ソユーズ
狂気の作戦「ソユーズ」は、最初から無理なことは分かっていた。それでもブチ上げないとモスクワは遠かった。
スケールダウンを重ね、初期構想の数分の一まで減った。それでも、移動に不安がつきまとう。なにしろ、史上最長距離の兵力移動だ。
しかし、日本陸軍の第1弾は既にアレクサンドリアに入った。ロシア陸軍も続く。エカテリンブルク攻略からわずか2週間のことだった。
からくりは単純だ。日本本土の兵力を移動させたに過ぎない。あらかじめ遣欧軍への増援として確保して送り出していた兵力だ。配置を遣欧軍からソユーズ実行部隊に替えるだけだった。ロシア軍はウラジオストック駐屯部隊から1個師団を抜き出し送った。
本番はこれからだ。エカテリンブルクや後方になった地域から兵力を引き揚げ後方に送る。後方はそれを待たずにソユーズの兵力に組み込まれる。ウラジオストックには兵員輸送船に改造された貨物船が多数入港しロシア陸軍を飲み込んでいく。
ソビエト海軍のことは心配しなくてもいいので、効率の良い独航船か性能が揃っている船は小さな船団を組んでいく。
予定ではモスクワ攻略戦開始時にヴォロネジ辺りにいるはずだ。
その中には日本陸軍とロシア陸軍の戦車部隊がいた。なにしろシベリアではろくに対戦車戦をやれなかった。
ポーランドで敵味方合わせて200両以上の戦車戦と聞いて悔しい思いをしていた。今度こそという気持ちは有る。
「今度こそこいつを活躍させにゃあ」
「太田中隊長、まだインド洋ですよ。気が早すぎませんか」
「そんなこと無いぞ、進士中尉。常在戦場とも言うだろ」
「ここは海の上です。陸っぱりに出番はありません」
日本で錬成されシベリアで実戦を積んだ、第三機甲師団第四連隊第二大隊第三中隊中隊長太田大尉ははしゃいでいた。シベリアではほとんど出番無く、無聊を託っていたのであった。
なにしろシベリアでは退屈に負けるのが先か、寒さに負けるのが先か、などと言われたくらい敵とは会合しなかった。
コンスタンツァにソユーズ第1陣として日本軍は到着していたのだが、名目上と実質最大陸軍戦力のロシア陸軍が到着したのが9月下旬。次いで戦車を主力とする機甲部隊の到着が9月末。
訓練も無く、部隊を再編。上陸部隊としてヤルタ周辺に上陸したのが10月5日。泥縄式もいいところだ。兵力の逐次投入という愚を犯してまでも、モスクワ攻略戦開始時にヴォロネジに到着する必要があった。
ヤルタ周辺では、既に航空戦力は皆無で機甲戦力も空爆で削られている。対戦車砲陣地や野砲陣地も空爆でかなり潰された。日本海軍遣欧艦隊の支援を受け上陸する時にはほとんど抵抗なく、あっけない中に終わっていた。
次々と到着するロシア陸軍は、ヤルタ上陸軍が確保したマリウポリの港へ陸揚げされていく。そこには場所取り以外の苦労は無かった。
ルーマニアから距離が有り、航空支援が難しくなるのでマリウポリ周辺に飛行場を設営。今後はここから航空支援を展開することになる。
その頃にはトルコ陸軍がトルコ空軍とイタリア空軍の支援の元、バクーを落としカスピ海沿いをアストラハンへと進撃していた。ただ、設営能力などの後方支援能力がいまいち低く、進撃速度は遅い。それでもモスクワ攻略戦開始時にはスターリングラード攻略を開始できると息巻いている。
ソユーズ軍はまず鉱工業都市ドネツクを落とすことになるが抵抗激しく、初めての苦戦をしていた。シベリアではいまいちやる気の無いソビエト軍が相手だったし、航空戦力も味方が大幅に勝っていた。楽な戦いしかしてこなかったのだ。ここで時間を取られるわけにはいかない。
すぐに早期のドネツク占領は諦める。ただ放置というわけでは無い。鉄道を使いたいのだ。多少は時間をかけても良いので、占領はする。
ドネツク防衛隊の相手をする戦力だけ残し、残りの戦力は迂回することになった。
ヴォロシロフグラードが次の目標だった。ここも鉱山や工場があるがドネツク程の戦力は置いておらず、占領は可能と思われた。
その間暇している海軍は、ロストフ攻略戦を手伝っている。ここが取れれば、ドン川の河川交通で物資の輸送が可能になる。ヴォロネジまで物資の輸送が可能になるのは大きかった。投入された戦力はロシア陸軍1個師団、日本陸軍1個連隊、遣欧艦隊だった。
ヴォロネジ向け戦力とロストフ攻略戦力。更にヴォロネジ向け戦力はドネツク防衛隊の相手まで分けた。兵力の分散、逐次投入という最悪の運用だったが、ドネツクとロストフの両方、何とか占領に成功した。これはシベリア同様、食糧不足で継戦能力が無いと言う事も有った。
兵力と食糧資材をモスクワに取られ、少数の正規軍と民兵で防衛しろという方が酷だろう。
それとは対称的に、兵力・物資とも豊富なモスクワ攻略戦はとても厳しいと思われた。
ソユーズがなんとか進行している最中、シベリアでは変わった機体を使っての訓練が行われていた。
グライダーだ。一式陸攻や九六式陸攻、九七式重爆に牽引されて離陸。切り離されての着陸と。結構な数の機体をダメにしながら、訓練は進んでいた。当然搭乗員も人数は少ないが犠牲となった。
通常のグライダーは20人乗りであるが、大型の40人乗り試作機であるク7も少数だが参加していた。
計画ではモスクワ攻略戦開始後、航空撃滅戦で敵迎撃機を無力化。その後、エカテリンブルクから飛び立ち、モスクワ周辺の飛行場に突入するという無茶な作戦で有る。
飛行計画は、エカテリンブルク発-モスクワ着の片道。牽引機はその後エカテリンブルクに帰投。牽引機には一式陸攻と九六式陸攻が使用される。通常の爆装よりも遙かに燃費が悪く、九七式重爆では航続距離が足りなかった。
また護衛戦闘機も付けなければいけない。いくら敵迎撃機を減らした後と言っても残っている機体は有るだろう。護衛戦闘機には零戦と一式戦が使われる。少数だが陸軍の四式戦【疾風】が参加する。他にこの距離を護衛できる戦闘機は無い。余裕が有れば、対空砲火を潰すための機銃掃射を行う。
護衛戦闘機はさすがに往復は出来ないので、可能ならヴォロネジ。ヴォロネジ攻略が間に合わなければレニングラード周辺の味方飛行場に着陸する。
四式戦【疾風】は中島渾身の機体で、発動機には中島の執念【誉】が搭載される。三菱金星よりもわずかに小さい直径で2000馬力を発生する期待の発動機だ。ヨーロッパやアメリカの工作機械や工具で製造に問題は無い。
陸軍は遂に海軍機を超える戦闘機を配備できたと悲願達成で有る。
海軍は十五試艦戦が失敗。十七試をやっているが間に合わないだろう。十四試局戦【雷電】は物になったが要地防空用戦闘機で海軍の主力戦闘機たる艦上戦闘機では無い。
トルコ以外は総出でモスクワを目指していた。
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