勇者の旅立ち
「近いうちに、この村を出るつもりだ」
それは勇者降臨と魔族に勝利した宴の翌日、バモン村長のこれからどうするのか、という問いに対するレイジの答えだった。
「おお、では、今回の魔族との戦いの勝利を盛大に喧伝しつつ、いよいよアンバッス公国の中央を目指して移動されるのですね?」
なぜか、我がことのように嬉しそうな様子のバモン村長。
「勇者様が旅立ちになられる際は、身の回りのお世話のため、是非私の娘のレーリアをお連れくだされ。なに、家事一般はしっかりと仕込んでおりますので、きっと勇者様のお役に立てるでしょう」
「不束者ですが、よろしくお願いします」
相変わらずにやにやとした笑みを浮かべているバモン村長と、深々と頭を下げる村長の娘のレーリア。
今、レイジたちがいるのは村長の屋敷の一室。
室内にはレイジと村長親娘、そしてグルーガ司祭とバーラン兵長。
バーラン兵長は、あまりに見え見えの村長親娘の魂胆に思わず眉を寄せるが、それでも敢えて口出しすることはない。
「勇者様! 是非、この私を従者としてご指名ください。本来、私はこの村の神殿から動けませんが、神の使徒である勇者様のお言葉であれば、従わないわけには参りません。私、こう見えても国内の地理は詳しいので、勇者様の道先をご案内することができましょう!」
村長に負けず劣らずな笑顔で、必死に自分を売り込むグルーガ司祭。
そう言えばこの司祭、中央神殿で何か問題を起こして、辺境のこの村に飛ばされたとかいう噂があったな。
と、延々と自分を売り込む言葉を放ち続けるグルーガ司祭をぼんやりと眺めながら、バーランは司祭に纏わる噂を思い出していた。
──大方、勇者様の従者となることで、もう一度中央に戻ろうって魂胆なんだろうよ。
バーランがグルーガ司祭の胸中をそう推測している間も、三人は期待に満ちた顔でレイジに詰め寄り、当のレイジは明白に眉間に皺を寄せている。
「ついて来るのはいいけど、俺が向かうのはアンバッス公国の中央部じゃなくて、真逆の魔族の領域に向けてだぞ? それでもいいのなら、好きにすれば?」
補助脳に保存されている衛星写真を視界の片隅に投映し、レイジは今いる村の場所とアンバッスの中心、そして魔族領の方角を調べる。
魔族領とアンバッス公国の中心とでは、丁度この村を挟んで正反対の方角になる。
「な、なぜですっ!? どうして行き先が魔族領なのですかっ!?」
自分が考えていたこととは全く違うレイジの言葉に、村長は狼狽しながらも必死に問い質す。
ちなみに、レーリアとグルーガは、魔族の領域に向かうと聞いた途端、共に完全に硬直してしまっている。
「なぜって……村の外にいつまでも魔族たちを置いておくわけにいかないだろ? あいつらをきちんと自分たちの国……魔族領まで送っていってやらないとさ」
「なるほどな。このままあの魔族たちを解放しても、無事に魔族領まで帰れるかどうか判らなねえしな。かと言って、アンバッス公国内をうろうろされても困りものだしなぁ」
腕を組み、納得顔でバーランが頷く。
つい最近まで魔族とは見つけ次第殺すだけの対象だったが、レイジを通じて実際に魔族と接し、中には拳で語り合った者まで存在する現在では、バーランの中における魔族の認識は大きく変化していた。
「俺の勝手な理由であいつらには怪我させたしな。いくら魔術で怪我は治ったと言っても、せめて魔族の領域まで送り届けてやるのが筋ってものだろ?」
子供のような屈託のない笑顔を浮かべて、レイジが言う。
「それで……本当に俺について来るのか?」
その問いは、いまだに硬直したままだったレーリアとグルーガに向けてのもの。
二人はレイジの言葉でようやく身体の自由を取り戻し、必死になって首を横に振り続けた。
「勇者殿が我らを魔族領まで送り届けてくださると?」
「送り届けるとは言っても、魔族を引き連れたまま街道は使えませんから、野山を突っ切るコースになりますけどねー」
野山を突っ切ると聞き、パジャドクは渋い表情を浮かべる。
彼は一度、それをして方角を見失っているのだ。
「……リーンよ。エルフのおまえならば、山中でも方角を見失うようなことはないか?」
「……お恥ずかしながら、私は少々方向音痴でして……山中だろうが平原だろうが、方角に関しては自信がありません……」
羞恥に顔を赤らめ、肩をすぼめたリーンが自己申告する。
そもそも、副官である彼女が方向音痴でなければ、パジャドクの部隊がこの近辺に迷い込むこともなかっただろう。
「その点に関しては心配いりませんよー。静止衛星からの情報を元に……そうですね、皆さんに判りやすい言い方をすれば、特殊な魔法を用いて常に現在位置を把握していますので、方角を見失うことは絶対にありません」
「精霊様がそうおっしゃるのならば、我らは安心して勇者殿に全てをお任せいたしましょう」
方角を見失うことはないと言われて、パジャドクが安堵の笑みを浮かべた。
「それで、いつなら移動できる?」
「いつでも移動できます。何なら、今すぐにでも構いません」
もともと、魔族たちは天幕を張るようなことさえしていないのだ。各自が身の回りの荷物さえ持てば、リーンの言葉通り今すぐにでも出発できる。
「じゃあ……あまり慌てても何だから、明日の朝一番に出立しようか」
「心得ました、勇者殿」
パジャドクとリーンがレイジに頭を下げる。
「よし、俺も降下ポッドへ戻って、移動に必要な物資をもう一度ピックアップするか」
「はい、レイジ様。でもレイジ様はまず、サイファさんに言うべきことを言わないとー」
「…………そうだな」
レイジは決意を込めた視線を、じっと村の方角へと向けた。
魔族との戦いでレイジが勝利したことで、サイファはレイジの「財産」として認識されるようになった。
村人としては、村を魔族から守ってもらった謝礼として、勇者様に奴隷を一人献上したようなつもりなのだろう。
相変わらず村人から向けられる視線は冷たいが、それでも以前のように雑用を押しつけられることはない。
村の「共有財産」からレイジの「財産」になったことで、村人はサイファに対する強制権を失ったのだ。
これから自分がどうなるのか、サイファにもはっきりと判っていない。
だが、レイジの「財産」になった以上は、彼に言葉に従えばいい。
村長に命じられた男たちが侵入した際、散らかってしまった家の中を片づけながら、サイファはそう考えていた。
「サイファっ!! いるかっ!?」
突然、入り口の扉が開かれて、すっかり聞き慣れてしまった声が響く。
「ゆ、勇者様っ!?」
突然の乱入者に、サイファは驚いた顔で振り向いた。
「サイファに聞きたいことがあるんだ……正直に答えて欲しい」
「は……はいっ!!」
いつになく真剣なレイジの様子に、サイファは手にしていた箒を思わずぎゅっと握り締め、真摯な表情でレイジの次の言葉を待つ。
「俺は明日、朝一番にこの村を発って、魔族たちを彼らの領域へと送り届けるつもりだ。それに……サイファにも一緒に来て欲しい」
「ゆ、勇者様……」
一緒に来て欲しい。
そう言われた途端、サイファの頬が一気に赤く染まった。
これまでに、他人から必要とされた経験はサイファにはない。
彼女の人生は、手に入れたものを奪われたり、嫌なことを押しつけられたりするばかりだったから。
そのサイファが初めて他者から求められた。しかも、彼女を求めているのは他ならぬ勇者様その人だ。
サイファの脳裏に、先日の彼の言葉が再び甦る。
──サイファは俺がもらう。あんたらはいらないと言ったんだ。俺がもらっても構わないよな?
その言葉通り、今のサイファの所有権はレイジにある。だから、レイジはただ「俺に従え」と命令すればいい。サイファには、その言葉に逆らうことはできない。
なのに、彼はサイファに「一緒に来てくれ」と求めてきた。
それはレイジが自分のことを奴隷などではなく、一人の人間として認めてくれたことに他ならない。
その事実が、サイファにはとても嬉しい。
「俺はまだ、このほ……じゃない、この国での暮らし方とかよく判らないから、できればサイファにこれからもいろいろと教えて欲しいんだ」
「ほ、本当に……わ、私で……いいんですか……? 半端者の……半魔族の私で……?」
魔族とか人間とか、彼には関係ないのだ。それが判っていても、つい、サイファは尋ねてしまう。
「そんなこと関係ないだろ? 俺に釣りを教えてくれたのはサイファじゃないか。これからも、もっといろいろなことを俺に教えて欲しいんだ」
俺と一緒に来てくれるか、ともう一度続けたレイジは、サイファに向かって手を差し出した。
その手とレイジの顔を、サイファは何度も見比べる。
おずおずと、サイファがその繊手をレイジの手の上に重ねた時、レイジはにぱっと本当に嬉しそうに笑った。
笑ってくれた。
「それから……図々しいことを承知で、もう一つ頼みがあるんだけど……いいか?」
「はい?」
手と手を重ね合ったまま、サイファは首を傾げる。
「実は俺……勝手にサイファのこと、友達だと思っていたんだ……いいかな? 俺、これからもサイファのことを友達だと思っていても……いいかな?」
空いている手で恥ずかしそうに後頭部を掻きながら、やや上目使いでレイジが尋ねる。
たった一人で魔族の群れを退ける勇者様。
その勇者様のそんな態度が、どこか可愛く思えて。
そして、自分を友達だと言ってくれたことがとても嬉しくて。
サイファはにっこりと微笑んではっきりと頷いた。
「はいっ!! 私と勇者様は、今日から友達ですねっ!!」
そして翌朝。
早朝の村外れに、たくさんの人影があった。
「じゃあな、勇者様。いろいろと世話になったな」
「バーランさんも元気でな」
レイジとバーランは、互いに手を握り合う。
そのレイジの傍らには、半ば透き通った女性と半魔族の少女の姿もある。
「ところで、村長さんと司祭さんの姿がみえませんねー?」
チャイカ──の立体映像──が、きょろきょろと周囲を見回す。
周囲にはたくさんの村人たちがいるが、その中にバモン村長とグルーガ司祭の姿はない。
「ああ、実は昨夜、村長と司祭が大喧嘩をしてなぁ。俺が仲裁に入るまで、いい歳した大人が子供みたいにぽこすか殴り合う、そりゃあひっでぇ喧嘩だったぜ」
夕べの光景を思い出したのか、バーランが楽しそうに笑う。
「村長さんと司祭さんが喧嘩? どうしてまた?」
「そりゃあ、あれだろ? あの二人は勇者様のお零れを預かろうと、いろいろと画策していたようだが、肝腎の勇者様がこの国の中央ではなく魔族領へ行くと言い出したからなぁ。当てが外れた原因を互いになすりつけ合ったのさ」
レイジを利用し、様々なことを考えていたバモン村長とグルーガ司祭。
それらの計画が全て水泡に帰したため、抑えきれない苛立ちを互いにぶつけ合ったのだ、とバーラン兵長は実に楽しそうに語った。
「正直、俺もこの村から離れたいんだよなぁ。でも、上からの命令がないとそれも無理だし……いっそ、兵士なんて辞めて傭兵にでも鞍替えするかねぇ」
もしも彼が単なる一兵卒であれば、今すぐにでも兵士を辞めていただろう。
だが、僅か数人とはいえ部下を預かる身では、そうそう勝手なこともできない。
そんなことを考えているバーランの背後には、この村の住民のほとんどが集まっていた。
彼らは自分たちを助けてくれた勇者ランドの旅立ちを見送るために、こうして早朝から集まってくれたのだ。
まあ、この国の住民たちは、基本的に日の出と共に起き出して、日没と共に眠りにつくのだが。
「じゃあ……そろそろ行くよ」
「おう、元気でな、勇者様」
レイジが──いや、勇者ランドが背中を見せると、村人たちから勇者を称える声がいくつも上がる。
村人たちの声に応えるように、何度も振り返りながら手を振るレイジ。
やがて、彼らの前方に別の集団が見えてくる。もちろん、パジャドク率いる魔族たちだ。
「別れは済みましたかな、勇者殿」
「ああ……って、何回も言っているけど、『勇者』は止めてくれないかな、パジャドクさん?」
「では、これからは『ランド殿』でいかがか?」
「できれば、『レイジ』がいいんだけどなぁ……」
「さあ、それよりも出発しましょうー! ところで、本当に輸送機とか必要ありません?」
もう何度目かのチャイカの質問に、レイジは今度も首を横に振った。
「折角、目の前に天然の野山があるんだぜ? ゆっくりと自然を楽しみながら、自分の足で歩きたいんだよ」
チャイカにそう答えたレイジは、その視線を横へとスライドさせる。
「行こう、サイファ」
「はい、勇者様」
「なあ、サイファ。俺たちは友達だろ? だったら、『様』は変だと思わないか?」
「え……えと……じゃ、じゃあ……ランド……さん?」
「『ランド』じゃない。俺の名前は『レイジ』だ。サイファにだけは……俺の一番最初の友達であるサイファにだけは、『レイジ』と呼んで欲しいな」
「は、はい……れ……レイジ……さん……」
照れ臭そうにサイファがその名を呼ぶと、レイジは満足そうに微笑んだ。
そしてレイジが歩き出し、その後を追うようにサイファが、パジャドクが、リーンが、その他の魔族たちが歩き出していく。
彼らが目指すは魔族領。
勇者の一行と呼ぶには少々奇妙な顔ぶれの、道なき道をゆく旅の始まりだった。




