バモンの企みとサイファの危機
今頃、レイジさんはどうしているかな?
サイファは自宅のベッドの上に腰を下ろしながら、昨日出会ったばかりの不思議な青年のことを考えていた。
そして、その彼のことを考えると、どうしても思い出してしまうことがある。
──サイファは俺がもらう。あんたらはいらないと言ったんだ。俺がもらっても構わないよな?
村長を始めとした村人たちに向かって、レイジが堂々と言ってのけたその言葉。
それを思い出す度、サイファの頬は自然と熱を帯びていく。
熱を持った頬を冷ますため、サイファは両の掌を頬に当てる。
掌の冷たさが、頬の熱を奪う感触が気持ちいい。
ちょっと冷静になれたサイファは、再びレイジのことを考える。
何を思って、彼はあんなことを言ったのか。
この村での自分の境遇を知り、憐れんでくれたのか。
それともただ単に、半魔族という珍しい存在を手元に置いておきたかっただけなのか。
それともそれとも、彼は自分のことを女性として────
思考がそこまで暴走した時、再び彼女の頬に熱が宿る。
「そ、そそそそそそんなこと、あるわけが、がが…………っ!!」
サイファは自分のベッドの上で、左右にごろごろと何度も身悶えする。
「…………そんなこと……あるわけが……ない……よね……」
レイジの本当の名前が頭に浮かぶと同時に、彼女に宿っていた熱が急激に冷めていく。
「……レイジさんが……本物の勇者様だったなんて……」
神の使徒、勇者ランド。
窮地に陥った村人を救うため、神が地上に遣わした存在。
サイファがレイジを勇者だと確信したのは、その傍らに姿を現した精霊の乙女を見た時だ。
レイジに小脇に抱えられていたサイファは、間近で精霊の乙女の姿を見た。
半ば透き通った神秘的な身体。神々しいばかりのその美貌。まさに精霊と呼ぶに相応しい姿だった。
そんな精霊が仕える存在など、聖典に記されている勇者様以外にあり得ない。
どうして勇者ランドがレイジと名前を偽っていたのかは分からないが、きっとそうしなければいけない理由があったのだろう。
改めて考えてみれば、レイジ──いや、勇者ランドはいろいろと普通の人間とは違い過ぎていた。
当たり前のことを何も知らないし、自分にはよく分からないことも言う。
一度は彼が伝承にある勇者様では、などと冗談半分に考えたこともあったが、まさか本当に勇者様だったとは。
神が遣わした使徒と、半端者の半魔族。そんな二人が釣り合いが取れるわけがない。
それを考えると、サイファの心はどんどんと重くなっていく。
どうして心が重くなるのか。この時のサイファは、まだその理由に気づいていない。
いや、気づく余裕もなかったのだ。
今、サイファは自分の家に閉じ込められている。
村長とレイジが話していた時は、彼女は村長の家で一時的に留め置かれるという話だったが、実際に彼女が閉じ込められたのはサイファの自宅だった。
そのことに内心で首を傾げるサイファだったが、村長の家よりも自宅の方が何倍も気楽なのは確かなので、そのことについては何も言わないでおいた。
彼女の入り口の扉の向こうには、何か重いものでも置かれているようで、中から押し開けることはできない。
窓には外から板が打ち付けられ、そこから出ることもできない。
もちろん、全ては村長のバモンの指示である。
どうやらバモン村長は、レイジが勇者だとは完全には信じていないようだ。
そして、そのレイジを村を襲っている魔族との戦いに駆り出すため、サイファ自身をその報酬とした。
要は、サイファは餌なのだ。レイジという駒を動かすための。
「……レイジさん……じゃない、ランド様……大丈夫かな……?」
神の使徒である勇者様が、魔族に遅れを取るとは思えない。だが、ちらりと聞こえてきたところによると、この村を襲っている魔族はかなり数が多いらしい。
いくら勇者様とはいえ、多勢に無勢という状況はあり得るだろう。もしかすると、魔族との戦いで勇者様が怪我を負うかもしれない。
一度嫌なことを考えてしまうと、つい、どんどんと嫌なことばかり考えてしまう。
そういえば、魔族との戦いはどうなったのかな?
村の外は随分と静かだ。仮に戦いが再開されれば、ここまで喧騒ぐらいは聞こえてきてもいいはずだ。
廃屋同然の彼女の家は、あちこちに隙間がある。
入り口と窓は固められているが、そこから外の光は十分に入り込む。その光の色合いから、もうすぐ夜になることだって判る。
チャイカの作戦で敢えて夜襲を受けることにしたことを知らないサイファは、村が静かなことが逆に不安になってきた。
だが、今のサイファには何もできない。ただただ、不安を抱えながら勇者ランドの無事を祈ることしかできないのだ。
心の奥から湧き上がる不安と戦いながら、サイファは時が過ぎるのを待つ。
やがて、隙間から差し込む光が徐々に弱まり、逆に闇が入り込む。
魔族──闇エルフの血を引くサイファにも、暗視能力がある。そのため、灯りはなくとも周囲の様子ははっきりと判る。
基本的に、この村の人々は夜になると寝てしまう。夜間の照明代も馬鹿にならないからだ。
この村で夜更けまで起きているのは、暗視能力のあるサイファぐらいだろう。
と、どこか遠くからたーん、という雷鳴のような音が響いた。
その後、何度も何度も雷鳴は響き、やがて静かになる。
「今の音……何だろう?」
家の隙間から外を覗けば、夜空には星が瞬いているのが見えた。
「……雷……じゃない? もしかして、魔族が魔法を使った、とか……?」
更に大きくなった不安を何とか押し宥めつつ、サイファは家の中をうろうろと歩き回る。
元々狭い家なので、殆ど同じ場所を行き来するようなものだが、それでもじっとしていられない。
やがて、家の外から歓声のようなものが聞こえた。それは間違いなく、村人たちの声だ。
「……魔族に勝った……のかな?」
村人たちが歓声を上げる以上、魔族に勝利したのだろう。
でも、魔族に勝利したとはいえ、勇者様の安否までは判らない。そのまま更にじりじりとした思いを抱いていると、扉の向こうからごとごとと音がし始めた。
「……レイジ……じゃない、ランド様?」
僅かな期待と共に、小声で彼の名前を呼んでみる。
しかし。
扉を開け、蝋燭の灯りを掲げて彼女の家に入って来たのは、サイファもよく知る村の男たちだった。
「夜分に失礼します、勇者様」
バモン村長とその背後の少女が深々と頭を下げる。
一方、レイジは浮かない表情をしている。てっきりサイファが訪ねてきたと思ったのに、あてが外れたからだ。
「なあ、村長さん。サイファはどうしている? 村長さんは明日にはサイファに会わせてくれると言っていたけど、今、彼女はどこにいるんだ?」
「実はそのことについて、勇者様にご提案がありまして」
ずい、と部屋に入ってきたバモン村長は、顔中に笑顔を貼り付かせて背後にいた少女をレイジの前へと押し出した。
「勇者様がその……女をご所望とのことでしたので、よろしければあのような穢らわしい半魔族などよりも、私の娘はいかがでしょうか?」
にこにこ、というよりはにたにたとした笑みを浮かべたバモン村長に押し出され、彼の娘はまるで貴族の令嬢のようにちょいとスカートを持ち上げて頭を下げた。
「レーリアと申します。どうか、末長く勇者様のお傍においてくださいませ」
湯浴みを済ませ、うっすらと化粧を施したレーリアは、確かに美しかった。
実際、レーリアの美しさはこの村だけではなく、周辺の村々でも評判なのだ。
「いかがでしょう? 勇者様も男である以上、戦いの後はいろいろと昂ぶることもありましょう。ええ、男が女を求めるのは神々が定めた自然の定理。何も恥ずかしいことではありますまい。そして私の娘ならば、あの半魔族などよりも、余程勇者様をご満足させられると思います」
父親にそう言われたレーリアは、にっこりと笑顔を浮かべると静々とレイジへと近づいていった。
サイファの家に入って来たのは、三人の村の男たち。
三人ともまだ年若く、サイファよりもやや年上といったところだ。
小さな村ということもあり、サイファも三人のことをよく知っている。
そして、勝手に家に入ってきた三人は、揃いも揃って下卑た笑みを浮かべていた。
「……本当にいいのか?」
「構やしねえだろ? 村長がやれって言ったんだしよ?」
「だけど……サイファは勇者様が……」
「その勇者様のためだってさ。勇者様に半魔族の女は相応しくないと、村長は自分の娘を勇者様に薦めるそうだぜ?」
「なるほどね。要は勇者様と血縁を結ぼうってわけか。あの村長の考えそうなことだな」
「だから、俺たちにこの半魔族をメチャクチャにしろなんて言ったってわけだ」
「この半魔族のどこが気に入ったのかは知らないが、勇者様も俺たちが使い潰した女には興味をなくすだろうしな」
男たちは口々に勝手なことを言いながら、ゆっくりとサイファに近づいていく。
狭い家の中、サイファには既に逃げ道はない。
三人は彼女を包囲する形で、じりじりと家の隅へと追い詰めていった。
「い、いや……っ!!」
小さな悲鳴を上げながら、サイファは男の一人を突き飛ばして包囲を突破しようとする。
だが、彼女の細腕では男を突き飛ばすことはできず、逆に腕を捕えられてしまう。
「そう言うなよ、サイファ。どうせいつかはこうなる運命だったんだ」
「そうそう。俺たちに抱かれるのも、早いか遅いかの違いしかないって」
一人の男がサイファを戒め、もう一人が腕を伸ばして彼女の服の胸元を握り締める。
そのまま腕に力を込め、サイファの服を強引に破ろうとした時。
不意に背後から声が聞こえてきて、男たちがびくりと振り返る。
「…………精霊様の言っていた通りだな。さすがは精霊様ってとこか?」
そう言いながらのっそりとサイファの家に入って来たのは、バーラン兵長だった。




