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銃声のない日々

戦後の話です。今日もう2話有ります。06時、07時に予約済み。

 モスクワでスターリン以下共産党首脳部と軍首脳部がBFJR連合に確保され無理矢理停戦を飲まされた時、他の戦線はこう言う状況だった。


 東 ロ日軍担当

 エカテリンブルクで完全に停止。辛うじて送り出した強行突入部隊が値千金の活躍を見せ面目を保つ。

 戦場を押し上げるなどもってのほかで、民生のための補給でシベリア鉄道は限界。西から物資が届かないと今回の冬は危ないかも知れない。前年の冬は軍が前線のために積み上げた備蓄まで放出してようやく乗り切ったが、今はそれも激減している。増やすほどの補給が得られない。

 辛うじてクリスマス前の停戦でホッとしている。早く西からの物資補給が再開されないか待ち遠しい。


 南 ロ日連合軍+トルコ・イタリア連合軍

 ロ日軍はヴォロネジで停止。治安維持をしないと住民慰撫の面からも問題が有り、共産党の残党狩りで前進ができなかった。広さに対して戦力が少なかったため。

 モスクワに突撃させたが、少し届かなかった。

 トルコ・イタリア連合軍は順調だった。スターリングラードを包囲。ウリウリと攻撃しひたすら出血を強いて自分達の損害を抑えていた。市内に入る気は無かったようである。半要塞化された市内に入ればとんでもない損害を被っていただろう。モスクワ陥落を待って正解である。


 西 多国籍混成軍 ドイツ・ポーランドなど、ソビエトに攻め込まれた国が主となり構成。ヨーロッパの国は大抵こちらに参加。最後突撃させたが、クレムリンに着いた頃終わっていた。


 北 英仏軍

 我こそは主役である。しかし、突飛もない突入を見せたロ日連合軍に最後さらわれた。

 実際、もっとも戦場で苦労している。最大の功労者である。






 ソビエトの降伏で終わった戦争は、戦後処理へと闘争場所を変えていく。

 ただ、自分勝手な理由で勝手に攻めてきて負けたのだから戦後は厳しくなるだろう。


 講和の話し合いは、パリで行われた。ワルシャワがふさわしいという声も多かったが、戦後復興の最中と言う事と設備面の不安もあり、パリとされた。ベルリンはドイツ・オーストリア以外の国が嫌がった。


 これから講和条約が詰められるのだが、ソビエトは事実上解体されると決まっていた。最終的に残る国家も厳しい軍備制限のもと周囲に脅威をもたらさないように運営される国となる予定だ。


 パリでも会議は紛糾した。原因はソビエト指導者達なんだが。

 彼らにしてみれば自分達を捕虜にしたのがロ日連合軍なのが問題だった。ロシアという旧支配者に捕まったのである。どうあがいても目は無い。どうやってくぐり抜けるかが問題だった。

 ただ、既に首都は占領され全軍に停戦が行き渡っている。これを覆すことも不可能。

 なのに、BFJR連合の出す条件を悉く拒否。


 条件は簡単だった。

1.ソビエト共産党の解体並びに共産党系組織の解体

2.赤軍の解体

3.戦争責任の追及

4.国家賠償


 ただ、これだけだった。そこに繋がる付帯条項は膨大な物になるだろうが。


 完全敗北の上に国土は占領されている。どうやっても飲むしかない。しかし抵抗した。

 1と2は、辛うじて許せた。4は自分達がやることではないからどうでも良かった。国民が貧乏になろうと自分達は高官でありそれなりの年金が出ることになっている。戦後はどこか田舎で暮らせば。


 問題は3で有る。


 共産党に代わる新政権の元、責任を追及されることになっているが、新政権はできるだけ共産党員を排除した政権になる予定と聞かされた。これは不味い。

 責任を追及されれば、良くて長期収監。最悪死刑。できるだけ罪を軽くしようと、お互いに擦り付け合うという情けない姿が晒された。

 参加国でも直接被害に遭った国は許せる物では無かった。


 その抵抗も長続きはしなかった。ソビエト国内で残された者達が政権を運営しているのだ。その政権が現首脳部の地位と権利を剥奪。条件を了承した。


 The End


 ここにソビエトと共産党は終わったと皆思った。12月中旬に終わった戦争は、翌年の春ようやく戦後へとなった。





 そして2年後の1946年5月、パリで講和条約が締結された。

 内容であるが、ソビエト人民共和国には当然だが厳しい物となった。


 ソビエト人民共和国は解体される事となった。ウクライナ・ベラルーシ・バルト三国・モルドバは分離し、独立を取り戻した。グルジア・アルメニア・アゼルバイジャンも分離独立とした。中央アジアではカザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタン・キルギスが分離独立した。

 ソビエト人民共和国は更に西側をヴォルガ川以西がロシアに取り戻され、南はクルクス・ヴォロネジ・サラトフ以南がロシアへとなった。

 ロシアは念願のヨーロッパ回帰を果たしたのだ。悲願の再統一によるロシア復旧はならなかった。英仏が警戒したためだ。日本もどちらかというと止めて欲しかった。

 北はそのままとされた。ただフィンランド国境から50キロ以内には軍事力の展開が禁じられた。

 これにより、地中海への出口は無くなった。


 領土はそれで終わった。ロシアだけが大拡張となったが、旧領の復旧と見なされている。また軍事力は強大な物を置かないと宣言したおかげで、警戒されたがさほどの文句は出なかった。

 強大な軍事力は国力からいっても無理だった。今回の戦争はかなり無理をしていた。借金まみれである。人的資源でも危うく、休戦と同時に多くの部隊が帰還と同時に動員解除されている。


 独立させた国であるが、統治能力の不備は如何ともしがたく数年はBFJR連合で面倒を見る事になる。後に年数が伸びBFJR連合にとり重い負担となっていく。

 独立と同時に民族紛争も起こりかけたが、BFJR連合が強権で押さえつけた。同時に銃砲の徹底的な回収と管理を行い、砲はほとんど、歩兵銃や機関銃も九割程度が回収された。これは、民族紛争が悪化する事を防ぐのに重要だった。


 ソビエト人民共和国は人民を削り、ソビエト共和国となった。軍事力は8割削減。平時戦力は20個師団。機甲は無し。航空機1000機とされた。ただし航空機には戦闘機や大型爆弾搭載可能な機体は含まれない。師団数が多いように見えるが、正規師団で1万人であり、他国に比べると師団規模が小さい。また、厳しい自然により助けが必要な場合が多く、軍を救援活動に充てる目的もありこの数に調整された。

 土木師団と陰口を叩かれるようになるが、地元住人からすれば頼もしい存在となっていく。水害や春の雪解け時における災害救助・救援能力は、世界中から参考にされるほどになる。



 戦争を主導した(他国侵略を画策した)首脳部は、まだ生きている。ソビエト共和国で裁判にかける予定だ。くれぐれも不慮の死は無いようにBFJR連合から現政権に警告をしてある。



 ソビエト人民共和国の敗因は多岐にわたるが、一番は硬直した指導体制だった。特に酷い上意下達と反論を許さない姿勢が問題とされた。酷い粛清も同等の問題とされた。

 BFJR連合参加各国は自国にもこのような事が起こらないとは限らないので、他山の石とすべく研究をしている。


 物質的な面では、資源供給が絶たれた事が大きい。特に生ゴムの影響は大きかった。各国とも生ゴムの安定供給を確保すべく動くが、南方の植物であり産出国と仲良くする以外無かった。合成ゴムはまだ技術的に未熟で生ゴムの代替とはならない。化学先進国は合成ゴムの研究に力を入れる。





あと2話。

だいたい概要です。

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