ドイツ混迷
その部屋にはドイツを憂う人間が集まっていた。もっとも憂い方は様々だが。
「シュヴェッペンブルク少将。君はクーリエとしては成功したがネゴシエーターにまでは成れなかったようだ」
「その点については、申し開きの余地も有りません。マンシュタイン中将」
「まあまあ。それでも結果は出してくれた。ここは参謀本部では無い。それにBFJR連合はこちらを支援してくれるのだろう?」
バッハ保健相が、その場の雰囲気をを変える。
「はい。形は分かりませんが、ウェーベル大将は本国に諮ると。感触は悪く有りませんでした」
「そうか。最低でも非干渉という辺りだな」
カナリス提督が言う。提督と言っても指揮下に有る艦艇は軽巡1隻に駆逐艦4隻と哨戒艇や雑艦数隻の小さな海軍だ。ベルサイユ条約の縛りが解けても海軍はすぐに増えるわけでは無かった。もちろんそんな小さい所帯なので独自の情報部など持ちようも無かった。
「かの英雄殿はどう動くと思う?」
バッハ保健相が聞く。
「英雄ですか?」
マンシュタイン中将はそんなやつ居たかなという感じで聞き返す。
「ほら、フランクフルト後退戦の英雄だよ」
「ああ、ロンメル中佐とパイパー大尉ですな。動くと言うのは、どう言う事で……!」
「そう。彼らに動いて貰うのはどうだ」
「彼らですか。こちらのコントロールが効かなくなりそうですが」
「そんなに勝手に動きそうかね」
「間違いなく動きますな」
「それも面白いではないか」
「あまりこちらの思惑と離れる動きをされるのは、困るのではないですかな」
「だが、目眩ましには使えるのではないか」
「目眩ましで済むとも思えませんな」
「その時はその時だ」
「本当に英雄になって貰いますか」
「老兵は去るのみだよ」
「まだまだ若いつもりですが」
「おお、これは失礼。ただ前線で動き回る歳でもなかろうと」
「では、年寄りは後ろで楽をさせて貰いましょう」
ロンメルとパイパーには道化を演じて貰う事になった。彼らの知らない所で知らないうちに。
ヒムラー達ナチス政権のやり方を間違っていると国民に訴え、政権から排除するために。
彼らの行動はヒムラーも知るところであるが、自らの権力基盤が盤石では無い現状では監視と遠回しな警告にとどまっている。しかし、この行動の結果、ドイツ国内では政治的混迷が深まるのであった。
ナチスの掲げる政治政策の一つにベルサイユ条約の改定、もしくは終結が盛り込まれていた。奇しくもソビエトの手によって為されてしまったが。
次に、軍事力の強化が有った。これもソビエトにより…
目玉政策の内二つが、ソビエトによる侵略でナチスの手によってでは無く為されてしまった。
ナチスは自国民に向けて成功を誇れなかった。上記二つの成果を持ってしてオーストリアの次にはチェコスロバキアをアンシュルスする予定が、チェコスロバキア方面にはBFJR連合構成国で有る日本軍が入ってしまい、望み薄になった。
復旧を目指した東プロイセンはチェコ同様BFJR連合が入り、ドイツが何か言う事は出来なかった。
外向き政策が全て外的要因で成果に出来なくなったのは痛い。
では、国内経済はと言うと、戦争による軍需物資の注文が立て続けに入り、国内産業は忙しくなっている。だが、ナチス経済方面の重鎮シャハト・ドイツ中央銀行総裁は「今の戦時特需はBFJR連合が対ソ戦を短期戦争として捉え、自国内の過剰投資を抑えるためにドイツに発注している。戦争終結に目処が付けばその時点で発注は極端に減るか無しになるだろう。また、新たにBFJR連合の物資供給国となったアメリカでは、大規模な設備投資をしてない。稼働率を上げて対処している。またそれで追いつかない企業はこれを機会に旧式設備を新式に切り替えている程度だ。ドイツは浮かれてはならない」と、厳しい発言をして国内産業を大大的に拡大しようとするヒムラー達に自重を促す。
ナチスは国内に向けて政策成果が上がりましたと言えないのだ。
それでもベルサイユ条約効力停止と引き換えであった軍需物資の注文には応えなければならず、国内産業は隆盛をしていく。
ソビエトをポーランドから追い出すのはBFJR連合がやるとして、ソビエトを屈服させるにはモスクワ攻略が必要だった。それには多大な犠牲が懸念され、他の国もと言う事で目を付けられたのは当然ながら対ソ宣戦布告したドイツだった。
様々な交渉が行われ、最終的に陸軍40個師団、空軍2,000機でもって対ソ戦に臨む事になった。もちろん対ソ戦終了後は軍縮である。
空軍機は戦闘機と対地攻撃機が主体で、戦闘機はその量産性と価格の安さからBf109が主力となった。対地攻撃機は開発も遅れていてユンカースJu97がようやく量産試作機が試験飛行隊に配備されたところだった。小型にまとめられた双発復座の軽爆撃機だが、急降下爆撃が可能だという。戦力化には遠い。
その陸軍装備の一つに戦車が有った。日本は自国分で精一杯。ロシアはこちらに来る気は無く、英仏は自軍用で一杯だった。ドイツは自分で開発し整備しろと。
当時のドイツ戦車は、ベルサイユ条約の縛りで砲口径30ミリ、砲身長30口径の榴弾砲か20ミリ機関砲までしか許されていなかった。装甲も最大20ミリと決められており、軽戦車以上は配備できなかった。
戦車は上記のように軽戦車しか開発が許可されていない。計画は立ててあるが実際には造られてもいなかった。
計画では、37ミリ40口径戦車砲を主砲とする20トン級戦車(仮称Ⅲ号戦車)を始めに整備する予定だった。
しかし、BFJR連合の情報でソビエトにT-34と言う戦車がいる事を知る。BT-7と予想される後継戦車ならこれで対抗(本車改良型で)できるはずだった。シベリアで戦った日本軍の情報によると、この主砲では撃破不能だった。
T-34は異次元過ぎた。仮称Ⅲ号戦車よりも強力な戦車として仕上げられる予定だった仮称Ⅳ号戦車でなければ対抗不能だった。まだ試作1号車が完成したところだった。ペーパープランに過ぎないⅤ号Ⅵ号など完成する見込みもなかった。
ただ幸いな事に、ソビエト軍の機甲戦力はBFJR連合軍の航空攻撃の結果、壊滅していて機甲戦力はさほど必要とされていなかった。
モスクワ攻略戦に間に合わせるとして、Ⅲ号戦車は固定砲室を持つ自走砲として生産される事になった。主力戦車としてはⅣ号戦車開発に全力を投じるのだった。
その戦車開発部門に、問題の二人が配置転換されたのは不自然な事ではなかった。
この世界線では、ドイツの軍事生産・開発能力は限られています。
Ju97は史実Ju88よりも小型。イメージは九九双軽かな。
次回更新未定




