第16話 女官は別れを告げる
「この辺、何て書いてあるんだ?」
「写しただけだから、分かりません!」
私渾身の複写を解読する作業は、難航していた。
言い訳をさせてもらうと、私は普段、字が下手だと言われたことは無い。
初めて見る外国語を見よう見まねで書いたようなものであって、そもそもどう書くのが正解なのか分からないのだから、仕方ないと思う。
とはいえ、アイク様の呆れたような溜め息は、心をグサグサ抉ってくる。
「まあいいや。大筋は把握したから、後は俺なりに構築する」
「それ大丈夫なんですか!?」
私の命がかかっているんだから、ギャンブルは止めて欲しい。
「俺はこれでも、魔法学校の首席卒業生なんだが」
「え!凄いですね!もしかして、そん……」
「忖度じゃないからな」
被せ気味に否定された。
勿論、魔法使いは、身分でどうにかなる世界ではないことは、私でも重々承知だ。
王立魔法学校の首席卒業生は、政府や軍の要職を担い、例え平民の生まれでも、高い爵位が約束される、まさにエリートの代名詞。
(ど、どこまでハイスペックなの……)
住む世界が違いすぎる。
自ずと尊敬の眼差しで見ると、アイク様は、フンと鼻で笑った。得意気な顔は、随分と子供っぽい。
「1日待てと、エドワードに伝えておけ。あいつのより完璧な術式を作ってやる」
◆◆◆◆◆◆
「この天才魔法使いを上回ろうとは、随分でかい口を叩くようにおなり遊ばしたもんだな。戻ったら、白黒つけて差し上げよう」
アイク様の伝言を、そっくりそのまま伝えると、いつも飄々としているエドワード様は、何やら怪しい敬語を使いだした。ニヤリとほくそ笑んだエドワード様は、どことなくアイク様に似ている。
(そっか、本当は従兄弟になるのか…)
似ている訳だと、1人勝手に納得する。
「まあ、アイザック様が1日とおっしゃったなら、1日でできるんだろう。こちらも準備を進めなければ。まずノーマン様に機嫌を直してもらうか……」
エドワード様は慌ただしく出ていった。
残ったのは、昨日に引き続き、エドガー様だった。
本当にこの人は苦手だが、そうも言っていられない。
「あの、昨日のお話なのですが……」
恐る恐る切り出すと、エドガー様はいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
「決まりましたか?伺いましょう」
私は、考え抜いた結論を伝えた。
エドガー様の笑みが消え、ありありと驚きの表情が浮かぶ。
エドガー様の意表をつけたのは、ちょっと嬉しい。
「メリッサ嬢は、本当にそれで良いのですか?」
「はい。私にとって、昔から願っていたことです。それに、このほうが、王家にとっても良いことかと思います」
「それはそうですが……」
「勿論、今回知り得たことは、生涯口外致しません」
エドガー様は真剣な目でじっと私を見つめている。
私も目を逸らす訳にはいかない。
一度揺らいだら、また決意が鈍りそうだから。
「…分かりました。確かに、国王陛下、王太子殿下にお伝え致します」
エドガー様はお辞儀をすると退室していった。
(エドガー様に礼されたの、初めてだ!)
何となく、今日はエドガー様に勝てた気がした。
そんなことを考えていないと、泣いてしまいそうだった。
◆◆◆◆◆◆
「完璧だな。流石は俺」
ご満悦気味な顔で、アイク様は地面に書いた術式を見ていた。
私にはよく分からないが、エドワード様の作った物とは、所々違う気がする。
まあ、私の命を守ってくれるならば、どちらでも構わない。
しかし、本当に1日で完成させるとは、やっぱり相当優秀な魔法使いなんだろう。
「流石、首席卒業生様ですね!これで戻れますね!」
努めて明るい声で、持ち上げる。
「そうだろう」と調子に乗ってくると思ったアイク様だが、私の予想に反し、顔を曇らせた。
「……メリッサは、本当にそれで良いのか?」
「えっ?」
それで良いも何も、私の身体に居座られても困るという思いは、変わっていない。
元の身体に戻ってもらわなければ、私もアイク様もどうしようもないし。
それとも別のことを聞かれてる?何のことだろうと、首をかしげる。
「いや、いい」
困惑する私に、自分で言い出したくせにアイク様は話を変えた。
「俺の体感で、明日の午後に発動させる。そっちで合わせろと、エドワードに言っておいてくれ」
「かしこまりました」
明日、この不思議な生活も終わるのか。
アイク様と、こうやってお話しできるのも、これで最後だろう。
「アイク様、色々ありがとうございました」
泣きそうになるが、ぐっとこらえて、笑顔で礼を伝える。
だけど、アイク様はいつもと違い、真面目な顔のままだった。
「俺の方こそ、感謝している。メリッサがいなければ、俺はとっくに死んでいた。もう一度、王家のために、国のために働こうと思えたのは、メリッサのおかげだ」
真っ向から真剣に告げられ、我慢していた涙が溢れてくる。
(こんな場面で真面目になるなんて、反則だよ……)
アイク様の指が、私の顔に触れた。零れた涙を、指先で優しく拭ってくれる。
「ありがとう、メリッサ」
「ありがとうございました、アイク様。どうかお元気で……さようなら」




