宗方機関
戦後に閑話を追加しますので完結を一時解除しました。
2話程度考えています。その後完結とします。
6/23 改行がズレていたのを修正。プレビューでは問題なかったのですが。
宗方機関は戦後、瞬く間に世界中に広がった。
なにしろ同じ動力で最低でも三割向上したのだ。これは戦時中の日本での実績による。言い換えれば三割増しの出力で、同等の燃料消費で済む。これは大型大出力の機関であるほど恩恵が目立つ。
三割増しの出力が得られているのは、戦車などの大型車両用と航空機用だった。船舶用や火力発電用なら五割増しを可能にしている。
これは、大型の方が製作に制約が少ないのと初期の頃は小型の物が工作困難で大型を中心に開発していたからだ。いずれは同等に近くなると考えられている。
日本以外で最初に導入されたのは、ロシア・イギリス・フランス・アメリカだった。次いでイタリヤなどだった。
それらの国で建造中の船舶や発電所は、わざわざ設計仕様の変更や完成時期を遅らせてまでも宗方機関の導入を図った。ドレッドノートの二の舞は避けたかったのである。
参考にされたのはP-39と戦時中に完成した標準船だった。P-39については日本も自国の兵器ではないので公開に踏み切れた。
次いで、鉄道と大型トラックや大型土木機械だった。新型から順次採用していく。それまでの車両は格安で販売して客離れを防ぐ努力もした。
宗方機関の導入で、相性の悪い蒸気機関車は急速に退場を余儀なくされた。
問題は日本の生産力だ。需要が多すぎて早々と手を上げてしまい、海外にライセンスすることになる。なにしろ世界中からの発注だ。いくつかの製品規格で作っているが、とても需要を満たすような数を作れない。ましてや、特注品など国内向けでも間に合わないのに国外の引き合いに応じる事は困難だった。
では、海外で技術導入後直ちに製造可能になったかというと、ならなかった。各国・企業とも最低でも工場で製造を開始してから1年以上しないと歩留まりが五割以上にならなかった。また増幅率も三割がギリギリだった。日本では1950年の実績で歩留まりが七割、増幅率6割強であった。また故障率がかなり違った。もちろん日本製は少ない。
これは積み重ねたノウハウの差であり、先駆者の強みだった。ライセンスと素直に生産が立ち上がるようある程度ノウハウは渡したし、指導員も付けて教育もした。
各国・企業とも努力をするが、日本も追いつかれまいと努力をする。
1950年代の終わりには、細かい改良で増幅率が八割程度まで向上した。歩留まりも向上し九割を超える工場もあった。故障率も低くなり、製品としては安定していると見られた。一部の製品では1倍に届いた。
宗方機関は、基板上に特定のパターンで導線を立体的に配置し、そこに特定周波数と電圧を流すと作用が始まる。電気回路である。安定のために抵抗やコンデンサーなどが使われる。その数は多い。
また、長年の研究で振動も良くないことがわかっている。導線が振動で断線や接触しないよう必要な部分には充填剤を詰めるのである。その充填剤は長らくベークライトやゴムが主流だった。だが、高分子化学の発展により軽量で振動吸収性の良い充填剤も開発されてきている。
外部に置かれる制御用機器にも多数の真空管などが使われている。トランジスタの実用化でより小型高性能化が進むと思われる。
更なる高性能化をもたらしたのが、1960年に製造が開始されたガラスエポキシ基板だった。それまでのベーク基板(フェノール基板)ではどうしても電気的特性が良くないのと各種耐久性に問題が有った。ガラスエポキシ基板登場前にはベーク基板よりも特性の良い紙エポキシ基板を使った宗方機関も製作され、遂に増幅率が1倍を超えた。たが、ガラスエポキシ基板が登場するとあっという間に切り替わった。
劇的な向上が見られたので有る。電気的特性の向上で遂に1,5倍となった増幅率。また、耐久性の向上は故障率を大幅に減らした。両面基板となったことで電気回路の実装密度が上がり、回路が小型化された。
また、ここまで故障率を見て採用を躊躇っていた小型自動車にも採用されるようになった。回路の小型も採用を押した。小さいエンジンルームに押し込めるようになったことで無理に小型エンジンの採用をしなくても良かったからだ。
乗用車への搭載は、まず生産数の少ない車種からだった。まだ高価で有り生産数も少ないので、いきなり全車搭載という訳にはいかない。
一部のスポーツカーや高級車から搭載が始まった。まだ庶民の手には遠い。自動車レースや自動車ラリーではMクラスとして別枠扱いになる。
航空機用としてはジェットエンジンに押されプロペラ機用としての市場は減っている。ヘリコプター用として脚光を浴びているが、小型軽量化が進まないと難しいかも知れない。
1970年には更に増幅率が向上した。LC-OFCの開発である。この頃には5N銅線が安定して製造されるようになっており相乗効果で増幅率が向上した。2倍となる。この変化はおそらく表皮効果で有ろうと考えられた。結晶が大きく伝導性が良くなったためと言うのが理由だ。この考えは多くの人に支持された。
表皮効果なら線を細く多くすることでより良い結果がと、撚り線で試すが逆に性能は低下した。ただ断線には強くなった。やはり単線が良いようで有る。熱処理技術の向上がされ、柔らか銅線と言われるほどの柔軟性を持ち断線しにくい素材も出てきた。
やがて量産が進み単価も下落したことから、1980年にはほとんどの車両に搭載されるようになる。これはアルミ成形技術の向上で軽量且つ耐久性の高い筐体が製造可能になったことも大きく影響している。なお、オートバイにはまだ搭載されない。相変わらず小型化は難しい。
1980年、革新素材としてPC-OCC登場。LC-OFC同様日本で開発された。国内工場で全量が生産される。重要な素材は国外にライセンスでも出す気は無い。
半導体技術の向上は宗方機関にも押し寄せ、LSI化と共に基盤技術の向上となって小型軽量化を可能とする。
半導体技術はアメリカ、日本、ヨーロパで先進技術を争い混沌とした状況。
この頃より各種コンデンサもより高性能の物が出回るようになってきた。
船舶用や火力発電用としては依然として存在は揺るがない。ガスタービンエンジンでもスクリューや発電機への出力軸の回転数は決まっている。従来と変わりない。
1990年、小型軽量化が遂にオートバイへの搭載を可能とした。
2000年、遂に電動アシスト自転車も搭載。ここまで小型軽量化が
進んだ。
小型軽量化が進み冷蔵庫やエアコンなどの回転系を持つ家電
にも使われるようになる。
自動車レースやラリーではたびたび規格外の宗方機関が
問題になっているが、遂に自転車レースでも見つかった。
フレームの中にバッテリーを隠し、BB部にアシスト機構と
宗方機関を押し込んだ。長時間の走行をするロードレース
では無くシクロクロスであった。
やけにトルクフルな走行をして上位入賞や
優勝をしていたので、発見されたのだった。
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1945年 宗方機関公開される。
1947年 生産間に合わず。各国向けライセンス契約始まる。
1950年 各国とも生産を始めるが上手くいかない。
1960年 ガラスエポキシ基板。大幅な性能向上と小型化。
1970年 LC-OFCの登場。遂に2倍の増幅率を得る。
1980年 ほとんどの車両に搭載。
1980年 PC-OCC登場。増幅率2,5倍へと。
1985年頃 半導体技術が進み基板のLSI化が進む。
小型化に拍車。
1990年 オートバイにも搭載されるようになる。
2000年 されに小型化が進み、電動アシスト自転車も搭載。
2020年 増幅率は3倍程度で落ち着いている。現行技術では
行き着くところまで来た感が有る。
宗方機関の進化を大雑把に。
次は戦後世界と兵器などの閑話で終わりたいと思います。




