魔族の野営地にて
エルフの治癒魔術師リーンは、ゴブリンの傷口から零れ出たひしゃげた鉛色の物体──弾丸──をその白くて細い指で摘み上げた。
「……これは一体何でしょうか? どうして、このような物が傷口から出てくるのか……?」
リーンは弾丸を繁々と眺めつつ、首を傾げる。
──ここにはまだ弾丸なんて存在しないはずから、彼女の反応も当然だよな。
レイジは内心でそう呟きながら、ちょっと強引にリーンの指先から弾丸を取り上げた。
「こいつに関しては秘密ってことで」
「多分、説明したところで簡単には理解してもらえませんしねー。時間をかけてじっくりと説明すれば、話は別かもしれませんがー」
唐突に投影されたチャイカの立体映像。それを見て、リーンが驚きを露にする。
「……こちらがパジャドク様がおっしゃっていた精霊様ですか……お初にお目にかかります、治癒魔術師のリーンと申します」
「これはこれはご丁寧に。わたくし、レイジ様に仕えるチャイカと申します。よろしくお願いしますねー」
なぜか二人──一人と一機?──は、互いに何度も何度も頭を下げ合っていた。
「治癒魔術とは、単に傷口を塞ぐだけではありません。傷を癒す際に浄化作用が発生し、傷口から入った異物を取り除く効果もあるのです。特に戦場で負った傷には、異物が入りやすいですから」
ある程度大きな異物は傷口から排出し、小さな異物は浄化消滅させます、とリーンは歩きながらレイジに説明してくれた。
今、彼女とレイジは魔族の指揮官であるパジャドクの元へ向かっている。
魔族たちが思い思いに寛ぐ中を、レイジとリーンは歩いていく。
途中、まだ怪我が癒えていない者がいると、リーンはその都度治癒魔術を施す。
「……見れば見るほど不思議だな、魔術って」
「わたくしたちとは、まるで違う技術体系ですからねー」
リーンの魔術を傍らから覗き込み、レイジとチャイカはしきりに感心する。
「魔術の行使方法は、魔族も人間も大差ないはずですが……ああ、勇者様は神の座から地上に降りられたのでしたね。神々が使われる偉大な魔術に比べれば、我々の魔術など拙いもの。勇者様からすれば、我々の魔術は拙すぎて不思議に感じられるのでしょう」
「……だから俺は勇者なんかじゃないって……どうして誰も聞き入れてくれないんだろう?」
「あははー、仕方ないですねー。ここまで状況証拠が揃ったら、誰でもレイジ様のことを勇者だと思いますよー?」
レシジエル教の第一聖典に記された勇者降臨に関する聖者の預言に関しては、レイジとチャイカも昨夜の内にグルーガ司祭から聞かされている。
その預言書の記述とレイジの外見や所持品、そしてチャイカの存在などが「いくら何でもできすぎだろう」と言いたくなるぐらいに一致しており、レイジはもう唖然とするしかなかったぐらいだ。
「……あの預言って、誰かが作為的に俺たちのことを記したんじゃないよな?」
「あの預言を記したのがレシジエル教の開祖と言われる聖人だそうですからねー。その聖人が生きていたのが今から一〇〇〇年近く前のことらしいですから、本当に偶然の一致だと思いますよ」
気楽そうに言うチャイカに対して、レイジは大きく肩を落とした。
リーンに案内されたレイジがパジャドクの元へと辿り着いた時、なぜか彼はバーラン兵長と素手による殴り合いをしている真っ最中だった。
「……どうしてあの二人が喧嘩しているんだ?」
「さて……私にも判りかねます」
レイジとリーンが互いに顔を見合わせて首を傾げていると、彼らの存在に気づいたパジャドクがにこやかに表情で片手を上げた。
「おお、勇者殿ではないか!」
「よ、勇者様」
パジャドクもバーランも、互いに顔を腫れ上がらせている。それでいて笑っているものだから、端から見るとちょっと怖い。
そんな二人を見て、リーンが深々と溜め息を吐いた。
「お二人とも、そこにお座りください。すぐに治癒魔術を施しますから」
「いつも済まんな、リーン」
「いやぁ、手間をかけさせちゃって申し訳ないね」
「どうせパジャドク様のことですから、最初から私の魔術をあてにしていたのでしょう?」
「うむ、そんなところだ」
呵々大笑するパジャドクを呆れた表情で眺めながら、レイジは治癒魔法で顔の腫れが引いたバーランに問いかけた。
「それで、バーランさんとパジャドクさんは、どうして殴り合いをしていたんだ?」
「おう、これは単なる鍛錬だ。いやー、まさか俺も魔族と拳を通じて語り合う日が来るとは思いもしなかったぜ」
どうやら、バーランとパジャドクは素手による戦闘鍛錬を行っていたらしい。そして、実際に拳を交えている内に、互いに敵味方を超えた奇妙な信頼感まで目覚めたのだとか。
「つくづく肉体派なんですねー、バーラン兵長さんは」
「いやー、正直、あの村の住民連中はともかく、村長とか司祭辺りは腹ン中で何考えているか判らない分、前々からどうにも好きになれませんでしてね。あの二人に比べたら、今じゃ魔族のパジャドクの方が好感が持てるくらいで。あ、今の話は村の連中や部下たちには内緒にしておいてくださいや」
口の前に伸ばした人差し指を当て、ぱちりと片目を閉じるバーランにレイジは苦笑を浮かべた。
村を守る兵士たちの長が、村長や司祭よりも敵将の方が好感が持てるなどと口走れば、余計な混乱を招きかねない。
「ところで、サイファはどこだ? バーランさんが昨日の内にパジャドクさんに預けたんだろ?」
「おお、あの姉ちゃんなら……おっと、丁度帰ってきたところのようだ」
バーランが指差した方をレイジが振り向けば、籠を抱えたサイファが近くの森の中から出てくるところだった。
「サイファ!」
「レイ……勇者様!」
互いにその存在を目にした途端、表情を明るくさせて駆け寄る二人を見て、バーランは「若いっていいねぇ」と呟きながらにやにやと笑っていた。
サイファに駆け寄ったレイジは、彼女が抱えている籠の中を覗き込んだ。
「ん? 木の実を集めていたのか?」
「はい、勇者様。夕べ、危ないところをバーラン兵長さんに助けられて……そのまま、こちらのパジャドクさんのところへ……」
「しっかしよ、同じ人間である村長よりも、魔族の方が信頼できるって……やっぱりおかしいよなぁ」
後頭部をがりがりと掻きながら、バーランがぼやく。
夕べ、村長の命令でサイファに乱暴しようとした男たちを片付けたバーランは、チャイカに言われた通りにサイファを魔族であるパジャドクに預けた。
村長の命令を受けたのがあの三人だけとは限らない。サイファを村の中に置いておくのは危険だと、チャイカは判断したようだ。
「ははは、恩人である勇者殿の縁者となれば、誠意を持って預からねばなりますまい」
と、チャイカに頼まれたパジャドクは、二つ返事でサイファを預かることを引き受けてくれた。
「それで……お世話になりっぱなしなのもどうかと思ったので、せめて食べ物を集めるぐらいはしようかと……」
「現在、我々は糧食が底を突きかけているので、サイファさんが食べ物を集めてくださるのは非常に助かります」
リーンが微笑みながら、サイファに対して軽く頭を下げた。
まさか魔族であるリーンに頭を下げられると思ってもいなかったサイファは、どうしたらいいかときょろきょろと周囲を見回している。
「そうそう、医薬品は不要になったかもしれないが、食べ物に関しては俺の方でも用意してきたぞ」
レイジは背負っていたバックパックを下ろすと、その中から銀色のパッケージに包まれた四角くて細長いものをいくつも取り出した。
「勇者様。それは一体……?」
見たこともないものを見て、リーンが興味深そうにレイジの手元を覗き込む。
「こいつは俺が普段から食べている物だよ」
レイジが普段食べている物と聞いて、バーランとパジャドクが目を見開いた。
「お、おい……勇者様が普段から食べている物ってことは……」
「も、もしかして……これは天上の……神々の世界の食べ物ということか……?」
神々の世界の食べ物と聞いて、リーンとサイファも目を丸くしている。
「そんな大したものじゃないが、量だけはあるからな。魔族の皆にも分けてやってくれ」
レイジは用意してきた食糧──アルミで真空パックされたスティック状の合成食品──を、丸ごと全部リーンに手渡した。
「な、なあ、勇者様よ……? これだけあるんだから……一つぐらい俺が食べちゃだめですかね……?」
どうやら、バーランは「神々の世界の食べ物」を食べてみたいらしい。
「ああ、別にいいぞ。だけど、予め断っておくけど……」
レイジの言葉が終わるよりも早く、バーランはリーンが抱えている合成食糧を一つ手に取り、そのまま齧り付いた。
アルミのパッケージを剥がすこともせず。
「んだ、こりゃ? これ、本当に食べ物か……?」
当然、アルミのパッケージごと食べられるはずもなく、バーランは不満そうに顔を顰める。
「そいつはそのまま食べるんじゃなくて、こうして食べるんだよ」
レイジもリーンから合成食糧を一つ取ると、皆の前でパッケージを剥がしてクリーム色の中味を露出させ、それを齧って咀嚼してみせる。
それを見て、バーランだけではなくパジャドクとリーンも、レイジの真似をして合成食糧のパッケージを剥がしていく。
更には。
「あ、あの……勇者様……? わ、私もそ、その……食べてみても……いいでしょうか……?」
サイファまでもが、遠慮がちながらもそう言いだした。
それほど、「神々の世界の食べ物」に皆が興味津々のようだ。
「うん、いいぞ。好きなだけ食べてくれ」
「足りなくなったら、生産プラントで製造したものをまた降下しますからー」
レイジの隣にCGを投影させたチャイカがそう言うと、サイファも慎重にパッケージを剥がす。
そして、皆がうきうきとした表情で合成食糧を一口齧り…………途端に眉間に皺を寄せ出した。
「…………これが神々の世界の食べ物……ですか……?」
「…………想像していたのとは随分と……その……違いますな……」
「…………勇者様よ。こう言っちゃ失礼かもしれねえが……ぶっちゃけ、これ、美味くねえな」
「…………え、えっと……そ、その……」
皆の言葉に、レイジはさもありなんとばかりに何度も頷く。
「……やっぱり皆も不味いって感じたか……チャイカにもちゃんと味覚センサーは付いているのに、どういう訳か味オンチなんだよなー。俺が何度もこれは美味くないって言っても、全く改善してくれないんだ」
もちろん、レイジは何度もチャイカの味覚センサーを点検した。それでも尚、彼女の「味オンチ」は治らなかったのだ。
「失礼ですねー。この合成食糧は、これ一本で一日の活動に必要な栄養素を全て補える優れ物ですよ? しかも、胃の中で膨張し、満腹感だってかなり持続するんですからねー」
腰に手を当て、口をへの字に曲げて抗議するチャイカ。
「確かに、これで美味ければ俺も文句は言わないさ。でも……天然の食材を食べた後だと、あまり食べる気は起きないよな……」
そんな彼女に対してレイジは肩を竦めると、サイファが集めてきた木の実を一つ手に取って齧り付く。
「……うん、やっぱりこっちの方が断然美味い」
レイジのその言葉に、皆もしみじみと頷いた。




