サイファ救出
突然、空から舞い降りてきた青年。
その青年は、聖典に記されていた勇者様だった。
最初こそ半信半疑だったが、その後にいくつも勇者の証を見せつけられては、バモン村長と言えどももはや疑う余地はない。
そして、青年が勇者だと判った途端、彼は素早く頭の中で様々な計画を立てていく。
今後、勇者様はその存在をこの国中に認められていくだろう。
グルーガ司祭が、早速中央の神殿に勇者様が降臨したことを知らせる手紙をしたためているし、バモン村長も村に出入りする行商人などに積極的に勇者様の噂を広めてもらうつもりだ。
そうなれば、将来的に勇者様はこのアンバッス公国の中央に迎え入れられるだろう。
いや、もしかすると、アンバッス公国の宗主国であるキンブリー帝国でさえ、勇者様を取り込もうとするかもしれない。
神より遣わされた本物の勇者様だ。そんな存在と敵対するとなれば、それは神に対して弓引くも同義。
アンバッス公国やキンブリー帝国が、そんな愚を犯すとは思えない。
どちらにしろ、勇者様はその存在を知られると同時に、どんどん中央で出世するに違いない。
そんな存在を、黙って見ているだけなど、勿体ないにもほどがある。
勇者様が何を思ってあの半魔族の娘を所望したのかは知らないが、やはり勇者様も若い男ということだろう。
ならば、あの半魔族に代わって自分の娘を勇者様に宛てがえば。そして、もしも娘が勇者様の子供を懐妊でもすれば。
将来、どんどんと出世するであろう勇者様にとって、自分は義理の父親ということになる。勇者様の子供にとって、自分は祖父となるのだ。
そうなれば、自分にもこんな辺境の村の村長以上の地位と名誉が手に入る。
古来よりよく使われて来た手段ではあるが、その効果が確実だからこそよく使われてきたのだ。
バモン村長はにたにたした笑顔を浮かべながら、勇者様がいる客室を目指した。その背後に、美しく着飾った娘のレーリアを従えて。
「……村長め。まさか半魔族の姉ちゃんを、自分の家に閉じ込めていたとはな。おかげで村中捜しちまったぜ。」
サイファの家にのっそりと入ってきたバーラン兵長は、サイファと三人の村の男たちを見て目を細めた。
「おい、おまえら。その半魔族の娘は、もう勇者様のものだぜ? それに手を出そうとすれば……勇者様の怒りがおまえらの頭上に落ちるだろうな」
魔族の襲撃を退けたら、サイファはレイジのものになる。そう約束したのは、他ならぬバモン村長だ。
そして、レイジは見事に魔族を撃退した。その瞬間、サイファはレイジのものとなったと言っていい。
魔族を殺そうとはせず、その上手当てまで施すとは思わなかったが、命を助けられた魔族たちもレイジのその慈悲深さに感銘を受けたようで、今のところは大人しく彼の指示に従っているようだ。
その勇者の怒りが頭上に落ちると言われて、男たちは少し前に見た光景を思い出す。
勇者様が放った雷鳴の魔法。そして、神の宝剣である光の剣。
勇者様の怒りを買えば、それらが自分たちに向けられるかもしれない。
そう考えた男たちは、一斉にがたがたと震え出した。
「お、俺たちは村長に命じられただけなんだっ!!」
「そ、そうなんですよ、バーラン兵長! 俺たちじゃ村長の命令に背くことなんてできなくて……」
「悪いのは村長なんだ! 俺たちじゃない!」
男たちは口々に自分たちは命じられただけだと主張し、バーランもそれを聞いてうんうんと頷いてみせた。
「そうだよな。辛いよな、下っ端は。命令されたら、それに逆らうのは簡単じゃねえよな」
自分たちの立場を理解してくれたらしいバーランの態度を見て、男たちはほっと安堵の息を吐き出した。
しかし。
「そんなおまえらなら、俺の立場も理解してくれるよな?」
「え?」
「実は、俺も命じられたんだよ。もしもその半魔族の姉ちゃんに手を出そうとした奴等がいたら、ちょいと可愛がってやれってな。しかも、俺にそう命じたのは勇者様に仕える精霊様なんだ。村長の命令なんかより、余程逆らうわけにはいかないだろ?」
にやり、とバーランは壮絶な笑みを浮かべた。
「だからよ? ここでおまえらをちょいときつめに撫で回しても、それは命令だから仕方ねえんだ。な? 村長の命令でここに来たおまえらなら……俺の立場をよーく判ってくれるよな?」
ごきりぼきり、とバーランが指を鳴らしながら男たちへと近づくと、彼らはその顔色を青くした。
自分の前で優雅に一礼した村長の娘のレーリアを、レイジは首を傾げながら眺めていた。
「……あんた、誰だ? 俺とあんたは会ったこともないよな?」
「は、はい、勇者様。初めて勇者様のお目にかかります。私、バモンの娘でレーリアと……」
「だったら、俺には用はないよな? なあ、村長さん。サイファはどこだ? この家にいるのか?」
至極真面目な顔でそう尋ねるレイジに、バモンとレーリアは面食らったような表情を浮かべた。
「で、ですから勇者様……あのような半魔族は勇者様には相応しくありません。あの半魔族に代り、私の娘を……」
「いや、だからさ。俺とサイファは友達だけど、俺とあんたの娘……レーリアだっけか? レーリアは友達じゃないだろ?」
「は? 友達……ですと?」
思わず、バモンは「何言ってんだ、コイツは」みたいな表情を浮かべる。
「うん、俺とサイファは友達……少なくとも、俺はそう思っている。サイファも俺のことを友達だと思ってくれるといいんだけどな? 俺、友達なんて初めてだからさ」
へへへ、と子供のような笑みを浮かべるレイジを、バモンとレーリアは唖然とした表情を浮かべて見つめている。
まさか村長もその娘も、レイジがこれまで他人と触れ合った経験がほとんどなく、男女の間の微妙な機微など判るはずもないとは思いもしないだろう。
「さて、と……」
サイファの家にいた三人の村の男たちを「ちょいときつめに撫で回した」後、バーラン兵長はその視線をサイファへと向けた。
「……半魔族の姉ちゃん……いや、サイファだったな? 俺と来てもらうぞ」
「あ、あの……ど、こへ……?」
バーランの視線がサイファを捉えた時、彼女は反射的に後ずさっていた。
考えてみればほんの数時間ほど前、彼女はバーランに殺されかけたのだ。サイファがバーランのことを怖れていたとしても無理なからぬものだろう。
「……昼間のことは悪かったな。許してくれとは言わないが、俺にも立場ってものがあることは理解してもらえると嬉しい」
サイファを殺せと命じたのは村長であり、この村の司祭であるグルーガもそれに同意した。
あそこでバーランがサイファを庇うことは、どうしたってできなかったのだ。
直前まで魔族と戦い、実際に怪我を負った者も多数いる状況で魔族の血をひくサイファを庇えば、バーランの部下も村人たちも、彼に不審を抱くようになるだろう。
この村の防衛を指揮する者として、それだけは避けなければならなかった。
「ああ、心配すんな。さっきも聞いていただろうが、あんたのことを守れって言ったのは精霊様だ。これから、あんたを信頼できる奴に預ける。この連中以外にも、あんたにちょっかいをかけて来る奴がいるかもしれないからな」
そう言うバーランの視線は、サイファの家の床で伸びている三人の男たちへと向けられた。
「本当は勇者様の元に送り届けるのが一番なんだろうが、今、その勇者様は村長の屋敷にいるからな。そこへあんたを連れていくと、村長がどんな暴挙に出るか判ったもんじゃねえ」
こいつらみたいによ、とバーランは倒れている一人の身体を爪先で軽く突いた。
突かれた男は呻き声を上げるが、それでも起き上がることはできない。どうやら、バーランは男たちをかなりきつめに「撫で回した」ようだ。
「さ、行くぜ?」
「い、行くって……どこへ……?」
「言っただろ? 信頼できる奴の所だよ。正直、この村の村長や司祭が今一つ信頼できんのは確かだが、だからと言って……なぁ…………」
そう言ったバーランの顔には、ちょっと複雑そうなものが浮かんでいた。
翌朝。日の出からしばらくした頃、レイジは村長の屋敷を抜け出して森へと向かった。
昨夜チャイカが言ったように、夜の内に医薬品や弾薬の追加が降下されているのだ。
今回は物資だけを下ろすため、小型の降下カプセルが使われている。
レイジが降下した時の失敗を踏まえ、今回のカプセルにはパラシュートを装備しての降下なので、カプセルの存在に気づいた村人はほとんどいないだろう。
森の木々を掻き分け、レイジはあっと言う間に目的地に到着する。
木々にパラシュート部分が引っかかり、カプセルは宙吊り状態で発見された。
レイジは器用に木に登ると、単分子ナイフを使って絡まっているパラシュート部分を切り、カプセルを地面の上に落下させる。
降下カプセルのその形状は、直径60cmほどの球状である。
木から飛び降りたレイジは、カプセルを拾い上げると早速中味を確認する。
予定通り、その中味はぎっしりと詰まった医薬品やサプリメントのような携行食糧、そして補充の弾薬類。
物資を一通り確認したレイジは、それらを用意してきたバックパックに詰め込み、再び村へと戻って行った。
村へ戻ったレイジは、そのまま村を突き抜けて村外れ──魔族たちのキャンプ地を目指した。
途中、すれ違った村人たちから声をかけられたり、頭を下げられたり、祈りを捧げられたり。
そんな村人たちに複雑な笑みを浮かべながら、レイジは魔族たちのキャンプ地に到着した。
キャンプ地と言っても、テントや天幕などが張られているわけではなく、魔族たちが思い思いに寝転んだり、どこか近場で狩ったらしき動物を捌いて食べていたりするだけ。
レイジの接近に気づいた魔族たちが、嬉しそうに彼に近づいてきた。
「勇者様、来た」
「勇者様、俺たちの、恩人」
「オハヨ、勇者様」
ゴブリンやコボルトといった下級魔族が、妖魔語と呼ばれる下級魔族たちが使う言語で挨拶してくる。
「おう、おはよう」
レイジも妖魔語で挨拶を交わし、思ったより元気そうな魔族たちを見て首を傾げる。
「ところで、そんなに動き回って大丈夫なのか? みんなが怪我したのは夕べだぞ? ってまあ、怪我させた俺が言うのもなんだけど」
「大丈夫。軍にいる治癒魔術師、治療してくれた」
「治癒魔術、あっという間、怪我治す」
「へえ、話には聞いていたけど、本当に魔術があるんだなぁ」
〈何言っているんですか、レイジ様? 夕べ、魔族の指揮官のパジャドクさんも魔法を使っていたじゃないですか〉
パジャドクが使ったのは武器に炎を宿す魔法で、付与系の魔法に分類され武器の威力を上昇させる。
しかも、パジャドクはこの魔法に精通しているため、詠唱さえ必要ないほどの使い手なのだ。
逆を言うと、詠唱を行わなかったから、レイジはパジャドクの付与魔法を魔法だとは思っていなかったのである。
「そうか……あれも魔法だったのか……」
夕べのことを思い出しながら、レイジはゴブリンの怪我した足を改めてと観察する。
そこには確かに傷跡はあるものの、怪我は完治しているようだ。
「あれ? これって、体内に弾丸とかが残っていた場合はどうなるんだ?」
疑問を感じたレイジは、それを確かめることにした。
「なあ、悪いけど、その治癒魔術師の所へ連れて行ってくれないか?」
恩人であるレイジにそう言われて、ゴブリンたちは嬉しそうに彼を治癒魔術師の元へと案内してくれた。
ゴブリンやコボルトたちに、囲まれるように案内されるレイジ。
確かにゴブリンやコボルトたちは、見た目は少々怪奇な姿をしている。
ゴブリンは小さな体躯に茶褐色の肌。頭髪はなく、ぎらぎらとした赤い目は異様に大きい。
耳も大きく先端が尖っていれば、口も大きく裂けるように広がっている。
コボルトに至っては、体毛の代りに鱗が生えた直立する犬といった外観だ。
どちらも醜悪とさえ言える姿だが、それでも以外と人懐っこいのか、ぎゃあぎゃあと賑やかに騒ぎながら、レイジと共に歩いていく。
やがて、一行の前方に人影が見えた。
その人物は横たわっているゴブリンの傍らに片膝をつき、その手を傷口に翳しているようだ。
その人物が何やら口ずさむ──おそらく、あれこそが魔術の詠唱という奴だろう──と、横たわっているゴブリンの足にぽっかりと開いた傷口が、内側から盛り上がるようにして見る間に回復していく。
その途中、傷口から鉛色のひしゃげた物が傷口から押しだされ、ぽろりと地面に転がった。
「…………外科治療用の医薬品、どうやら不要だったみたいだな」
肩を竦めながらレイジが呟くと、それが聞こえたのか、跪いていた人物が彼を振り向き、そしてにこりと微笑んだ。
「これは勇者様。この度は我ら魔族に対して大いなる慈悲を施してくださり、本当に言葉もありません」
そう言って、その人物は深々と頭を下げた。
レイジよりも低い身長──レイジの身長は178センチ──に、華奢な体つき。そして、長い頭髪は澄んだ青空の如きライトブルー。
色白で切れ長の瞳の色は緑柱石のようなグリーン。そして何より、サイファのそれよりも長く先端が尖った耳。
やや中性的な容姿をしているが、その声の質からしてどうやら女性らしい。
「…………確か、エルフとか言う種族だっけか?」
「はい、その通りです。私は魔族……エルフ族の治癒魔術師、リーンと申します。パジャドク様の部隊では、パジャドク様の副官も兼任しております」
と、その人物──エルフ族の治癒魔術師はそう名乗った。




