黒海平定
コンスタンツァを落とした日本軍は、退却したソビエト軍を追うような事はしなかった。
しばらく腰を据える場所である。逃げた軍隊よりも現地の慰撫が大事だ。
チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニアとソビエトを追い出し、息切れしている事もあった。
陸軍は規模の問題も有り、しばらく能動的な行動は取れそうに無い。
代わりに張り切ったのが海軍だ。
目標は多い。その中でも重要なのが、オデッサ・セバストポリ・ノヴォロシースクの3カ所だった。
問題は、機雷であった。その後もダミーと本物を混ぜた機雷を流している。嫌らしいにも程がある。
日中の哨戒では不審な船は見当たらず、夜間に流しているだろう事は明らかだった。夜間、電探で探知しても近寄れば機雷の危険があるので近寄れない。かといって無差別に砲撃した場合、民間船だったら目も当てられない事になる。
出現地を叩こうと考えるには時間がかからなかった。問題はどこかだったが、ダミー機雷を積むなら漁船のような小型船舶で足りる。地方の漁村までが候補になった。
本物を積んでいる船が拠点にするのは、オデッサ・セバストポリ・ノヴォロシースクで有る事は明白だった。オデッサとセバストポリはさすがに防御が堅く、迎撃機も多数控えている。最初の目標はノヴォロシースクになった。後方基地の扱いで、最前線であるオデッサやセバストポリ程防御が堅くない。
陸軍とも連携を取り、オデッサ空襲を見せかけて貰う。近づくだけで帰るのだが、迎撃機が一時的にセバストポリ方面から減れば良いのである。
ノヴォロシースクには、新司偵による偵察でガングード級戦艦と1万トン級重巡が停泊している事も解っている。目標は軍港施設と船舶、特に旧式とは言え戦艦と最新鋭の重巡がいる事に二航戦は息巻いた。第一戦隊も我が出番来たりと鼻息が荒い。
しかし、触雷の危険があるので一週間かけて慎重に掃海された黒海沿岸をコンスタンツァ沖からトルコ・シノプ岬沖へ移動。そこから攻撃隊を飛ばすのだった。
片道320km。零戦48機、九九艦爆18機、彗星16機、九七艦攻32機。攻撃は1回のみ。二航戦が一回で出せる最大戦力だった。居残りと直衛にされた搭乗員の恨めしい目で見送られて出撃していく。
艦攻12機の腹には最新鋭の浅深度魚雷がぶら下がっている。ノヴォロシースク軍港の構造上、南から防波堤越えの雷撃であり手練れのみ選抜され雷撃隊とされた。水平爆撃隊の20機は80番通常が8機。12機が80番陸用を抱いていた。
九九艦爆はおなじみである。25番通常を抱いて急降下だ。彗星は爆弾倉が閉じられなくなるが、編成的に速度が問題にならないとして50番通常を抱いていた。
新顔の彗星は、液冷発動機装備の高速機である。ユンカース・ユモ213を装備して、試作機では50番装備の公試状態で水平全速230ノットを超えている。爆弾倉を閉じる事の出来る25番装備時には280ノットまで出た期待の新型機だ。ただ、液冷発動機は海軍の装備体系から外れて久しい。まともに整備できる人間がいない。ドイツのユンカースから人を招き長期の講習を行ったくらいだ。それでも整備力には不安がつきまとう。発動機の製造も愛知、いや日本の技術力では無理があり歩留まりが悪かった。暫定的に出力を下げて歩留まりを上げている。彗星に載っているアツタも出力を下げた物を載せている。だいいち本家ユンカースでさえ、まともに製造できないのである。
ノヴォロシースク軍港への空襲は概ね成功裏に終わった。
まず艦戦隊が雷爆撃に先立ち地上の対空砲火を減らすべく機銃掃射を敢行。かなり減らすことが出来た。ここに突撃したのである。
概ねというのは、軍港が狭く浅いために思ったよりも雷撃の成果が上がらなかった事である。投雷地点が限られているため2機ずつ進入。12機のうち、まともに雷撃できたのは8機。2機は撃墜された。2機は失敗。防波堤にぶつけたのが1機。その機体は低空かつ至近での魚雷爆発に巻き込まれ軍港内に墜落。生存者は無い物と思われる。1機は投雷を諦め再度の挑戦は投雷したものの、海底に突き刺さったようである。他にも投雷が成功したうちの3本が海底に突き刺さったようで、計4本が海底で爆発か不発に終わった。
では残りの5本はどうかというと、無事雷跡を曳いて目標に向かったが3本は桟橋や埠頭を破壊。2本が命中。戦艦に1本。巡洋艦に1本。惨憺たる結果であった。
翻って爆撃隊は成功であった。進入方向と投雷地点が限られていた雷撃隊と違い、自由に進入出来たことは大きい。特に水平爆撃隊は艦戦隊が投下した発煙筒で風を読み有利に投弾できた。
水平爆撃隊、艦爆隊とも抽選で半分が艦船攻撃、残りが軍港設備を目標とした。それでもたいした大きさでは無いノヴォロシースク軍港には大破壊が待っていた。
艦爆隊の半分か目標とした艦船は動いていないのである。命中率は9割というとんでもないものだった。戦艦には50番が4発命中、25番が二発命中。ユトランド前の戦艦に耐えられる攻撃では無かった。大火災を起こした後、爆発着底した。巡洋艦はさすがに新型だけ有ってよく耐えたが、50番2発、25番3発に魚雷1本の避雷もあり耐えられず着底した。
他に、駆逐隊3隻、潜水艦2隻が着底した。
軍港施設への攻撃は、積み込みに使うクレーン他弾火薬庫と思われる場所を優先して行われた。
完全に破壊できたかどうかは分からないが、かなりの被害を与えた。とどめは弾火薬庫で80番通常が1発命中した。大爆発で辺り一面に被害が及んだ。他にも倉庫で保管されていたと見える弾薬が爆発した可能性のある大爆発もあった。管理がずさんなのか一時的に留め置かれたのかは解らない。まあいいところに置いておいてくれていたと言う事だった。
攻撃隊帰還後、2次攻撃も検討されたが、時間を置きすぎているという事と敵の迎撃態勢が整っている可能性有りとして実行はされなかった。
攻撃隊の損害は、戦闘機隊が迎撃機との戦闘で3機、地上への機銃掃射時に2機、5機が未帰還であった。雷撃機隊は被撃墜2機、自損1機の3機が未帰還であった。水平爆撃隊は被害無し。彗星に2機の被撃墜、九九艦爆に4機の被撃墜で艦爆隊は6機の未帰還であった。状況的に搭乗員は戦死しており、捜索はされない。
英仏との機動部隊同士の激突ほどの損害では無いが、他に被弾損傷した機体まで含めると、軍港とは言えたかが対地攻撃にしては被害が大きいというのが司令部の感想だった。やはり軍港は堅い。
攻撃後行われた偵察によると、軍港の被害は大きく復旧作業には時間がかかるだろうという結果が得られた。これにより2次攻撃は無いとされた。
機動部隊は輸送船で持ってきた機体の補充を受け、今度の目標は重要拠点セバストポリ要塞である。
ノヴォロシースク軍港をやった後、機雷の数は本物・ダミーとも目に見えて減った。まだ見つかるのは残存分か、少数がセバストポリやオデッサを起点として敷設されている可能性もあった。しかし、オデッサにはろくな海軍戦力は無く、セバストポリ要塞をやってしまえば、黒海の制海権は日本海軍の手に落ちる。
確認されている海軍戦力で残りの有力な艦は駆逐艦が6隻セバストポリ要塞の軍港に係留されていた。オデッサにいるのは、哨戒艇程度で問題にもならない。
セバストポリ要塞には偵察が繰り返され、嫌でも目標にされているのが分かる。
セバストポリ要塞への攻撃が行われたのは二週間後。ソビエト軍の航空戦力はますます弱体化し、セバストポリ要塞近くの海上を哨戒している日本軍機にも迎撃を行わないほどになっていた。
要塞への攻撃は、航空攻撃では無かった。水平線の向こうから飛んでくる砲弾だった。大和と長門による射程いっぱいの砲撃だった。
艦戦隊に護衛された観測機が砲弾の後にやって来て弾着観測を始めた。射程いっぱいの砲撃で精度は悪いが、対地砲撃でありかえって都合が良い部分も有る。
主砲の性能が違い統制射撃は対地射撃と言う事も有り取っていない。観測は砲撃の時差による弾着時間の違いで識別して行っている。警戒された要塞砲は戦艦主砲に匹敵する大口径のものは無く、もう少し耕してから距離を詰める予定だ。
結局、大和と長門は1門当たり100発ずつの砲撃を終えた。実に1700トンもの40センチ砲弾が叩き込まれた。瞬発弾と徹甲弾が混じっていて地上は広い範囲でなぎ倒され大穴も開いている。軍港部もめちゃくちゃだった。駆逐艦はスクラップになっており港湾も破壊が酷い。
そこへトドメとばかりに母艦航空隊が襲いかかる。地上からの対空砲火はほぼ無い。
その日、セバストポリ要塞は壊滅した。
ここに黒海平定は成った。生き残りの潜水艦がいるだろうが補給も無くいずれ無力に成るだろう。
そんな状況の中、生き残りが中心となり再建なったポーランド軍はBFJR連合軍の中でも対ソ戦に賭ける意気込みが違っている。
次回更新未定
ソビエト軍の航空戦力は枯渇しかけています。装甲車両もかなり少なくっています。




