第42話 耳かきと俺と……弟と?
「……ケンカしちゃったの?」
「してないと思うが……しちゃったらしい」
「……とりあえず、一緒にDVD観る?」
「……観る」
唯花の部屋から締め出された俺は、伊織の提案に所在なく頷いた。
しかしなんとなくすぐには動けず、『ゆいかのへや♪』というプレートが掛かった扉をぼんやり見つめる。
気遣いのできる弟分は急かさない。半開きの自室の扉から顔を出したまま、労わるように尋ねてくる。
「珍しいね、奏太兄ちゃんがお姉ちゃんの部屋から出されちゃうなんて」
「そう、そこなんだよなぁ……地味に傷つく」
以前にブラを土産にゴーホームさせられたのは別として、口ゲンカ程度なら俺たちはしょっちゅうしていると思う。
しかしこうして出禁状態になってしまうことは滅多にない。
さらには唯花は引きこもりである。その部屋に入れてもらえないというのは精神的に結構クる。
「ケンカの原因はなんなの?」
「分からん」
「たとえば……お姉ちゃんが怒る直前って何かしてた?」
「ただ、唯花に耳かきしてただけだ」
まだ手に持っている耳かきを示す。
俺と同じように伊織は難しい顔になった。
「耳かき……確かにそんなこと、ケンカの原因にはならないね」
「だろ? 耳かきが理由で部屋を閉め出されたりはしないはずだ」
「となると、本当に謎だね……耳かきなんかでお姉ちゃんが怒るわけないし」
「そう、本当に謎なんだ。まっとうな人間なら耳かき程度で感情をかき乱されたりしないからな」
「じゃあ、やっぱり耳かきは原因じゃないね」
「ああ、耳かきは原因じゃない。それだけは確かな真実だ」
そんな話をしていたら突然、ボスッボスッボスッと妙な音が響いた。
まるで俺たちの会話を聞いた誰かが、怒り心頭でむきーっと枕を叩いているような音だった。
俺と伊織は同時に唯花の部屋を見る。
そして視線だけで会話。
「(も、もしかしてお姉ちゃん、今のを聞いてもっと怒っちゃったのかな……っ)」
「(いや……そんなことはないだろ。今の会話で唯花が怒るようなところあったか?)」
「(うーん……無いね。まったく無い。一切皆無)」
「(だろ? ってことはあのボスボス音の怒りはたぶん別件だ)」
だが反応があるのはいいことだ。
一番困るのはコミュニケーションが一切取れないことだからな。
とりあえずこの会話を続けていれば、唯花の気持ちを解きほぐすきっかけぐらいは掴めるかもしれない。
「(協力してくれるか、伊織?)」
「(もちろんだよ! 一緒にがんばろ、奏太兄ちゃんっ)」
二人でひそかに頷き合い、会話を再開。
「でもさ、僕、てっきり部屋で奏太兄ちゃんとお姉ちゃんがえっちなことの続きしてるのかなって思ってたよ。買い物に行かされたし」
いきなりぶっ込んできたな、おい。
「ははは、こやつめ。倫理と理性の化身たる俺がそんなことするわけないだろ? あれはお前の誤解だよ。はははははは、こやつめ」
「うーん、まあ、誤解かどうかは置いといて」
「置いとくのか……。しっかりしてるな、弟分よ」
「結局、えっちなことで説明がつくと思うんだよ。奏太兄ちゃんって案外、無意識のところでドSだから。自分の気づかないところでお姉ちゃんにすごいえっちなことしてて、お姉ちゃんは戸惑いながらもそれを受け入れる覚悟を決めたのに、またも無意識ドSが発動して、お預けされちゃってお姉ちゃん激怒……ってすごく自然な成り行きだと思う」
「はぁ、伊織……」
俺はやれやれと首を振る。
「お前はちょっと妄想力が逞しすぎるぞ。まあ、中2ってのは往々にしてそういう時期だからいいと思うが、現実問題として幼馴染にエロいことしといて無自覚なんてことがあるか?」
「うーん、言われてみればそうかも……。ごめん、僕の考えすぎだったよ。だって二人がしてたのは耳かきだもんね。現実的に考えて、耳かきでえっちなことになんてなるわけないもん」
「そうだ、耳かきはえっちじゃない。だから原因はやっぱり別のとこだな」
「うん、やっぱり原因は別のとこだね」
突然、ボスボスボスボスボスボスボスボスボスッ! と音が強くなった。
俺たちの会話を聞いた誰かが、怒り心頭で無駄無駄ラッシュを放っているような音だった。
オラオララッシュじゃない辺り、たぶん人間をやめている。捕まったら第1部のゾンビにされてしまうかもしれない。
俺と伊織は無言で唯花の部屋を見る。
お互い、ちょっと冷や汗をかいていた。
「(これは……旗色が悪いな。やべえ匂いがプンプンするぜ)」
「(と、とりあえずここまでにしとこっか? DVD観よ、DVD)」
いきなり部屋に引っ込むのも不自然なので、じりじりと移動しつつ、それっぽい会話を試みる。
「じゃ、じゃあちょっと……伊織の部屋にいっとくか。仲良く一緒にDVDを観るか」
「わ、わー、いらっしゃい、奏太兄ちゃん。ついでに僕にも耳かきしてくれたら嬉しいなー」
ボスボスボ……と、いきなり音が止まった。
なぜか扉の向こうに動揺してるような気配が生まれた。
しかし理由が分からない。
一手先送りするつもりで、俺は伊織のセリフに乗る。
「お、おー、いいぞ。それじゃあ……」
唯花の部屋の気配をチラチラ伺いながら。
「俺の耳かきテクで伊織のことも癒し尽くしてやるってばよ」
その瞬間だった。
驚くべきことが起きた。
伊織が俺の横にいる状態で、突然扉がガチャッと開いて。
――唯花が飛び出してきたのだ。
「そんなのだめぇーっ!」
三つ編みを振り乱して。
幼妻姿の唯花は叫んだ。
「奏太の耳かきはあたしだけのものなんだから――――っ!」
いや何言ってんの、お前!?
というツッコミさえ口に出来なかった。
空気が完全に固まっていた。
伊織など、もう驚きすぎて完全にフリーズしている。
一瞬遅れて、唯花本人もはっと我に返った。
黒髪の前髪のカーテンの向こう、弟と目が合う。
実に一年半ぶりの姉弟の対面だ。
「伊織……」
「お、お姉ちゃん……」
姉はぎこちなく視線をさ迷わせた。
しかし意を決したように顔を上げ、告げる。
なんか劇画タッチの顔になって。
「No more 耳かき泥棒」
「Yes, I am」
……は? まったく意味が分からんぞ? でも瞬時に劇画タッチになって返事した辺り、伊織との意思疎通は出来てるのか!? そうなのか!?
「で、では、ごきげんよう」
「は、はい、ごきげんよう」
姉弟はぺこりと頭を下げ合って、同時にバタンッと扉を締めた。
ひとり廊下に取り残される俺。
……いや、うん、お互いに動揺していたのは分かる。そのせいで言動がおかしな感じにシンクロしたってのも想像に難くない。
しかしだな、前回は俺の性癖で一年半ぶりの手紙、今回は耳かきで一年半ぶりの対面だぞ?
俺は心の底から叫ぶ。
「お前ら、感動の瞬間をどうでもいいことで消費し過ぎだろ――っ!?」




