱えているものだ。
上位者の命令には従う。ただし、それは渋々従っているに過ぎず、そのせいかゴブリンやコボルトには卑屈な性格の者が多い。
常に上位者には媚びへつらい、下位者には攻撃的に接する。それが一般的なゴブリンやコボルトである。
もしもあの勇者が単なる捕虜の人間であれば、ゴブリンやコボルトたちがあれほど親しそうにするはずがない。
捕虜とは、この一行の中では最下層に位置する。当然、ゴブリンやコボルトたちは、捕虜に攻撃的な態度で接するだろう。
反対にあの勇者が本物であれば、ゴブリンやコボルトたちはもっとおどおどとするはずだ。
だが、この部隊のゴブリンやコボルトからは、そんな雰囲気は全く感じられない。
そのことが、ラカームには気がかりなのだ。
そして、勇者本人もまた、ゴブリンたちには友好的だ。
ゴブリンやコボルトは、同じ魔族であるラカームから見ても醜悪な外見をしている。
そのゴブリンやコボルトたちを前にしても、勇者は取り立てて態度を変えることもない。
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら纏わり付くゴブリンたちを、まるで自分に群がる子供でも相手にしているように笑顔で接していた。
本当にあの勇者は人間なのだろうか? もしかして、人間に化けた同族ではないのか?
そんな考えさえが、ラカームの脳裏を横切る。
更には、パジャドクやリーンの情報によれば、勇者は独特な魔術を幾つも行使するという。
ならば、その独特な魔術を見てみれば、多少は何か判別できることがあるかもしれない。
パジャドクたちの言う勇者。その存在が魔族にとって仇となるものである場合、彼の命を絶つ。それが偉大なる魔王様よりラカームに与えられた使命だ。
ラカームはそんなことを考えながら、勇者と呼ばれる青年をじっと見つめていた。
「…………どう思う?」
いまだに続いている賑やかな焼き肉パーティー。
こっそりとそこから離れて暗い森の中に入ったラカームは、虚空を見上げながらそう呟いた。
すると、その呟きに応えて妙なものが出現する。
それは目だ。
ラカームの握り拳ほどの大きさの眼球が、滲み出るように虚空から出現したのだ。
「私たちの話、聞いていたのでしょう、《天眼》?」
「まさか、あの人間が勇者だったとはな。さすがの儂もびっくりしたわい」
彼女の声に応えたのは、ここから遠く離れた魔王城にいるはずの《天眼》だ。
フワフワと宙を漂う巨大な眼球。これこそが《天眼》の「目」だ。
自身の眼球を媒体にして、遠隔地を見ることのできる魔術端末をいくつも作り出す。
それが《天眼》だけが使用できる魔術であり、彼が魔王軍の中で一定の地位を確保している理由であった。
この魔術端末を作り出すことで《天眼》自身は視力を失ったが、彼はこの「目」を人間の領域の各地へ飛ばして、様々な情報を得ているのだ。
そしてこの「目」は魔術で生み出されたものであり、その気になれば音を聞くことも《天眼》の声を伝えることもできる。
「あら、アンタはあの人間が勇者だって認めるの?」
「儂はこの『目』を通して見ていたからの。あの勇者が儂でさえ知らぬ魔術を幾つも使用したところをな」
それは勇者と大猪との戦いのことだ。
最初はパジャドクと彼の部隊が大猪と戦っていたが、なかなか大猪が倒せなくて勇者が加勢したのだ。
その際、勇者は《天眼》でさえ知らぬ魔術をいくつも使ってみせた。
勇者が構えた黒い魔杖から放たれた、雷鳴の魔術。
不可思議な機動で空を翔る、飛翔の魔術。
それらの魔術は、既に千年近い歳月を生きてきた《天眼》でさえも、見たことも聞いたこともない魔術ばかりだった。
「確かにあの人間が勇者だと完全に信じておるわけではないが、ただの人間ではないのは間違いなかろう」
「目」から聞こえてくる《天眼》の声に、ラカームは口元に手を当てながら考え込む。
暗闇の中、しばらくそうしていたラカームだったが、不意ににたりとした笑みを浮かべた。
「こうして考えていても埓が明かないわね。ここは行動あるのみでしょ」
「…………やれやれ。貴様も大概に『脳筋』よな」
呆れたような声を零す「目」。おそらく、遠く離れた地にいる《天眼》は肩を竦めていることだろう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、ラカームは夜の闇の中に溶け込むように消えて行った。




