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狂気と熱

「魔族との夜戦は、レイジ様お一人で十分です。他の方々は手を出さないでくださいねー」

 魔族の夜襲に対して、策があると言った精霊の乙女。

 その精霊の乙女が次に口にした言葉がそれであり、それを聞いたバーランやその部下の兵士たち、そして魔族に抵抗するために集まっていた村の男たちは、ぽかんとした表情を浮かべた。

「お、おいおい、精霊様。昼間の戦闘で、魔族や連中が使役する狼なんかはそれなりに倒したが、それでもまだ三十は残っているんだぜ? それなのに、その兄ちゃん一人で大丈夫だってか?」

「はい、レイジ様お一人で十分ですよー」

 美しき精霊の乙女が浮かべた微笑みに、場も忘れて何人かの男たちが見蕩れる。

「ただし、レイジ様がお一人で魔族に勝利した場合、魔族の処遇はレイジ様に一任してください。いいですね?」

「……いいだろう。本当に、俺たちは手を出さなくてもいいんだな?」

 まあ、その兄ちゃんが魔族にやられたら、改めて俺たちが戦えばいいか。兄ちゃんが魔族の数体も道連れにしてくれれば、それだけ俺たちも楽になるからな。

 と、その時のバーランは気楽に考えていた。




 戦いの前にそんなやり取りがあったこともあって、バーラン兵長とその部下の兵士たち、そして戦いの準備を済ませた男たちは、村の境界から少し離れた地点で、勇者だと噂される青年と魔族の戦いを見ていた。

 その更に背後には、村長のバモンやその家族、グルーガ司祭、そして戦えない村人たちまでも数多く詰めかけていた。

 つまり、この村のほとんどの住民が集まっていると言っていい。

 やはり、彼らも気になっていたのだ。突然現れた青年が、本当に伝承にある勇者なのか、と。

 そんな村人たちが見つめる中で。

 勇者と噂される青年は、たった一人で魔族に勝利しようとしていた。




 得物を破壊され、降伏を迫られたパジャドク。

 パジャドクは全身を怒りに震わせながら、目の前で光輝く宝剣を構える人間を見つめる。

 この人間は、大人しく降伏すれば虐殺はしないと言っている。だが、そんなことが信じられるわけがない。

 人間と魔族は、もう長い間争い続けてきたのだ。魔族は人間を、人間は魔族を、互いに憎しみあっている。

 そんな人間に降伏したら、例え目の前の人間は自分たちを殺さなくても、他の人間たちからよってたかってなぶり殺しにされるのがオチだろう。

 ならば、最後まで抗おう。一人でも多くの人間を道連れにして死のう。

 魔族八魔将の一人、《灼熱》のパジャドクはそう覚悟を決めた。

「例え降伏したとして、その後に処刑されることは明白! ならば、貴様だけは絶対に道連れにしてくれるっ!!」

 例え武器は失っても、その巨体とそこから生み出される怪力は、それだけで十分凶器となる。

 パジャドクは両手に拳を力一杯握り締めると、右の拳を大きく振りかぶり、目の前の人間に向けて打ち出した。

 上背で勝るパジャドクから放たれる拳。それは打ち下ろしの効果も孕んで、その凶暴性を増加させた。

 ぶん、と空気を押しのけ、メイスの一撃にも等しい拳撃が目の前の人間──レイジへと迫る。

 しかし、今度はレイジも動かない。先程は人間離れした速度でパジャドクのモールを回避してみせたが、今回は回避するつもりがらしい。

 ぱしーん、という甲高い音が、まだ消えていない小さな太陽──照明弾の光の中で響く。

 それは、レイジがパジャドクの拳を、片手で受け止めた際に発生した音だ。

「…………き、貴様……その細い身体で、我が拳を受け止めただと……?」

 パジャドクは、全身の筋力をフル稼働させてレイジを押し潰そうと試みる。

 だが、レイジはその膂力に真っ正面から拮抗してみせた。

 レイジの身体は、はっきり言って細い。オーガーであるパジャドクは元より、兵士であるバーランと比べても、はっきりと見劣りするぐらいの体格でしかない。

 下手をすると、毎日大地と格闘している村の男たちの方が逞しいぐらいだ。

 そのレイジが、パジャドクと筋力で互角に争っている。

 その事実に、当人であるパジャドクは元より、その周囲で二人の戦いの行方を見守る魔族たちからも動揺の声が上がる。

「ぱ、パジャドク様と力で互角だと……」

「あ、あの人間は一体何者なのだ……?」

「……あれは……本当に人間なのか……?」

 そして、ざわめいたのは魔族だけではない。

 レイジの背後の村から見つめていた村人たちも、ざわざわと驚愕の声を上げていた。




 巨漢の魔族の拳を易々と受け止め、更には力でも魔族と拮抗する青年。

 その姿を見て、村人たちが驚愕の声を上げるのは当然だと言えるだろう。

 そんな村人たちの中から、グルーガ司祭が進み出て村人たちを振り返った。

「村の衆よ! 何を驚くことがあろうか! あのお方は、神が我らを救うために遣わされた勇者様……勇者ランド様だ! 聖典に記された伝承を思い出せ! 『彼の者の足は空を駆け、瞬く間に山を越え』『彼の者の腕は剛力で以て、巨石を容易く小石へと変える』と聖典にはある! 先程、勇者ランド様はあの魔族の元まで実際に空を駆けたではないか! ならば、勇者ランド様が力でも魔族と対等……いや、それ以上であるのは当然であろう!」

 グルーガ司祭の言葉に、村人たちは納得の表情を浮かべる。

 これまでに、青年が見せた勇者の証。

 聖典に記された伝承そのままの姿に、もはや村の誰一人として青年が勇者であることを疑う者はいなかった。

「……勇者様だ……」

「勇者様が、我らを救いに現れてくださったのだ!」

「お、俺は初めっから、あの方が勇者様だと信じていたぜっ!!」

「嘘を言うな! 勇者様を信じていたのは俺だよ!」

「勇者様っ!! 勇者ランド様っ!!」

 勇者の降臨に沸き立つ村人は、戦場のすぐ傍だということも忘れて勇者の戦いに見入っていた。




「降伏してくれ。絶対に無駄な虐殺はしないと誓う」

「……信じられん……人間の言葉など……信じられるかあああああああああああっ!!」

 全身の筋肉から湯気が出るほどに、パジャドクは全身全霊の力を込めてレイジを押し潰そうとする。

 だが、パジャドクの渾身の力でも、レイジをその場所から後退させることさえできない。

「どうしても、降伏はしてくれないのか?」

「くどいぞ、人間!」

「…………仕方ない、な」

 溜め息を一つ吐いたレイジは、パジャドクの拳を跳ね上げた。

 そして素早くバックステップ。僅かにパジャドクとの距離を稼いだレイジは、腰から9ミリオートとは違う銃を抜いた。

 銃口をパジャドクに向け、躊躇うことなく引き金(トリガー)を引く。

 途端、銃口から眩しいばかりの光が迸る。

 それは放電銃──テイザーと呼ばれる武器だ。

 スタンガンをより発展させ、離れた相手に電気を浴びせるという武器で、その性質上建築物などの破壊には殆ど役には立たないが、その反面マンストッピングパワーは極めて高い。

 欠点としては、本来電気を通さない空気中に強引に放電するため、その射程が極めて短いことか。有効射程はせいぜい3メートル程度だろう。

 また、一度に消費する電気量も多く、小さな拳銃型の放電銃ではその連続使用回数はどうしても少なくなる。

 だがその効果は極めて高く、至近距離から電気を浴びたパジャドクは、筋肉が強制的に収縮されて満足に動けなくなり、そのまま地面に倒れた。

 スタンガン同様、電圧は高くとも電流量は低いため、心臓に疾患がある場合などの特殊な状況を除いて、電気を浴びても死に至ることはまずない。

「ぐ……が……」

 地面に倒れ込んだパジャドクは、必死に立ち上がろうとしているようだが、身体の自由が利かないので倒れたまま呻くだけ。

「おまえたちの指揮官はこの俺が倒した! 死にたくなければ、武器を捨てて降伏しろ!」

 足元で呻くパジャドクを一瞥したレイジは、自分たちを見つめる魔族に向かって彼らの言語で告げる。

 目の前でパジャドクと拮抗する力を見せつけ、そして一瞬でパジャドクを倒したレイジの言葉は、実力主義の魔族たちにも十分な説得力を持っていた。

 幸運にも先程の狙撃の標的から外され、まだ立っていた少数の魔族たちは、互いに顔を見合わせると誰からともなく足元に武器を放り出し、降伏の意志を露にした。




 魔族が武器を放り出して降伏した時、レイジの──いや、勇者ランドの戦闘を見守っていた村人たちは大歓声を上げた。

 彼らは口々に勇者ランドの名前を叫び、その勝利を称えた。

 村人たちは勝利を喜び、生き残れたことを喜ぶ。

 勇者を称える熱はどんどん高まっていき、やがて、その熱は狂気の域まで高まっていく。

 そして、熱は出口を求める。

 狂気によって更に高まった熱は、その出口として憎き敵を選択した。

 村人たちは、その目に狂気と熱を宿し、地面に横たわる魔族を見つめる。

 憎き敵。穢らわしき敵。そして、自らや隣人を傷つけた敵。

 村人たちは手に手に鍬や鋤、もしくは木の枝や石を持ち、誰からともなく魔族へと駆け出した。

 敵を殺せ。

 魔族には死を。

 俺たちは勝者だ。

 敗者には……いや、無力な魔族をぶっ殺せ。

 そしてそれは、この国では割と一般的なことでもあり。

 人々は狂気と熱に犯されながら、暴力を携えて敗者である魔族へと殺到する。

 しかし。

 しかし、彼らの狂気と熱は、結局出口を得ることはなかった。

 なぜならば、倒れる魔族たちの前に一人の人間が立ちはだかったのだから。

 人々を救うため、神が遣わした勇者ランド。

 その勇者ランドが、狂気と熱に犯される村人たちに向けて、神の宝剣たる光の剣を構えて立ちはだかっていた。


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