レア?
その話を聞いた時、魔族軍八魔将の一人《灼熱》のパジャドクは、不思議そうな顔で首を傾げた。
「……自分の魔素の把握の際、見えたのがランド殿の姿だった、と?」
「はい、パジャドク様。サイファさんは確かにそう言っていました」
そう告げたエルフの治癒魔術師リーンも、やはり不思議そうに首を捻る。
「二人とも、何をそんなに不思議そうにしているんだ?」
「どうやら、わたくしたちには理解できなくても、お二人にはあり得ないようなことが起こったようですねー」
首を傾げ合うパジャドクとリーンの様子を眺めつつ、レイジはチャイカ──の立体映像──と会話する。
「おや? 勇者様もご自分の魔素を把握した経験はおありでしょう?」
「いや、俺には魔素なんて不思議物質、全くないから」
リーンの問いにレイジがぱたぱたと手を振りながらそう答えると、パジャドクとリーンは再び不可解そうな表情を浮かべた。
「魔素が全くない……? はて、そのような者がいるという話は聞いたことがありませんな」
「勇者様は神々の座から来られたのですから、もしかして我らのように魔素ではなくもっと違うもの……敢えて言うなら神気とでも言うようなものをお持ちなのでは?」
「おお、なるほど! ランド殿が我らとの戦いの時、雷鳴の魔法を使っても魔素の揺らぎを感じられなかったのは、それが理由であったか!」
勝手に推測を立て、勝手に納得しているパジャドクとリーン。
おそらく、自分のことを説明しても理解してもらえないだろうと判断したレイジは、もう二人が想像するがままにしていた。
「それで、サイファの魔素の……把握? それが何か問題があったのか?」
「い、いえ、サイファさんは自身の魔素をしっかりと把握できたようです。問題はそこではなく……」
リーンの説明によると、魔素を把握しようとした際、自身の内部で感じるものはある程度傾向が決まっているという。
「魔素には性質のようなものがあります。例えば、私だと水に関わる魔術が得意ですし、パジャドク様ならば炎、といった具合に」
そして、魔素を把握する際に感じるものは、その性質とほぼ同じだと言うのだ。
「私が自身の魔素を把握した時は、流れる水のように感じられました」
「私の場合は燃え盛る炎でしたな」
「なるほどー。そしてサイファさんが感じたのがレイジ様だった、と」
「はい。魔素の把握で個人を感じるなど、聞いたこともないので……」
レイジとチャイカ、そしてパジャドクとリーンの四対八個の目が、一斉にサイファへと向けられた。
「え、えっと……そ、その……す、済みません済みません済みません済みませんっ!!」
視線を向けられたサイファは、何度も何度も頭を下げながら謝り続ける。
「まーまー。別にサイファさんが悪いという訳でもなさそうですよー?」
「で、結局どういうことなんだ?」
改めてレイジが問いかけてみるが、リーンは浮かない顔で首を傾げるばかり。
「正直に申し上げて、私にも全く判りません」
「なるほどー。これはサイファさんが、超レアな属性の魔素の持ち主だっていうフラグですね? はい、判りますー」
頬に手を添え、困ったように首を傾げるリーンを余所に、チャイカは納得したように頷いていた。
現在、レイジとパジャドク率いる魔族の部隊は、人間と魔族の領域の境界線を目指して移動していた。
彼らの現在点はまだまだ人間の勢力下であるため、街道や見晴らしのいい場所を移動することは憚られる。そのため、彼らが選ぶ移動ルートは、どうしたって険しい山中や鬱蒼とした森の仲となる。
今も行く手を遮る木々を切り払いながら、遅々とした速度で彼らは移動していた。
一行の先頭をゆくのはレイジ。彼が左手に装着した籠手のようなパーツにはちょっとしたギミックが仕込んであり、それを利用してレイジは機敏に樹上を進む。
レイジの左手のパーツから、ぱしゅっという渇いた音と共に何かが射出され、前方の樹の枝に巻き付く。
それを確認したレイジは、足場にしていた枝を蹴って宙に身を踊らせる。
同時に左手のギミックが作動。きりきりという音を発しながら、仕込まれたウィンチが高速で単一分子構造の細いワイヤーを巻き上げ、レイジの身体を前方の枝へと運ぶ。
左手のパーツに仕込まれたギミックは、単分子ワイヤーを空気圧で射出する射出装置と、それを巻き取る小型ウィンチがセットになったものだ。
細くとも極めて強靭な単分子ワイヤーと小型ながら高出力のウィンチは、レイジの身体を軽々と目標まで運ぶことが可能であり、彼はこれを利用して樹上を移動していた。
監視衛生とリンクした補助脳には、常時現在位置を知らせる情報が送られてくるため、レイジが方角を見失うことはない。
そんなレイジの背中を地上から追いかけるのは、パジャドクの部隊とサイファだ。
彼らは不可思議な飛翔魔法で樹上を移動するレイジを、感嘆の思いで見上げていた。
「……あれも我々の知らない神々の魔法なのでしょうか?」
「おそらくはそうなのだろう。相変わらずランド殿が魔法を使っても魔素の揺らぎが感じられんからな」
レイジが使っている単分子ワイヤーは極めて細く、地上から見上げるパジャドクとリーンの目には映らない。そんな彼らから見れば、今のレイジは見知らぬ飛翔魔法を使って樹から樹へと移動している以外の何者でもない。
樹から樹へと軽快に移動していたレイジが、突然動きを止めた。
当然ながらそれは地上のパジャドクたちにも見えていたため、彼らも表情を引き締めて周囲を警戒する。
そんな彼らの元へ、レイジが単分子ワイヤーを利用してするすると降下してきた。
「この先に、何かでっかい動物がいた」
「動物ですか? どのような動物か調べさせましょう。もしも可能ならば、狩って食糧にしたいですな」
現在、一行の主な食糧はレイジが提供した例の携帯食糧だ。しかし、あの携帯食糧はゴブリンやコボルトたちにも評判は良くはない。
その動物が食用であり、加えて狩ることができるなら、一行の食糧事情はある程度好転するだろう。
パジャドクの指示の元、隠密行動の得意な者が数名、レイジが見かけた動物の確認に出かけていった。
そしてしばらく待った後、その者たちが戻って来てパジャドクに結果を報告する。
「どうやら、勇者様が見つけたのは大猪のようです」
「ほう! 大猪か!」
パジャドクの顔が実に判りやすく輝いた。どうやらその動物は食用であり、おそらくはかなり美味なのだろう。
大猪と聞いて、部隊の他の者たちも実に嬉しそうだ。
「確か……猪って言ったら豚の先祖だったっけ?」
「はい、猪を家畜化したのが豚ですねー」
そんなことを囁き合うレイジとチャイカを余所に、パジャドクは指示を飛ばして大猪を狩る準備を進める。
「いいか! 大猪が突進の兆候を見せたら、絶対に正面に立つな! 死にたいのなら別だがな!」
「魔術が使える者は、大猪にダメージを与えるより足止めに専念しろ! 大猪の分厚い毛皮と脂肪は、生半可な魔術では貫けんぞ!」
パジャドクの指示に従い、配下の魔族たちが的確に準備を進めていく中、レイジとサイファだけが何もすることもなく見つめていた。
「なあ、パジャドクさん。俺たちにも手伝えること、ないか?」
「なに、ランド殿には世話になりっぱなしですからな。ここは我らにお任せあれ。今晩は美味い大猪の肉を腹一杯食わせて差し上げますぞ!」
と、パジャドクは呵々大笑する。
「…………どうします、レイジさん?」
レイジの隣にいるサイファが、彼を見上げながら尋ねた。
「まあ、パジャドクさんもああ言っているんだし、ここは魔族たちに任せようか」
レイジはそのまま手近にあった木の根に腰を下ろすと、ちょいちょいとサイファを手招きする。
「ほら、サイファも立ったままじゃなくて座ったら?」
自分の隣を指差すレイジ。そんなレイジと彼の隣を何度も交互に見比べながら、サイファはおずおずと彼の隣に腰を下ろす。
彼の言葉に従って腰を下ろしたサイファは、ちらりと横にいる青年を見た後、少しだけくすりと幸せそうに微笑んだ。
どどどどどどどど、という地響きと共に、巨大な物体が勢いよく駆け抜ける。
その勢いと迫力は、サーキットを高速で走行するレーシングカーのようだ。
大猪と戦う魔族たちを眺めながら、レイジはそんなことを暢気に考えていた。
ちなみにかく言うレイジも、サーキットを走るレーシングカーは映像でしか見たことがない。
とにかく、大猪はその名の通り大きかった。
体高は余裕で二メートルを超え、体長も三メートル以上はあるだろう。
その巨体が森林の中を勢いよく走り抜ければ、大抵の樹木はへし折れなぎ倒され、森の中にぽっかりとした空間ができてしまうほど。
パジャドク率いる魔族たちが組織的に攻撃を行うものの、効果があるようには見受けられない。
「予想以上に分厚い毛皮と脂肪が、魔族の方々の攻撃を阻んでいるようですねー。魔族側で有効な打撃を与えているのは、パジャドクさんぐらいじゃないですか?」
大猪の巨体を前にすると、本来巨漢であるはずのパジャドクでさえ小さく見える。
そのパジャドクは手にした大剣を隙を見て大猪に叩きつけているが、彼の怪力を以てしても致命傷を与えるのは難しいようだった。
「…………皆さん……大丈夫でしょうか……?」
遠目に魔族たちの戦いを見つめながら、サイファが心配そうな声を出す。
その声を聞きながら、レイジは座っていた木の根から立ち上がる。
「手伝った方がいいかな?」
「そうですねー。魔族の方々の中には怪我人も出ているようですし……そろそろレイジ様も加勢されては?」
突進する大猪にひっかけられたり吹き飛ばされたりして、少数ではあるが魔族の中には戦線から後退した者もいるようだ。
怪我人の方はリーンを筆頭とした魔術師たちが後で治療するにしても、このままだと死者も出かねない。
立ち上がったレイジは背負っていた5.56mm多目的ライフルを手早く点検し、初弾を薬室に装填してセーフティをかける。
「あの様子を見ていると、5.56mmではちょっと心許ないな。今度、7.62mmのライフルも用意するか?」
「いっそのこと、20mmの対物ライフルなんてどうですか? 大火力に抑えきれないような大きな反動、くぅー、まさに浪漫満載じゃないですか!」
「相変わらず、チャイカの趣味は偏っているなぁ」
ちなみに、レイジが所持している文化レベル7相当の火器類は、全てチャイカが自分の趣味を満足させるために製造したものである。
「じゃあ、ちょっと加勢に行ってくる。サイファはここを動くなよ?」
「はい、レイジさんも気をつけてくださいね?」
心配そうなサイファに見送られながら、レイジは大猪目がけて駆け出した。
さすがの大猪の分厚い毛皮と脂肪も、初速で秒速900メートルを超える運動エネルギーを有する5.56mm弾を防ぐことはできず、レイジが放ったライフル弾の前に、とうとうその巨体を大地に横たえた。
それでも大地に沈むまでに多数の弾丸を打ち込まなければならず、その巨体に見合った生命力はまさに脅威だった。
「結局、ランド殿に手伝ってもらいましたな」
「いいって。気にするなよパジャドクさん」
「しかし、私もここまで大きな大猪は初めて見ましたぞ」
大地に横たわった大猪を、レイジとパジャドクは改めて見下ろした。
「ふぅん。これが猪かぁ」
灰色というより銀色の毛皮は思った以上に美しい。口元から飛び出した巨大な牙は極めて鋭く、パジャドクが着ている鎧ぐらいはやすやすと貫くだろう。
現在、その大猪はゴブリンやコボルトたちの手によって、どんどん解体されていた。
腹を裂いて内臓を取り除き、魔術師が水の魔術を使って血や脂を洗い流す。
肉は手頃な大きさで切り出され、早速料理の準備も始められている。
「できれば数日この辺りに留まり、余った肉を燻して薫製にしたいところですな。毛皮や骨も様々な用途に使えるので、できれば持ち帰りたいものです」
「いいよ、それで。別に日数に限りがある旅じゃないしね」
「では、本日食べる分以外は薫製にして保存用にしましょう。お約束した通り、今日は腹一杯大猪の肉が食えますぞ」
「あら、それなら私もご相伴に預かろうかしら?」
突然聞こえた女性の声。
レイジとパジャドクが声の方を振り向けば、そこに露出度の高い青い革鎧に身を包んだ妖艶な女性が立っていた。




