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第23話 王弟セドリックの視点4

 

 油断。抱きかかえていたオリビアが居なくなった瞬間、温もりが感じられなかった。

 何度失態を繰り返せばいいのだろう。

 愚かにも慢心していた自分が腹立たしくて、苛立ってどうしようもない。


「オリビア!!」


 気づけば抑えていた魔力を解放していた。

 襲い来る触手、狼の魔物も、障害でしかないとわかった瞬間、魔法剣で切り裂いた。柘榴色の血飛沫が城を染めたが、そんなのはどうでもいい。


 返り血など気にせず、斬って、薙ぎ払って、私の大切な者を奪った全てを殺し尽くす。

 庭園に触手の塊が見え、匂いでオリビアがいるとわかった。

 援軍を待たずに単騎で突っ込む。


(オリビア、どうか無事で──っ!)


 剣一本で触手の壁を貫き、燃やし尽くす。中に彼女がいることを考慮して消し炭にしないように手加減をして中に突入する。

 魔物は悲鳴を上げ襲い掛かるが遅い。中心部に進むと二つの匂いがあった。

 一つはオリビアのものだ。

 彼女の姿が見えた瞬間、少しだけ安堵した。


(外傷はない。ああ、よかった──)


 だがまだ安心できない。オリビアを抱きしめて温もりを実感するまでは、怖くてしょうがない。人族は魔物の瘴気に当てられやすい。

 内側に入ってしまえば、この有象無象に湧き出る触手に遠慮することない。


 紅蓮の炎が走り、内側から触手そのものを燃やし尽くした。

 轟音と共に青空が広がり、触手のみ黒い灰となって消え去る。


 私は真っ先に彼女を抱きしめようとした。しかし乾いた音が庭園に響く。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 敵に攻撃されたらすぐにわかるというのに、この時の私には状況が読み取れず固まってしまった。


 手を弾かれた──誰に?

 私を拒絶した──誰が?

 眼前に居るのは──私の愛しい人。

 オリビアに化けているわけでも、ニセモノでもない。匂いでわかる。

 私のことを求めている匂いがするのに、体が拒絶した──?


「オリ……ビア」


 彼女の顔を見ると、表情が欠落して人形のようだ。あのアメジスト色の美しい瞳が濁って──私を見ていない。


(これは──精神支配の?)

「せっ……ド……ック……た……す……け……」


 オリビアの魂が、心が、悲鳴を上げている。

 誰だ。

 彼女をこんな目に合わせた者は──。

 そこで触手の内側に囚われていたもう一人の存在を思い出す。あまりにもちっぽけな魔力だったので気づくのが遅れた。その男は下卑た笑みで私とオリビアを見ていた。


(ああ、こいつか。こいつが、オリビアを──)

「オリビアも魔物で怯えたのでしょう。魔物の討伐がまだ終わっていないようなら私が彼女の傍で──」


 今すぐ斬り捨ててしまいたかったが、もしこの男が精神支配の魔法あるいは魔導具でオリビアを操ろうとしているのなら、この男を庇ってオリビアが怪我を負ってしまうかもしれない。

 それだけは駄目だ。

 まずはオリビアの安全が優先しなくては。


「いや、結構だ」

「しかし」

「既に討伐は終わった。妻の体調が優れないので失礼する。……アドラ」

「ハッ」


 すぐさまアドラを呼んで諸々の後処理を任した。あの男の処分は後でどうとでもなる。問題はオリビアだ。

 彼女を気絶させて抱き上げると、大人しく私の腕の中にすっぽりと納まった。

 涙を流す彼女にキスをして触れた。


「大丈夫です。なにがあっても元に戻して見せますから──」



 ***



 診断の結果、オリビアは腕輪による精神支配を受けていた。

 侵攻レベルは五〇パーセントと深刻なものだった。ただ他の種族に比べて人族の精神力は強く、人族でなければ抵抗できずに人形のように主に付き従っていたという。


「私の手を払った時に、オリビアの心は泣いていた……あれは私を慮って?」

「人族の精神力の強さ故ですね」


 賞賛を送ったのはローレンスだった。

 すでに魔導具を取り外し、これ以上侵攻レベルが進むことはないという。それに私は安堵した。

「すぅすぅ」と規則正しい寝息を立てているオリビアに触れようとして、ローレンスに止められた。


「しかし、状況的にはあまりいいとは言えません。セドリック様の手を払おうとしたのであれば、既に拒絶するような指示があった可能性は高いかと」

「魔導具を取り外しても暫くは影響が続くのか?」

「恐らくは……。特にこの魔導具は《蝴蝶乃悪夢バタフライ・ナイトメア》と呼ばれ、悪夢が現実に思え、現実が夢のように錯覚するもので悪夢が増えれば精神支配の効力は薄まる分、悪夢が現実と認識して発狂、あるいは廃人になってしまう可能性があります」

「なっ……」


 持ち直すかどうかはオリビアの精神力にかかっているという。

 それなら私にできるのは彼女を一人にしないことだ。傍でここに居ると伝え続ける。

 彼女が起きている時、眠っている時を含めて傍にいた。


 ダグラスやスカーレット、サーシャやヘレンなど交代で傍に居て、話しかけた。贈り物もしたし、傍にいた。

 精神支配にかかっているのが嘘のように、オリビアは私に甘えてきた。自分から抱き付き「傍に居てほしい」と擦り寄って──愛おしくて、愛の言葉を返す。

 たくさん甘えてくるオリビアに、私は浮かれていた。


 今まで以上に一緒にいて「春になったらどこに行きたい」とか、「結婚式のドレスはこれがいい」とか「どんな結婚式にしたい」などと、未来の話ばかりをした。

 その時に気付けばよかった。


 全て「できたら嬉しい」と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 甘い願いを告げて、そんな未来を想像することで精神を維持していたのだと──。

 オリビアが泣いているのを見なくなったから、安心していたのだ。

 私に触れるのも拒絶しなかった。笑ってキスを受け入れて幸せそうだった。

 だから、もう大丈夫だと思いたかった。


 あの日、会議のためにスカーレットが人の姿でオリビアのいる部屋を訪れた。いつもはウサギの姿をしているのだが、さすがに今後の会議となるので人の姿に変えてもらったのだ。

 オリビアも眠ったところだったので安心していた。


 会議も一時間ぐらいだったので、大丈夫だろうとオリビアから離れた。

 思えば《蝴蝶乃悪夢バタフライ・ナイトメア》という魔導具の効果を甘く見ていた。あれは現実に起こったものを悪夢へと昇華し、宿主の精神力を削って、現実に戻れないように対象者を追い詰める。

 永遠に眠り続けるよう悪夢と現実をすり替えて、絶望させるものだという。


 会議の途中でオリビアの様子を見に部屋を訪れた時──。

 暖炉の炎が消えかけており、窓が全開で開いていてカーテンが風で大きく揺らぎ、部屋の床に雪が積もり始めていた。

 ベッドで眠っていたオリビアの姿がない。


「──っ」


 言葉を失った。

 頭が真っ白になった。

 部屋の外には警備兵がいる。防御結界があり外からの侵入は不可能。

 オリビア自身で飛び出して行った。

 その結論が出た瞬間、窓から飛び出して雪の中を走った。

 足がおぼつかず、転びそうになりながらも駆けた。


(どうして、気づかなかった。オリビアはつらい時だって、悲しい時だって自分を押し殺せる人間だと、知っていたはずなのに!)


 雪のせいでオリビアの匂いが弱々しい。

 こんな雪の中を薄着で歩いていたら──。


『こっち、こっちだよ』


 声がした。

 幼い子供の声。

 進んだ先にオリビアはいた。雪で体が埋もれつつあった。雪を払って抱き寄せると体は冷え切っていて、心臓の鼓動もどんどん小さくなっている。

 それは明確な死を意味しており、体が震えて喉が詰まって声が出ない。


「オリビア……、オリビアっ」


 自分をとり巻く空間の温度を上昇させ、オリビアの体を温めいていく。

 生きて。

 もう絶対に手放さないと、独りにしないと約束をしたのに……。

 どうして私はこんなにも大切な者を守りきれないのか。


「オリビア、ダメだ。私を一人にしないと約束しただろう」


 逝かないで。

 私を残していなくなるなんて嫌だ。

 駄目だ、許さない。

 私はまだ何も貴女に返せていないのに。


「セドリック様、……幸せでした。私を見つけてくださって、受け入れてくれて……ありがとう……ございます」


 幸せだと彼女は言う。

 たった三カ月の日々が──宝物だったと口にする。当たり前の幸福にしたい。

 特別なことなどないと、これが当たり前だと思わせてあげたい。安心して身を委ねて、一緒に幸せになりたい。


「オリビア、そんなこと言わないでください。ようやく、一緒になれるのに、やっと全て解決して……精神支配だって、解けるのに──」


 オリビアは精神支配を受け、絶望の淵でも微笑んだ。彼女の強さを垣間見た気がした。

 彼女の手を掴むと弱々しくも握り返してくれた。


「生きようとしていることを諦めないでくれてありがとう。オリビア、愛しています。どうか私の元から離れないでください。どうか私と一緒に……幸せに……」

「…………は……い」


 か細くも頷く彼女が愛おしくて、私は彼女の小さな唇を重ねた。


お読みいただきありがとうございます٩(ˊᗜˋ*)و

明日は朝8時投稿予定。

明日で完結します!



下記にある【☆☆☆☆☆】の評価・ブクマ・イイネなどありがとうございます。

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