第29話 子爵令嬢は故郷に戻る
エドワード様の予想に反し、私がグレイ子爵領に帰ると伝えても、アイク様の機嫌はそれほど変わらなかった。元々機嫌悪めではあったけれど。
「色々とんでもないことに巻き込んだからな。一度実家でゆっくりした方が良いだろう」
アイク様とは思えない、至極まともな意見に、大変失礼ながらちょっと驚く。
アイク様は私より年上ではあるが、姉の悲しき性か、最近どことなく弟の面倒を見ている気分になっていたので。
だって、結構我儘だし、すぐ顔に出すし。
「今失礼なこと考えてないか?」
「とんでもございません」
女官モードのシレッとした顔で聞き流す。
「まあ、王宮に戻って静養するころには、オプトヴァレーに転移できるくらいの魔力は溜まるだろうし」
「静養の意味知ってます?おとなしく休んでいてください」
あ、不貞腐れた顔になった。やっぱり、世間で知られている冷静冷酷な魔王ではなく、素顔はまだまだ子供な気がする。
一度死にかけたのだから、体を大事にしてほしい。魔力を沢山使うらしい転移魔法を、回復早々大した用も無く使われては、こちらが心配なのだから。
「お許しを頂ければ、私の方から王宮に出向きますので」
「分かった。他人ごとの転移魔法を確実に使えるのは、今はノーマンだけだから、あいつを迎えにやらせる」
「それだけはやめてください!私は歩いて行きますので!!」
◆◆◆◆◆◆
3週間後、まだ杖や支え無しでは歩けないものの、体力や魔力は回復し、移動に耐えられるであろうとの医師のお墨付きを得て、アイク様は王宮に戻られることになった。
同時に、私もシリルを発ち、グレイ子爵領オプトヴァレーに帰る。
出立にあたり、王都から騎士団やら、豪華絢爛な馬車やら、大行列がシリルにやってきた。
勿論私のお供……ではない。
時の人で英雄たる、アイザック第二王子殿下のお迎えである。
実は、他国で災禍に見舞われながらも、奇跡的に帰国を果たした第二王子殿下の話は、大変な話題になっているらしい。
しかも、民の間では、どうしてそうなったのか、命懸けの冒険譚や、身分違いの恋話などの尾ひれが付いていると聞き、アイク様と2人、頭を抱えることになった。
「俺、もう王都に帰りたくねえよ……恥ずかしすぎるだろ」
「私だって、どういう顔して王都に行けばいいんですか…」
なにせ、プレストン様が嬉々として持ってきた紙面には、連日、第二王子殿下の素晴らしい人となり(盛られている)、輝かしい実績(事実)、女官との身分違いの恋(妄想)、そして、危機に陥った王子を、命を懸けて助けに行く、美しく勇敢な女官(大嘘)の物語が、大々的に連載されていた。
初めて見たときは、絶句した後、アイク様と顔を見合わせ、そして悲鳴を上げた。
記事は8割盛られているが、所々、事情に詳しい者から聞いたとしか思えない記述がある。
「出版を差し止めさせる!」と顔を真っ赤にしていたアイク様だが、記事の情報提供者に、国王陛下と王妃陛下がいるらしいと聞いて、完全に燃え尽きたのは数日前の話。
『王家のイメージ戦略に利用されるのも王子としての務めだ』と書かれた、王太子殿下からの書状を粉々に破いていたアイク様の背には、哀愁が漂っていた。
「……じゃあ、王都で待っている」
「はい。お気をつけて」
処刑場に連れていかれるかのような、絶望的な表情で馬車に運ばれるアイク様を、心から同情して見送る。
「さて、私も行きますか」
私は歩いて帰ると言ったものの、周囲の猛反対で、馬車と護衛を付けていただくことになった。
勿論、ごくごく普通の馬車で。
◆◆◆◆◆◆
約1か月振りに、オプトヴァレーに足を踏み入れる。
たった1か月なのに、濃密なことがありすぎて、もう何年も帰っていなかったような感覚がする。
街の入り口から伸びる道の両脇には、商店が並び、一応繁華街という扱いになっており、街の人や、行商人で賑わっている……が、私に気付いた瞬間、全員が私を見たまま硬直した。
(えっ……な、なに!?)
そんなとんでもない姿をしていただろうかと、自分の服を見下ろすが、ごく普通の恰好だと思う。
後ろにいる護衛の方たちも、異様な空気に困惑している雰囲気が漂う。
凍り付いた空気を変えたのは、薬草屋のユラちゃんの無邪気な声だった。
「わあ!お帰りなさいお嬢!お母さん、『癒しの姫』だよ!!」
(ん!?何か耳慣れない単語が……)
ユラちゃんの声で、硬直していた街の人たちが一気に我に返ったように、動き出した。
「お嬢!お帰り!」「心配したよ」「まさかお嬢がそんなに凄い人だったとは」「癒しの姫だもんな」「でも、絶世の美女ってのは……」「シッ!」
ワイワイと私を取り巻く街の人たちは、とても温かく迎えてくれる。
話の断片を聞くに、どうやら、この山奥にも、あの物語は伝わってしまったらしい。
(でも、『癒しの姫』って何?)
唖然としている私に、1人の住民が最新の新聞を渡してくれた。
あの連載の最新話が掲載されていた。タイトルは「孤高の王子殿下を癒した、心優しき子爵令嬢」
「な、なんじゃこれ!!!」
思わず絶叫してしまった。詳しい記事は読めない。もはや恥ずかしすぎて読みたくない。
「オプトヴァレーにまで取材来たんですよ!楽しみすぎて速達で送ってもらいました」
「まさかあの魔法使い様が王子殿下だったなんてなあ。お嬢と殿下の仲良しっぷりを話しちゃいました」
「勿論、良いことしか言ってませんので、安心してください」
新聞取材が来るなんて、この山奥ではかつてない大事件だ。街の人たちが喜んで喋り倒している姿が目に浮かぶ。めまいがするが、良かれと思っている彼らを責めることはできない。
「ルーカス様も、随分喜んで話してましたぜ」
……ルーカスはぶっ飛ばす!!
◆◆◆◆◆◆
「お帰り、メリッサ」
「ただいま、お母様」
予想外の出来事に、帰って来られた喜びや、これまでの悲しさ、辛さなどは一気に吹っ飛んでしまったが、それでも、涙目で私を抱きしめてくれる母の姿を見ると、これまで我慢していた感情が、再び込み上げてくる。
「姉さま、ご無事でおかえりになって良かったです!」
母の後ろではしゃぐルーカスは無視した。あとでゆっくり説教をすることにする。
「お母様……、ルイス先生が……」
そう、私はこのことを伝えるために、帰ってきたのだ。
正体はどうであれ、ルイス先生はこの子爵領で長く街の人達を助けてくれた、大切な方だ。
私達を守ってくださった方を、このまま闇に葬るわけにはいかない。
言い出してすぐに言葉に詰まり、しゃくりあげ始めた私の背を、母は優しく擦ってくれた。
「大丈夫。メリッサ、分かっているわ。貴女が責任を感じることではないわ」
「でも、お母様……」
「あの方が自分で選んだことだもの。魔法は失っても、お命はあるのだから何とでもなるわ」
「……はい?」
どうも母と会話がかみ合っていない気がする。
「えっと、お母様。ルイス先生は……」
「10日位前に診療所に戻られているわよ。大分お怪我が酷かったけど、本人は薬を買いに行く途中、熊に襲われたって街の人達に言っているみたい」
ええっとつまり……。
「……生きてるの?」
「え?ええ」
不思議そうに首をかしげる母の顔を、たっぷり30秒は見つめる。
……エドワードとルイス!!まとめてぶっ飛ばす!!
癒しの姫(笑)は私には無理そうだ。




