第103話 開戦
【SIDE:Gの迷宮】
決意を固めた女神マグダレーナの頬を、上空の風が撫でている。
迷宮の空は快晴。
心地よい日差しである。
今、この場所――まるで夢物語のような曇りなき天には、神々しい女神の波動が漂っていた。
転移した先はGの迷宮の空。
迷宮とは、迷宮主の心の世界。
ここはかつて主神だった柱の神、つまりはアクタの夢世界そのものだった。
「本当に穏やかな世界が広がっているのね……でも」
夢とは自由に改変できる場所だ、そんなアクタのドリームランドが再現したのは、おそらくは彼が求めた理想の世界。
緑豊かで、我欲の薄い生き物がただ静かに暮らす世界。
全てが平和で穏やかで、けれど、あの世界の模倣世界だ。
「ここに住まう者はほとんどいないのね……」
Gの迷宮を創り出した時のアクタには、誰もいない方が平和だと思えたのだろう。本当に、誰もいない、楽園のような世界が広がっているのだ。
もちろん、後から移住してきた住人がいるが――。
それ以外の人の姿がない。
本来ならダンジョン化された時に出現する魔物すら発生していない。
それはとても歪な事だと、女神は知っていた。
曇りなき天に漂う女神は、複雑そうな面持ちで世界を眺めていた。
海獣の背から降りた彼女の口から、言葉が落ちる。
「ドリームランド……これが全てから裏切られた彼の夢の中の世界。結局、彼は最後は独りになりたかったのかもしれないわね。独りならば、裏切られない。独りならば、誰にも傷つけられない。穏やかだからこそ、この夢世界は寂しいのよユダ」
Gの迷宮に零れた女神の言葉を拾ったのは、海獣。
復讐心からセイウチへとその身を窶した、かつて神の父だった神。
『ふむ、これがあやつが夢見た楽園ということか。ただ美しいだけの、知恵ある者が誰もいない世界。なんとも寂しい男だ』
「ええ、とても寂しいのよ――でも、これはあなたのせいでもあるのではなくて?」
『なーんの話をしておるのだ?』
それは誤魔化しではない素の声だった。
本当にこのセイウチは、ペンギンへの敗北で色々なモノが欠如してしまったのだろう。
「なんでもないわ。あなたがそれでいいのならもう、それでわたしも構わないから――」
『ふぅむ、なにやら憐憫の感情が伝わってくるが……なにゆえに我を憐れむ? この我に憐れみを受ける要素など皆無! 今日こそ我に敗北の二文字を与えたこの宇宙に、鉄錆び味の鉄槌を下してやるのだ! グワハハハハッハ!』
復讐対象があまりにも落ちぶれすぎると、気も削がれる。
これがまさに実例だったのだろう。
女神は同情すらしたまま、下に広がるGの迷宮を眺める。
――思ったのだ。
今、再びGの迷宮を創り上げたとしたらどうなるか。
それはアクタにも分からないだろう。
彼女にも分からなかった。
ただ一つ分かっているのは、ここが最終決戦の場となる事か。
復讐の女神と成り果てたマグダレーナ。
現在の主神は海獣を横に従え、待ち構えていた人類と始祖神に朗々と宣言した。
「わたしが何故、こうしているか。わたしが何故、全てを破壊しようとしているのか。もう説明する必要もないのでしょう? わたしは主神、かつて楽園と呼ばれし地にて――哀れな彼を出迎えた女神ヴィヴァルディの成れの果て。復讐の女神マグダレーナ」
声はGの迷宮の外にまで広がっている。
当然だ、彼女は主神。この世界、全ての存在に神託を下す権利を有している。
だから彼女は終わりを宣言する。
「あなたたちは罪人です。この流れを止められなかったわたしも、おそらく罪人でしょう。あの日、彼に酷い事を言ってしまった、わたしの罪は消えない。こうなることを知っていてどうにかしてくださらなかった、師、あなたも罪人。そんな救世主を創り出した宇宙も罪人。その宇宙を管理する神の神、外なる神も罪人でしょう」
迷宮の空で手を広げ。
すぅっと、謡うように口を開く彼女からの宣言が続く。
「だからわたしは思うのです。全ての罪を拭おうと、全ての罪を罰しようと。全ての失敗を二度と起こさぬようにと。だからみんな、どうか死んで貰えないかしら? あなたたちの力を吸収し、私は宇宙を破壊するの。それが罪を重ねたあなたたち人類の、最後にできる贖罪」
告げて、復讐の女神は一冊の魔導書を顕現させる。
それは宇宙の管理者だったセイウチが所持していた、一冊の逸話魔導書。
この状況を打開するための事前準備の賜物だった。
異世界の神の力を借りた魔術を展開するべく、女神はゆったりとそのページを捲る。
彼女が手にする逸話魔導書の表紙には、白き神狼の姿が描かれている。
その神の名は”白銀の魔狼ホワイトハウル”。
かつて楽園の果ての森に棲んでいた、大いなる存在の一つ。
楽園の崩壊と共に、魔王と成り果てた救世主に付き従い。
そして堕天した。
今のあの魔狼はこう呼ばれている。
三獣神――と。
その力は”裁定の力”。
罪悪感を感じている者に絶大な効果を発揮する、裁きの魔術を扱える書だ。
おそらく、今の人類も始祖神も多少は反省している。
つまり、それは罪悪感を抱いているという事。
だから、これは彼女の切り札でもあった。
魔術を解き放つべく、復讐の女神は正当な復讐として――詠唱する。
「汝は罪人。罪ある者に主たる女神のわたしが命じます――」
復讐の女神といえど、主神は主神。
そして歪んでしまってもその性質は”聖”。
だから、全てを平等に裁くその逸話魔導書は、これがやりすぎた復讐であっても公平に効果を発揮する。
「【汝らの罪に裁きの慟哭を】」
対象は、この世界に生きる全てのもの。
効果は罪悪感を抱いている者への、罪悪感に比例した拘束と魔術封印。
女神の裁きが発動されていた。
罪の重さを示す天秤が具現化され、裁定は下された。
判決は有罪。
天秤から、罪人を裁く光が零れる。
広がるのは、零れた光から発生する振動。
振動は獣の慟哭へと変貌し、そして聖歌を纏い罪人を戒める遠吠えとなった。
裁きの獣声が、Gの迷宮に降り注ぐ。




