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 閑話─残された者たち

 夜が更けたバモン村長の屋敷の一室で、何かが倒れる大きな音が響いた。

 その音の原因は、バモン村長の家の居間に置かれていた木製の大きなテーブル。

 そのテーブルが、上に置かれていた食器ごと盛大にひっくり返されたのだ。

 この家の主であるバモンの手によって。

「もう一度言ってみろ、この腐れ神官がっ!!」

「ああ、何度でも言ってやるっ!! 勇者様が魔族なんぞに肩入れしたのは、貴様の卑しい下心が見え透いていたからだっ!!」

 怒りで顔を真っ赤に染めたグルーガ司祭が、村長をびしっと指差しながら吐き捨てた。

「貴様がもっと誠実に勇者様に接していれば、勇者様とて魔族領へ向かうなどとは言い出さなかったはずだっ!!」

「言いがかりだっ!! 魔族領へ向かうと決められたのは勇者様自身だっ!! 儂は関係ないっ!!」

「貴様が自分の厚かましくも自分の娘を押し付けたりしたから、勇者様は気分を害されて村から出て行かれたのだっ!! 貴様が勇者様に誠心誠意接していれば、勇者様はまだこの村に滞在していたはずなのだっ!!」

 口から唾どころか泡まで飛ばし、グルーガ司祭はバモン村長を弾劾する。

「ふん、勇者様の従者になれなかった腹いせに、儂に当たるのは止めてもらおうかっ!! 知っているぞっ!! 貴様が中央神殿で経費を誤魔化して小銭を懐に入れ、それがバレてこの辺境の村に飛ばされたことはなっ!!」

 腕を組み、侮蔑の視線をグルーガに投げかけるバモン。

「で、でたらめだっ!! そ、そんな事実は……っ!!」

 口では否定するものの、グルーガのおどおどとした態度が全てを語っている。

 実際、彼は中央神殿で必要とされる細々とした日用品の管理を任されていたのだが、その際に会計を誤魔化して自分の懐に入れていた。

 本来ならば神殿から放逐されるべき罪であるが、くすねていた金額が少額だったことと、彼の父親が中央神殿でもそれなりの地位にいたこともあり、辺境の村への赴任という形で落ち着いたのだ。

 そのため、グルーガはいつか中央神殿へと戻ることを夢見ていた。

 そのグルーガにとって、聖典の伝承通りに空から舞い降りてきた勇者ランドの存在は、まさに神が彼にもたらした奇跡だったのだ。

 神の使徒である勇者の従者となり、その偉業を手助けする。それは神に仕える神官として、これ以上ない名誉だろう。

 勇者ランドがアンバッス公国でその名声を高めていけば、当然従者であるグルーガも脚光を浴びる。

 それを用いて、グルーガは中央神殿へと返り咲くつもりだったのだ。

 しかしその計画も、勇者ランドが魔族領へ向かったことで白紙となってしまった。




「それほど勇者様の従者になりたければ、勇者様と一緒に魔族領へ行けばいいだろうっ!? 勇者様も来たければ一緒に来いと言われたではないかっ!!」

 バモン村長の言葉に、グルーガ司祭は言葉を詰まらせる。

 魔族領。文字通り、それは魔族たちが住む領域である。

 魔族領がどのような所なのか、正確には判っていない。人間と魔族との戦争が始める前は、魔族領で暮らしていた人間もいたと言われている。

 しかし、戦争以降、魔族領に足を踏み入れた人間はいない。

 人間と魔族は、明らかに外見が違う。そのため、魔族領に忍び込むことは極めて難しい。

 これまでに各国の密偵が何度も侵入を試みたが、無事に帰って来た者は殆どいないか、もしくは大した情報を得ることもできずに逃げ帰って来たかのどちらかだった。

 ただ、判っていることもある。

 魔族領は、魔王と呼ばれる王を中心に栄える巨大な一つの組織らしい。

 魔族領には、人間の領域のように数多くの国家は存在しない。魔王が統べる単一国家。それが魔族領である。

 それもまた、魔族が人間にとって強敵となっている理由の一つであった。

 いまだに多くの謎に包まれた魔族領を、多くの人間はとても恐ろしい場所だと認識している。

 魔王を頂点とした、弱肉強食の世界。

 力なき者は虐げられるしかない、恐るべき場所。

 強者は気まぐれに弱者をいたぶる、慈悲なき国。

 それが人間が抱く魔族領に対する印象だ。

 そのような場所に、普通の人間ならば行きたいと思うはずがない。

 グルーガが勇者ランドとの同行を拒んだとしても、本来ならば誰もが納得する話である。

「そ、それを言うならば、貴様の娘はどうなのだっ!? 貴様が勇者様を血族に取り込もうとしたことは、もう村中に知れ渡っているぞっ!? 貴様の娘とて、勇者様と同行することを断ったではないかっ!!」

 今度はバモン村長が言葉を詰まらせる番だった。

 自分の娘を勇者ランドに宛てがい、彼を血族としようとしたことは、グルーガの言う通り村中が知っていた。

 実はサイファを襲った男たちから村長の企みを聞き出した某兵長が、それを精霊様に密告し、その精霊様の指示で兵長とその部下たちが、村の酒場でそのことをわざと口にしたのだ。

 小さな村のこと、その噂はあっという間に広まり、今では村長の企みを知らない村人はいないぐらいに広まっていた。




「なあ、聞いたかい? 村長のところのレーリアが、勇者様に全く相手にされなかったって噂」

「ああ、私も聞いたよ。何でも、夜に勇者様の部屋に行ったってのに、すぐに追い返されたらしいじゃないか」

「半端者の半魔族にだって、あれだけ優しい勇者様が、だよ? もしかして、レーリアには何か女として致命的な欠点でもあったんじゃないのかい?」

「いくら見た目は綺麗でも、そんな欠点があったんじゃねぇ。もう嫁のもらい手もないかもねぇ」

 それは、村長の企みが噂となって広まると同時に、村の女たちの間で広まったもう一つの噂だった。

 もちろん、これまた仕掛人はどこぞの精霊様である。

 勇者ランドの視覚を通じてことの一部始終を把握していた精霊様は、やはり某兵長に命じてこの噂も流させた。

 これらを命じられた時、某兵長は深々と溜め息を佩きながら、

「……どうやら、精霊様は勇者様を自分勝手に利用しようとしたあの連中に、よほどお怒りらしいなぁ」

 と零していたとか。

 当然、この噂はレーリアの耳にも入り、それ以来彼女は自分の部屋から出てこないらしい。

 勇者ランドの妻となり、勇者が出世すると共にゆくゆくは貴族の仲間入りをして──と輝しいばかりの未来を予想していた彼女だが、今では泣き続けるばかりだった。




「もう我慢ならんっ!!」

「それはこちらの台詞だっ!!」

 村長と司祭は互いに拳を振り上げ合うと、ぽこすかと相手を殴り始めた。

 その子供じみた殴り合いは、話を聞いて屋敷にバーラン兵長が屋敷に駆けつけるまで続けられていたそうな。




 その後。

 神の遣いである勇者様を利用しようとした村長は、当然のごとく村人たちから信頼を失い、やがて人知れず村から去ったと言う。

 彼ら一家がそれからどうなったのか、村人は誰も知らない。

 そしてグルーガ司祭もまた、村の司祭の任を解かれ、中央神殿に呼び戻された。

 念願かなって中央神殿に戻ると言うのに、村を去る時の司祭の表情は、青を通り越して白くなっていたそうだ。

「ありゃあ、栄転によって中央神殿に呼び戻されたわけでもなさそうだなぁ……おそらく、これにも精霊様が一枚噛んでいるんだろうなぁ……恐ろしいこった」

 村を去る司祭の様子を見ていたバーラン兵長は、心の中でちょっとだけ彼を憐れんだ。



 これにて、第1章は終了。

 第2章以後は、週に一回か二週に一回ぐらいのペースで更新する予定です。


 引き続き、よろしくお願いします。


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