39 心臓が破裂しそうです!
タキシード姿のヴィーチは今までに見たことのない、爽やかな笑みを浮かべています。
こんなことを言ってはいけないのでしょうけれど、気持ちが悪いです。
得体のしれないものを見てしまったという衝撃が強く、お礼を言うのを忘れていました。
「本日は、ご参加いただきありがとうございます」
こちらも笑顔を作って礼を言うと、ヴィーチはとんでもないことを言います。
「アンナ嬢、よろしければ、この後、一曲踊っていただけないでしょうか」
「え?」
驚いて聞き返すと、ヴィーチは首を傾げました。
「今日はダンスをする時間はありますよね」
「も、もちろんありますが」
どうして、私がヴィーチと踊らなければならないんですか⁉ 何か魂胆があるのが見え見えではないですか!
警戒していることがわかったのか、ヴィーチは苦笑します。
「今まで失礼な態度をとっていたことを反省しているんです。心を入れ替えましたので、仲良くしていただけないでしょうか」
「申し訳ございませんが、それはできません」
めでたい場所でこんな嫌な話をしたくはありませんが、曖昧に答えるわけにもいきません。躊躇せずにお断りします。
「したほうはすぐに忘れられるかもしれませんが、されたほうはそう簡単に忘れられるものではないのです」
「おっしゃっていることはよくわかります。ですが、私も反省しているんですよ。その気持ちを理解していただけませんかね」
「謝る立場の人間が言う言葉だとは思えませんが?」
「……誠意を伝えたいので、まずは、仲直りするためにダンスを踊ってもらえませんか」
大勢の前ではできない話をしたいようです。一体、ヴィーチは私と何を話すつもりなのでしょう。……と、ミルーナ様の話しかないでしょうね。
さて、どう断ろうかと考えていますと、いきなり後ろから、誰かに抱きしめられました。
「ひあっ⁉」
背後を警戒しておらず無防備状態だったため、かなり、驚いて変な声を上げてしまいました。私を後ろから抱きしめている相手は、そんなことは気にせずにヴィーチに話しかけます。
「お前はアンナとダンスはできない。悪いが、アンナに触れていい男は俺だけなんだ」
アデルバート様はそう言うと、私を抱きしめる腕を強めたのでした。 思いもよらなかった展開に心臓が口から飛び出そうです。
視界の隅に入ってきたニーニャはなぜか顔を両手で覆うほどに恥ずかしかっています。恋人がいるニーニャがそこまで恥ずかしくなるなんて、どういうことでしょう?
も、もしかして、二人はまだ、手を繋いだりしてもいないとか⁉
どうでも良いことを考えてあわあわしていると、ミルルンとシェラルがニヤニヤしている顔が見えて、スッと冷静に戻りました。
「あ、あの、アデルバート様!」
「何だ? 苦しいか?」
耳元で囁かれるように尋ねられたので、一気に体の熱が上昇します。
「く、く、苦しいです! 心臓が破裂しそうです!」
「心臓? ……ああ、もしかして意識してくれてるのか?」
「してます! 当たり前じゃないですか!」
お腹に回されているアデルバート様の手を掴んで言うと、なぜか悪い笑みを浮かべただけでなく、手を握られてしまいました。
私が手を握ると照れていたアデルバート様は一体、どこに行ってしまったんでしょうか⁉
「まあ!」
「何の騒ぎだ」
騒がしくなったことで、お父様とお母様がやって来ました。お母様は私とアデルバート様の姿を見ると、一瞬だけ驚きはしたようですが、笑みを浮かべました。でも、すぐに近くにいるヴィーチに気がついて眉根を寄せます。
お父様は不満げな表情で、アデルバート様に話しかけます。
「アデルバート様、娘と仲良くしてくださるのは有り難いのですが、まだ、アンナは十六歳です」
「これは失礼しました」
アデルバート様が私を抱きしめていたのには理由があります。でも、アデルバート様は今、この場でその理由を説明する必要もないと思ったようでした。誤解されたままもどうかと思いますので、お父様に話しかけます。
「お父様、あとで事情は説明いたしますね」
「自分が大人げない態度をとっていることはわかっているよ。アデルバート様、無礼をお許しください」
「俺があなたの立場なら同じことを思うでしょうから、気になさらなくて結構ですよ」
アデルバート様は抱きしめていた腕を解くと、呆気にとられたような顔をしている、ヴィーチに話しかけます。
「というわけで、アンナとのダンスは一生諦めてくれ」
「……わかりました」
ヴィーチは不満そうにしていますが、大勢の人の注目を浴びていることもあり、素直に引き下がり、会場の外に出ていきました。
お父様が周囲の人に騒がしくしてしまったことを詫びると、予定していた時間になったのか、オーケストラの演奏が始まったのでした。




